町山智浩 ザ・スターリン 遠藤ミチロウを語る

シェアする

町山智浩さんがTBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出演。ザ・スターリンと遠藤ミチロウさんについて、宇多丸さんと話していました。

お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました [DVD]

(宇多丸)ということで本日は遠藤ミチロウのお話ということで。

(町山智浩)とりあえず、遠藤ミチロウさんといえばザ・スターリンなんで。曲を聞いてもらえればわかると思うんで。『Go Go スターリン』をお願いします。

(町山智浩)はい。すごいですね。「パパ、ママ、共産党。パパ、ママ、貧乏♪」っていうすごい歌で。これ、僕が子供の頃はね、東京にもいっぱい工場があったんですよ。で、東京っていうとおしゃれな人だけいっぱい住んでいるところじゃなくて、板橋とか僕が住んでいたあたり、赤羽とかあっちの方とか。いとこが住んでいたんですけど。そこは工場で働いている人が多くて、非常に貧乏な人が多くて。共産党が多かったです。共産党に自分たちの貧困の救済を本当に夢見ていた時代というのが僕がちっちゃい頃にはあって。

(宇多丸)うん。

(町山智浩)ただ、ザ・スターリンがこの歌を歌った1983年にはそれがもう、その夢が崩壊していった時代なんで。「嘘つき!」って言っているんですね、これ。

(宇多丸)なるほどね。

(町山智浩)これ、とんでもない歌なんですけど、そういう時代ではあるんですが。ひとつ、絶対にないのは共産党の家で育った子はお父さん、お母さんを「パパ、ママ」とは絶対に呼びませんね。「父ちゃん、母ちゃん」ですよ(笑)。

(宇多丸)なるほどね。そういう金持ち階級な呼び方はしねえと。

(町山智浩)そういうところでしたけど(笑)。という、とんでもない曲から始まりましたが……ザ・スターリンっていうのはご存知ですか?

(宇多丸)僕は、音楽的にそんなに詳しくわかっているわけじゃないけど。子供の時に『爆裂都市 BURST CITY』をうっかり父親と見に行っちゃって。

(町山智浩)父親と見に行く映画じゃないですよ(笑)。

(宇多丸)心底気まずい思いをして。その中でマッド・スターリンっていう架空の……でもほとんどザ・スターリンとして登場しているのを見て。その時はブタの臓物を撒き散らしたりとかを劇中とかでもしていたので。「こ、これは……」っていう感じでしたね。という形で存じ上げている感じですけども。詳しい、そういう音楽的なところまでは実は申し訳ない。わかってないかもしれないです。

(町山智浩)そうですか。遠藤ミチロウさんっていう人がリーダーで始めたパンクロックバンドで、1980年代のいちばん過激なバンドだったんですね。で、僕はちょうど18、19ぐらい。高校から大学に行くぐらいで出会ったんですけども、とにかくすごい……まあ普通のワイドショーとかでも取り上げられるようなバンドだったんですね。

(宇多丸)そういう過激な?

(町山智浩)過激なんで。で、僕は19の時にそのコンサートを見たんですけど、いきなり客席に爆竹を投げ込みますからね。で、ミチロウさんは全裸で丸出しだし。で、ブタの臓物とかブタの頭を客席にガンガン投げ込んで、みんなグチョグチョですよ。

(宇多丸)えっ、それは町山さんは客席からご覧になっていたんですか?

(町山智浩)客席から見ています。それで、まあすごかったんですね。で、ただその頃はすごい過激な超過激なバンドっていう風に言われていて、週刊誌とかまで取り上げるっていう事態になったりしていて。まあ、すさまじかったんですけども。僕ね、今回ミチロウさんについてこのラジオで話そうと思ったのはですね、今年の夏ぐらいにちょっとご病気をされて、コンサートの予定とかが全部吹っ飛んだんですよ。もともとミチロウさんは体がちょっとよろしくなくて。膠原病で前もちょっと長期入院されたりしていて。今回もなんですね。

で、いま68歳なんですよ。だからかなりお歳なんですごい心配していたら……僕、Twitterをやっていて。僕のツイートがリツイートされていたんですよ。「遠藤ミチロウさんにリツイートされました」って出て。びっくりして、「わあ! 見てくれているんだ!」みたいに思って。それでダイレクトメールをしてちょっと「お元気なんですか?」みたいな話をしていて。ちょうどこれに出ないか?っていう風に言われましたので、「じゃあぜひ。ミチロウさんの話をしたい」と思ったという次第なんですよ。

(宇多丸)なるほど、なるほど。じゃあちょっと闘病中のミチロウさんにちょっと町山さんからエールをというか?

(町山智浩)そうなんですよ。一応ね、やり取りをしていて。ちゃんとやり取りできるぐらいの状態なんで、そんなに心配はしなくていいというお話だったんですけどもね。

(宇多丸)町山さん、宝島編集者時代とかにミチロウさんとお仕事をされたりとかは?

(町山智浩)それがね、僕は最初バイトだったんですよ。最初、大学を出る前に……だから21ぐらいかな? その時にバイトで入っていて、その時にやった仕事っていうのがザ・スターリンのコンサート写真集の袋詰めっていう作業なんですよ(笑)。

(宇多丸)ほうほう。まあ、かなりバイトくんの仕事ですね(笑)。

(町山智浩)かなりバイトくんの仕事でしょう?(笑)。あのね、石垣章さんっていうカメラマンがずっと撮っていたザ・スターリンのコンサートの写真があって。それを写真集で出したんで。ただ、途中からそれをそのまま出版できないっていうことになったんですよ。あの、写っちゃっているんですよ。

(宇多丸)ああ、全裸で歌ったりしているし。

(町山智浩)そう。ミチロウさんは丸出しだから。で、「どうしよう?」っていうことで、普通だったら黒塗りにするとかそういう選択になるじゃないですか。で、その時はね、編集長が関川さんでかなり偉大な編集長だったんで、「袋詰めにしろ」っていう。

(宇多丸)一種、ビニ本じゃないけども、ちょっと隠して。

(町山智浩)その頃、ビニ本が流行っていて。ちょうど石垣さんのアイデアだったの。石垣さんってもともとビニ本とか自販機のエロ本のカメラマンだったんですよ。

(宇多丸)ビニ本にも説明は本当はいるんですけどね。袋に入れられたエロ本でございます。当時、80年代の。

(町山智浩)袋に入っていると一応あれが写っていてもよかった時代があって。

(宇多丸)よくはないんですけどね(笑)。

谷村新司 ビニ本コレクション5千冊の収集と処分を語る
谷村新司さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。最盛期には5千冊もあったビニ本のコレクションの収集方法と、処分した際のエピソードを話していました。 (玉袋筋太郎)それでちょっ...

(町山智浩)で、そのカメラマンがミチロウさんと同郷かな? 東北の方で。それで写真集を出したんで。そしたら写っているから、じゃあ袋に入れようっていうことで。その袋詰めをまだ正式に入社していない僕がやっていたんですよ。ずっと。そしたらミチロウさんがいらっしゃってですね。それで、(モノマネで)「だ、大丈夫? た、大変ですね……」っていう。

(宇多丸)それ、似ているかどうかわかんないんですけど(笑)。

(町山智浩)いや、朴訥なんですよ。だからコンサートがあると客と取っ組み合いしてめちゃくちゃにしちゃうわけじゃないですか。コンサート会場を破壊するわけですから。で、歌はいまみたいな歌を歌っているわけですよ。ところが、面と向かって会うと非常に礼儀正しい東北訛りの朴訥とした腰の低いおじさんだったんです。

(宇多丸)なるほど。パンクの人、総じてみんな真面目っていうのはありますよね。

(町山智浩)みんな真面目。礼儀正しいが多い。パンクの人は。でも、それですごい「うわっ、本当にいい人なんだな、この人!」って思ったのがその時の気持ちで。ただ、その会った後に……会った直前だ。『虫』っていうアルバムが出たんですよ。それがまたね、すごくて。これは日本のロック史上に残るアルバムだったですね。で、そこからもう1曲、聞いてもらいたいんですけども。『虫』からザ・スターリンの『天プラ』。

スポンサーリンク

ザ・スターリン『天プラ』

(町山智浩)ザ・スターリンで『天プラ』でした。

(宇多丸)「天プラ、天プラ……」って、その後はなんて言っていたんですか?

(町山智浩)「天プラ、天プラ、天プラ、お前だ」。それを繰り返して「空っぽ!」って言っているだけなんですね。で、「天プラ」っていうのは昔の言い方で「服だけ」っていう意味があるんですよ。

(宇多丸)へー!

(町山智浩)これね、「天プラ学生」っていうのは昔、学生の学ランを着ているチンピラが多かったんですよ。それを天プラ学生って言っていて。ちょっと古い言い回しなんですよ。「天プラ」っていうのは「上辺だけ」みたいな意味で。これ、この『虫』っていうアルバムはいまの曲みたいに……いまの曲は1分なんですよ。1分ぐらいの曲がザーッと入っていて、歌詞がどれもものすごい「天プラ、お前だ! 天プラ、お前だ!」みたいな、非常に単純な歌詞だけで。もうこれ、ハードコアパンクっていうものを一種の極限まで高めた、ほとんどアートのようなすっごいアルバムが83年に出た『虫』だったんですよ。

(宇多丸)なるほど。ああ、そうか。ハードコアパンクはめちゃめちゃ短い、バーッ!っていって、しかもワンフレーズをワーッとやるけども。そういうのの、しかも日本語やっているのの、すごい……。

(町山智浩)極限なんですよ。本当に。で、まあすごいんでぶっ飛んだんですけど。だから、ラップとかと逆方向の……。

(宇多丸)情報量を詰めるというよりは、ミニマムにして。

(町山智浩)そう。もう限界まで……っていう。でね、実はそのザ・スターリンというバンドは解散しまして。解散コンサートも行きましたけども。

(宇多丸)解散は……85年。

(町山智浩)85年なんです。だから僕、『宝島』に入ったらすぐに解散しちゃったんですよ。で、ただその後もミチロウさんはずっとソロアーティストとしてやっていて。特に最近は生ギター一本で、いわゆる弾き語りのフォーク形式でザ・スターリンの頃の歌とかをずっとやってらっしゃるんですよね。ただ、それで聞いていてすごく思ったのは、そうすると歌詞がはっきりと出てくるんですよ。ギターの激しいのがないんで。まあ、ギターも素晴らしいんですよ。タムさんっていう方が弾いていたんですけども。ただ、生ギター一本でやると、だんだんこの人は詩人なんだっていうことがわかってきたんですよ。だんだん。

(宇多丸)ふんふん。

(町山智浩)もともと、東北の詩人っていうのは歴史的にパンク詩人がすごく多いんですよ。だからいちばん有名なのは石川啄木ですよね。石川啄木の詩や短歌っていうのは破壊的なんですよ。暴力的で殺意がこもっていて。はっきり言うと田舎から出てきて都会で苦労して……っていうところで、田舎に対するものすごい憎しみと懐かしさと、都会に対するものすごい憎しみと憧れとがもうグチャグチャになって「全部ぶっ殺す!」みたいな短歌をいっぱい作っていて。だから有名なのは「どんよりと くもれる空を見てゐしに 人を殺したくなりにけるかな」っていう。「ただ曇った雲を見ているだけで人をぶっ殺したくなってきた!」っていうすごい短歌があったりだとか。

(宇多丸)うんうん。

(町山智浩)あと、「砂山の砂を掘っていたらピストルが出てきた(いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の砂を指もて掘りてありしに)」とかね。そういう、非常に殺意のこもった歌もいっぱい作っている人なんですけど、そういうのと同時に朴訥さみたいなものがあって。田舎に対する懐かしさ。そういうものを東北の人たちはすごく持っている人が多くて。宮沢賢治もそうですよね。宮沢賢治もメルヘンの人として知られているけど、実は書いている童話は非常に破壊的な、殺伐とした憎しみに満ちたものもすごく多いんですよ。あの人自身。

(宇多丸)うんうん。

(町山智浩)だから自分のことを「修羅だ」って言っているような人なんですよね。あと、斎藤茂吉ね。斎藤茂吉もすごいんですけど。これはあとで話します。あとは寺山修司さんね。

(宇多丸)ああ、そうか。並べると、なんかすごい……。

(町山智浩)すごいんですよ。全員パンクじゃん!っていう。アナーキストみたいな人ばっかりなんですけども(笑)。で、寺山修司さんっていうと、いちばん有名なのは「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」っていう、いまの世の中なんかだと愛国心なんてものは持てやしないんだっていう。でも、このものすごい衝動をどこにぶつけたらいいんだ?っていうような短歌をうたっていたり。あとは友川カズキさんですね。

(宇多丸)こうやって並べると……。

(町山智浩)すごいメンバーなんですよ。

(宇多丸)あと、ひとつのラインが浮かび上がってくるような……。

(町山智浩)浮かび上がってくる。破壊的な(笑)。

(宇多丸)たしかに。朴訥だけど破壊的。

(町山智浩)でも、すごくみんな恥ずかしがり屋なの。ボソボソとしゃべるんですよ。あとは三上寛さん。

(宇多丸)ああ、もう完全に。

(町山智浩)そう。みんな朴訥としていて礼儀正しくて、非常に恥ずかしがり屋なんだけども歌詞の中にはものすごい破壊と暴力が満ち満ちていて。まあ、すさまじいんですよ。

(宇多丸)まあ、ため込むタイプというかね。

(町山智浩)ため込むんですね。で、その流れの中にいるんですよ。

(宇多丸)なるほど。っていう風に見ると、遠藤ミチロウさんのその本質みたいなものがより……。

(町山智浩)見えてくるなと最近、思っていて。特に、最近実際に友川カズキさんとか三上寛さんと遠藤ミチロウさん、近づいているんですね。年齢も同じぐらいなんですよ。みんな68歳前後なんですよ。だからこの世代なんですね。これはだから僕は東京生まれだから持ちえない、逆に憧れる。こういったものに。だからすごい、なんて言うかミチロウさん自身は東ヨーロッパとかロシアのイメージらしいんですよ。その鬱屈した感じっていうのは。だから「スターリン」なんですね。

(宇多丸)当時の共産圏で抑圧されていて。で、「嘘つき!」って爆発させたり。

(町山智浩)そうそう。あのね、『先天性労働者』っていう歌ではマルクスの共産党宣言を朗読するんですよ。ずっと。で、「その歴史というものは階級闘争の歴史であった!っていうんですけど、それは階級闘争の敗北の歴史でもあった!」っていう風に叫ぶんですよ。それは、ミチロウさん自身がそういうスターリンっていう共産主義を利用した大虐殺者の名前をバンド名にしているんだけども、それはただの皮肉じゃなくて。やはりそういった鬱屈した人たちのために何かをしようと思っていたものが裏切られたっていう気持ちがすごくあるんですね。

(宇多丸)うんうん。

(町山智浩)だから最近は何をやっているか?っていうと、最近は彼の出身地が福島の原発のすぐ近くなんですよ。二本松というところで、まだお母さんはいらっしゃるみたいなんですけどもね。で、その地域というのは非常に原発で危険領域内になって。それで若い人たちはみんな出ていってしまって老人だけが残っていて。現在もそこに住んでいるんですよ。で、完全にもう見捨てられた状態になっている。で、そこにミチロウさんが行って、村おこしをやろうということで。最近は民謡パンクっていうのをやっているんですね。

(宇多丸)民謡パンク?

(町山智浩)羊歯明神(しだみょうじん)っていうバンドを組みまして。志田名っていう村があって、その名前を取っているんですけども。盆踊りとかですね、そういったものをパンクでやるということをやっているんですよ。

(宇多丸)なるほど。盆踊りを。盆踊りは一定のBPMがあるけど、もっと早くするんですかね?

(町山智浩)いや、盆踊りのBPMなんですけど。ただ、マリリン・マンソンって盆踊りですよ。

(宇多丸)えっ?

(町山智浩)マリリン・マンソンの曲を聞くと、どう聞いても盆踊りですよ。「ドンドコ、ドッコドーン♪」って。

(宇多丸)うんうん。まあ逆にいま、盆踊りビートが旬になってきつつあるから。なるほど。でもそういう風にロック的に、ロックから解釈できるものもありますからね。

(町山智浩)そうそう。それで非常に僕が好きなミチロウさんの曲をもう1曲、聞いていただきたいんですよ。『お母さん いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』。お願いします。

『お母さん いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』

(町山智浩)時間がないでバーッと一気に話します。この歌はね、刑務所に入っている若者が自分のお母さんに向けて手紙を書いているのを朗読している形になっているんですよ。これ、はっきり言ってクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』ですよ。コンセプトは。

(宇多丸)おおー、なるほど!

(町山智浩)あれもこれから刑を受ける若者がお母さんに向けて手紙を書いているっていう形なんですよ。これもすごいのは、これは斎藤茂吉の世界なんですよ。で、そういうことをやっている人なんだっていうことが最近やっと僕、わかってきたんですよ。実はパンクっていう音に猫だましをされていた形でわかっていなかったんですね。で、彼のそのいちばん最初に作った歌っていうのは『カノン』っていう曲で。今日、かけたかったんですけども。完全なフォークソングなんですけども、歌詞が金魚について歌っているんですよ。

(宇多丸)うんうん。

(町山智浩)で、「ガラスの水槽の中に入れられた金魚が頭をぶつけながら……その水槽のガラスの壁に何度も何度も頭をぶつけている。それは自分なんだ」って言っているんですよ。「その痛さは見ている人にはわからないだろう?」っていう歌詞なんですね。「僕は上にも下にも行かないんだ」っていう。なにを言っているのか?っていうと、「ガラス」っていうのは社会ですよ。で、彼が歌ったり、原発に対して戦っているのはガラスに頭をぶつける行為なんですよ。それは、ガラスに沿って泳ぐ人たちから見ると馬鹿じゃないか?って思うんですけど、でもそうじゃなくて。「俺はそれしかできないんだ!」っていう。だから素晴らしい歌がその『カノン』っていう歌なんですけど。

(宇多丸)うん。

(町山智浩)まあ、そういった形でいま、ご闘病中なんですけど。具合が良くなったら全国ライブハウスとかを回ると思いますんで。みなさん、ちょっとネットでザ・スターリンの曲を聞いてみたりして、ミチロウさんについて知ってもらいたいなと思います。

(宇多丸)遠藤ミチロウさんのそういうスタンスというか本質について、そういう批評的補助線っていままで引かれてなかったんですか?

(町山智浩)いや、僕自体が知らないんですけどね。ただ、本当にいまになって、自分も歳を取ってきたからっていうのもあるとは思うんですけども。「ああ、見えてきたな」っていう気がします。

(宇多丸)短時間でしたが「ああ、そうなのか」って目が開かれるようなお話でございました。ありがとうございました。

(町山智浩)ミチロウさん、聞いてくれたかな? どうもです。はい。

<書き起こしおわり>