「ねえねえ、今季アニメ何観た?」と昼休み彼女が私の席の隣に座ると、スマホを手に持ちながら身を乗り出して聞いてきた。
無邪気に近寄って来る。近寄り過ぎて、互いの膝が机の下で触れ合うほどだった。
いい匂いにクラクラしながら私は答えた。
「そうだね、”とある”が始まったね」
「見てこれ」と彼女が自慢気にスマホを見せた。画面いっぱいに神裂火織の猛々しい姿が張り付けてあった。
「おお。私はアクセラレータさんが好きだよ」
「今度主人公になるらしいよ」と言いながら彼女は背丈の割に小さな人差し指で神裂火織を素早くスライドさせた。
キリトとアスナだった。
「アリシゼーション。絵がめっちゃキレイやったね」
「さお(SAO)、今度1年やるっていってるよ?」
「え?」
「4クール続くんだよ。アスナ、アメリカに付いてくって。あれってプロポーズだよね」
「やつらは、既に夫婦やて。夫婦過ぎる」
「そう言えば、この前教えてくれたレヴュースタァライト観た」
「面白かった?」
「全部観た。ゲーム事前登録したし」
「ハマり過ぎだよ」
「あたし、三森が好きなんやて。見て、三森。スタァライトの衣装着てるよ」
そう言うと、彼女は小さな指を驚くほど素早く動かしTwitterを開いた。
私と彼女とではそれほど体格差があるわけではなかった。つまり彼女はどちらかというと背の高い女子だったのだが、机の上には、彼女の小さな手と、それよりも一回りは大きい自分の手が並んでいた。
数日のうち互いにシフトやスケジュールが合う限られた時間だった。彼女と「アニメ」や「ラノベ」について話すこの一瞬が、私にとって何よりもかけがえのない時間になっていた。
この、かけがない時間を「偽物」だとか「不自然」だとか、そんなつまらない悩みで台無しにしたくなかった。
私が性別を変えたことで「勝ち取った」と人にはっきり言えるものがあるだろうか。
それは詰まるところ、改造した身体や、変更した戸籍謄本や、診断書ではなかった。
いや、かつて自分はそう思っていたのだが、私が手に入れたものはそれよりは何だか小さくて、日常的で些細なものだった。
それは自分が気の許せる女子と自分たちの好きなものについて思いを話すことだったのだ。
彼女の手の中で、三森すずこのTwitterアイコンが凛々しく微笑んでいた。
「三森、めちゃ可愛いよね。ホントにアニメみたいだもん。本人が立っている舞台もあるんだよ」
私は「うん、うん」と一所懸命に頷いた。それは軽い動作だったけど、私は自分の今までの人生の全てをそれに注ぎ込んでもいい気持ちだった。私が彼女に自分のことを話すことはないだろうし、フェミニズムの話をすることも絶対にない。ただ、それよりも私が今全力ですべきことは、彼女の話を聞くことだし、頷くことだった。
「萌え絵」や数々の「アニメ」のタイトルが空想の世界に煌めく星座のように私と彼女を繋いでいた。
彼女が女性の中でも「オタク女子」なのだと気付くには入社して数カ月、それなりの時間がかかった。
女性同士といっても、職場の中では互いに見えない緊張と階級があった。職場の関係を超えて親しくなるということは、なかなか難しいし、そもそも面倒だ。ましてやそれが「オタク趣味」の通じる相手…となると見つけること自体かなりハードルが上がる。
ネットやコミケ、専門店や大学のサークルなど、いるところにはいる「オタク女子」も、実際に社会人になると決して身近な存在ではなくなる。ましてや地方都市の職場となると遭遇することは稀である。いや、仮に遭遇したとしても、お互い気付かないというべきか。どこかLGBTのクローゼットに似ていなくもないか。
例えば、昼休みに女子同士のコミュニティに参加しても、そこで話題になるのは芸能人や家庭の話や、業務の愚痴であって、「ゲーム」や「アニメ」の話など出来るわけがない。かろうじて出来るレベルのアニメと言えば、時折話題となるディズニーやジブリの大作である。
明るくて、顔だちも綺麗で、育ちも良さそうなお嬢さんタイプの彼女だった。もし私が普通に女性に生まれて、結婚して子供を産んでいたら、彼女ぐらいの娘がいてもおかしくないくらい私たちは歳が離れていたが、彼女は私によくしてくれた。
例えば他課の女性担当者の意地悪な対応に困っていると矢面に立って私を庇ってくれたりした。その様子は健気だった。
ある日、昼休みに彼女を全く見かけないことに気付いた私はそれとなく尋ねた。
すると彼女は昼休みに自分の車の中で一人で過ごしていると言うのだ。意外だった。彼女は職場の女子コミュニティの中で孤立しているようには見えなかったから。
車の中で何をやっているの?と聞くと「ゲームやってる」とぽつんと答えたのだった。
職場にも慣れ、女子コミュニティへの参加をほどほどにして(というのも本当にしんどいので)、昼休みには一人で行動出来るようになったある日、私は彼女に再び質問した。
「ねえ…、ゲーム何やってるの?」
「これ」と彼女はスマホを私の目の前に立てた。
それが「アズールレーン」だった時の私の衝撃と嬉しさをどう表現すればいいだろうか。
「え?アズレンじゃん。もしかしてアニメ好き?漫画は?」
この時から、私と彼女は職場の上司と部下を超えた、親子ほどの歳の差を超えた、実はシスとトランスだという性別をも超えた「魂の同士」となったのだ。「魂のルフラン」である。
互いに「オタク」だと気付いた私たちは、以前に増して深い関係になった。
社内に人がまばらになる時間帯、私たちは「アイマス」や定期的にやってくる「アズレン」のイベントや、お気に入りのアニメ、声優の話をこっそりしては盛り上がった。
それは他の女性には通じない話であり、他の女性が持たない価値観であるわけで、言ってみれば私たちの「秘密」だった。
私たちにとって「萌え絵」やある種の「ゲーム」「アニメ」の話は「秘密の共有」に等しかった。「秘密」を彼女と共有しているこということが私にはとても嬉しかった。
私は「孤独な存在」ではなくなっていた。
なぜそれが「秘密」なのか。なぜ女子コミュニティの中で嫌われても、浮いてもいないお嬢さんの彼女が昼食を一人クルマの中で過ごさねばならないのか。なぜ私は性別を変えねばならなかったのか。
そして私たちの共通の接点が、なぜ「萌え絵」であり、「オタク」趣味なのか。
全ては繋がっているのだ。
ある時、たまたま居合わせた男子にその場の流れで「アズレン」や自分が好きな「アニメ」を説明することになった出来事を私は忘れない。
結局、私たちがどう説明したかというと「普通は男子が好きになるゲームやアニメが好きな女子なの」ということだったのだ。
そして、そう言うと男子はそれが何であるか、一瞬で理解した。それを好む女子がいるということが何を意味するのかも。
しかし、それは今よく考えてみると、「アズレン」や「アニメ」の説明であると同時にそうではなかったかもしれない。
つまり私たちは、自分たちが「他の女性とはちょっと違う」こと。自分が女性の中でも「特別な女子」なんだということを誰かに伝えたかったのかもしれないのだ。
「普通の女子」でいること
「萌え絵」が炎上して、「キズナアイ」が炎上した。そこにはメディアで描かれる「女性の表象」の問題や、ジェンダーロールの問題、「表現の自由」やPCコードの問題など、様々な論点があり、言いたいことは山ほどある。
でも、それらを論じる前に、伝えておきたいことがある。批判する者の中にはそれが自分にとって大切だからこそ批判している者もいる、ということである。
少なくとも私にとって、シュナムル発言に共感を持つことと、ある女子と共通の「秘密」として「萌え絵」や「ゲーム」「アニメ」を楽しむことは矛盾しない。
かくして私のTwitterのリプライはオタク男性の罵詈雑言で一杯になった。
ところで炎上のドサクサの中で、ひとつ目を引いた発言があった。その筋では有名な方なので、そのまま引用する。
判る。すごくよく判る。私たちはある立場の女性から見ればそうなんだろう。
そして言えることは、ある一部の女子社会はきっと単純で、私のいる女子社会はきっとそうではないということだ。
それが「男女賃金格差とか、それこそ女で理系のノーベル賞取れる奴を出せる環境づくり」と無関係かと言うと、そんなはずはないと私は思うのだが。
「特別な女子」であることを担保するものが他でもない、ジェンダーロールや女性のステレオタイプをフェミニズムから批判されている「萌え絵」や「アニメ」「ラノベ」など、女性の絵師がいるとしても、主にざっくり「男子のもの」とイメージされている「オタクカルチャー」であることは皮肉なことだ。
しかし「男子が好むもの」という一般通念がなければ「特別な女子」という存在はあり得ないのかというと決してそうではないのだった。
例えばこれがざっくり「女性が好むもの」とされる「二次元ロマンス」や「BL」だったら?
つまり「腐女子」「夢女子」だったらそれは「普通の女子」なのか?というと、いずれも「特別」を通り越して現状では「特殊な女子」になってしまうのだから。そう。やっぱりどうしたって「ISIL」の一種になってしまうのだ。
女子コミュニティの中で後ろ指をさされないこと。おそらく、一般に「普通の女性」でいることは、極端に言えば、何か特定の「趣味」を主張したり、選んだりしたりしないことに限りなく等しい。
あくまで一般の階層の女子コミュニティにおいての話だが、何かを「選択する女子」、何かを「主張する女子」はもうそれだけで「普通ではない」のである。
これはそれを堂々と公言出来る女子と、そうではなく、「秘密」にしなければならない女子との、女子同士の格差の話でもある。