『霊操』と『ニューエイジについてのキリスト教的考察』。後者が前者叩きに感じるのはイエズス会が異端寄りだから!
Posted on 2017.04.11 Tue 00:08:12 edit
カトリックの教義の根幹を叩いているか。
イエズス会がカトリックのうち異端派寄りだと叩いているか。
要は、キリスト教の教義をきちんと叩いているか。
キリスト教思想と神学自体を真っ向から批判せずに、
悪魔、悪魔崇拝、ユダヤ、イルミナティ、メーソンなどと言っているなら、
カトリックとカトリックが迫害したキリスト教の異端派という言葉を隠す為。
またはデマの情報源のコピペ。
カトリック内にもイエズス会を叩く派閥があることに注意。
エキュメニカル賛成派と反対派、同性愛や中絶や女性聖職者への態度などね。
私はカトリックの根幹どころか、
西洋思想の根幹である実体(=永久不変の何か)思想と
実在論(本当は~真実の~見えない実体が世界の根源うんぬん)を否定している。
私は反実在論。
仏教が反実在論で、私は仏教「寄り」なので当然。
↓剣のザインは7。釘のヴァヴが6。
キリストの受難の象徴=3本の釘は数秘術だと666なのは慧眼
あ、そうそう!
— ねこた (@lakudagoya) 2017年4月3日
みなさんに喜ぶネタをあげるよ。
このイエズス会の太陽のマークの下に三本の釘あるでそ?
この「釘」ってなんなのかな?
ヘブライ語のザインは、数値は6だよね?意味は「釘」
あー!666だよ!しかも太陽のマークだから666(みろく)か!
凄いネタわかった! pic.twitter.com/wD2vnvxLSF
ヘブライ語/ヘブライ文字 [ 魔術入門 ]
http://magic.dancing-doll.com/magic/hebrew-alphabet.html
をどうぞ。
なえなつ @japan19890108 4月2日
バスク人怪しすぎ
イグナチオとザビエルの出身部族
さらにケルト文化がありスペインとフランスをまたいだ
国に帰属していない
さらに紀元前からフェニキア人と交流があり
海賊や傭兵として活躍している
ローマが進出してくると協力関係になり
戦士としてローマ軍に参加したそうな
素晴らしい要約をどうぞ。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 9月19日
バチカンの護教書だけど これが良く書けてて勉強に なった。
マニアックなキリスト教書専門店 にしか売ってないのが残念だけど、 一応Amazonとかでも取り扱って るみたい。 pic.twitter.com/14CUqnVXyg
(『ニューエイジについてのキリスト教的考察』教皇庁文化評議会)
この本に拠ると、ニューエイジ カルトの本拠地はカリフォルニアの エサレン、
スコットランドの フィンドホーンとスイスの モンテ ヴェリタスという所らしい。
で、ニューエイジの語源は 一般的にはアリス ベイリーだと 言われてるけど、バチカンは 元々メイソン用語だと述べている。
で、これを一気に広めたのが 部落派月子ちゃんと言うのが バチカンの認識らしい。
ともかくバチカンがやたらと
敵視してるのが部落派月子と
有栖部恵理、捨体無の神智学系列 の人脈の様だ。
また、イエズス会の中にも 神智学人脈の工作員が 潜入していると書いてあるw
この本はニューエイジ教と カトリックの教義の比較も してるんだけど、キリスト教って 妙に中国の儒教に似ている様な 気が……
「イエス」とか「神」の部分を
「君」とか「王」に換えれば まんま儒教なんだが……
案外、孔子がイエスのモデル なのかも。
ローマの猿共に優しく儒教を 解説するために多少、
アーリア宗教要素で脚色した 感じか。
最初は東洋思想の中では 仏教の浄土教系がキリスト教に
一番近いと思ってたんだけど、 これ多分、儒教の方が近い。
となると、 やはり徳川イエス君が MAGE政府に憎悪されたのも これが要因かw
フェイド大帝的には神道は キリスト教よりもニューエイジ教 (つまりグノーシス主義)の 方に近いと考えている。
あ、後、バチカンが言うには 日本の宗教の中ではジョブズの 好きな禅宗にニューエイジ工作員 が沢山潜入してるから気を付けろ ってさ。
カトリックの強いおフレンチで 政府認定カルトの中に禅仏教 が入ってたのは多分これが 理由だな。
RAPT君の執着するトヨタの 経営手法も基本的に曹洞宗の 永平寺の運営システムの パクリだしなw
初めてキリスト教書専門店に 行ったついでにさっきの本買った んだけど、(本当は「聖ベネディクト の戒律」と「キリスト教神秘主義 著作全集」を探してたんだけど 無かった) 韓国人の書いた本が異様に 多かったけど、どうも福音主義系 の本屋だったみたい……
面白かったのが泉パウロが 普通にキリスト教の本も 書いてた事と、ケリー篠沢先生の 作品が聖書マンガ以外にも 沢山あるという事が発見出来た のが収穫だったw
取り敢えずせっかくだから 福音主義派の異端折伏マニュアル みたいなやつを何冊か買って来た。
立ち読みした時は余りにも 下らなくて、ゲットして いなかったスウェーデンボリ の著書も買ってきたから、 一度真剣に読んでみますわ……
さっきのバチカンの本には 霊媒系の元ネタはスウェーデンボリ
で、部落派月子もこっから パクったと書いてあった。
日本の新興宗教で同じ様な 霊媒による宣託やってる所も
スウェーデンボリがルーツだと 分析してる。
つまりバチカンの調査だと 日本のカルトの霊媒技術は
恐山のイタコみたいな土着信仰 からの派生じゃないと判断してる 事が重要。
あ、後、バチカンが言うには 最近流行りの適職診断の
エニアグラムとかの類型に 層別してやる心理テストは
カバラ系カルトが元だから 気を付けろってさ。
なんかバチカンはスイスの モンテ ヴェリタで開かれた 統一宗教の国際会議の出席者 名簿が興味深いと書いている けど、誰とまでは書いてない。 どーも、調べると黄金の夜明け団 やOTOのロイスとかが集まってた っぽいな。 いわゆる魔術結社系ってやつね。
∸―
『霊操』、岩波文庫
カトリックの翻訳者が冒頭当たりで禅との類似点を騙っているが、
禅=仏教はカトリックの根本を否定しているから表面的。
愛着をなくすことが重要だと書いてあるが、信仰と祈り自体がそもそも愛着がないと成り立たないということは無視。
仏教では愛着=執着=悪。
愛着を無くすことを徹底するとカトリックを否定するしかないから仕方ないか。
・p.27あたりから
イグナチオは1491年スペインのアスペチア地方のロヨラ城でバスコ貴族の末子(男八人、女五人の十三人兄弟)として生まれた。
ロヨラ城は今も残っている。
イグナチオはバスコ気質(集中力と内省的、控えめで毅然とした態度、自己の下した決定を確固として守り通す意志)を持っていた。
16歳のとき騎士として教育を受けるために1507年アレバロの城主ドン・ホアン・ベラスケスのもとへ送られ、宮廷で小姓として王に仕えた。騎士的精神はロヨラの生涯を貫くバックボーンとなった。ロヨラは高貴な貴婦人に仕えることを夢見ていた。
ロヨラはパリ大学で人文学・哲学・神学を学び、哲学修士の学位をえた。そのあいだ、ファーベルやフランシスコ・ザベリオ(ザビエル?)などに霊操を授け、その経験から『霊操』の草稿をより具体的な場面に応用可能なものに仕上げた。
イエズス会を創立し若い会員を養成するときラテン語・ギリシャ語とギリシャ・ローマ文学の徹底した勉学を義務付け、そのうえで神学・哲学の研究をさせる。その後イエズス会のコレジウムが全ヨーロッパに広がり、この教育方針が受け継がれ(16世末には200校を超えた)、西洋近代教育史に絶大な影響を与えた。
(バスク貴族でお城に住むのはユダヤ教徒だと不可能。どこがユダヤですか?
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 11月20日
ユダヤの定義ができないユダヤ陰謀論者は
自分で何を言っているか分からないorわざと布教
キリスト教徒もユダヤ教徒も【ユダヤ】
=金融特権の所有者になれたのは歴史的事実
×偽ユダヤ ×ユダ金
○【ユダヤ】業の白人
ローレライ @rolelei 2015年3月4日
ユダヤ人の定義
①ユダヤ人が母←Xの定義にXは使えない
②ユダヤ教徒←宗教で民族は定義不可
考古学的証拠もなく、ヘロドトスも言及していないので聖書のユダヤ人は実在せず遺伝子も子孫も実在しません。ユダヤ教徒は実在。http://yomenainickname.blog.fc2.com/?mode=m&no=67&cr=2917189433b4f915c4a1c210e2af4bbb …読めないニックネームさん
子子子子子@kitsuchitsuchi
ユダヤ=囮がキリスト教製なので黒幕はキリスト教。
今の金融ユダヤ(中身耶蘇教)は元別民族。
「ユダヤ」=金融特権なので別民族が「ユダヤ」になりたがった。テンプル騎士団やロンバルディア人など金融をやる白人クリスチャン=「金融ユダヤ」業のクリスチャンが誕生。
”証拠のひとつ
なぜ自称ユダヤ人はカギ鼻や白人だったりするのか? 中東の民族なら黄色人種でないのか?
答え>彼らは"自称"ユダヤです”
【ユダヤ】になると金融特権が得られるのでユダヤ教徒以外も【ユダヤ】になった。
×ユダヤ教徒
×偽ユダヤ
×ユダ金
○【ユダヤ】業の白人✝
ねこた @lakudagoya
恐れ入ったぜ。イスラームの捏造(成立)を語るのに東方教会の影響を知らないとは。 イスラームは神学の部分で言えばカソリックよりも東方教会に近いんだよね。 むしろユダヤ教のエントリーモデルと言ったほうがいいと思うけど。 だからカソリック捏造説はおかしいなといつも思ってる。
むしろイスラームに影響を与えたのはネストリウス派などのキリスト教異端じゃないのかなぁ? 東方教会とムハンマドの話はイスラームの研究書でもよく引き合いに出されるのだけど、ユダヤ教エントリーモデルの部分は除いて、一元論っぽい思想はとても西方教会の神学の思想じゃないのかなぁ?とか。
まぁ、中東に叩き出されたキリスト教異端の連中を正統派の別働隊と言っちゃえば成り立たないレトリックではないが。 三位一体をフルボッコにしてる預言者ムハンマドさんの思考回路はキリスト教で言えばネストリウス派なのかなぁ? このあたりの関係はマジでよーわからん。要検証だな。
@jackiemopsy @makeanovel あなたは隠れユダヤ隠れユダヤ言いますけど、ユダヤ人の定義すらできないでしょ?イエズス会のロヨラは貴族だと知りませんか?ユダヤ教徒は貴族になれるんですかね?隠れユダヤの定義がはっきりしないのに、隠れユダヤの陰謀で主婦を騙し放題ですか
ユダヤ陰謀論で絶対触れられないのはイスラム世界からの資金の流れだ。 スーフィズムだかカバリストだとか近い位置にいて思想も似通ってたキリスト教異端にそいつらの資金が流れ込んだ可能性がある。 カタリ派とか見てみな? こいつらイスラーム世界とガッチリツルんでた。
更に言えばカタリ派に影響を与えたボゴミール派はスラブの山中で15世紀まで存続したけど、オスマン・トルコに攻め入られたらイスラームに集団改宗してる。ボスニア・ヘルツェゴビナとかのムスリムはそいつらの子孫。 おっと、オスマン・トルコの成立を助けたのはヴェネチアだよ。くっさいなー。
中世ヨーロッパでは、異端というものは常にオリエント世界からやってくる毒のようなイメージだった。 実際に各種異端はヨーロッパ内部よりも外部の影響があるもんな。 フランスやスペインの地中海沿岸やイタリアのロンバルディアまで異端のネットワークはボゴミール派から影響受けていた。
スーフィーを見て不思議だと思うのはムスリムなのに、宗教にこだわらないんだよ。 ルーミーという有名なイスラーム神秘主義の人がいるけど、キリスト教徒だろうがゾロアスター教徒だろうが、多神教徒(カーフィル)だろうが来なさい来なさいと言ってる。 ここのあたりに秘密があるんじゃね?
ユダヤ陰謀論の人はあまりキリスト教異端とユダヤとイスラームの仲良し関係は触れたがらない傾向にあるけど、中世イスラームってヨーロッパに比べたら超経済大国じゃん。 国力がバブル時代の日本と自転車乗ってた時代の中国くらいは差がある。 そうなると資金投資されるとしたらどうなるって話。
そうなると、アメリカとつるむ事で成金国家になったサウジアラビアやUAEのようにイスラーム勢力とつるんだ勢力がキリスト教社会で大きな影響力持つじゃん。 で、問題点があるとすれば、イスラーム勢力はいつもバチカンに投資するの嫌がったって話なんだよ。そこが陰謀論の争点でね。
となると、江戸幕府の支配してた日本なのにイギリスに支援してもらって倒幕しちゃった薩長土肥みたいに、バチカンとしては当然面白くないよね? シチリアのフリードリヒ二世やカタリ派などやつらはいつだってバチカンの不満分子に投資しやがる。 となると生まれるのがユダヤ陰謀論だよ。
ユダヤがバチカンを潰して世界支配を企んでるという陰謀論は、ユダヤを通じてバチカンの不満分子に投資してバチカンの一極支配を崩そうとしてる中東の銀行家が許せないと言いたいんだよ。 でもなぜかそこは叩けないポイントだから、ユダヤがバチカンを内部から操って世界支配みたいな話になるかと。
イエズス会の創設者の貴族の出て元騎士で従軍してたロヨラがユダヤってデマも、ロヨラが関わってたアルンブラドス派などの異端がユダヤを通じて中東から資金援助貰ってたというオチでね? 隠れユダヤ云々の論争の背景には、本人がユダヤというよりユダヤとツルんだ異端のネットワークがあるんでは?
大体、ユダヤ人は教会法で金融業と古物商以外の商売が禁じられてる(商館持つのもダメ)のに、キリスト教徒の貴族階級やそれに類する人しかなれない騎士にユダヤ人がなれるわけねーじゃん。 ロヨラの実家は城も残ってる貴族でユダヤ人の土地取り上げたりしてなかったですか? 隠れユダヤが貴族?
○○は実は隠れユダヤ人でっていう話、ユダヤ教の習慣も信仰も捨てたユダヤ教徒が隠れユダヤってのはおかしいぞ? それなら、隠れムスリムはどうなる?ムスリムなのにあの宗教キチのイザベラ女王様に強制改宗させられたムスリムがクリスチャン化してるのにムスリムとか言えるわけ?)
・p.221あたりから
第三の方法 律動による祈り
〔解説〕
この祈り方は東洋的。
ヨーガでは呼吸のリズムとともにマントラを唱える。
禅宗では呼吸と共に数行観(息の数を数える)や無字の公案(吐く息とともにムーを唱える)を行ずる。これらの東洋的瞑想は心身を一致させ、自我の呪縛から脱却し、智慧に達する優れた方法である。
そこで東洋的瞑想方法をこの第三の祈りに取り入れることでより卓越した祈りとなるだろう。
ところでこの祈り方は東洋的瞑想と比べると、次の点で相違する。
後者が一つの短く言葉を繰り返し、一つの言葉を無心で一心不乱に唱える。対して
前者は一呼吸に一つの言葉を唱え、次の呼吸で別の言葉を唱え、一つの言葉を唱える間、その言葉の意味に注意を向けたり、祈りを捧げる方に注目するなどする。
ロヨラが強調するように祈るときには意志を使って祈りを捧げる方に対して深い尊敬の念を保っていなければならない。
〔本文〕
祈りの第三の方法は、息を吐くごとに、あるいは吸うごとに、「主の祈り」か、他の祈りの一つの言葉を唱えながら、心で祈る方法である。だから、息の吸い始めから吐き終わるまでの間に、ただ一つの言葉を唱え、一呼吸から他の呼吸へと時間が流れる間、その言葉の意味、あるいは祈りを捧げる御方、あるいは自分自身の低劣さ、あるいは相手の高貴さと自分の低劣さの差異に注意を集中する。そして。「主の祈り」の残りの部分の言葉も同じ形式と規則を使って祈る。他の祈り、「天使祝詞」、「アニマ・クリスティ」「使徒信経」、「サルヴェ・レジィナ」は普通の通りに唱える
(これ繰り返したら精神病になるだろ)
ーーー
『ニューエイジについてのキリスト教的考察』
教皇庁文化評議会 /教皇庁諸宗教対話評議会 出版社: カトリック中央協議会 2007/4 原書2003/2
ブラヴァツキーの神智学協会やシュタイナーの人智学協会を一つの源流とするニューエイジ思想を批判した教会公文書の邦訳で、
原文はネットで無料。
・ニューエイジという名称は、フランス革命とアメリカ独立革命の時代に、薔薇十字団とフリーメーソンによって用いられるようになったようです。
ニューエイジとは西洋のエゾテリスム(秘教主義)の現代版。
エゾテリスム(秘教主義)はキリスト教初期の時代に生まれたグノーシス主義の諸グループにまでさかのぼる。
ヨーロッパでは宗教改革の時代に盛んになった。
エゾテリスムは自然科学の世界観と並行して成長し、十八・十九世紀を通じて合理的に意味づけられました。
エゾテリスムの特徴は
①次第に人格神を否定
②他の霊的存在を重視
するようになったこと。
こうした霊的存在は伝統的キリスト教では神と人間の仲介者としてしばしば表象されるが改変された。
ニューエイジを発展させたのはダーウィンの進化論。
ニューエイジ=教会が異端とみなした見解の要約。
・ヨハネ・パウロ二世
「ニューエイジと呼ばれる衣をまもった古代のグノーシス思想の再来という問題があります。
これが宗教の刷新をもたらす、などと錯覚してはなりません。
これはグノーシス主義の新しい実践法にすぎません。
グノーシス主義とは、神についての深い知識をもっているという名目で神のことばを覆し、単に人間的なことばに置きかえることに終わるだけの精神的姿勢のことです。
グノーシス主義は一度もキリスト教の領域から離れ去ったことはありません。
それどころか、つねにキリスト教とともに生き続けており、時にはそれぞれの時代の哲学的思潮の形をとり、より多くの場合は、公然とではなくても、実質的にキリスト教の本質と対立する、宗教的、また疑似主教的形態をとりながら存続しているのです。」
(6)
教皇ヨハネ・パウロ二世『希望の扉を開く』曾野綾子・三浦朱門訳、同朋舎出版、1996年、107頁。
(訳者がゴミクズ。
原発もABも要らん @bye2NUKES 2015年9月13日
@catbsky 麻生さん、石破さんもクリスチャンだし、あのとんでもないウヨクのレイシストの曾野綾子さんもカトリック。男は強姦できるくらい元気がなくちゃと言った旦那の三浦朱門も。そうやってくくりたがる気持ちはわかるが、クリスチャン=左翼っていう短絡思考、なんとかならんかな。
ねこた @lakudagoya 2015年4月28日
@izimo_ssp なんか曽野綾子もですけど、クリスチャン以外は人間でないと思ってそうな名誉白人。カトリックにとっては労働は人間に与えられた罰ですからねぇ。前にカレイドスコープに叩かれましたが、彼らは仏教徒は人間でないと思ってそうですね。クリスチャンって思想に憑依されたロボでふ)
・グノーシス主義、ニューエイジ思想が入っている一例がエニアグラム。
エニアグラムは九つの類型による性格分析方法。
これを霊的成長の手段として使用した場合、キリスト教信仰の教えと生活をあいまいなものにしてしまう。
・現在のうお座の時代は第三千年期のはじめに水瓶座の新しい時代
=ニューエイジにとってかわられる。
(14)
この語はすでにThe New Age Magazineという表題に用いられている。
この雑誌は1900年以降、
the Ancient Accepted Scottish Masonic Rite in the southern jurisdiction of the United States of Americaによって出版された
(スコティッシュ・ライトがニューエイジ本を出していることが重要。
イングランド系ではなくスコットランド系。
エジプトとスコットランドのつながりがあるという説は、
新時代=ニューエイジの神をエジプトの太陽神ホルスとしたクロウリーとつながる。
ねこた @lakudagoya
海洋民族にとっては北極星って大事だもんな。
レプティリアン=竜座のα星。
バイキングは航海をするときに壊血病対策として松脂を塗り込んだパンを持参してた。しかしカヌーでの航海は嵐にあったらすぐ沈没するし、あんな太平洋を補給もなしで航海するとかそのモチベーションが不明なんですわ。
ローマ人と混血して「消えた」エトルリア人。ローマと戦って「消えた」フェニキア人。 たんぽぽさんの言うように、フェニキアはヘルメスのように姿を隠す帽子を持ってるくさい。 なぜにやつらはあれだけ古代から多大な影響力を持って消えるのか? 国家という肉体を捨てたのだよね。
(魔王アモン @mryensrh11 8月7日
すこっちらんどの名前の由来は エジプトのスコタ朝 ・・・って昔私がつぶやいたんだよね そしたら先生が、お、よく知ってるねって 返事して それがガチKGBと先生の出会いだった https://twitter.com/lakudagoya/status/761685022063546368 …)
ユダヤ黒幕論もユダヤをフェニキアと読み替えるなら深い考察ができる。
その場合ケルトやエジプトとの絡みも追加で。 もしかしたら、ローマ帝国はフェニキア人の復讐によって知的伝統が破壊されバラバラになっていくのを仕方なく国を守るために西を切り捨てて遷都したのではないのか?
東ローマは、わざと金銀財宝を蛮族に贈って西を襲わせるようにしてたりさ。
西ローマの崩壊はゲルマン人のせいにされるけど実は違うんでね?
もしかしたら、ローマ帝国という国体を守るためにわざと西ローマを犠牲にしたんではないのか? それくらいフェニキア人の陰謀その他がヤバかった事だろ?
もちろん、テトラルキアなどで内戦状態になったローマを立て直すために宗教統一したい勢力はいたさ。 でも国体を守りたいという勢力もいたはずだよ。
で、東ローマではユダヤ人が教育や金融の仕事につくことを禁止してた。
この政策見るとさ、東の連中はずっとフェニキア人と戦ってたはず。
で、西ローマ帝国の崩壊で何が起こったかと言うと。
ヴェネチアやフィレンツェなどの都市国家やバチカンを除いた特権階級以外、ローマの知的伝統を受け継ぐのがいなくなったって事だよ。
フェニキア人の大勝利じゃねーか!
で、東ローマでは知的伝統を捨てて馬鹿になる事はなかったわけで。
東ローマは西側を切り捨てる事で危機を乗り越えて1000年繁栄する事に成功したわけか。 東ローマはなかなかしたたかな国家だなと。
西ローマ帝国と東ローマ帝国は、どっちが栄えてたのですか? - Yahoo!知恵袋 http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11144849496 …
魔王アモン @mryensrh11 8月8日
http://www.bibliotecapleyades.net/ciencia/ciencia_suppressedearthhistory02.htm …
すこっちらんどはエジプトとどうつながるの?
(英語)
ふーん。アクエンアテンが出てくるから 前半だけテケトー訳してみる
ねこた @lakudagoya 8月8日
ねこたさんが魔王アモンをリツイートしました
すげぇ!メリトアテンの子孫がスコッチとかびっくらかいた。翻訳おつ!KGBはいい仕事してますね! RT
魔王アモン @mryensrh11
テケトー訳 Read: http://tl.gd/n_1sovstc
“Scotichronicon(すこっち歴代誌?)という中世の文献がある。
これは1435年にWalter Bowerというニート、いや、僧侶が書いた。
その中にすこっちらんどの起源の伝説が書いてある。
昔昔、ファラオの娘のスコタちゃん、通称スコちゃんが
旦那のゲイテロス君と一緒にエジプトを出て行きました。
勿論部下も引き連れて。
これはエジプトに災厄が訪れると聞いたから
カミサマに導かれて出発したのでした。
すこっち歴代誌には出て行った後どうなったかも書いてある。
このエジプト人どもは現在のすこっちらんどに到着した。
しかしエジプト人どもはジモティにボコられて
アイルランドに逃げ込んだ。
そこではジモティと和んで王様になり
すこっちらんどに反撃。
そしてすこっちらんどを支配し
国名を「すこちゃんらんど」改め「すこっちらんど」にしたそうな。
このテの話は中世には多い。
古代のXXガー、今のXXの起源ガーみたいな話である。
例えばHistoria Brittonum(ブリタニア史、とでも訳しておこうか)
によると、ブリテンの語源はブルータスである
(ブルータスよ、お前もかの、あのブルータスね)
同じHistoria Brittonumはヨーロッパの民族
(フランク族とかね)はノアの息子につながると主張していたりもする。
では、すこちゃんらんど伝説はどの程度事実なんだろうか?
まず「すこた」という名前がエジプトの名前ではない件。
これは翻訳のせいでおかしくなっただけなのか?
Walter Bowerは、すこちゃんのパパンがAchencresと書いている。
歴史家のManethoは紀元前300年ごろに
AchencresとはAkhenaten(アクエンアテンつまりアメンホテプ4世)
のギリシア語読みだと書いている。
アクエンアテンは紀元前1350年頃にエジプトを支配した。
そして政治的、宗教的な改革を断行した。
例えば首都を今日のアマルナに移した。
宗教をアテンを崇拝する一神教に変えた。
このアクエンアテンには6人の娘がいたが
そのうち5人はエジプトで死んだ。
長女のMeritatenのみがエジプトの歴史から姿を消している。
ではMeritatenが、すこちゃんなんだろうか?
アクエンアテン時代のエジプトは苦境にあった。
アクエンアテンの死後エジプトは政治的に混乱期に入る。
アクエンアテンの後に続く王は長くエジプトを治められなかった。
(その中にはツタンカーメンも含まれる)
紀元前1320年頃ホルエムヘブがエジプトの王となった。
ホルエムヘブはアクエンアテンが嫌いだったらしい。
アクエンアテンに関連するものは潰しまくった。
これはつまりアクエンアテンの娘なら
ボヤボヤしてたらヤバスという事になる。
エジプト脱出をする動機は十分にある。”
ねこた @lakudagoya
@mryensrh11 スコタの翻訳おつ。スコッチがメリトアテンの子孫だとはびっくらこきました。
0:24 - 2016年8月9日
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1. 魔王アモン @mryensrh11 8月8日 福島 大熊町
@lakudagoya んー。まだ確定じゃないですけだね。 でもまあ、面白いのは面白いし ドサクサでモーセをナイル川から 拾ったのが、すこちゃんだったりしたら 面白いんですけどね
魔王アモン @mryensrh11 8月8日
Summary and conclusionも訳してみた Read: http://tl.gd/n_1sovsuq
“Summary and conclusionも訳してみた
________________________________________
考古学的に発見された出土品等から考えて
アイルランド、ブリテン、スペイン、エジプトあたりまで
青銅器時代には交易のルートがあった可能性はある。
Ferriby(おげれつ東海岸ね)で発見された船は
地中海東部(エジプトを含む)から直接来ていた可能性がある。
しかし、これが、すこちゃんの大冒険にまでつながるのか?
断定しちゃっていいのか?というと話は別だ。
例えばWalter Bowerの、すこっち歴代誌も妙な所がある。
例えば「エジプトに疫病が流行るからと聞いてすこちゃんは脱出した」
と書いてある。
しかし、すこちゃんがエジプト史から姿を消す前のアマルナで
「病気大流行マジヤバス」という記録が残されているのはなぜなんだぜ?
しかもドイツの川としてセーヌ川が出てくるのはなぜなんだぜ?
セーヌ川はフランスの川じゃないのかと小一時間(ry“
燈火 @to_moshibi 8月7日
ヴァイキングの南下は怪しそうですね。イスラム世界にまで進出していますし、しかもノルマンディー公国の成立など欧州地域の秩序にも影響を与えています。
あとは北アメリカやアイスランドにも入植しています。
7世紀にイスラム勢力は地中海に進出しますが、そもそも海軍を元々持たなかった彼らがどうやって地中海に進出できたのか気になります。後の話ですが、世界最強だったモンゴルですらも海軍は南宋の残党や高麗等を利用しています。 なのでイスラム勢力に肩入れした面々がいても不思議ではありません。
魔王アモン @mryensrh11 8月7日
イベリア半島上陸は海軍無しじゃどうにもなんねえな
魔王アモン @mryensrh11 8月8日
RT> >樹高は30メートル以上に達する。
>材質はたいへん硬く、かつ腐りにくい。
>このため、船材やマストには最適だった。 ふーん。 レバノン杉の話ね
そういや、レバノンってフェニキア系の土地で フェニキアのカミサマなポセイドンの聖樹は松じゃん? アイヤーwwww
何がアイヤーかわかったかな?
レバノンスギって 名前はスギだけど松なんだよ? アイヤーww で、中の人がポセイドンじゃね? って疑惑のあるヤハウェくんの神殿は レバノンスギ、つまり松で作られた アイヤーwww
つまりフェニキア&ポセイドンは松が好き
ユダヤ&ヤハウェも松が好き
ねえ、なんで?なんで君たちそんなに 息が合うのかなあ? ねえ?
フェニキアっていつごろから あそこにいたんだろうね
ヤツらが海洋民族として暴れる バックボーンのひとつが 船に使いやすいマツ=レバノンスギだったりするのかな?
ねこた @lakudagoya 8月8日
アモンたんのスコタの話なのだけど、これがもし本当ならば、スコッチとおフレンチとエジプトの関係がわかってさ。 ケルト・フェニキア・エジプトの陰謀論を証明できるかも知れんね。 スコッチとおフレンチは歴史的に仲良しだし、海を嫌った古代エジプト文明の航海の話はフェニキア絡みかも?
ぐだトマト @pteras14 8月8日
@lakudagoya その伝説もう一つバリエーションが あって、
もう一つの方はバベルの塔の 町のニウル王の子で、エジプトで ファラオの娘と結婚、アイルランドに 上陸してバベル崩壊後の72言語を 組み合わせてゲール語発明って パターン。
両方のパターンに共通するのは 何れも自分はスキタイ出身だと 言い張ってる事。 スキタイは髑髏杯のご先祖様で アングロサクソン共が自分達の ご先祖様と言い張ってる極悪 非道の連中ね。
スコタ王女じゃなくて旦那の方の話。 スキタイランド→スコットランド?w
アルマナ文書読む限りだと アラム語だかヒッタイト語だか なんかでバビロンの方に手紙を 出してるんで、当時のエジプトと 中東の間で貿易ルートがあったのは 確かそうなので、あながちバベルの 王子説も可能性あるかも。
あ、アマルナ文書の間違いw アッカド語ですねw
ねこた @lakudagoya 8月8日
とまーてさんありがとう! 前に船長がギリシャ語よりゲール語やゴイデル語が古いよーんと言ってたのだけどとまーてさんの教えてくれたネタをもとに語ってたものだったの!? スコッチに影響与えたのがスキタイだとかバビロンだとかメリトアテンだとかぶっ飛び方がパネェわ! ロスリン礼拝堂!
ねこた @lakudagoya 8月8日
タブー無用の陰謀論者としてはチャンピオン目指したいところだ。
大御所の陰謀論者はみんな金に買われてるフェニキア人の奴隷どもだ。
2件のリツイート 4 いいね
魔王アモンさんへの返信
ねこた @lakudagoya 8月8日
@mryensrh11 うむ。そやな。女の世界はいつもああいうのがマジョリティに見えて噛みつきたくなる衝動との戦いだった。心配かけましたの。
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ねこた @lakudagoya 8月8日
ねこたさんが魔王アモンをリツイートしました
ラーの鏡照射!
「み、みたな〜」というドラクエ3を思い出す今日この頃w RT
ねこたさんが追加
魔王アモン @mryensrh11
何がアイヤーかわかったかな?
レバノンスギって
名前はスギだけど松なんだよ?…
0件のリツイート 0 いいね
ねこた @lakudagoya 8月8日
ねこたさんが魔王アモンをリツイートしました
ほい、バイキングの壊血病にならない松脂入りのパン! RT
ねこたさんが追加
魔王アモン @mryensrh11
つまりフェニキア&ポセイドンは松が好き
ユダヤ&ヤハウェも松が好き
ねえ、なんで?なんで君たちそんなに…
0件のリツイート 0 いいね)
PONTIFICAL COUNCIL FOR CULTURE
PONTIFICAL COUNCIL FOR INTERRELIGIOUS DIALOGUE
JESUS CHRIST
THE BEARER OF THE WATER OF LIFE
A Christian reflection
on the “New Age”
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/interelg/documents/rc_pc_interelg_doc_20030203_new-age_en.html
ってコレ英語だとただでネットで読めるのね
“2.1. What is new about New Age?
For many people, the term New Age clearly refers to a momentous turning-point in history. According to astrologers, we live in the Age of Pisces, which has been dominated by Christianity. But the current age of Pisces is due to be replaced by the New Age of Aquarius early in the third Millennium.(14) The Age of Aquarius has such a high profile in the New Age movement largely because of the influence of theosophy, spiritualism and anthroposophy, and their esoteric antecedents.“
“(14)The term was already in use in the title of The New Age Magazine, which was being published by the Ancient Accepted Scottish Masonic Rite in the southern jurisdiction of the United States of America as early as 1900 Cf. M. York, “The New Age Movement in Great Britain”, in Syzygy. Journal of Alternative Religion and Culture, 1: 2-3 (1992), Stanford CA, p. 156, note 6. The exact timing and nature of the change to the New Age are interpreted variously by different authors; estimates of timing range from 1967 to 2376. ”
・ニューエイジが示す転換
(1)ニュートンの機械論的物理学から量子力学への転換。
(2)近代的な理性重視から感性、感情、経験への転換
(しばしば「左脳」の合理的思考から「右脳」の直感的思考への転換)
(3)個人と社会における、男性支配と父権性から女性性重視への転換。
・ニューエイジには善悪の区別はなく、人間の行為は覚醒の結果か、無知の結果。
人は罪を定められることはなく、ゆるしも不要。
悪の存在への信仰から生まれるのは否定的な気持ちと怖れだけ。否定的な気持ちを解決するのは愛。
ニューエイジは東洋的表現を西洋的用語で述べる。
生まれ変わりは元来ヒンドゥー教の転生思想の一部。
生まれ変わりはアートマン=個人の神的な核(個我〔ジーヴァ〕)に基づいて行われる。
アートマンは輪廻の繰り返しの循環のうちに身体から身体へと渡り歩く。より上位の世界に生まれ変わること、あるいは生まれ変わる必要から解放されることを人々は希望する。
仏教では身体から身体へとさまようのは魂ではなく、意識の連続(心相続)と考えられる。
現世は終わりなく移ろう宇宙の過程の中に組み込まれている。この過程には神々でさえも含まれる。
西洋ではレッシングの時代から生まれ変わりがはるかに楽観的なしかたで、学習による個人の段階的な完成の過程として理解されてきた。
スピリチュアリズム、神智学、人智学、ニューエイジは皆、生まれ変わりを、魂がより完全な状態へと進歩すること、宇宙の進化への参加と考える。死とは別の肉体へと魂が移ることにすぎない。
この終末観はキリスト教の神の裁きに関する教えが答えられなかった問題に答えるものとされ、地獄の概念を不要にする。
魂が新しい身体と合一すると、これからの人生への予見が与えられる。夢や瞑想で前世を知ることができる。
(「仏教では身体から身体へとさまようのは魂ではなく、意識の連続(心相続)と考えられる。」
は間違い。
仏教の輪廻に「主体」は存在しない。
ブッダ「女性と目も合わせないニートになれ!」
『だから仏教は面白い!』『仏教思想のゼロポイント』『阿頼耶識の発見』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
”・カルマ(業)
=(ある種の潜在的な余力、ポテンシャルを持つので必ず結果をもたらす)行為
=後に結果をもたらす働き。
やったら終わりではなく残されたポテンシャルが後に必ず結果をもたらすのが業。
輪廻思想と合わさり、蓄積された潜勢力に縛られているのが衆生。
生まれ変わるので別の個体性(前世が幼虫なら今回はさなぎで来世はガのように)をもつが、カルマは前世から引き継がれる。しかし全体を俯瞰すると同じ虫だともみなせる。
無我なのに輪廻するのではなく、無我=実体我がないからこそ輪廻する。
輪廻に主体はない。何が輪廻するのかという質問はおかしい。カテゴリーエラー。
個体存在の固定的な核、実体的な魂を想定し、その魂が次々と器としての進退を乗り換えながら存在を保っていくというイメージは間違い。
後に結果をもたらす業が現象を引き起こし、それが更なる業の条件となり次に新しい結果を生むことをひたすら続いているプロセスを輪廻といういう。
(バラモン教もバラモン教がモデルのスピも「本体」がある輪廻)”)
・ニューエイジは全体性を探求し、二元論を克服を追及。
二元分離は覚醒前の過去が生み出した不健全なもの。創造主と被造物の根本的な違い、人間と自然、精神と物質、これらは誤りと考える。これら二元論は西欧文明のユダヤ・キリスト教的起源に基づくとしばしばみなされるが、正確には二元論はグノーシス主義、特にマニ教と関連づけるべき。
科学革命と近代合理主義精神は、とくにものごとを細分化する傾向のゆえに避難される。有機的な全体を機械的構造として扱うから。
ホリズム(全体論主義)はニューエイジの基本要素で、グローバルなネットワークに従わなければならない意識を生んだ。
意識変革、環境保護思想運動、大地の女神ガイア信仰、緑の党。
大地を管理する主体は人類全体だが大地を責任をもって管理するのに必要な調和と理解はグローバルな管理でないといけない。
(大地を管理するのは人間って聖書思想じゃねーか)
・ニューエイジの根本には汎神論がある。
汎神論が含まれるのでカトリックはニューエイジに積極的な評価を与えない。
キリスト教「人間は本質的に被造物であり、永久に変わることなく被造物にとどまります。ですから、人間の自己が神的な自我に吸収されることは決してありえません」
・十九世紀のエゾテリスムを形成したブラヴァッキーの中心となる主張は女性解放であり、一神教の男性的神への批判も含んでいた。引き継いだのがフェミニスト運動の先駆者であるアニー・ベザント。ウィッカや女性の霊性は父権的キリスト教に対する闘争を続けている。
マリリン・ファーガソンいわく、みずがめ座の時代の先駆者として意識拡張と自己超越経験による変容という未来像の発端を作った人々が、ウィリアム・ジェームズとユング。
ユング思想の中心にあるのが太陽崇拝。太陽すなわち神は個人の内なる生命エネルギー(リビドー)。
これがユングのいう内なる神=すべての人間のうちにある本質的な神性。
ファーガソンがほかにアクエリアン革命家に対して彼らが影響を受けた思想家をたずねたところ、頻度の多い順に以下の通り。
ピエール・テイヤール・ド・シャルダン、
ユング、
マズローカール・ロジャース、
ハクスリー、
アサジオリ、
クリシュナムルティ。
多くあげられた他の人は、パウル・ティリッヒ、
ヘルマン・ヘッセ、ホワイトヘッド、ブーバー、
ルース・ベネディクト、
ミード、グレゴリー・ベイトソン、
タルタン・トゥルク、
アラン・ワッツ、オーロビンド、ムクタナンダ、
鈴木大拙、
トマス・マートン、ウィリス・ハルマン、ボールディング、
エーリッヒ・フロム、マクルーハン、
バックミンスター・フラー、スピ―ゲルバーグ、
コルチブスキ、フェルスター、ジョン・リリー、エルハルト、
イチャーソ、マハリシ・マヘッシ・ヨギ、
パース、プリブラム、
ガードナー・マーフィー、
アインシュタインである。
・スピリチュアリティと心理学の交差はヒューマン・ポテンシャル運動に強く見られる。ヒューマン・ポテンシャル運動は1960年代末にかけてカリフォルニアのエサレン研究所で発展した。
自分の潜在能力を実現するために人は自分の自我、エゴを乗り越えないといけない。それは深いところで神(自己であるところの神)となるためである。
ニューエイジの最初の原動力であった、ある意味で今でも原動力となっている二つの中心地が
スコットランド北東部のフィンドホーンの菜園コミュニティと、
米国カリフォルニア州ビッグスールのエサレンのヒューマンポテンシャル開発センター。
ニューエイジというゆるやかな集合体の共通点
①宇宙は有機的な全体
②宇宙はエネルギー=神的魂、霊によって動く
③霊的存在の介在への信仰
④見えない高次元に上昇し、死を超えて自分の人生を統御可能
⑤歴史以前の、全宗教と文化を超えた永遠の知識がある
⑥覚醒した師に従う
ニューエイジ思想は、キリスト教は真の意味での人間性の完全な発現を妨げてきたというニーチェ思想と一致。
ニューエイジは
人間が完全なものとなりうると考える。この完成とは、自分自身で作りだせ、
獲得できる価値の序列に従い、自己実現を行うことを指す。自己は自己創造者だといえる。
サタンは慣習や規則への反抗の象徴。
ディープ・エコロジーの生命を中心とする主張は聖書の人間観を否定する。
聖書では人間は世界の中心。人間は質的な意味で他の生き物より優れているとみなされる。環境保護は人間を軽視するとはいえ、同様の傾向は現代の法律と教育でも極めて顕著。同じようなエソテリックな文化を基盤としているのが、人工計画政策や遺伝子操作の実験の背後にある思想。
・古典的なニューエイジでは人間は神的ば花火とともに生まれるとし、古代グノーシス主義を思い起こされる。
なので人間は本質的に神的だと考える。人間は神とともに創造する。啓示や救いは必要ない。外部からもたらされるから。自分の中でひそかに行われる救い(自己救済)を経験するだけで十分。
魂の生まれ変わりは罰としての浄化を意味する輪廻ではなく、潜在能力の完全な開発に向けた段階的上昇。
・ニューエイジは、ユダヤ・キリスト教に毒されていない、東洋宗教とキリスト教以前の宗教を重視する。
ニューエイジの神は宇宙の統一をもたらす非人格的エネルギー。万物は一。一元論的、汎神論的な統一。
ニューエイジのキリストとは、自分が神的なものであると認識し宇宙の師と自称できる意識状態に達した人に与えられる呼び名。ナザレのイエスは唯一のキリストではない。ブッダやその他の人に見られるようなキリスト的性格があらわれた多くのうちの一人にすぎない。
(釈迦の思想を否定するニューエイジ、ニューエイジを否定する釈迦)
・照応の体系は明らかに伝統的エゾテリスムに由来するが、スウェーデンボルグに従う人にとって新しい意味を持つ。伝統的エゾテリスムではあらゆる自然の要素は自らのうちに神的生命を持つのに対して、
スウェーデンボルグにとっては自然は生きた霊的世界の死んだ反映にすぎない。
ブラヴァッキーは照応を否定した。ユングは照応に基づくエソテリックな世界観のために因果律をはっきりと相対化した。
・ニューエイジの重要な擁護者であるデイヴィッド・スパングラー(David Spangler 1945-)は、ニューエイジの問題の一つは、「自分の完全な人生を積極的に造り上げるのでなく、新しい時代(ニューエイジ)の到来を待つことを口実にし て、無力感と無責任にひそかに身をゆだねること」だと指摘
・ニューエイジ思想はビジネスの世界に広く見られる理念と一致する。
ニューエイジ「運動」は市場原理に完全に適応しました。そして、ニューエイジがこのように広まった一つの理由は、それが経済的に 魅力的な商品だったこと。
少なくともある文化において、ニューエイジは市場原理を宗教現象に適用することによって造られた商品の名称。
人々の霊的欲求から利益を得ることがつねに図られている。現代経済における他の諸要素と同様、ニューエイジも、マス・メディアの情報によって造られ、はぐくまれるグローバルな現象の一つ。
・ニューエイジが大流行したのは、それが信仰、セラピー、実践をゆるやかに組み合わせたものだから。こうした諸要素は、しばしば、それらがもっているかもしれない対立や矛盾とかかわりなしに、好きなように選択され、組み合わされる。
けれども、これがまさに「右脳」の直感的思考に自覚的に基づく世界観から期待されていること。
だからこそ、ニューエイジの諸思想の根本的な性格を発見 し、認識することが重要なのです。しばしば、ニューエイジが示すものは、いかなる宗教に帰属することでもなく、ただ「スピリチュアル」だといわれる。けれどもそこには、多くの「消費者」が考える以上に、特定の東洋宗教との密接なつながりが見られる。このことは、だれかが「祈り」の集いへの入会を選択す際にとくに重要。しかしそれは、企業経営にとっても深刻な問題。生活と労働の中で瞑想を行い、精神拡張技術を用いることを労働者に求める企業が増加している。
・ヒューマン・ポテンシャル運動の創立は1960年代エサレン。個人の変革のためのさまざまな技術は企業の経営訓練計画の中でますます用いられるようになった。トランスパーソナル技術、内的・霊適格性のための運動、組織発展と組織変革、これらはみな非宗教的な形で行われるが、実際には企業の労働者を個人の自由が問題視される状況の中で異質なスピリチュアリティに服従させることができる。
(京セラのCSIS稲盛が大好きな生長の家=和風ニューソートかな?
資本主義を批判するくせに資本主義カルトの骨格の一部なのがニューエイジ=新キリスト教)
・エサレン・ソヴィエト・アメリカ研究所はソヴィエト政府と協力して健康推進計画を進めた。
・ニューソートは十九世紀に米国で創始された宗教運動。起源は観念論だが、ニューソートは観念論の大衆的な形態である。神は完全な善であり、悪は幻想にすぎないとされる。人の精神は生涯の出来事を引き起こす原因なので、人は究極的には自分の状況のあらゆる側面について責任をとらなければならない。
・ニューエイジのキリスト
①人格的・歴史的イエスと、永遠で非人格的宇宙的キリストは別
②イエスは唯一のキリストではない
③キリストであるイエスが苦しみをうけうるという考えを排除するため
、イエスの十字架上の死は否定されるか再解釈される
④外典文書(新グノーシス主義の福音書など)を聖書聖典に見られないイエスの生涯をし知るための真正な源泉資料と考える。
霊や太古の導師によってまたはアカシャ年代記によって知ることのできるイエスに関するほかの啓示が、ニューエイジのキリスト論の基盤。
⑤聖書テキストにエソテリックな解釈を加える。それはエソテリックな本質に近づくことを妨げる、公的宗教としてのキリスト教を清めるため
・自己完成、自己実現、自己救済、ニューエイジはペラギウス主義的。
・ニューエイジ思想の要約
①あらゆる生命、存在は霊、不可知の存在、さまざまな文化でさまざまな名によって知られる至高の意識の現れ
②あらゆる存在と目的と運動は愛、知恵、覚醒を完全に現すこと
③あらゆる宗教は同じ内的現実の表現
④科学や五感で知覚するあらゆる生命は、見えない内的原因としての現実の外皮にすぎない
⑤人間は外的・時間的人格と、さまざまな次元を持つ内的存在(魂、高次の自己)の両面を持つ
⑥外的人格を限界を持ち、愛に向う
⑦内的存在が生まれ変わるのは外的人格の波動と愛を一致させるため
⑧生まれ変わった魂は自分の霊的な道を自由に選べる
⑨霊的な師はその魂が生まれ変わる必要から解放され、限界なき愛と知恵と覚醒を述べる人々である
⑩あらゆる生命は互いに関連付けられたエネルギーであり、霊とこれらのエネルギーとともに働いて現実をともに創造する
⑪すべての生命と環境と自己に共同責任を持つ
⑫この時代において地球と人間の進化はわれわれが個人意識と集団意識における根本的な霊的変化を経験するに至った。
だからわれわれは新しい時代、ニューエイジについて語る。新しい意識は人が宇宙的な愛のエネルギーと呼ぶものが継続的に受肉した結果である
⑬すべての生命の生き生きとしたつながりに関するこのような新しい意識と理解は完全に新しい地球的文化の展開過程の内にわれわれがあることを意味する。
補足
①世界は高次の、より包括的な神的本性のあらわれ。
②人間の内面には高次の神的自己が隠れている。この神的自己は高次のより包括的な神的本性の現れ
③この高次の本性は覚醒し、個人の日常生活の中心となることができる
④この覚醒が一人ひとりの個人的生命が存在する理由
スパングラ―曰くニューエイジは
①ホリスティック
(グローバル化する。なぜなら唯一の現実・エネルギーが存在するだけだから)
②環境保護的
(ガイアとしての地球が我々の母。人は地球の中枢神経系の神経)
③両性具有的
(虹と陰陽はニューエイジの象徴。男性と女性の相補性)
④神秘的
(聖なるものはあらゆるもの、もっとも日常的なものの中に見出される)
⑤地球的
(人間は自己の文化に属すると同時に、普遍的な次元へと開かれたものでなければならない。それは愛とあわれみと平和、さらには世界政府の樹立を推進できるようになるため)
(世界政府が目的なのが露骨)
・ホリズムが避難するのはニュートンとデカルト
・ニューエイジの両性具有とは両性の身体的特徴ではなくすべての人に男性的要素と女性的要素があることを自覚すること。
両性具有はアニムスとアニマの調和がとれた状態。
・十九世紀のスピリチュアルはニューエイジに流れ込んだ思潮の一つと考えられる。スウェーデンボルグとメスメルの思想を背景に発展し、新たな種類の宗教となった。スピリチュアルは霊媒であるブラバッキ―の神智学に大きな影響を与えた。ただし神智学協会では最近死んだ人との接触ではなく、はるか昔の霊的存在との接触が重視される。アラン・カルデックはアフロブラジリアン宗教においてスピリチュリズムの普及に影響を与えた。日本の新宗教運動の一部にもスピリチュアリズムの要素が見られる。
・フィンドホーン共同体は1965年に設立されニューエイジの中心思想を体現するものと考えらえた。それはモデルとなり、ロンドンのオルターナティヴス、エサレン、ニューヨークのオープンセンター、およびオメガ研究所である。
・モンテ・ヴェリタはスイス、のユートピア共同体。
十九世紀末以来、欧米の対抗文化の代表者が集まる。
1933年以来、エラノス会議が毎年ここで開催されニューエイジの指導者たちを集めた。エラノス年報はエラノス会議の意図は統一的な世界宗教を作り出すことだとはっきり示している。多年にわたりモンテ・ヴェリタスに集まった人々の名簿は興味深い。
・「訳者あとがき」にあるニューエイジに関係した運動一覧。
・ヒューマン・ポテンシャル運動
(自己啓発セミナー)
・トランスパーソナル心理学
・ニューサイエンス、ニューエイジ・サイエンス
・ネオ・ペイガニズム
・フェミニスト霊性運動
・ディープ・エコロジー
・ホリスティック医療運動
・マクロビオティック
(創始者が世界政府賛同者)
・超越瞑想
・神智学協会
・人智学協会
・クリシュナムルティ・ファウンデーション
・ラジニーシ運動
・グルジェフ・ファウンデーション
・仏教的瞑想・共同体
・レイキ
・気功・合気道
・UFOカルト
・ニューエイジの特徴は、伝統的宗教のようにはっきりとした教団の形をとらず、参加形態が個人的であるところ。
∸――
役に立ちそうな資料
“AとBの同一視を探すときは"A B"、"A as B"、"A or B"、"A that is B"、"A aka B"、"A i.e. B"、"A with B"みたいな絶対検索をします。
それでも見つからない場合は、AとBを入れ替えて"B A"、"B as A"~と検索すると良さげです。唯一神と天皇の同一視なんていう習合もこれで知りました(たぶん God≒king of kings≒emperor という類推かと)。
日本語で探すなら"A(B)"、"AとしてのB"、"AあるいはB"、といった感じで。
絶対検索がいつもバチっと当てはまるとは限らないですが、Googleならサジェストでかなり近い資料が見つかります。“
http://ch.nicovideo.jp/y_noseru/blomaga/ar1023793
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 5月18日
”宇宙人はグノーシス派のように肉体嫌い? ・スピ(リチュアル)系の宇宙人=白人説 を主張するアングロサクソン系の白人は、人類はアフリカの黒人が起源であるという説が嫌なだけでは? 北欧は金髪碧眼が多い。アイクの理論だと金髪碧眼の白人は宇宙人であるレプティリアンに憑依されやすい。
北欧貴族にしてスピの源流であるスウェーデンボルグは宇宙人が存在すると述べた。 UFOコンタクティーが遭遇する宇宙人がノルディック(その名のとおり北欧系の金髪碧眼)と呼ばれたりする。” 黒幕は自分たちの思想、見た目、文化を善だと洗脳する。 北欧黒幕説と、キリスト教>ユダヤ教の根拠。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 5月20日
宇宙人に「選ばれた」のではなく、宇宙人を「呼び寄せて憑依させて活用した」から支配層になれた可能性…人間的な意味での「意志」はないのでは?… エイリアン=地球外からの自然現象説…
エイリアン=憑依させると強力な力が得られる存在。 エイリアンに人間的意志があるかどうかが分かれ目…
「何が良い印象を与えているか=尊厳の流れ」こそが最重要
善とみなしているものは攻撃しにくいからね
↓
❁憂夏ちの幵マスコミ住所†検索
✡ @udx 11月27日
モヒカンは、ネイティブアメリカンの英雄の髪型なのに、悪人の象徴みたいになってしまっている。洗脳だ。
本当の悪は侵略者であり虐殺者である今のアメリカ人たちだというのは少し考えればわかる。その少しも考えさせないのが、ハリウッドを主とするメディアの洗脳だ。
インディアンの豆知識bot @indian_didUknow 8月14日
【モヒカン刈り】ちょっと昔のパンクファッションでお馴染みの、中央の髪を残して回りを剃る髪型は、一部のインディアンの部族が、狩りの際弓を射るのに邪魔にならないように頭の側面を剃った事が原型です。
(日本だと北斗の拳のせいだろうなあ)
ネズミさん @Nezmi_san 2014年7月27日
「AEON」と言うと、日本では「あれね?」となるが、 古代ギリシア語の「時代」という意味だが、 グノーシス主義の創作神話では、この神の至高者の下の存在をアイオーンと呼ぶ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%B3 …
カトリック教会が出している『ニューエイジについてのキリスト教的考察』では
(それ自体は反宇宙論・反創造主、という思想でも無いにも関わらず)ニューエイジ思想が「現代のグノーシス主義」と位置づけられ、警戒されている。http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9 …
つまりはグノーシスから見ると天地創造のヤハウェより高次元の神が存在すると考える。
天地創造をしたこの世が悪に満ちている理由付けである。作った神より至高の神が存在するとする。ギリシャのイデア論に近いだろう。 http://sp.okwave.jp/qa/q142917.html
ねこた @lakudagoya 5月5日
新プラトン主義が御用学派なのは分断統治のツールを担保する階層構造を肯定してるから。
といっても、霊的階級社会じゃないのがミソだが。
単にプロティノスの思想だけなら、ある種の神秘主義的な認識論だけど、耶蘇教の天使の階級に取り入れられて、曽野綾子のような階級社会肯定思想になった。
曽野綾子が「貧乏人は実直な精神を養ってればいい」みたいな事言ったのは、カトリックの天使の階級論をベースとしたの天上位階論を具現化したバチカンのトップダウン階級社会の思考から生まれている。
カトリックの神学思想では、階級社会は宇宙の自然状態での状態と聞いたけど本当かなぁ?
新プラトン主義のミソなとこは、オリジナルの流出元に近いところほど純粋でそこから離れると不完全になってダメになるという思想。
だから、アウグスティヌスなどは新プラトン主義の理論を使って欠如してるが故に悪が生まれると誤魔化した。
西洋の神秘主義の根底は新プラトン主義だよ。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2014年7月19日
@lanekota 国学≒蘭学。
天皇家が関わる万葉集は漢字表記(日ユ同祖論は嘘)。
契沖は真言宗僧侶で徳川光圀がスカウト。
国学の四大人 荷田春満(伏見稲荷の神官)
賀茂真淵(春満の姪が妻。春満門下)
本居宣長(伊勢出身。真淵門下)
平田篤胤(和風クリスチャン。宣長の没後門人)
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2015年2月11日
猫太“うわーキリスト教くさいですのー”
“みっしょんいんぽっしぶる!キリスト教信者ってニコニコしながら支配する気と見下し感半端ねぇ。曽野綾子とか。その感覚が日本的でない”
平田篤胤→大国隆正→福羽美静→明治天皇
大国隆正→玉松操→岩倉具視
✝の平田篤胤の本教=和風キリスト教=神道
アイオーンαἰών
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%B3
“1966年の「グノーシス主義の起源に関する国際学会」等の定義によれば、グノーシス主義は、以下の点をふまえた神話を創作することが一般であると考えられている。
1. 反宇宙的二元論: この世界は悪であり、この世界を創造した劣悪な神とは別に、善なる「至高者」が存在する。
2. 人間内部に存在する「神的火花」「本来的自己」への確信: 人間は、劣悪な造物主に創造されたが、人間の内部には至高者に由来する要素が閉じこめられている。
3. 人間に「本来的自己」を認識させる啓示者・救済者の存在: 以上のことを知らない人間に対して、至高者の下からそれを知らせる使いがやって来て、認識を促す。
この「至高者」の下には、至高者に由来する諸の神的存在があり、グノーシス主義の創作神話では、この神的存在を「アイオーン」と呼ぶ。
• キリスト教グノーシス主義
キリスト教グノーシス主義では、人間に「本来的自己」を認識させる啓示者・救済者とは、もちろん「イエス」であり、イエスは「父なる神」(=至高者)の下から派遣され、旧約聖書の創造神(=劣悪なる造物主)の束縛から人間を解放するため、「本来的自己の認識」を説く福音をもたらしたという神話を持つ(神話の詳細は、グノーシス各派により異なる。)。
キリスト教グノーシス主義は、異端であるとして、正統派・主流は教会から反駁されてきた。
紀元2世紀のリヨン司教であったエイレナイオスや、3世紀のローマ司祭であったヒッポリュトスなど反駁書を記している。ヒッポリュトスは、グノーシス主義の教義や神話などが、ギリシア神話やプラトンの思想や、その他、諸々の素材を元に創作したものであるという説を唱え、「アイオーン」という用語もまた、ギリシア神話やプラトーンの著作から借用したものだと述べた。
このように、伝統的には、グノーシス主義は、諸宗教の要素が混淆したシンクレティズム宗教に過ぎないと考えられていたが、とくにナグ・ハマディ写本の発見により、非キリスト教グノーシス主義の存在が知られるようになり、現在では、グノーシス主義を、単なる混淆宗教、とりわけキリスト教にギリシア哲学や東方の諸宗教の要素を加えただけの異端説として論ずる学者は少ない。
以下に、グノーシス神話における諸の「アイオーン」について概説する。
…
グノーシス主義におけるアイオーンは、高次の霊または霊的な階梯圏域で、アイオーンこそは「真の神」で、ユダヤ教やキリスト教などが信仰している神は、「偽の神」である。またアイオーンは複数が存在し、プレーローマと呼ばれる超永遠世界にあって、男性アイオーンと女性アイオーンが対になって「両性具有」状態を実現している。
紀元2世紀の大ウァレンティノスと呼ばれるグノーシスの思想家の高弟であるプトレマイオスの説では、プレーローマには、男女を一対として、四対、合計八体の至高アイオーンが存在するとされる。それらは、オグドアス(8個の集まり)とも呼ばれ、次のようなアイオーンで構成される。
• プロパトール - 伴侶:エンノイア(思考)
• ヌース -伴侶:アレーテイア(真理)
• ロゴス - 伴侶:ゾーエー(生命)
• アントローポス - 伴侶:エクレシア(教会)
伴侶は女性アイオーンである。アイオーンの筆頭に来るのは「プロパトール」であるが、この名は「先在の父」とも訳され、超越性の更に超越性にあると される。プロパトールとは何かは、人間は無論のこと至高アイオーンであるオグドアスのアイオーンもまた、それを知ることはなかったとされる。プロパトール は、ビュトス(深淵)の名でも呼ばれる。またオグドアスはプレーローマの中心であるが、そのなかにあって更に上位の四アイオーンは、テトラクテュス(4個の集まり)と称する。
グノーシス主義では、新プラトン主義のプロティノスの考えを取り入れ、「流出説」を提唱した。ウァレンティノス派では、原初、先在の父(プロパトール)が唯一存在し、プロパトールは流出によって諸アイオーンを創造したとされる。
ソピアー神話
グノーシス主義においてはまた、アイオーン・ソピアーの失墜とその回復、分身の地上への落下の物語が記されている。グノーシス文献『この世の起源について』などにおいては、この世界がいかにしてデーミウルゴスによって創造され、人間の悲惨の運命が始まったのかを神話の形において説話している。
アイオーン・ソピアーはプレーローマにおける最低次のアイオーンであったが、知られざる先在の父(プロパトール)を理解したいと云う欲望に取り付かれた。彼女はこの欲望の故にプレーローマより落下し、分身アカモートを生み出し、アカモートは造物主デーミウルゴスを生み出した。デーミウルゴスはかくて、この世と人間を創造するのである。
ソピアーの娘・バルベーローはグノーシス主義バルベーロー派において地上の人間を救うとされているが、キリスト教では悪魔とされている。
ソピアーの救済、従って人類の救済と関連して、イエス・キリストもグノーシス神話においてはアイオーンと考えられた。”
イグナチオ・デ・ロヨラ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/royora.htm
“W・E・バトラーは、その著書の中で「魔術的イメージ」の概念を西洋に持ち込んだ功労者として、心理学者のユングとイエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラの二人を挙げている。
…
ロヨラの基本的な立場は、「人間中心」の考え方であり、修行者は内面に向かい、自己認識を通じて神なり一者なりを認識するということである。これは、まず神あるいは一者を通じて自己認識を求める「神中心」の修行法と比較される。
…
この修行は4週間に配分されて行われるが、それを読むと、この書では驚くほど具体的に瞑想の方法、イメージについて解説が成されていることが分かるであろう。
イエズス会修道士達は、この書に基づいて修行をしたのである。
ロヨラの生涯は波乱に満ちている。
彼は1491年、スペインの少数民族バスク人の貴族の息子として生まれた。ロヨラ家はその歴史は12世紀にまで遡る名門であり、彼は13人兄弟の末っ子として生まれた。冒険好きで、だいぶ血の気の多い家系らしく、彼の三人の兄も遠い異国の地で軍人として戦死している。
彼は幼いうちに母親を失った。そんな中、彼は学問よりも剣術を好む少年だったらしい。父親と父親の親友であるホアン・ベラスケスという貴族から教育を受けたが、父もその親友もロヨラが若いうちに死去してしまう。
これを機に彼は単身ナバルラ国へと行き、そこで軍人として仕えることになる。この時の彼の生活は、かなり奔放なものだったらしい。
1521年の従軍体験が、彼の生涯に大きな影響を及ぼす。
この時、カスチリヤ国の内乱を鎮圧するためにナバルラ軍が出動したが、当時イスパニアと対立していたフランス軍が1万2千の大軍でもって、これに介入してきたのである。要するに、内乱に乗じて、フランスがナバルラを侵略してきたわけである。
圧倒的な戦力の差により、ナバルラ軍は成すすべも無く蹴散らされ、ロヨラ達の篭るパンプローナ市の要塞は、フランス軍によって包囲されてしまう。
この時、ナバルラの指揮官達は降伏を考えていたが、ロヨラは徹底抗戦を主張した。その結果、彼らは要塞に立て篭もって抵抗を続けた。ついにフランス軍は要塞に総攻撃をかけ、要塞は陥落してしまう。この時、ロヨラは右足の関節の下に生涯に渡る深刻なダメージを受け、左足にも重傷を負ってしまう。
しかし、フランス軍は、彼の勇猛果敢さに敬意を表し、彼を丁重に扱い、手厚い看護を与え、さらに故郷のロヨラ城にまで送り届けてくれたのである。
彼は1年間の闘病生活を送るが、この時、退屈を紛らわすために読んだ神学書がきっかけで、宗教者の道を進む決心をする。
この闘病生活の時、彼は幻視体験をし、聖母マリヤの訪問を受けた。
1521年、彼は兄の反対を押し切って城を出る。
そして、たった一人で旅を続け、フランス人司祭のもとを訪れ、告白を行い、全財産を教会と貧民に寄付し、修道士となる。1522年31歳の時のことである。
同年、彼はマレンサ地方の慈善病院に身を寄せる。ここで彼は、ドミニコ会の修道士達の指導のもと、すすんでみすぼらしい格好をし、苦行にあけくれた。彼の支持者は、既にこの頃から集まり始めていた。彼の支持者には女性が多かったらしい。だが、この4ヶ月に渡る苦行も彼を満足させることはできず、町外れの小聖堂に篭り、無茶な断食修行の結果、餓死寸前のところを救助されるという騒ぎを起こす。
その後も彼は、無茶な断食修行を敢行しようとしたため、先輩修道士達は彼を厳しく説得しなければならなかった。ひとえに、彼の戦闘的な性格を物語るエピソードであろう。
だが、これをきっかけに彼は、常識を身に付けた。無茶な断食はやめ、かつては風呂にも入らずみすぼらしい格好を好んだところを、普通に質素で清潔な服装をするようになった。
彼が「霊操」の元となる原稿の執筆を開始したのも、この頃のことらしい。
1523年に彼は聖地巡礼に出発する。しかし、この時の地中海の情勢は最悪で、キリスト教徒を迫害するトルコ軍や海賊がウロウロしている状況だった。それでも、ロヨラは嫌がる船員達を無理矢理説得して、エルサレムへと出かける。そして、船上で船員達と大喧嘩を引き起こし、殺されかねない騒ぎにまで発展したが、どうにか無事にこれも切り抜け、念願の巡礼を果たす。
そして今度は地元のイスラム教徒たちをキリスト教に改宗させようという無茶を計画するが、仲間たちに説得されて、これも諦め、翌1524年に帰還する。本当に血の気の多い修道士である。
しかし、この時イタリアも荒廃していた。フランス軍と神聖ローマ帝国軍の領地の奪い合いで、イタリヤの治安は最悪。ロヨラは、そんな戦場の中をほとんど丸腰に近い状態で強行突破しようとした。途中、神聖ローマ軍やフランス軍に拘束され、拷問され、殺されかけたが、偶然彼を捉えた軍人の中にバスク人がいたため、彼の好意によって釈放され、なんとか無事にスペインへとたどり着いた。本当に無茶な修道士である。
その後の彼は、バルセロナ、アルカラ、サラマランカを渡り歩き、学問三昧の毎日を送る。少年時代に勉強をサボったツケを払わされ、ラテン語などは子供たちに混じって勉強したらしい。
だが、彼の情熱と勉強熱心さは教師達を驚嘆させた。
この時、彼は自分の息子ほどにも歳の離れた少年修道士達を同志とし、五人からなるグループを結成し、学問と修行に励んだ。
だが、ここで彼の戦闘的な性格が災いする。1526年にアルカラの異端審問所に睨まれ、2回に渡る逮捕を受け、投獄すらされる。しかし、幸いなことに宗教裁判所の判決は無罪であり、釈放された。だが、厳しい監視を受けることになる。
さらに、サラマンカに移るが、そこでも警戒され、地元のドミニコ会に拉致同然のやり方で、修道院に監禁される。この時、所持していた「霊操」の原稿が彼らに見つかり、神学者たちはこれを読んで、彼に理解を示し、解放された。
これ以上、若い同志たちに迷惑をかけるべきではないと判断した彼は、仲間たちと別れ、単身パリに向かう。1528年のことである。
ここで彼は、若い学生達に混じって、40の手習いを敢行する。普通の学校ではつまらん、ということで、過酷なスパルタ教育で有名なモンテーギュ学寮を選んで入る辺りは実に彼らしい。パリ大学に入学し、1535年に至るまで学問を続けた。
学問と併行して、彼は新たな修道会の準備をも進めていたが、これには挫折が付きまとう。最初の別れた仲間たちとは、いつしか溝が出来てしまい疎遠となってしまう。その後も三人の貴族を同志とするが、彼らの友人・親族の猛反対により失敗。しかし、3回目には、強力な同志を獲得する。
ピエール・ルフェーザルと、かのフランシスコ・ザビエルである。当時、優等生だったザビエルは、最初はロヨラと対立していたが、やがて彼の人格に惹かれ、強力な同志となる。その後も、さらに四人の青年を同志として獲得し、1534年に彼らはパリのモンマルトルの聖ディオニシオ聖堂で請願を立てた。これこそが、イエズス修道会の始まりである。
1536年には、さらに三人の同志が加わり十人となる。
1537年に彼らは聖地巡礼を志す。この時、さすがにロヨラも慎重に行動するようになっていた。彼はローマ教皇のパウルス3世に謁見し、自分らの立場や思想を説明し、教皇を味方につけたのである。
聖地に向かうまでの間、彼らはそれぞれに宣教活動を行っていたが、この時に「イエズス会」を名乗ったらしい。彼が、ルターやカルヴァンの猛威に対抗するためのカトリック内部の対抗宗教改革について考え始めたのこの頃らしい。
やがて、地中海の治安は悪くなる一方で、彼らは聖地巡礼を中止せざるを得なくなる。
その代わり、着々と新しい修道会の設立の準備を進めていた。
そして、ついに1540年にイエズス会は、ローマ教皇パウルス3世にによって公認され、正式な修道会となる。このとき、修道会は60人の定員にすべし、という条件がつけられたが、この制限も1944年には解除された。そして1550年には、正式な会則も決まり、活動を開始する。
彼は1556年に、永眠した。
…
それはともかくも、我々は彼の著書「霊操」に注目すべきであろう。
この著書は1520年代から書き始められたらしいが、当初は稚拙な内容だったらしい。これが1540年以降から大幅な改訂が行われた後に出版された。
この書が、イエズス会の修道士達の修行の手引書とされたことは言うまでもないことであろう。
この書においては、瞑想の方法が見事なまでに体系化されている。
瞑想は4週間に分けて行われる。
第一週は罪の認知と懺悔、
第二週はキリストの救済活動の観想、
第三週はキリストの受難の観想、
そして第四週はキリストの復活の観想である。
ここで注目すべきは、従来のキリスト教神秘主義の瞑想者達は、静寂の中に神を観想し、賛美し、祈ることによって神との合一をはかった。すなわち、まず神を観想し、神を通じて一者を認識しようとしていた。つまり「神中心」の瞑想なのだ。
これに対し、「霊操」では、瞑想者はキリストがどのように神の意志を実行し、模範を示されたのかを観想し、自分はどのようにしてキリストに従って神の意志を実行しなければならないか、というのを観想するのである。そして、瞑想者は自分個人に対する神の意志を知り、人類のための指名を実行することにより、キリスト教的な「真の自己」を覚醒させることにある。
言い換えるなら、瞑想者は内面に向かい、自己認識を通じて神なり一者なりを認識するということであり、「人間中心」の瞑想なのである。
この「霊操」の中で語られる、神との直接対話は、極めて実践的である。その瞑想方法は、インドのヨーガとの共通点もよく指摘され(一呼吸ごとに聖句を唱え、姿勢についても規定され、具体的なイメージを視覚化させられる等)、さらには秘教結社のイニシエーション同等の試練が課せられることでも注目すべきであろう。
「霊操」 イグナチオ・デ・ロヨラ 岩波文庫
「フランス ルネサンスの人々」 渡辺一夫 白水社
「キリスト教神秘思想史・3」 ルイ・コニュ 平凡社
「世界神秘学事典」 荒俣宏篇 平河出版社
「魔法入門」 W・E・バトラー 出帆新社”
偽ディオニシオス
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/delonisiosu.htm
”ディオニシオス・アレオパギテースによって書かれたという所謂ディオニシオス文書としては、「天使位階論」、「教会位階論」、「神名論」、「神秘神学」、「書簡集」などが知られている。
6世紀前半頃から、司祭ディオニシオスの著書と称する一連の文書が出回りだした。
このディオニシオスとは何者か? ヨーロッパでは、長らくこの人物は聖パウロがアテナイで改宗させたという裁判官ディオニシオスであると信じられて来た。この説への疑問は早くも7世紀には出始め、ルネサンス期にも多く指摘されたが、結論が出たのは19世紀に入ってからである。詳細な書誌学的研究の結果から、成立は6世紀頃であると証明された。
と言うのも、この書の思想はギリシャの新プラトン主義者として知られたプロクロスに依存しており、プロクロスが没したのが485年であり、彼の著書が公の場に現れたのが531年であるから、この頃に書かれたと推測されるのである。
ディオニシオスが生きた使徒時代より、ずっと後世の成立である。
それで、この一連の著書には、「偽」の文字が冠せられるようになったのである。
とはいうものの、この神学書がキリスト教神学に与えた影響は計り知れない。
6~7世紀の公会議において、これらの文書は真正な物の認定され、カトリック、東方正教会の両方で重要視されたのである。
そして、何よりも、この著書は新プラトン主義の産物であり、著者はユダヤ教にも通じた神秘主義者であったことは間違いない。
それゆえに、この本はキリスト教神学に新プラトン主義が流れ込む最大の原因ともなった。
キリスト教神秘主義の成立において、この書の役割は凄まじい。
さらに、彼の著書は、後のキリスト教カバラにも大きな影響を与えている。
この書の登場は6世紀であるが、この時代、ユスティニアヌス帝がアテナイのアカデメイアを閉鎖させた年である。キリスト教の専横によって、ギリシャ哲学が潰された時代であるが、こうした新プラトン主義が、形を変えてキリスト教神学に潜り込むことによって生き延びた。
この偽ディオニシオス文書は、そんな役割を果たした書でもあったのである。
ともあれ、この書の著者は、間違いなくギリシャ哲学とユダヤ・キリスト教神学の両立を望んでいたことは間違い無いであろう。
「天上位階論」においては、天使の階級が語られる。
まず、神の被造物は3段階に分けられる。天使、人間、事物である。これらには、それぞれ位階が存在する。例えば、「人間」の位階は「教会の位階」であり、事物の位階は「律法の位階」である。
…
偽ディオニシオスは言う。人間の魂は、まず感覚によって「律法の位階」を捉えることができる。次に「教会の位階」は、感覚と知性によって捉えることができる。最後の「天使」の位階は、知性によって捉えることができる。こうして、人間の魂は、これらの位階を捉え、理解することによって上昇し、神性の根源へと向かうべきであると言う。
こうした天使の位階論と神への合一の思想が、キリスト教神秘主義の中で発展し、後世のキリスト教カバラに結実することは、言うまでもない。
…
神は全てのものであると同時に、いかなるものでもない。すなわち神はあらゆる存在と非存在を超越している。ゆえに、神は我々の「知」を越えており、我々は神を知ることは出来ない。
だから、我々は「神を知ることが出来ない」ことを知ることによって「無知」を得る。この「無知」は、実はあらゆる「知」を超えており、「神」のような超存在は、「無知」という体験から露になった現実である。
すなわち、神は無知でもってのみ知ることのできる存在なのだという。
神は我々の受容能力に応じて、自らを開示し示す。こうした開示の中でも最高のものが、この「無知」を得て、「神の闇」に入ることである。この「闇」は光の欠如のことではなく、あらゆるものを超えた状態のことを指す。
我々はまずは最初に「知」によって上昇し、やがて「知」を超えた「無知」によって知ることの出来ない神と「合一」する。
これがディオニシオスの「神との合一」であった。
このディオニシオス文書は、しばらくギリシャ語のまま東方正教会に置かれ、西ヨーロッパでは忘れられていた。それが827年頃にビザンチン帝国がフランスに贈った。
そして830年にラテン語に訳されたが、これは注目を集めなかった。
しかし、860年にスコートゥス・エリウゲナによる新たなラテン語訳と注釈によって、やっと広く知られるようになる。
そして、1167年にヨハネス・サラセヌスによるラテン語訳が決定的になった。アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アキナスも、この訳に基づいて仕事を行った。
「キリスト教神秘主義著作集・1 ギリシャ教父」 谷降一郎・熊田陽一郎訳 教文館
「中世思想原典集成・3 後期ギリシャ教父・ビザンティン思想」 上智大学中世思想研究所 編・訳 平凡社”
ちょっと立ち止まって考えてみよう σ( ̄、 ̄=) 愚者の侃々諤々 (´▽`)ノ
http://blog.goo.ne.jp/watapi_1968/e/4f2604ce4e7b58086c53eefdb92ef25b
イエス・キリストは本当に十字架に釘づけにされたのか?真実を検証する
http://karapaia.com/archives/52214521.html
よーすけ @yoshimichi0409 3 時間3 時間前
ユダヤ教徒の解放により近代においては、人種や民族・宗教問わず金融資本の所有者には成れた。マルクスの「ユダヤ人問題について」等でユダヤ的とは何もユダヤ教徒の有り様を指してる訳ではない。金融屋的メンタリティーを指すものとして使われている。正統派ユダヤは寧ろ金融屋には批判的! https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/800279934677630976 …
子子子子子@4記事更新 @kitsuchitsuchi 2016年11月20日
ユダヤの定義ができないユダヤ陰謀論者は
自分で何を言っているか分からないorわざと布教
キリスト教徒もユダヤ教徒も【ユダヤ】=金融特権の所有者になれたのは歴史的事実
×偽ユダヤ ×ユダ金
○【ユダヤ】業の白人
https://twitter.com/rolelei/status/573031855684902912 …
@kikuchi_8
子子子子子@4記事更新さんが追加
ローレライ @rolelei
ユダヤ人の定義①ユダヤ人が母←Xの定義にXは使えない②ユダヤ教徒←宗教で民族は定義不可考古学的証拠もなく、ヘロドトスも言及していないので聖書のユダヤ人は実在せず遺伝子も子孫も実在しません。ユダヤ教徒は実在。http://yomenainickname.blog.fc2.com/?mode=m&no=67&cr=2917189433b4f915c4a1c210e2af4bbb …読めないニックネ…
【ネタバレ注意】knznymmmyのガンダマニア入門8
http://codetripleseven.blogspot.jp/2016/03/knznymmmy8.html
”さて、十字架の形だ。バカボンのパパも後生大事に握ってるように
十字架は十字型というのが基本。
しかし十字架の具体的な形は聖書にも出てこない。
それどころかキリストが処刑された十字架は
本当はT字型、或いは単なる杭という説がある。参考1 参考2
ヨハネ伝20章25節にはこう書いてある。
他の弟子たちが、彼に「私たちは主にお目にかかった」と言うと、
トマスは彼らに言った、「私は、その手に釘跡を見、
私の指をその釘跡にさし入れ、
また、私の手をその脇にさし入れてみなければ、決して信じない」
参考で私が持っているギリシア語対訳聖書。
ここから判断すると手が釘で打たれた事になる。
一本の杭よりT字か十字の方が可能性が高いようにも思える。
但し、ヨハネ伝は一番最後に書かれたと言われる。
また捏造・脚色が一番多いとも言われる。
特にこのトマスのエピソードはヨハネ伝にしか出てこない。
だから後世の捏造の可能性が高い。
それからロンギヌスの槍もヨハネ伝のみ。だからこれも怪しい。
逆に一番古い形を残していると言われるのはマルコ伝。
そもそも十字架刑で処刑をする時に手を釘で打っても
人間の体重は支えきれないと言われる。参考HP1 HP2
手の平が体重に耐え切れず引きちぎられてしまうらしい。
そこで仮に手に釘を打つとしたら前腕部に打つ。
これなら前腕部の骨があるから引っかかる。
よって「聖痕」と称して手の平の出血やアザを
得意気に見せるのは詐欺かキチガイ。
若しくはエヴァ旧劇場版のシンジ君。
でなければリリス。ヒントは催眠術。特に自己催眠。
そもそもキリストが釘で打たれたと示唆しているのは
先程のヨハネ伝20章のみ。
福音書でキリストが十字架にかかる場面は
マタイ伝27章、マルコ伝15章、ルカ伝23章、ヨハネ伝19章。
これら全てに関して「釘」は出てこない。
先程の「仮に打つとしたら前腕部」の話と合わせて非常にウソ臭い。
よって十字、T字どころかただの棒という可能性含めて以下検証。
聖書の中で十字架という言葉が初出するのはマタイ伝10章38節
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者は
わたしにふさわしくない。
キリストの処刑と関連した文脈でならマタイ伝27章22節、
マルコ伝15章13節、ルカ伝23章21節、ヨハネ伝19章6節、
その他多数。
原典=ギリシア語だとこんな感じ。ソースはここ
使われている単語はどの福音書でも基本的に同じ。
コレはマルコ伝15章13節。
私が持っているギリシア語聖書だとこう。
さて、この単語が示す形は?と思いつつググっていたら
面白いHP発見。リンク。
軽くダイジェストすると
ラテン十字架(普通の十字架)は
6世紀まではキリスト教美術に出てこない。
初期キリスト教のシンボルは十字架ではなく「よき羊飼い」の像。
初期のキリスト教徒は、むしろラテン十字架をdisりまくり。
例えば3世紀の神父ミヌキウス・フェリクス。
キリスト教以前の古代ではこのラテン十字架は異教のシンボル。
十字架=男性性器。円や楕円=女性性器。
つまり一緒にすると聖婚=ケルト十字。
ついでだ。書いてしまえ。これも似たような象意だろ?
薔薇の花が女性器を示す。ハチは針があるから男性器。
もちろんこの薔薇十字につながる話題でもある。
ケルト十字はエジプトの護符でもあり、
ヒンズー教にもある。(勿論、丸に十字=ヤ♥ツ♥ら♥)
コロンブス以前のアメリカ美術でも十字架は神の愛と死を表す。
イシス崇拝では、イシスが手に十字架とハスの種子の入れ物を持つ。
これも男性生殖器と女性生殖器。
イシスの夫=サラピスはプトレマイオス王に化身した。
ダミエッタ・ストーンには、「救世主プトレマイオス」
という文字に続いて十字架が書かれていた。
十字架がいつキリスト教のシンボルになったのか詳細は不明。
一時期はラテン十字架ではなく、
T字型の十字架がキリストの象徴だった事もある。
このT字型の元ネタはドルイド=ケルトの可能性がある。
現在このタウ十字はラテン十字架に取って代わられたので
一般に、聖ピリポが掛けられた十字架であるとされる。”
fate grand orderおもろセリフまとめ1
http://codetripleseven.blogspot.jp/2016/12/fate-grand-order.html
”まず、アーサー王はケルト人の王様だ。しかも6世紀。
勿論、ケルトだドルイドだと言えば
ねこた先生もキリスト教の元ネタじゃないのか?と
大注目の重要ポイントである。
アイヤー(笑
ついでにキリスト教美術には元々十字架なんか登場しなかった。
いや、そもそも美術に限らず、
刑罰としての十字架そのものが存在しなかったのでは?
というのは過去記事で私が仮説をぶち上げている。
それが急に十字架は神の愛がどうだの、神聖だのありがたいだの
意味不明な猛プッシュを受けだしたのがまさに6世紀。
アイヤー(笑
せんせえ、何でアーサー王の時代と一致するんですか?
せんせえ、ついでにケルト十字って何ですか?
せんせえ、ついでにイシス崇拝って何ですか?
せんせえ、「ケルト」十字がエジプトにもあるのはなぜですか?
せんせえ、「すこちゃんランド」とか
けしからんツイッターしてる人がいるのはなぜですか?
せんせえ、ついでにアトン信仰って何ですか?
せんせえ、ついでにアマルナ革命って何ですか?
せんせえ、ついでにアメンホテプ4世って誰ですか?
キリスト教のパクリや経歴詐称がバレるから
そういう質問をしてはいけません(笑”
knznymmmyのラテン語ペラペラプロジェクト8
http://codetripleseven.blogspot.jp/2016/07/knznymmmy8_34.html
”注目点は"cruce" これはcrux=十字架の奪格単数。
キリスト教徒が大好きなあの十字架だ。
例えばcruceで画像検索しても十字架が大量にヒットする。
しかもキリストの処刑のシーンにもこの単語は出てくる。
例えばマルコ伝15章30節。私の持っているウルガタでは
salvum fac temet ipsum descendens de cruce
口語訳だと「十字架からおりてきて自分を救え」
よってcruceが十字架なのは確定。
それなのに創世記40-19で
「十字架」という訳を採用しているのは
ウルガタとエルサレム聖書のみ。他は全て「樹」だ。
エルサレム聖書ではgibetと書いてある。
本来、フランス語で十字架は一般的にla croix
gibetとは何か確認してみた。
私の持っている辞書では「絞首台 磔柱」と書いてある。
そして例として「gibet du christ キリストの十字架」
とも書いてある。私が持っている辞書は
旺文社のプチロワイヤル仏和辞典第4版。
一応googleの画像検索してみた。
画像検索の結果から判断すると絞首刑の台を第一に意味するようだ。
あれ?じゃあ gibet du christ はキリストの十字架じゃなくて
キリストの絞首刑では?
le pendu乙!タロット乙! オーディン乙!
一般的な認識では樹木と十字架は別物のはずだ。
原典のBHSはどうだろうと見てみると「木」だ。
עץ
これ(↑)がBHSの中の「樹・木」だ。
本当にコレが樹木なのか不安なら
コピペしてgoogle画像検索すればいい。
ものすごい数の樹木が出てくる。
しかも創世記3章でも同じ単語は出てくる。
アダムとエヴァが「園の中央の木」の実を食べた場面だ。
ウソだと思うのならここでも見てくればいい。
英語の対訳付きのBHSだ。
だからBHSが「木」と書いているのは確定。
ではウルガタの「十字架」は誤訳なのか?というと
私の解釈ではこの箇所に関しては全部の訳が正解。
誤訳は無い。
しかし、樹木と十字架は別物では?
というのは現代人の浅はかな考え。
樹木と十字架は別物ではない。同じものだ。
過去記事でも既に書いた事だが
キリスト教美術では6世紀まで十字架が出てこない。
むしろ、初期の教父は十字架は異教のシンボルだと言って
disりまくった。
ウルガタが書かれたのは 新約は383年。旧約は405年。
まだ十字架が神聖視される以前だ。
そもそも十字架があのプラスの形で
しかも釘で打ち付けるというのは物理的にあり得ない。
人間の体重を支えきれずに手が裂けてしまう。
だからミトラ教みたいなTの字、
いやむしろ、ただの一本柱の方が可能性は高い。
しかし一本柱にしても人間ひとりの全体重を支える訳だ。
地面を掘り返して柱を立てるのは面倒。
樹木があれば樹木を使う方が手っ取り早い。
そしてこの創世記40章19節のせいで
一本柱どころか樹木では?という可能性が更に上昇する。
元々cruxはただの樹木という意味だった(ウルガタ時代)が
後付けで「十字架」「例のプラスマーク」に改竄された疑惑だ。
しかもそのプラスマークの元ネタが異教。
しかもその一本柱or樹木でどう処刑する?という問題が残る。
一本柱だとしても人間の全体重を支えられるほどの釘があるのか?
という問題が残る。
やはり絞首刑の方が簡単・確実ではないのか?
やはり北欧神話のオーディンにつながってきた。
オーディンはユグドラシルの樹で首を吊った。
これがキリスト教の十字架と妙な一致をすると過去記事で書いた。
そして今回のgibetは「十字架」であると同時に
「絞首刑の台」でもある。
十字架はそもそも絞首刑だったのでは?
形も全然十字じゃなくて、ただの樹だったのでは?という疑惑。
絞首刑、首吊り、オーディン、十字架、キリスト。
全部つながってしまう可能性が更に上がってきた。
いやあフランス語勉強しておいてよかった。
意外な所にオーディンの突破口があるもんだ。
くさい。猛烈にくさい。これはマルセイユタロット。
これはライダーウェイトタロット
あれ・・・!! Tの字じゃないか!とことん臭い。
…
聖書はプトレマイオス朝のエジプトで書かれたという疑惑がある。
プトレマイオス朝のエジプトは紀元前306年〜紀元前30年。
一般には、ちょうど同じ紀元前3世紀から紀元前1世紀頃に
ヘレニストユダヤの増加に伴い、ヘブライ語の旧約聖書が
ギリシア語に翻訳されたと言われる。
これがセプチュアギンタ=七十人訳。略称LXX
ヘレニストユダヤとはユダヤ人だがヘブライ語ではなく
ギリシア語を話す人々。
また、紀元前の話なのだからキリスト以前の話だ。
だから当時は新約聖書は無い。
私(や、ねこた先生その他)が考えているのは
「既に存在したヘブライ語の旧約聖書」が
実は存在しなかったのでは?という疑惑だ。
いや、完全にゼロとまでは言わない。
過去記事でも、私自身、旧約聖書は古代クソラエルの
南北朝時代に書き始められたと推測している。
勿論、聖書のパクリ元の書物となればそれよりも更に以前だ。
「書き始めた」だけで、全然未完成だった旧約聖書が
プトレマイオス朝で大幅に加筆、書き換えされた。
それが修正というレベルでは済まない程、大規模だったので
「旧約聖書はプトレマイオス朝で書かれた」と言えるのでは?
という問題提起だ。
勿論、大規模とは具体的にどの程度大規模なのか?
具体的にどことどこがプトレマイオス朝で加筆された部分か?
それは今後の課題でもある。しかし既に判明している内容もある。
ひとつは「パロ」 新共同訳での「ファラオ」
これは先生が鋭い事を書いていた。多少省略しながらコピペ。
リンク1 リンク2 リンク3 リンク4
ねこたさんは、旧約聖書は紀元前3世紀頃の
プトレマイオス朝時代に成立したと考えてるの。
大人の世界の聖書学では紀元前6世紀頃に口伝のものを
文字にしたとか言われてるけどありゃ嘘ですな。
旧約聖書の出エジプト記を見ると、ファラオのことを
「パロ」って書いてあるでそ?
(中略)
プトレマイオス朝以前の成立はありえないかと。
ファラオ(大きな家)ってギリシャ語だからね。
エジプト語では「ベル・アア」って言うの。
もしヘブライ語の最古の写本にベル・アアと書いてなければ、
プトレマイオス朝の可能性が出てくるよ。
ねこたさんはね、大人の世界の聖書学では、
ギリシャ語の70人訳のセプトゥアギンタが紀元前70年に
成立したらしいけど、
ヘブライ語聖書の編纂とギリシャ語聖書の成立は
あまり間をあかないで成立したと思う。
プトレマイオス朝が臭いな。
では問題のBHSを見てみる。
パロ、若しくはファラオとしか読めない単語が出てくる。
参考→リンク
出エジプト1章11節のパロ。どう頑張ってもベルアアではない。
ベルアア=エジプト語=大きな屋敷。
これが本来のエジプトでの王様の呼称。
(バアルゼブブも高き屋敷の主というのをお忘れなく♥)
日本語でも「殿様」の「殿」は「御殿」の「殿」だ。
「お宅」は「あなた、お前」を意味するが「宅=家」だ。
(キモヲタの、そっちのオタクはここ20、30年の話だ)
それと少し似ている。
ベルアアではなくてパロ。
或いはパロのギリシア語読みであるファラオ。
これが当然のように出てくるのは怪しいという先生の指摘だ。
プトレマイオス朝はヘレニズム文化=ギリシア文化系だった。
聖書がプトレマイオス朝で書かれたのならギリシア的な
表現や単語が出てきても、むしろ当然という指摘だ。
「パロ」が出てくるのは出エジプトだけではない。
日本聖書協会HPで聖書の全文検索ができる。
「パロ」は旧約限定でも100回以上出てくる。
創世記、出エジプト記、申命記、サムエル記上、
列王紀上・下、歴代志上・下、エズラ記、ネヘミヤ記
詩篇、雅歌、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書にヒットあり。
これだけヒットすれば、かなりの規模の改竄。加筆。
勿論、「パロ」だけが怪しい訳ではない。
怪しい箇所は他にもある。
例えばラクダの飼育が始まったのはいつだ?という問題。
参考→読めないニックネーム
地中海東岸地域でラクダが家畜化されたのは
紀元前10世紀では?と学術的に推測される。
参考→リンク(ナショナルジオグラフィック日本語版)
しかし聖書の中でラクダの初出は創世記12章。
アブラハムの時代だ。
アブラハムは従来の通説では紀元前20世紀頃の人物。
あやしい。実にあやしい。千年以上水増しされている疑惑。
しかもセプチュアギンタの書かれた時代は
3度のポエニ戦争が起きた時代と重なる。
(紀元前264-241、紀元前219-201、紀元前149-146)
そしてポエニ戦争=フェニキア=ユダヤの正体。
あやしい。ユダヤという捏造民族が出て来る丁度その頃に
そのユダヤ人の経典が絶賛執筆中だった疑惑。
しかもその計画立案、指揮命令者のローマを陰で操るギリシア?
(ローマは元々後進国でギリシアの植民地云々の話を思い出せ!)
聖書の中にもこれ本当はギリシア哲学視点で読まないと
意味不明じゃないのか?という箇所はある。
たとえばヨハネ伝1章。ロゴスはテオスとかあのへん。
先生は鍵を握るのはストア派、ネオプラトニズム、ドルイド
あたりでは?と推測中。
そのへんはまだまだ私自身素人。今後の課題。
しかしネオプラトニズムと言えばプロティノスが創始者。
こいつは紀元後3世紀のエジプトの人物。まーたエジプトか!
プラトンは紀元前427〜347。プトレマイオス朝登場の少し前だ。
プラトンが爺さんになった頃アレクサンドロス大王が生まれている。
そしてこのアレ君の帝国が分裂してプトレマイオス朝ができた。
プトレマイオス朝はアウグストゥスによって潰された。
これだって証拠隠滅を兼ねていたのではないか?
情報漏洩を防ぐために遠い異国に発注して、
用事が済めば口封じと証拠隠滅かねて
「もう貴様に用はない」
アウグストゥスはローマ帝国初代皇帝でカエサルの息子。
厳密にはカエサルの姪の息子。カエサルは厳密には養父。
直接の親子関係は無い。
アウグストゥスがプトレマイオス朝を潰す以前から
ローマ帝国とプトレマイオス朝の間には色々と交流があった。
例えばエジプト起源のイシス教がローマで流行。
或いは絶世の美女として有名なクレオパトラは
プトレマイオス朝のファラオでしかもカエサルの愛人。
イシス教はここ(あほー知恵袋)がなかなか鋭い。
簡単にダイジェストしてみる。
イシス教は紀元前86年にローマへ流入。ローマ帝国で大流行。
イシスはローマ在来の神々と同一視された。
例えば、ミネルヴァ女神やアフロディーテ女神。
(注:ミネルヴァ=や♥つ♥ら♥)
イシス教が流行した理由はいくつかある。
まず、エジプトは神秘的な国と見られていた事。
そして「密儀」「秘密の儀式」がウケた。
(注:ミトラ教も非公開主義だった件)
また、従来のローマの宗教と違い
イシスの儀式に女性も参加できた。だから女にウケた。
(注:キリスト教も昔は女の宗教と叩かれた)
そしてイシス教は個人主義な側面があった。
ローマの従来の宗教は家長に依存していた。
パパンが司祭でパパンが偉かった。
(注:聖書にこういう一節がある。
「私よりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない」
マタイ伝10-37)
勿論、キリスト教の聖母マリアの元ネタのひとつはイシス教。
ふーむ。実に臭い。エジプト要素がウケるのを見た支配者層は
二匹目のドジョウを狙ってプトレマイオス朝エジプトに
下請けでキリスト教を発注した(?)
いや、ミトラ教の記事で書いたように
そもそもイシス教もミトラ教もキリスト教も
全部世界宗教を作るための試行錯誤テストケースだった(?)”
Cross(十字架)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/cross.html
”ラテン十字架(パッションクロスとも言う)が今ではキリスト教の主要なシンボルとなっているが、6世紀まではキリスト教美術には現れていなかった[1]。キリスト教の時代より遥か昔においては、この十字架は、ヨーロッパや西アジアにおいては、異教のシンボルであった[2]。初期キリスト教徒たちは、それが異教のものであったために、排斥さえした。3世紀のキリスト教会の神父であったミヌキウス・フェリクスは、キリスト教徒たちがラテン十字架を崇拝することに憤慨して、次のように言った。「お前たち、それでは異教徒ではないか。木の十字架を崇拝するなんて、それはまさに異教徒のすることだ……お前たちの記章や旗や標識と言えばただぴかぴかの美しい十字架だけではないか。そしてお前たちの勝利の記念品はただの十字架だけではなく、その上に人間を乗せている」[3]。
太古の昔から、十字架に人形を吊したものが畑に立てられて、穀物を守った。現代でも見られる案山子はこうした生贄呪術(その人形はその血が大地を実り豊かにすると考えられた聖王を表すものであった)の名残りである。実際には案山子を立ててもカラスを脅すことはない、と農夫たちは皆知っていても、その人形が棄てられることは決してなかった[4]。
十字架はまた男性のシンボルでもあり、男根を表す「生命の樹」であった。そのため、女性性器を表す円、または楕円形と一緒の形になる(聖婚を表す)ことも多かった。男性を表す十字形と女性を表す球体が一緒になると、それはエジプトの「護符ネフェル」、すなわち至福の護符(性的調和の護符)となった[5]。
cross_latin.gif いわゆるケルトの十字架は腕木のところに輪が交叉しているものであるが、それは、ヒンズー教徒にキアクラKakraとして知られている性的一致を表す男根と女陰のしるしに相当するものであった[6]。古代のケルト十字架で今なお存在しているものもあるが、それらは明らかに男根的要素を示している。その先端に尿道がリアルについているものさえある[7]。
コロンブス以前の南北アメリカ大陸の美術を見ると、そこでも十字架は神の愛と死を表していた。救世主が自分の十字架をかついでおり、それはキリスト教のそれと全くよく似た像であった[8]。
十字架がいつキリスト教と結びついたか、正確なところは誰も知らない。イエスの初期の像を見ると、それは十字に乗っているイエスではなく、仔ヒツジを連れているウシル〔オシーリス〕のような、また。ヘルメースのような「よき羊飼い」の姿であった。cross_latin.gif後世になると、さまざまな十字架がキリスト教のシンボルとして用いられることになった。ギリシア十字架と言われる縦横同じ長さの十字架もあれば、X型の聖アンデレの十字架、かぎ十字架、グノーシス派のマルタ十字架、太陽十字架(ヴォータンの十字架)、取っ手のついた十字架(エジプトの輪つき型十字形ankhが発展したものウェヌス〔ヴィーナス〕の十字架とも言われる)などいろいろあった[9]。
ギリシア人は、この十字架は「クリストスやサラーピス崇拝にはよく使われた」[10]と言った。アセト〔イーシス〕崇拝の銘板を見ると、アセト〔イーシス〕の姿は一方の手に十字架を、もう一方の手にはハスの種子を入れる容器を持った姿で描かれている。それらは男性生殖器と女性生殖器を表すものであった[11]。アセト〔イーシス〕の夫であったサラーピスはプトレマイオス王に化身した。ダミエッタ・ストーンには、「救世主プトレマイオス」という文字に続いて十字架があった。敬虔なるキリスト教徒の学者たちが、この文字はやがてキリストが現れることを現実に予言したものであると主張したことがあった[12]。
cross_latin.gif ラテン十字架ではなくて、頭のないT字型の十字架をキリストのエンブレムとした時期があった。異教徒であったドルイドから借りてきたものであったのかもしれない。彼らはオークの木の枝を払って、2本の大きな枝を先端につけ、それで人間の腕を表したT字型十字架を作った。これがタウThau(神)であった[13]。
T字型十字架は聖なる日のしるしであった。聖なる日とは十字架発見の日であった。それは、エルサレムにあったアプロディーテーの神殿の地下聖堂で、コンスタンティヌス1世の母親であるヘレナが、イエスが掛けられた本当の十字架を発見したことを祝う日であった[14]。
ラテン十字架に取って代わられたのちは、一般に、T字型十字架は聖ピリポが掛けられた十字架であるとされた。ピリポはプリュギアでT字型十字架に掛けられたと考えられている。彼はそこでドラゴンの姿をした神マルスを退治しようとした[15]。このことはT字型十字架が五月祭の日のしるしであったことを意味する。それというのも、キリスト教会はその日を聖ピリポの日としたからである。そしてドルイド教のタウThauが五月柱と混同されることになった。”
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