彼女は美容師である。都心の、美容室とギャラリーとファッションブランドが延々と並ぶ街で働いている。彼女のキャリアは結構なものだし、料金も高めなので、主なお客は二十代半ばから三十代の、美容に関心の高い女性だ。キュートなスタイルが得意で、美容室の口コミには「かわいくしてもらった」「大人かわいく」といった文言が並ぶ。
かわいさは絶対、引き出せます、と彼女は言う。わたしは、とにかくその方のお話さえ伺えれば、かわいくできる自信あるんで、いや、綺麗とかでもいいですけど、ええ、言ってることわかりますよね、うん、かわいいは作れる。
かわいくできなかった人はいないのかって?あっはっは、いー質問ですねー、うん、ゼロではないっすね。お話さえ伺えればって、さっき言ったでしょ、あのね、世の中には、聞いても聞いても「かわいい」の中身が出てこない方がいらっしゃいます。特定のお客さまの噂話はしない主義なんで、今からする話は、わたしの作り話だと思って聞いてください。
かわいさというのはですね、まず最初からは誰も持ってないし、ヒャクパー満足ということもないです。直したいとこ絶対あるんで。でも、がんばればかわいくなるし、どんなに恵まれててもがんばらずにかわいい人はいない。自分の生まれ持った顔と身体と、作り上げてきた雰囲気と、美意識と、今の環境と、ぜんぶトータルでね、かわいいを作ってね、まずご自身が「いいな」と思う、自分がアガる。これがかわいいの初歩です。
かわいいを作れなかったとわたしが思ってる方はですね、かわいさの中身が、なんっつうか、ない。いや、ないフリをしている人はいます、おしゃれに気後れしてるとか、自分はかわいくないと思ってるとか、そんな人はいっぱいいます、人はみなコンプレックスだらけです、むしろ、かわいいはコンプレックスから作れる。そういう話じゃないんです、まあ聞いてください。
お任せで、という方はけっこういらっしゃいますけど、それってほんとはお任せじゃないんです。「今と違うようにしたいけれど、うまく伝えられない」という意味です。だからお任せでもわたしは話を聞くんです。そしたら、言葉じゃなくても、なんかしら出てくるんで。雰囲気とか表情とかね、わたし、すごい空気読むんで、見るだけでもかなりいろいろわかるんで。ところがね、その方については、やっと得られた情報がこれです。いいですか、言いますよ。びっくりして頭、動かさないでくださいよ。
いつも相手のことをいちばんに考えて、人に合わせて、相手にかわいいと思ってもらえるやり方で表現したい。
以上です。「相手にかわいいと思ってもらえるやり方で表現する自分」の中身は出てきませんでした。相手っていうのは、彼氏とか、親とか、友だちとか、いろいろあるんですけど、その想定もないみたいで、とにかくそれ以上は何も出てきませんでした。なんでかって?泣いちゃったんです。お話をはじめて早々に泣いちゃった。美容院で泣く方って実はけっこういるんで、おしゃれって、とっても繊細な問題なんで、泣くこと自体はぜんぜんアリなんですけど、その方は、涙がばーって出てるのに感情が見えないという、えっと、なんていうんですかね、ひとことで言うと「怖い」。感情の種類は見えないのにものすごい圧だけが来るんです、わかります?ばーって。ばーーーって。
その方の求めている髪型って、わたしには作れないなって思いました。だって、その方じゃなくて、その方の相対する誰かにとっての正解を求めているわけですから。かわいさっていうのは、まず自分あってのものなんで、どんな人間であっても、まず、ご本人が何を好きとか嫌いとか、居心地いいとか悪いとか、どういう気分なのかとか、そういうのがないと、かわいさは作れない。まあ、そうはいっても、わたしもプロなんで、切りましたけど、でも、結果的にそのお客さまに提供できたのは、「青山の美容師がかわいいと言った髪型」だけです。その方のかわいさではないです。わたし的には屈辱です。敗北です。
結果的に多くの人を納得させる「かわいさ」はあります。でもそれはね、特別にエネルギーがあるとか、時代に合っているとかで、結果的に生まれるものなんで。あのね、「とにかくあなたに合わせます」という人は、誰にも合わないんですよ。何か特別なやり方でその方の中身を探して探して、うまくすくいとってあげたら、その人自身が出てきたかもしれないけど、わたしにはできなかった。わたし、かわいくしてあげられなかった。