男色比翼鳥[宝永四(一七〇七)年正月刊 東紙子作、奥村政信画]巻4~6のダイジェストだよ!
巻四の七 浮気同市村が皃見せ
[市川の話]
酒屋の金七というケチな金持ちに、少しでも金を使わせようと、江戸中の大臣[色里のVIP客]たちが深川の茶屋で相談し、市村座の顔見世興行に連れ出した。
金七は伊藤小太夫に似た若女形の野郎[色を売る役者]に魂を抜かした。
大臣たちは金七を茶屋へ呼び込み、その野郎に引き合わせ、床を用意した。
しばらくして、金七は隣の部屋に飛び出て、「ふたなりというものを初めて見て、もう恋が冷めた」と言った。
大臣たちが弘法大師の男色の教えを説いた所、金七はすっかり男色にハマり、毎日毎夜、葺屋町(ふきやちょう)[芝居小屋があった]で大騒ぎをするようになった。
元禄十六[1703]年にその野郎を請け出して[雇い主にお金を払って商売をやめさせること]抱え置き、ほかの野郎にも打ち込み、朝晩、堺町や木挽町[芝居小屋があった]で年月を過ごした。
そして、とうとうお金を使い果たして乞食となり、この前聞いた所によると、金七は浅草川で水死体になって流れていたとか。
市川「男色は無益なので、金七を反面教師にして男色はやめなされ。」
この章は『男色子鑑』巻五の三を利用しています。
やはり弘法大師空海の名は絶大なのか、あっさり男色を認めてしまうとは(笑)
念のためにもう一度言っておきますが、空海が男色を広めたという事実は確認されておりません、当時の人たちの妄想です!
巻四の八 心中は同和気知の根元
[奥村の話]
摂州難波津[大阪府]の花村屋又六には二人の息子がいた。
兄・亀之助が十三歳、弟・又三郎が三歳の時に又六は亡くなった。
又六の友・松屋喜七は亀之助を可愛がり、自然と男色の契りを交わしていた。
そんなことを知らない松屋一家は、喜七を江戸へ送ることを決め、喜七と亀之助は泣く泣く別れた。
喜七は三島町でわずかな商いをしながら年月を過ごし、又六の後家は酒商売を仕舞い、又三郎を連れて近江国に引越し、亀之助は道頓堀で中村座の抱えの野郎になった。
亀之助は喜七のことが忘れられないながらも、一年余りここで過ごした。
年の初めに、東から野郎をスカウトに来た弥助に、亀之助が事情を話した所、弥助は、「あなたを芝の宮芝居の所属にして江戸に送りましょう」と取り計らってくれた。
江戸で二人は再会し、以前と変わらぬ深い契りを交わし、喜七は亀之助を請け出して、亀之助は少々の商人となった。
奥村「たとえ野郎に身を落としたとしても、男色にはこのように信(まこと)があるが、遊女にはこのような信はない。」
身請けという行為は遊女では良く知られているのですが、このように野郎においても同じように行われていたようです。
巻五の九 歎は同夫婦の法心
[市川の話]
刻みたばこを商いとする大津屋徳助の一子で十四歳になる弁之介の兄分は、女嫌いの田島屋清五郎であった。
清五郎が一家に見放されると、徳助は家にかくまった。
しかし、年月が経つ内に、弁之介は清五郎に飽き、知家蜂(じがばち)半蔵という男と密通し、清五郎を討つ内談をした。
そんなことは知らない清五郎が浅草の弥惣左衛門稲荷に参詣していると、十四歳ぐらいの童子[稲荷の化身]が忽然と現れ、「一刻も早くここを立ち退くべし」と告げた。
何とも心得がたかったが、その日は弁之助といつもより睦まじく酒事をした。
ひとしお心よく寝入っていると、あの童子が現れ、「油断大敵、早々起きよ」と。
見ると、側の葛篭から半蔵が現れ飛び掛ってきた。
清五郎は、弁之介と半蔵を倒したが、自身も深手を負って二十七歳でこの世を去った。
夜盗かと思って庭の隅に隠れていた徳助夫婦が、この有様を見て涙を流していると、清五郎は起き上がり、その場には血に染まった白い狐が死んでいた[稲荷の狐が清五郎の身替りとなった]。
清五郎は出家して諸国行脚に出た。
市川「このようないやらしい若衆は世間に数多くいるので、見切って女房を持つのも嫌ではあるまい。」
稲荷は清五郎が深く信心していたから救ってくれたのであって、特に男色の神というわけではないようです。
巻五の十 実は同義理一筋
[奥村の話]
江戸の若松屋定勘という酒問屋が死に、姉のおかんの次男・勘介が、まだ二十四歳にもならないのに跡を継いだ。
勘介の弟分は豊田弥太夫という浪人の弟・染五郎。
染五郎は勘介と十二歳の時に出会ったのだが、成長してからますます美しくなり、心を寄せる者が多くいた。
その中の掛川屋孫市は、染五郎に言い寄るが、兄分がいることを知り身を引く。
同じく染五郎に執心する岡本彦八という浪人は、勘介に直々に染五郎を貰い受けようとするが、それが叶わぬと知るや、彦八は勘介を討った。
その様子を目撃した染五郎は、彦八を川の中まで追いかけた。
しかし、折からの増水で彦八は川に流されて水の泡と消え、染五郎もあわやという時に孫市が助けた。
染五郎が「ぜひ弟分」にと言うと、孫市は一旦断ったが、染五郎が脇差を抜いて自害しようとしたので、あわてて押し止め、「おろそかにはできない」と、二人は結ばれた。
奥村「これ程まで義理深い男色を捨てて、女房など持ってどうなるものか。
女房なんか川に蹴り込め!」
※この話は『男色木芽漬』巻三の三を利用しています。
あまりにもタイミングよく現れた孫市、染五郎をずっとストーキングしていた疑惑(笑)
巻六の十一 邪は同和漢の評判
[山田の話]
上杉則正[憲政?]の家来の服部新五郎という二十七歳になる男色好きの男と、久我(こが)[京都府?]の住人・花沢助太夫の一子・助之丞という十三歳の若衆が男色の契りを交わしていた。
しかし、嵐山甚平という男が助之丞に執心し、相手にされないので、助之丞を討って切腹した。
両人の死骸を塚を並べて埋めたところ、二人の塚から火が出た。
この土地の国主があわれみ、僧を雇って塚の前で経を読んで弔うと、火は静まったという。
山田「どんな経典にも男色は見えなくて、邪淫戒(じゃいんかい)の中に自然と男色は含まれている」と多くの専門家が言っている。
やはり男色はあまり良いたしなみとは思えないので、早く我々のように悟りなされ。
あれ?なんか女色派が少しトーンダウンしたような?
巻六―十二 女若は同恋慕の盃
[奥村の話]
三箇の津[京・大坂・江戸]で人気が高かった若女形の野郎・小島平七は、都三条通・吉野屋の一子で十五歳になる千代之助を、大坂まで連れてきて男色の契りを交わしていた。
しかし、小島は難波の後家四天王トップの綿屋おつなとなじみ、千代之助がうっとおしくなって江戸へ下り、山村座の看板役者となって顔見世興行が大当たり。
おつなを囲って昼夜チョメっていたため、小島は腎虚で亡くなってしまった。
一方、おつなは小島が亡くなった夜から、下男の骨助(れきすけ)とチョメって妊娠したそうだ。
千代之助は十八歳で出家して小島の菩提を弔った。
奥村「男色と女色の善し悪しはこれほどまで違うものだ。
小島平七は実在の役者で、確かに宝永二年に江戸山村座の舞台に立っています。
その後しばらく、文献上にその名が見られなくなるのですが、この話のように亡くなってはおらず、宝永六年に大坂の舞台に立っているのが確認できます。
この『男色比翼鳥』が出版されたのは宝永四年で、ちょうどブランクの期間だったので、小島の死亡説でも流れていたのでしょうか?
ここから先は再び原書を読んで行きたいと思います。
読み終わった後にダイジェストに追加します。
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