トップページ  » 読書ブログ  » 毒親との決別 日本一醜い親への手紙を自分で自分の親に書いた

2017.07.18 TUE - 読書ブログ

毒親との決別 日本一醜い親への手紙を自分で自分の親に書いた



私は毒親に育てられました。この文章は親という名の暴力、毒になる親、日本一醜い親への手紙などの本を読んで自分の親が毒親だったと気づき、親と決別するために書いた文章です。私は父、母、妹全ての家族から我慢してきました。でも、一番我慢してきた母親に向けてこの手紙を書きます。

「かっこ良くもないしスタイルも悪いしオシャレでもない。何度もしつこいから結婚した。」

と父親のことを言っていましたね。私には、あなたが大嫌いだと言う父の血が半分入っています。そして私にとってたった一人の父親です。悪口を言われて悲しくなることは想像できなかったでしょうか?私はあなたも大好きでした。大好きな人が大嫌いな人と結婚して、いやいや母親とし家にいてくれてる。そう思うと申し訳なさと遠慮とに苛まれました。そして、嫌いな人の半身である私のこともやっぱり好きにはなってくれないんだろうと、悲しくなりました。

「あんたはパパ似でマイペースで、足の形もカエルみたいに潰れてていやだね。」
「妹はママ似。O型だけどお爺ちゃんのA型の血がよく出ていて几帳面だから、大雑把なO型は嫌いなんだよね。」

と、よく言われていました。母はカエルが嫌いです。嫌いな旦那と嫌いなカエルのコラボレーションした私と言う存在は、母にとっては自分から生まれてきたとは思いたくない異物だったんでしょうか?

「あんたを生む時はへその緒が首に絡みついていて本当に大変だった。殺されるかと思った。」

生まれてくる瞬間から私は母を苦しめていた、と言うことが言いたいんでしょうか?大変だったのはわかります。それでも無事に生まれてきてくれてよかった、とは言ってくれないんですね。

「あんたなんか産まなきゃよかった」

風呂場で蹴られて背中に吐き捨てられた言葉、今でも覚えています。何の流れで、何で怒らせてそう言われたのかは忘れましたが、必要とされてないなら目の前の排水溝に流れていなくなってしまいたいと思ったのは鮮明に覚えています。

「あんたがノロマだから、先に行ってくれるように妹の名前はつけたんだよ」

小学校の課題で自分と家族の名前の由来を聞いてくることが宿題で出されたとき、冗談で言ったんでしょうけどとても悲しくなりました。社交的でいつも話題の中心にいる前に出るタイプの妹と、背の順だけは前だけど、いじめられっ子で極力後ろで目立たないようにしたいノロマな私とで比較して劣等感を感じていたからです。自分の名前の由来も聞いたのに、それがショックで忘れてしまいました。

「 いじめなんて、あんたが気にしなければいいの!」

小学校の時、ずっといじめにあっていました。筆箱や上履きが捨てられたり、菌が移ると言って掃除の時机を運んでもらえなかったり、靴箱に嘘のラブレターが投げ込まれたり、男子のいじめられっ子とセットでラブラブカップルだと噂を流されたり、飼育小屋に閉じ込められたりしていたのも恥ずかしくて親には言えませんでした。でも、ある日男子に帰り道後ろから飛び蹴りを食らって用水路に落ちそうになり、桟に跨って股間を打ち付けたことで落ちずに済んだはいいものの、股も死ぬほど痛いしギリギリ落ちずに用水路の上に跨ったその下のヘドロを見てどうしようもなく人生がつらいものに思えて泣きながら何とか家にたどり着き、母に打ち明けた時の返答がこれでした。気にしなくっても、目をつけられたら逃げられないんだよ。気にしなくっても、後ろからだって飛び蹴りは飛んでくるんだよ。無視したら無視したでキレられるんだよ。色々反論は出てきましたが、いじめなんかに負ける弱い子はいらないって、母からも言われるかもしれない。そうよぎったら何も言えませんでした。

思えばこれがきっかけで、色々なSOSを封じ込め、母には相談しなくなったし、母からされた嫌なことも、反論なんかせず泣きながらごめんなさいと言って受け流すようになっていきました。母が私を悪者にして叫んで怒って、私が悪いんだと認めさせることができれば、満足して怒りは止むと知っていたからです。たまにうまくいかず、泣きながらでも「その反抗的な目は何なの!?」と怒られましたが、親元を離れてからは、自分が我慢できないぐらい反発を感じてしまった時は、「学校が忙しい」「バイトが忙しい」「仕事が忙しい」と、他のもののせいにして顔を合わせないようにする術を覚えました。

母から愛されなかった寂しい思いは、誰かに愛されたいになり、好きだといってくれる男性とはもれなく付き合うようになりました。その中で、強姦未遂をされたこともありましたが、相談もせず、ずっと私のせいだと思い込むことでいつか時間がたって受け流すことができると信じて母と私で完結できなかった愛情を再生産しようとしては失敗していきました。

恋愛だけでなく、友情関係や仕事でも、無意識で愛してもらえるか?好かれているか?が先に来るようになりました。愛されていないと、好かれていないと私の居場所はない。そう感じて八方美人になり、どこに対してもいい顔をしては消化仕切れなくなって体を壊したり嘘をついて詐欺をして会社に迷惑をかけたり、友達との間に壁を作ったりしました。

今回、母に決別を言い渡したのは突然の反発でも洗脳でおかしくなったのでもありません。ずっとずっとずっっと、あなたに嫌われたくなくて言えなくて蓋をした寂しい思いが、私の今と未来を潰すほどに大きな影響になって積み重なって、ツケを回収できなくなったからです。近くにいて連絡をとったり会うのは、新たな無理を産み、ストレスが私の日常を壊します。どうかそっとしておいてください。そして、私の感じていた寂しさや悲しみをわかりたくないなら、あなたにとっても居心地のいい場所で私に何も気取らせず勝手に幸せになってください。

あなたの幸せと私の幸せは、共存できません。あなたと離れた私は今、今まで一番幸せです。

参考図書

毒になる親
http://amzn.to/2u2F1To
日本一醜い親への手紙
http://amzn.to/2tzvRdT
親という名の暴力
http://amzn.to/2tz5kgs

大山莉加(おおやまりか)ビ・ハイア株式会社執行役員。千葉県茂原市出身、専修大学卒業。ビ・ハイア株式会社2010年入社。入社以来クライアントに10億円以上の売上をもたらしている敏腕コンサルタント。気分が乗っているときは月300冊以上読書をする。乗ってないときは10〜20冊程度。毒親に関する問題を正直にYouTubeライブ配信や自分のブログで紹介して多くの共感を得る。

下記、毒親関連で配信した動画一覧

毒親問題 大人になっても親に無意識を支配される恐怖


毒親問題 恋愛編 不倫、浮気、駄目男に引っかかる理由


毒親問題 嘘、仕事編 八方美人になってストレスで苦しくなる前に解消しよう


毒親に苦しむ人へ 明るくてポジティブな子がいいと言う洗脳 暗くてネガティブでも正直な人が社会に価値を出す理由


大山 莉加

大山 莉加Rika Ooyama

ビ・ハイア

ビ・ハイア株式会2010年に正式入社。 千葉県茂原市出身。昭和62年11月19日生まれ。 専修大学文学部2010年卒業。

新着記事

人気ランキング

:)