- サウジアラビア出身の反政府記者ジャマル・カショギ氏が、行方不明になる直前に書いたコラム記事が17日夜(現地時間)、ワシントン・ポストのウェブサイトに掲載された。
- 記事の中で、カショギ氏は中東における報道の自由の必要性について議論している。
- 「アラブ各国の政府は、ますますメディアを思うがままに黙らせ続けている」と、カショギ氏は書いた。
- ワシントン・ポストの同氏の担当編集者は、カショギ氏の最後の記事は「彼が命を捧げた自由」に対するコミットメントの証しだと言う。
- カショギ氏は10月2日、トルコのイスタンブールでサウジアラビアの領事館に入った後に行方不明となり、殺害された恐れがある。
- トルコ当局は、サウジアラビアが、政府に批判的だったカショギ氏を領事館内で殺害したと非難している。
サウジアラビア出身の反政府記者ジャマル・カショギ氏が、行方不明になる直前に書いたコラム記事が17日夜、ワシントン・ポストのウェブサイトに掲載された。
記事の中で、カショギ氏は中東における報道の自由の必要性について議論している。
「アラブ各国の政府は、ますますメディアを思うがままに黙らせ続けている。インターネットがプリントメディアに対する検閲や統制から情報を解放するだろうと、ジャーナリストたちが信じた時代もあった。だが、存在そのものが情報統制に依存しているこれらの政府は、インターネットを強引にブロックしてきた」
そして、カショギ氏はアラブに暮らす普通の人々が自身の社会が直面する「構造的な問題」に取り組めるような、「独立した国際的なフォーラム」を作ることを呼びかけた。
「アラブ世界は、独自の"鉄のカーテン"に直面している。これは外から突き付けられたものではなく、権力を握ろうとする国内勢力によって突き付けられたものだ」と、同氏は加えた。「アラブ世界には、国際的な出来事について市民が情報を得られる、旧来の国境を越えるメディアの現代版が必要だ。そしてそれ以上に、アラブの声を提供するプラットフォームが我々には必要なのだ」
ワシントン・ポストのグローバル・オピニオン担当の編集者カレン・アティア(Karen Attiah)氏は、カショギ氏の最新の記事の冒頭にコメントを書いている。
「わたしがこのコラム記事をジャマル・カショギの翻訳兼アシスタントから受け取ったのは、ジャマルがイスタンブールで行方不明になっていると報じられた翌日でした」と、アティア氏は言う。「ワシントン・ポストがこれを掲載しなかったのは、ジャマルが戻ってきて、一緒に編集できたらと願っていたからです。しかし今、受け入れなければなりません。それは起こりえないと」
そして、アティア氏は加えた。「これが、ポスト紙のために彼が書き、わたしが編集する最後の記事です」
カショギ氏の担当編集は、同氏の最後の記事は「アラブ世界における自由への彼のコミットメントと情熱を完璧に捉えた」ものであり、その自由こそ「彼がその命を捧げた」ものだと述べた。
アティア氏は、カショギ氏とともに仕事ができたことと、彼がワシントン・ポストを自らの「最後のジャーナリストとしてのホーム」に選んでくれたことを「永遠に感謝する」と言う。
カショギ氏は10月2日、トルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館に入った後、行方が分からなくなっている。建物を出た同氏の姿は目撃されていない。
トルコ当局は、サウジアラビアが、政府に批判的だったカショギ氏を残忍なやり方で殺害したと非難している。
サウジアラビア政府はこうした疑惑を強く否定しているが、カショギ氏が姿を消してから2週間以上が経つ今も、同氏が安全に生きているという証拠は一切提供していない。
カショギ氏は、豊かで複雑なキャリアの持ち主だ。
若い頃には記者としてアフガニスタンへ行き、当時、CIAの支援を受けてソ連と戦っていたオサマ・ビン・ラディン氏にインタビューをしている。湾岸戦争も取材し、その海外特派員としての活躍によって、カショギ氏はサウジアラビアでジャーナリスト兼編集者として輝かしいキャリアを歩んでいた。
サウジアラビアでは、メディア業界は政府によって厳しく統制されている。つまり、カショギ氏は長年にわたって、国の指導者らと近い関係を築いていたということだ。王室のアドバイザーを務めていたこともある。
しかし2017年、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の権力が強まり、カショギ氏の友人を含む皇太子の兄弟やビジネスマンが逮捕されると、カショギ氏は自身の身の安全を恐れ始めた。
アメリカのトランプ大統領と、大統領に対するサウジアラビア政府の信頼を批判すると、王室はカショギ氏の執筆活動を禁じた。その半年後の2017年6月、カショギ氏はアメリカへ移り住んだ。
その後、アメリカでグリーンカード(永住権)を取得したカショギ氏は、アメリカのバージニア州とイスタンブール、ロンドンを拠点に活動していた。サウジアラビアを後にしてからは、ワシントン・ポストに数多くの記事を書いていた。
行方不明になったとき、カショギ氏は数週間後にトルコ人の婚約者との結婚を控えていた。同氏が10月2日にサウジアラビア領事館を訪れたのは、結婚に必要な書類を手に入れるためだった。婚約者は領事館の外でカショギ氏を約11時間待ったが、同氏は戻らなかった。
カショギ氏は以前、自身を愛国者だと言い、サウジアラビア政府に対する批判は国を愛している証拠で、国をもっと良くしたいと願うからこそだと語っていた。
カショギ氏の婚約者は最近、ニューヨーク・タイムズに寄稿し、「ジャマルは愛国者でした。周囲から反体制派だと言われると、彼はそれを否定していました。『わたしは独立したジャーナリストで、母国のために自分のペンを使っている』と言っていました」
婚約者はこうも書いている。「彼の声とアイデアは、トルコからサウジアラビア、そして世界中に響き渡るでしょう」
「圧政は永遠には続きません。暴君はそのうち自らの罪の報いを受けるのです」
(翻訳、編集:山口佳美)