糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

10月17日の「今日のダーリン」

・こどものころに、ぼくは、
 「ともだちというのは、親より大事だ」と思った。
 それは、半分まちがいだろうけれど、半分はただしいと、
 もうしわけないが、いまでも思っている。

 どこのだれが言ったのかは知らないが、
 「こどもにとっての、最高のおもちゃはこどもだ」
 ということばは、実にまったく言い得て妙だ。
 いつまでも遊べて飽きないし、おもしろさの増える玩具。
 むろん、これには裏側の意味も隠されていて、
 こどもばかりでなく、人が人をいじめたりするのも、
 残念ながらそれが最高の玩具だということを意味している。

 生きているものが、生きているものと関係する。
 これほど大きな出来事は、なかなかない。
 ともだちができる。恋人ができる。先生ができる。
 なかまができる。先輩ができる。後輩ができる。
 しょうもないような関係に思えるかもしれないし、
 いいにつけわるいにつけだけれど、
 人が人になんらかの影響を与えないはずがない。
 「あんなふうにだけはなるまい」という関係もある。
 「ちょっと一理あるような気がする」ということも、
 「あんなふうになれたらなぁ」ということも、
 「見てるだけでうれしくなる」なんてことだってある。
 「なんだか気が合うよね」ということも、
 「気になるんだけど近づかない」ってこともある。
 とにかくいろんな相手との、いろんな関係があるものだ。

 仕事の場面でも、趣味や生活の場面でも、
 何人もの人間に、ぼくらは出会うことになる。
 少しだけのこともあるし、たっぷりのこともある。
 敵として現れることも、観客として登場することもある。
 しかしどの関係も、すべてが「私」をつくっているのだ。
 「あなたのからだはあなたの食べたものでできている」
 ということばがあるけれど、
 「あなたのこころは会った人びとでできている」である。
 人々のなかには、神さまも入るし、犬や猫も入るけどね。

 1分しか会ってない人によって運命が変わることもある。
 あの人この人のことを、たまに思い出してみようか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「いまここにいる」のは、どうしてなのかを考えてみる…。