文に出てくる伊藤 東涯(いとう とうがい)は、江戸時代中期の儒学者で、1670年生まれ、1736年に67歳で没した人です。
儒学者伊藤仁斎の長男で、母は尾形光琳の従姉です。
父のはじめた私塾「古義堂」の二代目となるのですが、父の教えを忠実に伝え広めた温厚な人としてもよく知られていました。
その父の伊藤仁斎に次の言葉があります。
「学問は卑近を厭ふことなし。
卑近を忽(ゆるがせ)にするは者は、
道を識(し)る者に非ざるなり」伊藤仁斎は、儒学を、ただChinaの古典を模倣するというだけのものではなくて、儒学を日本人としての人間学にしていくという新たな学問をひらいた人です。
だからこそ、学問をすることが高邁な学者の世界にこもってしまってはいけない。
そういう人は、道を識(し)る人とはいえない。
身近なこと(卑近なこと)にこそ、大事な人間学としての学問があるのだ、と述べているわけです。
荻生徂徠と伊藤東涯は、先々、互いにたいへん仲良くなるのですが、互いがまだ噂話程度でしか知らない頃、お荻生徂徠が伊藤東涯を厳しく批判したわけです。
これは、最近においても「学問の対立、学者の対立」などといって、よく話題にされることです。
また、それぞれ道を極めようと努力する人が、他の先生から、
「あいつはダメだ、あんなものは学者じゃない」
などと頭ごなしに批判否定されたり、あるいはあまりよくない例になると、あることないこと吹聴されたりします。
そういうとき、この小学4年生の教科書を思い出します。
東涯は、自分を批判している荻生徂徠の文を、
「この文はむずかしいことを
上手に書き表してあります。
今の世に
これだけの文のできる者は、
まずないでしょう」
と、その荻生徂徠から、むしろ学ぼうとしました。
人は、人の噂が大好きな生き物ですから、あれこれ言われることはあるでしょう。
しかし肉体は魂の乗り物です。
魂を成長させるには、そうした批判する他人からも、学ぶべきものがあれば、そこから学ばせていただく。
そうすることで人も魂も成長できるということを、修身の教科書は教えてくれているのだと思います。
もっと言うなら、それがわからない人は、たとえ実年齢が壮老の歳にあったとしても、小学4年生以下だということです。
自分と考え方の違う人というものは、あるものです。
というより、自分以外のすべての人が、自分とは異なる考え方をしているものです。
そうであれば、違っていることがあたりまえなのであって、違っていることをもって中傷するのは、子供にさえ及ばない。
もちろん、違っていることの内容が許せない事柄であることもあります。
早い話、押し紙を強制して発行部数を誤魔化し、それで法外な広告費を広告主からもぎ取るなどということは、これは明らかに犯罪行為です。
外国人の生活保護の不正取得や、通名を用いた犯罪の隠蔽、あるいは悪事を働いている者の悪事を指摘すると、それは差別だとひらきなおるとか、そうした悪質なものについては、これは叩かなければなりません。
しかし事実の指摘と、いたずらに対立をあおって人の尊厳を奪うこととは、意味が違います。
聖徳太子の十七条憲法の十にも次の文があります。
******
十にいわく
忿(こころのいかり)を絶ち、
瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、
人の違(たが)うを怒らざれ。
人みな心あり、心おのおのに執あり。
彼是(ぜ)し我を非し、
我を是し彼を非す。
我、必ずしも聖ならず。
彼必ずしも愚ならず。
共にこれ凡夫(ぼんぷ)の耳、
是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。
相共に賢愚なり。
鐶(みみがね)の如くして端(はし)なし。
ここをもって彼人、
瞋(いか)ると雖(いえど)も、
かえってわが失(あやまち)を恐れよ。
われ独(ひと)り得たりと雖も、
衆に従いて同じく挙(おこな)え。*****
そう。「かえってわが失(あやまち)を恐れよ」なのです。
最後に伊藤東涯の言葉です。
伊藤東涯のことばに
「君子は己を省みる。
人を毀(そし)る暇あらんや」※毀(そし)る=非難中傷すること
お読みいただき、ありがとうございました。

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