※タイトルを『フェミニスト』にしようとしたら入り切らなかった
最近のフェミニストの主張でしばしば見るのは『性的なコンテンツを見たくない人が見ないで済む権利』や『女の子の体は女の子本人のものであり、従って女の子本人の意思に反して女の子の体を性的な目で見るな』である。
だが、アンチフェミではないにせよフェミニストでもない(男女平等には基本的には賛成だが、この手の問題で『総論賛成各論反対』はよくあることだ)私から見ると、そのような主張には無理があるように思えてしまうのだ。
というのは、これらの主張は『認めるには支障のある権利を無理やり押し通そうとしている』か『性的なことを特別扱いしている』かのいずれかであるとしか思えないのだ。
少なくとも、”性的な”を抜きにした『コンテンツを見たくない人が見ないで済む権利』を認めるのは困難だ。
仮にそれを広く認めたら、KKKが『黒人音楽を聞きたくない権利』、在特会が『韓流ドラマを見たくない権利』、杉田水脈の支持者が『同性愛を暑かったドラマを見たくない権利』を主張し始めること、そのような主張を認めるべきでないことは明らかである。
同様に、”性的な”を抜きにした『私を観て(※)私の意に反することを考えるな』は無理がある。(※ 単純に視覚的に見るだけでなく、言動などを観察して判断する、という意味であると考え、”観る”の方が相応しいと判断する)
『私の意思を無視して私を無能扱いするな』という決定権を安倍晋三、枝野幸男、小池百合子、志位和夫の全員が持つことに賛成する人は誰もいないだろう。
(上記の全員を支持していないという人はいるだろうが、全員を一定程度支持しているという人はいないと考える)
となると、『性的な』コンテンツや『性的な』目で観ることは他と異なり特別な扱いをするべき、というだけの理由が必要だと考えるのだが、
果たしてそのように『性的な』ことだけを特別扱いするべき理由は存在するのだろうか?