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2018-10-18

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・初夏のころだったか、横尾忠則さんと話しているときに、
 「あみだくじ理論」というものを思いついた。
 そのとき横尾さんが話しだしたのは、
 主に、ある種の運命論みたいなものだったのですが、
 ぼくは、いまだにうまくつかめてないなりに、
 ずっと興味深い記憶として反芻しています。

 あみだくじって、角があったら曲がるという法則で、
 どこにたどり着くかという、選択のゲームです。
 でも、よく考えてみたら、
 いちいち線をたどっていかなくても、
 最初から、どの出発点を選んだら、どの着地点につくか、
 図が描かれた段階で、もう決まってるんですよね。
 どこに行くかわからないと思いながら、
 指で線をたどっては角ごとに曲がる、
 ということをやっていると、いかにも
 先が見えないくじ引きのようですが、
 実はどれかの線を選んだときには結論はでてるわけです。
 これが、なんというか、生きることに似ているな、と。
 そんな話をしていたような気がしています。
 いかにも、「おっとっと」とじぶんの意思で
 角を曲がったように思い込んでいるんだけど、
 あらかじめ曲がることは決まってたじゃないかってね。

 そして、もうひとつ、
 いまじぶんのいる場所が、着地点だとしたら、
 どこをどう曲がってここに着いたかを、
 あみだくじを逆さにして見るとおもしろいということ。
 なにがなにして、こうなったという順番を、逆さに見る。
 ここにいるのは、その前にこうだったからで、
 その前のところにいたのは、その前がこうだったからで、
 その前はその前はとさかのぼって追いかけていく。
 そんなふうに考えたら、いまじぶんがやっていることや、
 人間関係や、他人からの見え方や…さまざまなことが、
 ものすごい偶然の積み重ねがあって、できている。
 そういうことが見えてくる。
 だいたい、あなたの父と母が出会ってなければ、
 あなたはいない、ということなんだからね(為念)。
 そして、人生に意外なことなどなにひとつなかった、
 というような気持ちになったりもするんだよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ビートルズを聴いて帰ってきて、そんなこと考えてました。


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