さて、今回も例の問題。というかそれを語る前提としてのお話です。
 よく表現の自由戦士たちは、統計的な研究をエビデンスとして引き合いに出します。実際には原典を示すことすらままならないわけですが、ともかく、統計さえ示せば自分の主張を押し通せると思っている節があります。
 個々の研究の妥当性に関しては、その原文にあたりつつ検討する必要があるのでいまは一般論としての話をしましょう。

 たいていの場合、単にポルノの利用と性犯罪の件数を調べただけの研究はその妥当性に疑問が差しはさまれます。その理由を解説していきましょう。

 性犯罪の犯罪統計は信頼できるか
 まず、研究において重要な変数となる性犯罪の認知件数や検挙件数がどの程度信頼できるかという話です。
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 この図が分かりやすいでしょう。通常、ゾーニングに関して議論される際に問題視されるのは狭義の意味での性犯罪ではなく、セクハラや、あるいはセクハラとしてすら処理されないほど小さな問題をも含んでいます。このような問題行動を計測した統計は当然ないので、ポルノの悪影響を統計で推し量るにも限界があります。

 そこまで細かい話でなくとも、統計の定義上、明らかに性犯罪に類似する行為であるのに性犯罪としてカウントされないものが出てくるという問題もあります。典型例は痴漢で、これは落書きやビラ配りといったものと同じ迷惑防止条例違反として処理されることが多いので、性犯罪として統計上扱われないことになります。
 例えば、誰かがポルノを見て、「俺もここにあるようにしてみたい!」と思い実際に行動を起こしても、それが痴漢であれば性犯罪としてカウントされることは非常に少ないので、性犯罪の件数としては表に出てきません。その結果、極端な話痴漢の常習犯が仮に全員ポルノの影響で痴漢を始めていたとしても、性犯罪の統計だけを見るとポルノは性犯罪に影響しないという結果が得られてしまうのです。

 図の左上に書いてあるように、性犯罪の認知件数をというのはすべての問題のわずかな部分を表すにすぎません。性犯罪という最も大きな問題は単に目立つというだけで、本来の問題のごく一部でしかなく、この増減だけを扱ってポルノの悪影響を論じても説得力はないでしょう。

 なぜ認知件数は実数と乖離するのか
 認知件数が性犯罪の指標として信頼できないという話をもう少し掘り下げましょう。上では性犯罪という概念そのものが、ゾーニングを求める際に問題視されている行動の一部しか扱えていないという話でしたが、認知件数のような統計は狭義の性犯罪を扱うにしても問題があります。
 我々が普段目にする認知件数や検挙件数は行政統計と呼ばれるもので、あくまで警察活動の記録として残されているものです。ゆえにそれが示す数字は、性犯罪の実際の数から乖離します。日本の性犯罪の通報率は10%を少し超える程度なので、少なくとも認知件数の10倍近い性犯罪が実際には発生していると考えられます。
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 ではなぜ性犯罪が認知されないのでしょうか。
 まず第一段階として、被害者が自分の身に降りかかった出来事を性犯罪として認識する必要があります。加害者が同意のない性行為をレイプとみなせないのと同様に、しばしば被害者もレイプの本来の定義を見誤ります。被害者はレイプがあったことをなかったことにしたいと思うことも往々にしてあり、そのような心理的傾向も手伝ってレイプをレイプであると認められないことが起こりえます。

 第二段階として、自分の身に起きた出来事をレイプと認識できても、たいていの場合警察に届け出ることが躊躇われます。これには警察に話しても信用してもらえないかもしれないといった懸念や、レイプ被害を思い出したくないという気持ち、あるいは加害者が知り合いなので大事にしたくないし、逮捕になったらどうしようという考えが影響しています。とりわけ最後の原因は、性犯罪の多くが知人間で発生することを考えると強い影響力を持っているでしょう。

 第三段階は、被害者が警察へ通報したとして、警察がそれを「認知」するかどうかという問題はあります。被害そのものを認知しないことで認知件数を下げ、相対的に検挙件数を引き上げるという「前さばき」戦術は桶川ストーカー事件以前にはよく行われていました。事件後問題視されたために表立って行われなくなりましたが、昨今では犯罪が減っていることが警察署の功績になるようで、あまり楽観視はできないでしょう。

 このように、大きく分けても3つの段階でその件数が左右される認知件数、あるいはそれに基づく検挙件数は性犯罪の指標としては甚だ不適当です。

 暗数調査を使う
 このような問題を解決するために、性犯罪とポルノの影響を統計的に調べようとする研究は最低でも暗数調査のデータを使う必要があります。
 ただし暗数調査のデータを使用しても、上で述べた性犯罪という概念そのものの狭さの問題は解決しません。また適切に尋ねられなければ、やはり自身の被害を性犯罪として認識出来ないといった問題は生じうるので、その調査でどのように性犯罪が尋ねられているかは検討する必要があるでしょう。

 ポルノ流通の指標に何を使うか
 今までは性犯罪の指標という「従属変数」の話でした。今度はポルノという「独立変数」の話をしましょう。
 まず、ポルノと性犯罪被害の関係を確かめるうえで、ポルノの流通量や使用頻度といった社会的状況をどのようにして数値化するかという問題が立ちはだかります。統計研究に依拠する彼らはこの点、それぞれの研究がきちんと指標として扱っていることを自明視していますが、それはやはり各々の研究を確かめてみないことにははじまりません。ここでは一般論として述べますが。

 さて、ポルノの流通を扱う方法はいくつか考えられます。話を聞く限りですが、おそらくこのような研究でもっとも使われている方法は、社会的状況の似通った国を複数選び、ポルノが解禁された国とされていない国でそれぞれどのように性犯罪が変化したかを確かめるという方法です。確かに、この方法ならポルノ流通という独立変数だけを操作していることになるので、影響を確かめられそうに見えます。
 しかしこの方法にも問題があります。例えば、ポルノが解禁される以前から秘密裏に流通していたらどうでしょう。秘密裏というか、半ば公然に流通していれば(そういう下地があったから解禁されたとも考えられる)解禁されたところでその影響は当然ないでしょう。逆に、これは極端な例ですが、流通が解禁されていても人々がろくに消費していないという事例も考えられます。その社会は直前までポルノが禁止されていたわけですから、つい最近まで犯罪になりうるものだったポルノを手に取る心理的抵抗感を考えればあながちありえない話ではありません。
 あるいは、単にポルノ解禁といってもその解禁の程度も考慮しなければいけません。すでにヌードくらいだったら流通している社会で、さらにポルノが解禁されてもその影響は限定的であろうと予想されます。
 つまり仕組みとしてポルノがどう扱われているかと、実際に人々がどのようにそれを消費しているかという実態には乖離が生じうるということです。この点を考慮せず、単にポルノ解禁だけを指標にしてしまうとポルノの影響を正確に論じることはできません。

 指標が完璧だったとしても
 では、このような問題を解決するための完璧な指標を用意できたとしましょう。この指標を用いれば、ポルノ使用の実態も性犯罪の実数も一切の抜けなく測定できるとします。この2つを使って調べれば、性犯罪とポルノとの間の関係を確かめることはできるでしょうか。

 残念ながらそうはなりません。
 なぜなら、性犯罪の実数に影響を及ぼすであろう変数を考慮できていないからです。つまり性犯罪とポルノの関係が疑似相関である可能性を排除できないのです。
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 性犯罪の実数に影響を与えそうな要因は無数に存在します。私が思いつくだけでも貧困率、失業率、高等教育を受けた割合、女性の社会進出の程度、性教育の充実度合い、警察官の人数、道徳観などなどといったところでしょうか。ほかの人ならさらに上げられそうです。
 ともかく、性犯罪の実数を左右するものは無数にあります。ポルノとの関係を調べるのであれば、せめて貧困率といった主要な変数くらいは共変量に入れるなどして統制する必要があります。もちろんこれはその研究を実施するものの責任の1つの、自説に考えられるほかの解釈の可能性をつぶすという責務であり(批判者に示せという人が大勢いたがもちろん違う)、代表的な要因すら考慮していない研究ではお話になりません。

 ほかにも様々な問題はありますが、代表的な問題はこのくらいです。あとは個別の研究を見たときに気づけば指摘することとしましょう。

 だからこそ実験室実験
 さて、このような指摘をすると実際、「悪魔の証明じゃないか!」という反応が来ます。悪魔の証明に合致するかどうかはともかく、非常に困難な証明になることは間違いないでしょう。これは現在の研究の、技術的な限界であり、統計そのものの根源的な問題でもあることからこれを解決する手法が生み出される期待もあまり高くありません。

 ではどうやって、ポルノと性犯罪の関係を確かめましょうか?1つの方法は実験室実験を行うというものです。もちろん性犯罪をさせるわけにはいきませんから、実際にはポルノ視聴をさせて、性犯罪と関連すると頑健に確かめられた要素の変化を見るという方法が用いられます。
 この手段は当然、不自然な状況になるため現実世界への一般化可能性には保留が付きます。しかし端から結果が信頼できない研究を用いて議論するよりは、そのような保留が付くとしても結果それ自体は信頼できる研究に基づいて議論するほうが確実といえるでしょう。少なくとも、ポルノが性犯罪に影響するメカニズムははっきりとわかるので、そこから社会的影響を類推することは難しくありません。

 統計的研究にも実験室実験にも短所と長所があり、どちらがより議論に適するかはケースバイケースです。統計的研究は絶対に正しくて、実験室実験は常に疑わしいということではないのです。