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発達障害とか精神科医とか猫とか外国とかの話

私が生まれて初めて学習参考書を買った意外な理由~ADHD猫p的勉強法・数学編~

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こんにちは、猫pです🐾
今日も過去記事にて失礼します。
 


私のブログを読んでくださっている方の中には、発達障害をお持ちのお子さんがいらっしゃる方もおられると思い、

発達障害を持ち、勉強ができなかった私の受験合格までの軌跡を書くことで、お子さんの勉強について何かのお役に立てればと、たまに勉強ネタを書こうと思うのですが、残念ながら、まだお役に立てそうなネタまでたどり着いていません。

今日の勉強ネタは、参考にならないどころか、むしろ参考にしてはいけない、役に全く立たないネタなので、勉強のヒントになるかもと訪問下さった方には申し訳ないですが、あくまでただの読み物として読んでください。

お役に立てそうな記事を書く時は、ちゃんと【受験生必見!】とか書きます。



さて、私は、小中高と受験を意識したことがない、お気楽な生活を送っておりました。

それゆえ、本屋さんの学習参考書のコーナーに足を踏み入れたことはそれまで1度もありませんでした。ド田舎の偏差値40台くらいの学校に行ってる子供は、そういうもんです。たぶん。

今日は、そんな私が、20歳にして、生まれて初めて学習参考書コーナーに行き、数学の問題集を買った話です。

以前の記事で書いていますが、私は、19歳の短大2年生の夏に1か月、アメリカに行きました。特にアメリカが好きだったからではなく、当時ひどい喘息もちだった私は、『きっと私は20歳で死ぬ。死ぬ前に世界が見たい!』と、発作的に思いついたのです。

アメリカから帰ってきて、『短大卒業後に再びアメリカに住むぞ!』と決心した私は、当時、バーでピアノを弾くバイトをしていたのですが、そこの常連客で情報通の怪しい男性に、『ピンク系じゃなくて、短期でどーんと稼げるバイトない?』と尋ねると、『あるよ』と。

そのおっさんの紹介で、卒業後に働き始めたのは、広島の流川という繁華街にあるカジノ!



当時、流川には、カジノが7店舗ありました。 

私の入った店は、『プレイボーイ』という店で、堂々と、例の蝶ネクタイをつけたウサギの絵を使っていました。商標権違反じゃないのかと思いましたが、よく考えてみれば、カジノ自体がすでに違法なので、そんなこと気にしないんでしょうね。

支給された制服は、プレイボーイだから、バニーガールだろうと思いきや、事務員のような地味なブラウスに灰色のベスト、同色の膝下丈のスカート・・・。確かに、私は『ピンクじゃない仕事』と言ったけど、もう少し色気があるほうが儲かるんじゃなかろうかと、少し心配になりました。

その店は、ちょうど新規開店するということで、雇われた全員がオープニングスタッフでした。みんなどことなく、わけありな雰囲気が漂っていました。

役職を決めようということになったのですが、役職と言っても、単なる便宜上の呼び名で、それに応じて仕事が変わるということはありません。男性スタッフは、めいめい、『じゃあ、俺、専務』、『俺、店長』、『俺、係長』、『俺、部長』と好きな役職をつけていましたが、みんなチンピラくずれなので、『係長と部長ってどっちがえらい?』と聞いても、誰もわからないという、楽しい職場でした。

その店には、ルーレットはなく、ブラックジャックバカラがありました。



大きなお金が瞬時に動くバカラと違って、店の売り上げにそんなに大きな影響のないブラックジャックは、私もディーラーをさせてもらえました。それ以外は、飲み物を運ぶのが主な仕事でした。

ピンクもなく、楽な仕事にもかかわらず、お給料はとてもよかったです。お給料は日払いでした。

どうしてお給料がよく、日払いなのかというと、いつ警察に摘発されるのかわからないからです。

万一、摘発されて、捕まったら、『なにも知らない頭の弱い女の子』のふりして、警察に何を尋ねられても、泣いてしらばっくれること。最悪でも、ちょっと留置所に入るだけで済むという条件でした。

当時は私、本当に『頭の弱い女の子』でしたので、留置所と聞いて、ちょっとわくわくしたものでした。

仁義なき戦いの舞台である広島のカジノでのバイト生活は、刺激に満ちたものでした。

ある時は、やさしそうなおじいちゃんに『おじいちゃんどうぞ』とお茶を出すと、なぜか周りが固まっている。そのおじいちゃん、〇〇会の会長さんだったとか。

ある時は、どんなに暑くても長袖のシャツを着ている『店長』が、冷房のきいている店内で、汗をたらたら流していて、急に『うらぁ、〇×★★*@#@#~!!』と意味不明のことを叫んだと思えばその後、『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…』と怯えだしたり。

精神科医になった今にして思えば、あれは立派な薬物の離脱症状で、幻視があったんでしょうね。もちろん長袖シャツは、注射の跡か刺青の跡を隠すためでしょう。

また、ある時は、同僚のM子ちゃんの家に遊びに行くと、当時彼女が付き合っていた↑の『店長』が、持ってきたけど、どうしよう・・・と、映画でみるような、白い粉の入った袋を見せてくれたり。

また、ある時は、なかなか借金を返してくれない、いつも体のどこかにあざをつくっているT子ちゃんの家に行き、お金の催促をすると、これみよがしに背中の紋紋を見せて凄みをきかせる彼氏が出てきたり。

一番わくわくしたのは、まるで映画みたいに、ラーメン屋の出前持ちに扮した情報屋の人が、『今日、(手入れ)入る』と伝えに来ると、みんないっせいに店の電気を消して、すべて片付けて、裏の部屋でひっそりとしながら、トランプで遊んで時間をつぶしていたことです。

そんなカジノで働くうち、少し知識がつくと、自分も客として少し遊んでみたくなります。他のカジノに行ってみたりするうちに、Aくんという天才ギャンブル少年に出会いました。

この少年、黙っているとなかなかの美少年ですが、にっと笑うと、残念なことに、栄養の欠乏か、シンナーでもしているのか、歯がボロボロなのでした。本人いわく、小学校中退ということですが、どういうわけかギャンブルがよくできる子でした。

あるとき、自分の店でバカラの様子を見ていた私は、プレイヤーが紙に数字を書き込んでいるのを見て、何をしているのか尋ねました。

すると、『こうやって、確率を計算してるんだよ。バカラで稼ぐには、確率ができないと無理だよ』とのこと。



そこで、20歳の私と、17歳のA君、学習参考書のコーナーに行って、生まれて初めて、数学の参考書を買ったのでした。

よし、勉強しよう!と意気込む2人。しかし、早くも困った事態に・・・!

A君も私も、分数の足し算引き算のやり方を知らなかったのです。当然、高校の参考書に、通分の仕方など書いておらず。

分数の足し算引き算も知らないで、どうやって生きてきたのかと思われるかもしれないのですが、それまでは、全くの勘で解いていました。

なので、当たったり外れたりという感じでした。

そんな2人に、救世主が!

(自称)小学校までは神童だったという、パンチパーマの『専務』が、私とA君に通分のやり方を教えてくれました。

その後は、私もA君も独学でその本を一通り解き、本の説明が優れていたのか、なんと二人とも、東大の確率の問題も解けるようになりました!

その後、お給料の三分の一を、A君に預けて増やしてもらったため、予定より早く、アメリカへの渡航費用ができました。



バイトの休み明けのある日、いつものように店に行くと、店はもぬけの殻でした。

おそらく摘発されてしまったのだと思います。

私はたまたま休みの日だったので、無事でした。

急に誰とも連絡が取れなくなったので、その後のことはわかりませんが、とりあえず費用がたまったので、『ま、いっか』とアメリカに行きました。



そんなわけで、数学は、受験勉強をする前から、確率だけは得意でした。



でも、よいこのみなさんはくれぐれもマネをしないようにお願いします。


ではまた。

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