拙ブログ記事の書籍化
毎日のようにブログを更新していくと、関連立つようにして発見があるものです。
それはもう、何の脈絡もなく、どこかで疑問を持った事柄が、後になって解答が得られるという出来事なわけで、まとめの下手な私にとっては、関連樹を設けて記事を分類することが有効なことが多いように思います。
幸い、ブログ記事の電子書籍化をここでは推奨されていますので、記録を時系列に遺す意味でも、この便宜的手法を活用させていただく所存です。
平成27年12月14日
著者しるす
はじめに
遺跡探訪 未発見遺物から古代人の思いを振り返る
高御位山とウシトラノコンシンロマン
異界の探偵を自認する私はHN・森野奥人です。昨今、矢継ぎ早に異次元的な出来事が起き、生来の謎解き好きの私の推理がフル回転することとなりました。
いや、もしかすると、噂にのぼる天の岩戸開けまで行ってしまえるのではないかという感触も掴んでおります。まずは謎解き、二の次に開ける儀式のようなことで、何においても謎解きが大事になると心得ます。
今回はその謎解き課程がいかなるものだったか、語らせていただきたく思います。
高御位山と古代巨石建造物ロマン
この発見および記事は、武良信行氏の撮影写真と、yae-monこと森野奥人の想像力の合作であると申し上げておきます。
記事の文責は、すべて森野奥人にあります。お問い合わせの節は、文責者のほうにお願いします。
場所は兵庫県の高砂市から姫路市にかけての小高い山並みの続くところです。
よく知られた山に高御位山があり、古代九鬼氏の根拠した場所とされています。
上下とも 国土地理院ネット地図より抜き出して縮尺加工
ご存じ、古代には古墳時代などがありましたように、巨大石土造建造物に地道をあげた古代人の息遣いは、現代においても思いもよらぬところに見かけられます。
次の写真は何に見えますでしょう。
左写真は武良氏撮影写真より 右のスフィンクス画像はfreepik様より
おやおや、これはスフィンクス様ではござらぬか。こんなところにおられたとは・・・皆の者、頭が高い。へへー。
実は、この山が高御位山と呼ばれているのです。
もちろん、スフィンクスなど刻まれていようとは、誰も知りません。
人面岩と言った方もおられたようですが、スフィンクスも人面、しかし獣身です。
東側真正面すなわち高御位神社側からは次のようで、むしろ神獣の頭部といった感があります。
もしかして、麒麟なのでは??
左写真は武良氏提供 右麒麟画像はInfoseek画像集の麒麟より
高御位(たかみくら)と言われるくらいですから、天皇の玉座、高御座が想像され、もしそうならば、次のような構想図がありえたのではないでしょうか。
Infoseek画像集「高御座」より転載
高御座のすぐ下には「鳳」と一対の「麒麟」が配されるとするなら、山並み全体を「鳳」の広げた羽根に見立てたときに、向かって左側(のなるべく端)に、つがいになる「麒麟」が、「阿吽の呼応」で、西に向いた姿で遺構が創られていなくてはなりませんでしょう。次は想像図です。
Infoseek画像集の鷹、麒麟の各素材を合成し高御位山周辺部と重ねてみました
とまあ、私の推理で原理を設定して、西のほうに興味していたところ、そんなとき、武良さんがまたも快挙を。
向かって左側になる「麒麟」の写真が寄せられたのです。
もはや偶然で済まされるものではありません。
武良氏写真提供
東側が「起きた麒麟」なのに対して西側は「眠った麒麟」だったのです。
しかも、子供を連れて眠っています。
つまり、東がオスで起きていれば、西がメスで子連れで寝ている。
こんな阿吽の呼応もあるのですね。
さて、眠った麒麟のいる場所が実はこんなところだったのです。赤丸のところ。黒丸が高御位山。
上下とも 国土地理院ネット地図より抜き出して縮尺加工
特に赤丸の場所を拡大しますと、こんなふうに巨岩がわざとらしく置かれていることがわかります。同じ岩質である他の山には、どこにもないでしょ。
国土地理院ネット地図より抜き出して縮尺加工
つまり、人面もしくは獣面を彫り込むべく、別の岩塊がここに置かれているとみられるのです。
誰がいったい、どうやって??
さあー。
写真の寄贈者が、あのUFOを呼ぶ男・武良信行さんだったとしたら、なんとなくわかる気がしませんでしょうか。その後、イベントのリクエストがあるたび、毎回呼び出しに成功さ れているとのことです。
これは武良さんのインタビュー映像です。 https://youtu.be/Rj_WIChIozA
西播地方に高御座を見立てた民族と神話があった
これもUFO撮影ポイントを探し回られている武良さんが教えてくれた遺跡ですが、高御位山周辺には、人面岩らしきものが他にもある、鹿島神社の北方の山にたくさんあるようだということで、私も行って撮影したのがこの写真です。
人面岩のようではありますが、どうも可愛い「鳥のひな」の顔のようでもあります。
それもたくさんいて、5,6羽ぐらいはいるように見えます。
そう言えば、ここは鷹の巣山ではありませんか。
もしかしたら鷹=鳳と見立てられているかも知れません。
西播地方に根拠した人々が、どんな民族だったかは問いますまい。(九鬼氏だったかも知れません)
彼らは周囲の環境に荘厳さを見出し、神々の物語を作ったに違いありません。
あの山並みの上空に、巨大な神が来臨するというイメージ。
そこには祠堂があり、その玉座に天帝が座する。
その麓に抱かれながら、生活する充実感。
いやあ、何物にも代えがたいものがありますね。
神話は天地の始まりを以て開始され、その中で神々に仮託して実現したい理念を物語にして、神々に神楽舞を舞っていただくことで、地上に理念の垂迹をもたらそうとするものだったように思います。
幸福な理念で織り成される神話は、幸福を人々にもたらすと確信されて作られたものだったでしょう。
ウシトラノコンシンの幾何学
ウシトラノコンシンの幾何学
私は大本教の信者ではありません。
門外漢ではありますが、地図を鳥瞰してみることが好きで、精妙な幾何学図形を西日本一帯に見つけて、すでに一著にしてきた私は、直感的に国祖神夫妻の封印場所もまた何らかの幾何学図形のもとにあるのではないかと推察いたしました。
男女両神が別々なのですから、少なくとも二地点間の直線は可能でしょう(厳密には地球は球面ですが)。
出口王仁三郎氏によれば、西日本だけに限れば、北の若狭湾の沓島、南の瀬戸内海の上島がそうであるとされているようです。
その二地点を直線で結ぶと、次のようになります。
bとしてある線分がそうですが、高御位山とはきっちりとはいかぬまでも、接触しかかるほどの近接ぶりで、すでに見たスフィンクス像の鼻先を通過しているといった感があります。
人面だろうと言われていたものを、勝手にスフィンクスにしてしまいましたが、そのスフィンクス像も、別の角度から見ると人面そのもので、これはストリートビュー写真です。(ええっ? こんな山にまで撮影車が入ってくるのか!!)
これが人面岩とすると、上島にあるとされる人面岩が如何なるものなのか不明なのですが、しかしその西にある西島の人面岩が似ているとのことでした。
上島の人面岩は出典がなかったのですが、西島のはありまして、次のようであるらしいのです。
姫路市医師会報No.291より部分転載
スフィンクスの後頭部に似ているかも
高御位山もそうなら、このあたりには人面らしき巨岩がけっこう存在するのかも知れません。
こちらは側面が似ている高御位山
まあ、以上は見た目での推測に留まるかと思います。
新発見幾何学図形・・・ウシトラノコンシンの封印幾何学?
前の地図に戻って、
ではbに寄り添うように、aとしてある線分は何なのか。
それは実は、aはウシトラノコンシンの謂れのもうひとつの伝承地、北海道の芦別岳(国常立尊の封印地)と、薩南諸島の喜界島(豊雲野尊の封印地)を繋ぐ線分なのです。私はこの話を大本教の分派のMOAの篤信者の方から聞いていました。けっこう奥義的な話のようでした。
bはそれに寄り添うような感じになっています。しかし、角度が少し異なります。
王仁三郎氏はもしかすると、ぴったり一致するとお思いだったのかも知れません。当時の地図の精度のこともあるでしょうし、目視してその可能性を判断されたのではなかったでしょうか。
ではその広域にわたるaの線分はどこを通るのか。
なんだか、変な図形(と言っちゃあいけないんですが、私が見つけたわけなので)と接触していますね。
さよう、逆五芒星図形と北西の星頂において接触しています。
その地点は、元伊勢の日室岳(別名が岩戸山とか城山とか言います)で、厳密にはその200mほど西を通っています。
山の名の通り、ここは天照大神が岩戸にお隠れになった場所とされています。
お隠れとは古来、お亡くなりになることも意味します。日室とは太陽神の柩といった意味合いも感じられ、ここは山自体が御陵(みささぎ)とされていたものと推測されます。
神話(古事記、日本書紀)では、一度お隠れになったものの、神々の努力でお出ししたことになっていますね。
ならば、御陵まで必要だったのでしょうか。それとも記念碑としての山なのかな。
しかし、国祖神両神の封印ラインが、まるで逆五芒星によってきれいに天秤量りに載ったように、バランスよく支持されている形というのは、壮観な感じさえ致します。南京錠が掛けられているようにも見えるのは我が目の錯覚でしょうか。しかし、逆五芒星はカバラでは最強の黒魔術シンボルとされていて、封印マジックにパワーを与えていたものはこれだったかも しれません。
炒り豆に花が咲くほどの遠い未来、ありえない未来にならなければ出てはならないという呪詛とは、この謎は複合させて初めて解ける難解さゆえ、このような表現になっているともとれます。謎が解けなければ、解除など及びもつきません。逆五芒星の発見は1989年のこと。国祖神夫妻の封印構図が逆五芒星と組み合わさったのが2014年のことでした。