大学四年生で就職先っぽいところは何とか強引に見つけたが、イマイチだったので断りたい。
もう、大学院に逃げようかと思うが、卒論すら書きたくない人間が修論なんか書けるのだろうか。
また、学歴ロンダは出来る能力も時間もないから出来ない。今いる大学のスライドになりそうだ。
院に行く意義というのがあるかというのを考えるのは好きではないが、出来るだけ世の中を突き放してとらえたい。
親がそれなりに資産があるが、大金持ちにはなれそうにない。そういったものをどうにかしたいという気持ちがある。
皆の就活は散々な感じだった。
低偏差値大学の三流学部だとこうなるのかという状況をまじまじと見せられた。
大手に行ける感じの人間はいなかったし、いたとしてもそれは業態業種が非常に過酷なものしかない。
そんな散々な状況を眺めて感じたのは、もはや世の中というのは内戦状態なのではないか?ということだ。
就活でまともな椅子を如何に奪うかという内戦に負けたのだ。自分も含めてだ。
椅子は限られていて、それは増えることなどない。それをマシなのを学歴やら容姿やらを使って奪い合う。
さらに規模を広げて考えることもできる。
しかし、人々が消費できる量や資源、地理的状況などに限界が出てくる。
物理的に技術革新というのも停滞しがちになっているものもあるかもしれない。
さらに、文化というのもある程度表現には限界が出てくるはずだ。とりわけ多くの人々が心地よいと思うものには。
ネット産業を見ていれば分かるけど、数年前からネットの秩序は変わっていない。
もはや大資本が独占している。さらに、ネットとネット以前からあった産業で過酷な競争が起きている。
最早、ありとあらゆるものが飽和状態なのではないか。文化も経済も。
さらに恋愛だってそうかもしれない。ある一定以上の基準をクリアした人間(大抵は異性)を容姿などが優れる人間が優位に獲得する。
全体のパイが増えないなかでいかに奪い合うか、搾り取るかというものを競っている内戦状態に陥っているのかもしれない。
ジェンダー云々や子育てなどのネット上での議論や社会や政治の劣化というのもそれゆえに生まれているのではないか。
そんな時代に自分は生まれたようだ。それもとりわけ強くない存在である。
どうにもならない。
ただ、途中までマシな状態にあるものもひどい目にいつか遭うような状況だ。
自分は比較的余裕がある中で大きく物事を考えて対処していきたいし、そのチャンスがあると信じている。
正直に「働きたくない」と言えばいいのに。 一行で済むぞ。 そして、その正直な感情をベースに戦略を組み立てればいいのではないか。
気づかなかったかもしれんが大学入試でも戦争だし、それまでも戦争だったんだよ。 今更遅いねん。三流大学なんだから人生三流なの。しゃーない。
観測範囲が狭いのでは? そうでもないところも探せばあるのでは?
観測範囲が狭いのでは? そうでもないところも探せばあるのでは?