2018-10-20
■[報道][陰謀論者]田母神俊雄氏にとっての「バカ」の基準
辻田真佐憲氏がインタビューした文春記事で、全3回が公開されているが、1回目の範囲だけでも興味深いところがいくつかある。
そのひとつが、マルクスかぶれの友人への反感と、その原体験となった父親の共産党観について、田母神氏が語るくだりだ。
あれから10年 田母神俊雄が語る「田母神論文事件とは何だったのか?」 | 文春オンライン
小見出しに「共産党はバカだから」と書いているから、主張内容への批判かと思えば、まったく違う理由だった。
私は昔から、左の共産主義的考えに毒されることはなかったから余計に。うちの父はいつも「共産党はバカだ」って言っていた。なんでかと言うと、実家の近くに町議会議員にいつも立候補する共産党の人がいたんですよ。選挙に出ると必ず落ちるんだけど、必ず出る。いつだったか聞いたんです、父に。「あの人は、なんで落ちるのがわかっているのに選挙に出続けるんだ」と。その答えが「共産党はバカだから」。これは、私の原体験といえば、原体験なのかもしれませんね。
負けるとわかっていて挑むこと、つまり愚直であることが、ここでの田母神父子にとっては「バカ」なのだ。しばしば社会における賢さの基準が、論理の精緻さや直感の正しさや知識の深さではなく、勝ち馬に乗る処世術の巧みさに求められるように。
インタビューの口ぶりから考えて、たとえ落選したとしても立候補すること自体が政党の宣伝になるという推測は、田母神父子には難しいようだ。実際は田母神基準でも、共産党はそれなりの合理性をもって動いている。
ここで語られる「バカ」の基準は、少し前の東洋経済オンラインでインタビューされた34歳の貧困男性の投票基準を連想させる。インタビュアーに複数の疑問をぶつけられているように、奇妙な論理であることに変わりはないのだが。
34歳貧困男性が「今が幸せ」と感じる深刻原因 | ボクらは「貧困強制社会」を生きている | 東洋経済オンライン
勝利しそうな政党や、当選しそうな候補に投票するという。理由を問うと、カナメさんはこう説明した。
「自分に世の中を見る目があるかどうかを確認するためです。事前にニュースとかを見て、勝ちそうだと思うところに入れる。結果、その政党や候補が勝てば、自分には世の中の状況を見極める目があるってことになりますよね」
文春インタビューに戻ると、他にも「バカ」の田母神基準がうかがえる主張がある。
日本が今持つべきは攻撃力です。相手を攻撃する能力がなければ抑止力になりません。私はよくプロレスラーに飛び掛かるバカはいないと言っています。
ここでもやはり、不利益を選ぶことを単純に「バカ」と評している。広い世界には「バカ」が存在しうることを考慮することができないらしい。
ただ、直後に北朝鮮も「バカ」ではないと考えて、実際にはミサイルを撃つことはないと考えているあたりは、ある種の一貫性はある。
北朝鮮の場合、アメリカや日本に向けてミサイル撃って戦争を仕掛けても、儲からないことは目に見えている。そんなことしたら、北朝鮮は余計締め上げられるだけなんです。アメリカだって同じ「金儲け」の論理から北朝鮮を先制攻撃しないわけです。
前後して語られている田母神氏が更迭される原因となった論文と考えあわせると、大日本帝国の立場が味わい深くなるのも興味深い。
私は亡くなられた渡部昇一先生や小堀桂一郎先生がおっしゃっているのと同じ論を踏まえているわけです。間違っているとは思いません。
大日本帝国は米国という勝ち目のない超大国に戦いをいどんだ。その歴史について大日本帝国が不利益を選ぶ「バカ」ではなかったと合理化するため、陰謀に騙されるという別次元の「バカ」と主張したかったのだとしたら……これもまた、ある種の一貫性はあるのかもしれない。
■[報道][笑えない]大沼保昭氏が死去したという報を見て、傾いた世界でバランスをとることの困難を思う
国際法学者の大沼保昭さんが死去 戦争責任などを研究:朝日新聞デジタル
95年に設立された「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の理事として、元日本軍慰安婦への「償い事業」に取り組んだ。
安倍晋三首相が15年に戦後70年の談話を出した際には、国際政治学者ら70人余の発起人代表として声明をまとめ、「日本の戦争は違法な侵略戦争だったと明確にすべきだ」と訴えた。
晩年まで上記のような活動をおこなっていた大沼氏だが、下記のように学問の自由を侵害する活動にも協力していた。
「歴史家」であることすら怪しい19人が米国教科書へ訂正要求をおこない、そこにアジア女性基金理事が連携している問題について - 法華狼の日記
【詳報】「強制連行があったとするマグロウヒル社の記述は誤り」従軍慰安婦問題で、秦郁彦氏、大沼保昭氏が会見 (1/2)
このBLOGOS記事で、会見を開いたのは秦氏だけでなく、アジア女性基金の大沼保昭氏もならんでいたことがわかった。
17日、秦郁彦・日本大学名誉教授と大沼保昭・明治大学特任教授(元アジア女性基金理事)が会見を行い、同日付けで公表した「McGraw-Hill社への訂正勧告」について説明した。
妥協したなりにアジア女性基金の価値はあったかもしれないのに、それを理事自身で壊してしまいたいのだろうか。
引用部分だけなら民間の勧告にとどまるという解釈をされそうだが、現在の日本政府に近しい有力者の活動であること、直前に日本の外務省が動いていたこと、その主張が学術的知見に反していたことは考慮されるべきだろう。
単純に複数の意見の中間を選ぶだけでは、加害を否認しようとする側の、事実を歪曲しようとする側の、そして権力がある側を助けることになる。
たとえ意識していなかったとしても、いやむしろ難しさを意識しないかぎり、斜面に対して直角に立つだけでは坂を転がり落ちることになる。
バランスをとろうとして複数の対象を批判しただけでは、権力を後押しする言説ばかりが利用されて、権力に抗する言説は目立たなくされる。
大沼氏が「バランス」を意識していた証拠に、2014年の朝日新聞インタビューで、下記のように語っていたことがある*1。
「戦後日本の歩みは世界で類をみないほどの成功物語でした。日本にはそれだけの力がある。どんな人間だって『誇り』という形で自分の存在理由を見つけたい。メディアがそれを示し、バランスのとれた議論を展開すれば、日本社会は必ず健全さを取り戻すと信じています」
この「バランス」が、下記のようなコメントで高評価されていることが、きわめて象徴的だ。
はてなブックマーク - (インタビュー)日本の愛国心 明治大学特任教授・大沼保昭さん:朝日新聞デジタル
id:Day-Bee-Toe さすが。これが本物のリベラル。日本のことは何でも否定的に語り、反撥する者を罵倒する高圧的な連中とは訳が違う。 (インタビュー)日本の愛国心 明治大学特任教授・大沼保昭さん - 朝日新聞デジタル
なお、仮にも被害者を支援する事業を動かしていた大沼氏を、加害国の一市民にすぎない私が全否定できるとは思わない。
大沼氏がアジア女性基金において被害者支援をおこなったことは、妥協の産物であったとしても過ちではなかったと思いたい。過去をふりかえる著作を読んだ時、いくつかの疑問をおぼえつつも、信念をもって身を削るような活動をしていたこと自体は事実だったと感じられた。
「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪 (中公新書)
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また念のため、当時に支援運動の内外で直接的に大沼氏とかかわった人々や、研究者という側面から深く知る人々には、さらに違った印象があるだろう。私の印象が大沼氏の全体像をとらえているとは思わない。
しかし私が報道や著作をとおして知る大沼氏は、妥協に対する批判という予想された反応に耐えられず、社会の傾きに流されるように陥穽に落ちこんだままだった……晩年の大沼氏の活動や言説を読み返して、そのように感じるのだった。