「しかし、すごい戦いでしたね。手に汗握るとはこの事と言った緊張感!」
先ほどの闘技場での一幕を思い出して力説するのはモモンガ──今はナインズと名乗っている──の従者であるアラン。貴族特有の白い肌を赤く興奮させて常にない饒舌さでナインズに話しかける。場所は闘技場の貴賓席。もうすぐ立ち退き時間であるので帰る準備をしながらも、アランは上機嫌だ。
「そうだったな。まさかあのタイミングで武器が壊れるとは誰も思わなかっただろう。所でアラン、この後彼女のところに行くことはできないか? 少し気になることがある」
「え? どうでしょう。名の知れた剣闘士という訳ではありませんから不可能では無いとは思いますけど」
闘技場の仕組みはわからないが、そこまで人気がある訳ではない参加者には気軽に会える筈だとナインズに答える。これが帝国闘技場の頂点に君臨する武王だったらそうはいかないだろう。彼らはいわば英雄なのでそれ相応の手順とコネクションがいるはずだ。それに比べると一参加者である彼女は、それこそ控え室から出てくるのを待てば良い。
「しかし出待ちとなると、この後の予定に響くかもしれないですがよろしいですか?」
「んー。時間掛かりそうだったら改めるしかないが。とりあえず待ってみよう」
王国貴族風の格好で女性の出待ちというのは憚れるのでは。そう口にだそうとしたところでふと、本来の主人であるレエブン候からの言いつけを思い出す。
未だにきちんとしたパートナーの居ないナインズの相手を、できれば貴族の令嬢から見つける様に。そんな一晩二晩で見つかるものではないが、あの女性は帝国の貴族令嬢だと言っていた。婚約破棄をされたというのは盛大なマイナスポイントであり、あの見た目もあまり良いものではない。しかし、未だアランにすら素顔を見せてくれないナインズの相手には丁度いいかもしれない。仮面の男性の相手役なら仮面をしていても不思議では無いだろう。
いや、むしろ普通の令嬢の方がナインズの隣では悪目立ちしてしまう。
アランは自らの持つ貴族としての矜持に目を瞑り、ナインズを控え室へと案内した。
(本当にこうなってるんだなぁ)
アランにお願いして連れてきてもらった帝国闘技場の控え室。その作りはこの異世界にくるきっかけになったユグドラシルの、仲間達と作ったギルド拠点、その第六階層を思い起こさせた。拘りを持ったギルドメンバーが、それぞれの考えたアイディアを全て詰め込んだナザリック地下大墳墓。十年以上ほぼ毎日出入りしていたあの空間が、今は果てしなく遠い。
無謀な挑戦者達を幾人も迎え撃ったあの円形闘技場と比べるとかなり質も大きさも落ちるが、今現在本当に使われているという説得力が違う。作りも細部は違っている様だが大方同じらしいところに、かつての仲間達の拘りを改めて感じた。
「今責任者に聞いたところ少しトラブルがあったみたいで時間が掛かりそうとのことです。如何しますか?」
すぐに会えるか聞きに行ったアランが戻ってくるとそう報告する。
「トラブル?」
「はい。なんでも彼女が使っていた装備は全て貸出品だったとか。それを壊してしまったものですから報酬からの弁償となったようで」
「ああ。なるほど。では話のわかるものに協力できるかもしれないと伝えてくれ。ここで彼女には恩を売っておきたいからな」
「わかりました」
再び小さくなっていく従者の背中を見ながら、モモンガは改めてさっきの試合で気になった部分を思い起こす。
それは突然彼女の装備品が壊れた事だ。いくら共用の、貸出に使うものとは言ってもあそこまで脆い筈がない。そこで思い出したのが、彼女が“呪われた騎士”であるという事だ。
ユグドラシルにカースドナイトという職業がある。
ユグドラシルの設定では呪いによって汚れた神官騎士。神官系のビルドの者が攻撃職を選ぶときは殆どこの職を組み入れていると言っていい強力な職業だ。闇の波動を放つ範囲攻撃のスキル、高位の治癒魔法でしか癒すことのできない傷を与えるスキル。更には即死効果のある呪いを掛けられるなど、強力なスキルを持っている。
しかし、メリットが大きければその分デメリットをつけられるのがユグドラシルというゲームだ。
この職業を取ったものは低位のアイテムを持っただけで壊してしまう。
「ありえないだろ。どう見ても60レベルあるようには見えない。いや、でも、まさかこの世界では前提条件を無視して職業につける? それともそういう異能持ちなのか?」
強力な職を前提条件を無視して習得できる可能性。ユグドラシルと長い付き合いであるモモンガはそれにゾッとする。もしも隠し職などのブッ壊れ職を多く納めた者が居たのなら、ひょっとしたら自分では勝ち目が無いのではないか? いや、そもそも隠し職の中には一撃死せざるを得ないスキルもいくつかある。その一つを自分が保有しているのだからもしその条件をクリアする者がいた場合、自分と同じスキルを持っていても不思議ではない。
だから、確かめなければならない。
そもそも位階魔法がこの世界にあるとわかった時点で、当然ユグドラシルの職業もこの世界にある筈だと考えなければならなかったのだ。
急に自分の今の装備がとても心許ない事が不安になる。指輪などの装飾品は兎も角、ローブも杖も遺産級ですら無い。よくて中級だ。それまで神器級の主武装を纏っていた事から考えると防御力は天と地程ある。
(落ち着け、落ち着け、俺。イエレミアスさんも言ってただろ、神器級だと悪目立ちしちゃうって。逆に目をつけられやすくなるからこの世界で作られたやつにしたんだろ)
アンデッドの精神安定が働かない微妙な不安。いっそ沈静化してしまえばいいのにという思いをしながら、使いに出したアランを待った。
領地を守る麗しの令嬢騎士。領民から愛され、両親から期待され、婚約者から賞賛されるレイナースの日常は、モンスターに今際の呪いをかけられた事で一変した。
領地を守る麗しの令嬢騎士は呪われた令嬢騎士に。領民から避けられ、両親から疎まれ、婚約者から罵倒される。
プライドの高いレイナースには耐えられない日々は、突然、最悪の形で終わりを告げる。
社交界の華である伯爵夫人の開催した舞踏会。そこに参加を許されるだけで一目置かれるその会場で、婚約者から衆人の前で婚約破棄されたのだ。婚約破棄なんて醜聞は貴族であったレイナースには耐えられず、舞踏会から家まで泣きながら帰った。
目を腫らして帰ってきたところを、家族に冷たく廃嫡と絶縁を言い渡され、殆ど着の身着のままで家を追い出された。あたりは日付も変わる程の遅く、途方にくれたレイナースはとりあえずの先立つ物を手に入れる為にネックレスを売り、粗末な宿に泊まった。
呪いのせいで痛む顔で、これからどうやって収入を得るのかもわからないレイナースは、泣きながら一日たっぷりと考えた。貴族であった自分はそれこそ戦う以外に能が無い。
別れ際の婚約者の言葉が胸に刺さる。
もし自分がもっと女性らしくお淑やかであったら、刺繍の一つも嗜むか魔法の才能があったのならこんな事にはならなかったかもしれない。ぐるぐると思考はマイナスに揺れ、両目の涙と呪いの膿で顔はグチャグチャだ。
啜り泣き、疲れ果て、睡眠不足のぼうっとした頭で窓の隙間から入ってきた光を見つめる。
そうだ、闘技場に行こう。
結局自分は裁縫も不得意で魔法も使えず、この呪いの原因ともなった戦う才能しか無いのだ。
決心したら行動は迅速に。
朝靄がかかる中を闘技場へ向かう。ドレスにハイヒールの姿のまま、会場前の閉ざされた門へと向かった。
何時もいた客席は遠く、好奇の目に晒されながらもこれからはこの方法で生きていこう。それしか今の私には残されて居ないのだから。
胸に残った家族と婚約者へのどす黒い感情を胸に、呪われた貴族令嬢はステージへと上がった。
「そうは言ってもですね、レイナースさん。こちらとしても貸出品を壊されている訳でして、けして意地悪をしようとしている訳ではないんです」
「今までの劣化分があるとは言っても流石に剣の代金だけでもきちんと頂きませんと。ここは国営の闘技場ですし我らの皇帝陛下は決まりに厳しい方ですので」
目の前に居るのは闘技場の職員である男が二人。レイナースの力を持ってすれば、疲れた体でも軽く殺せる。しかし短慮に殺して代金を踏み倒すのは得策とは決して言えない。例えば今日の報酬が宿代にすらならない安さになったとしても、鮮血帝と恐れられる皇帝の不興を買いたい訳ではないのだから。しかし、ここで引き下がると明日以降の生活が立ち行かないのは事実だ。せめてもう少し払ってもらわなければ。
決意を決めた初舞台。その後処理に、あれだけ強固だった感情も脆くなる。
どんな決意も、感情も、結局は目の前の現実には立ち向かえない。そんな世知辛い事は知りたくなかった。
情けなさに出ようとするため息を飲み込み、なんとか毅然とした態度を保つ。そう、せめて、せめて後、銅貨三枚分の報酬が無いと食事ができない。
「失礼する」
必死に食い下がるレイナースに呆れを含んだ目を向ける職員二人。彼らを睨みながらなおも言いつのろうとした時、感情の抑揚を感じない平坦な声が割って入る。
声の方を見ると、王国風の服を着た奇抜な人物が立っていた。顔を角の生えた奇妙な仮面で隠し、顔どころか布や手袋などのせいで肌が全くのぞいていない。側には従者らしい者も居るので本物の貴族かもしれない。
「失礼。どちら様ですかな?」
「ああ、王国貴族、レエブン侯爵の一家臣であるナインズ・オウン・ゴールだ。そこの女性に話があるのだが、何やら揉めているみたいだな?」
「すみません少々立て込んでおりまして。暫くお待ちいただいてよろしいでしょうか?」
「いや、この後予定があるのでな。少し立ち聞きさせて貰ったが、彼女が壊したという装備の弁償は私が立て替えよう。ああ、金額は装備をこちらへ引き渡す事を考えた際の値段で頼む」
「え? いや、少々お待ちを!」
突然の闖入者からもたらされた提案にしばしぽかんと口を開ける。
先に正気に戻った職員が、もう一人と暫く相談し、一人が部屋を出て行く。
「もう暫くお待ちを! ただ今闘技場の支配人を呼んでおりますので」
「ああ、構わないとも。だが時間が無いのは変わらない。出来るだけ急いでくれ」
自分を置き去りにして進む話に、虚を突かれていたレイナースが声をあげる。
「待ってください! ゴール様と言われましたね、申し訳ありませんが貴方にそこまでしていただく理由がございません」
「……ふむ。理由か。そうだな、『ある舞踏会で深い傷を負い、悲しみに泣いていた少女の涙を拭けなかった償い』というのはどうだろうか?」
「な、」
ナインズの発言にレイナースは頭に血がのぼるのを感じる。
この男はきっと、あの会場にいたのだ。そして、レイナースのもっとも思い出したくない記憶を面白半分に揶揄うつもりに違いない。
わなわなと唇を震わせ、視線に殺意を込めて見つめる。対する相手はそんな視線を軽く流しおり、動揺の一つもみれない。
「ナインズ様、それは些か以上に配慮の欠けた物言いです。困っている女性を助けたかった、で良いではありませんか」
「いや、むしろそんな三流のナンパ師みたいな発言はしたくないな。そんな気障な台詞はロールプレイでも無いととても言えない。……失礼、まあ、あれです。貴女に個人的な用があるので、お金をこちらが持つ代わりにこの後私に付き合ってもらえませんか?」
従者が嗜めるとそれまでの尊大な態度が嘘のように柔らかな口調になる。平坦な抑揚はそのままだが、そこには誠実さが垣間見えた。
「夕方まででしたら」
今の窮地を救ってくれる救いの手。その救いの手の胡散臭さが気になるが、背に腹は変えられない。
渋々肯定すると、男は上機嫌になる。
闘技場側に提示された金貨三枚という高価な支払いすらも鼻歌交じりにされては、レイナースとしても毒気を抜かれてしまう。悪い人では無いのかもしれない。おそらく、たぶん。
「そういえば、なぜ貴女はここにそんな格好できたんですか? それってあの日に着ていたドレスですよね」
「家に帰りましたらそのまま勘当されましたの。まあ、こんな醜い顔の娘なんて要らないのでしょう」
「…………」
「ナインズ様、先に服屋に行って出来合いの物をプレゼントしては如何でしょう? このままでは些か目立ちすぎるかと思います」
「ふむ。それもそうだな。それでいいでしょうか?」
「お好きにどうぞ。夕方まで貴方に付き合う約束ですもの」
女性の扱いには慣れていない様子についつっけどんになってしまう。今もこうしてドレス姿で歩いて居るのに腕の一つも貸さない。
従者の青年の方はそれに気づいてちらちらと主人の方を見て居るが、鈍感な主人はその視線に全く気づいていないようだった。
「ではアラン適当な服屋……いや、冒険者用の店がいいか。そこに行こう」
何を言っているんだこいつは、と言いたげな目。従者が主人を見る目では無いそれに思わずレイナースは吹き出す。
笑うのなんていつぶりだろうか。
この型破りな王国主従は鬱々と沈んでいたレイナースの気分をほんの少しだけだが上向かせる。
何を笑われたのか察し、顔を赤らめる従者と、それにすら気がつかずに首を傾げる主人。
そんな二人に着いて行き、レイナースは馬車に乗り込んだ。