人間は防御の姿勢をとって暮らすようになると、ろくなことはない、守ってはいけない。守りに入るのは、人間の一生にとって最悪のやりかただ、ということは、だいたい誰もが、子供のときに親に言い聞かせられる。
実際、人間の心理は常に前に進んで、常に自分の世界を拡張することに向いていて、そうしているときがいちばん平安な気持でいられるように出来ている。
論理のうえでも、自分の一生に保障を求めるくらい無意味なことはないのは、多少でも論理的にものごとを考えられる人なら、すぐに判る。
しかし、どんどん拡張して、どこまでも歩いていって、ふと丘のうえに立って遠くを眺めながら、考えてみると、さて、おれはいったいなにをやっているんだ、と考えついて可笑しくなる、という気持も、30歳を越えるころになれば、誰でも経験して、知っているとおもいます。
またガメは当たり前のことをいう、と言われそうだが、
人間の一生を生きるのは難しいとおもう。
まず一回こっきりで、瞬間瞬間をやりなおせない。
映画の撮影のように「カァァァートッ!」と叫んで、「はい、いまのところ生き直しね」が出来ればいいが、そうはいかないので、夜更け、冷たい床に足をつけて、
コーヒーを飲みながら、なんの脈絡もなくおもいだした昔のガールフレンドとの会話で、しまった、あのとき、こう言えばよかったんだ。
あのひとは、だから傷付いてしまったんだ。
おれは、なんてバカなんだ、という、お決まりの悔恨で、悩まされて、臍をかむことになる。
高校生のときだったか、カウチに寝転がって新聞を読んでいたら、人間はだいたい自分の生活範囲の半径300メートル以内で活動している人と結婚するのだ、と書いてあって、へえええー、そういうものか、人間て、意外とメイティングの範囲が狭いのだな、と考えたことがあった。
そのころの自分のことを考えると、何不自由もない環境に育って、日本の人が聴いたら、ぶったまげて怒り出すか、得意のウソツキ呼ばわりしそうな生活で、階級がある社会特有の、度外れた特権と優遇をあたりまえに享受して暮らしていた。
希望に満ちた毎日だったかというと、そうでもなくて、将来への不安と期待とが半々だったように思います。
おまえは歩く原子炉か、といわれたりしていた時代が終わって、ひとがましくなったのは、大学に入ってからのことで、大学というのはいいところで、なんだか不気味なくらい頭がいい人間が老若うろうろしていて、やる気が起これば延々と議論をして、お互いにお互いの不穏な知性を熟知しているので、少しくらいナイフでぶすっと刺すようなことを言っても、鎖帷子で跳ね返されて、斧のような言葉で、ぐわっと仕返しされたりする、変態的な快感に浸る毎日を送っても、誰にも文句を言われない。
日本の人は一般に学問の習得が前倒しになっていて、数学や物理や化学の教科書をみると、ずいぶん早くから高級なことをやっている。
いちど義理叔父が使っていた教科書をみせてもらったら、日本の有名な教科書検閲制度で認可された検定教科書とは別の、学校が自分でつくったらしい数学の教科書に、唖然とするような微分の話が書いてあって、これを何歳くらいで勉強するの?と聞いたら「14歳」と言われて、腰を抜かしそうになったことがある。
ところが、人間はどんなふうに生きていけばいいか?というようなことは、学校でほとんど議論しなかったらしい。
学校教育が全体に職人養成所風の思想で出来ていて、「学問」という技芸において左甚五郎育成を目指すとでもいいたげな思想で、子供の頭を訓練するという方法に見えて、それはやり方を間違えなければ、例えば数学や物理を考えれば将来の研究者を育てるにはたいへん有効な方法なのだけれども、それだけだと子供のほうはつらくないのか?という当然の疑問に突き当たる。
なんだか個人が自分の一生を形成するのを助けてもらえない学校みたいで、自殺率がほんとうに高いのか低いのか知らないが、たしかに鬱々として元気がないように見える日本の頭の働きがいい若い人の苦しみは、案外、そういうところに淵源がありそうな気がします。
ものを考える習慣をもたない人間は、元気な声でハキハキ返事をしていれば、それで実際に元気になっていくくらい、ものを考えないので、別に、ほっといてもうつ病にもならず、だいたいオカネをあてがって、エッチができて、病気にならなければ幸福で、どんな教育制度でも、ちゃんとしあわせになってゆける。
どんな国でも、最も悩みが少ないのは片方の耳からのぞくと向こう側の耳の向こうの景色が見えそうな美男美女のカップルと決まっていて、町を颯爽と歩いて、誰かが振り向いてでもくれれば、いちもにもなく幸福で、そのうえに乗り回すクルマが高級車でもあれば、言うことはなくて、こういう人びとは、なにしろ思考の言葉がなくて上滑りに滑っていくだけなので、特にどんな教育だからどうということは関係がない。
それでは禽獣の幸福と変わらないのではないでしょうか、とおそるおそるきみは聞きたそうにしているが、人間などは自分でおもっているよりも遙かにバカなので、
だいたいそのていどで別段もなく、丁度いいのだとおもわれる。
不幸にしてものごとを考える人間に育ってしまった場合がたいへんで、だいたい高校生くらいになると、われながら手間がかかる人間になってしまって、自分で考えて、これほどめんどくさい人間なのだから、他人にとっては、敬遠の対象でしかないだろう、
これじゃ友達だって出来やしない。恋人なんて、無理も無理、無理が積み重なって累卵の無理になって危ういくらい無理で、するといったいおれの人生はどうなるんだ、一生孤独で他人に疎まれて迷惑だけをかけて生きていくのか、第一、この低い鼻じゃ、ちっこくて、いっつも寝起きみたいな目ん玉じゃ、このはれぼったい耳タボじゃ、ぐわあああああ、ということになって、毎日、煩悶して生きていくことになりかねない。
そういうことは家庭でやることですよ。
学校が教えることではない、という人に会ってびっくりしたことがあるが、
あのね。
名前を呼ばれただけで、とびあがりそうな、腫れ物よりももっと触るのにやばそうな年頃の息子や娘に向かって、人間の生き方について無神経に説教をたれるような親がいたら、そりゃ、息子や娘は不良になりますよ。
そんな親に素直に従う子供を考えると、結末はもっと恐ろしくて、鈍感なのにペーパーテストベースの勉強みたいなことだけは出来て、おっそろしく傲慢で、その実、ほんとうの意味で知的な能力はなにもない、学問という曲芸を仕込まれた猿のような、不気味な生き物になってしまうだろう。
学校で教えることではないのは、たしかだが、学校で議論しなければ、どこで議論するのか聞いてみたい。
教師がレフリーになって、この世界には倫理は必要かどうか、それともルールがあればいいのか、というような一般のことから、日本で好評を博したマイケル・サンデルがステージのうえを飛び回って喜んで、吉本興業が契約しにやってきそうなトロッコ命題まで、おなじ年齢の人間同士で、議論して、考えることによって若い人間は救われるし、また、人間の防御機構はよく出来ていて、若いときには、そういうことが好きなのでもある。
わしなどは、もともとが社会性に欠けていて、ほっておくと、家のライブリに閉じこもってバカみたいに本を読み耽っているか、裏庭の川からボートをだして一心不乱にボートを漕いでいるか、なにしろひとりでいることばかりが好きだったので、学校というものがなければ、よくて久米の仙人、悪ければ謎の教団ナゾーの首領になって、ロンブローゾとつぶやきながら、世界の破壊を画策するようになっていたのではないか。
わしは、ごく簡単なヒントをつかんでいれば、なんなく一生を生きていかれたのに、その小さな、往々にしてひとことにしかすぎないヒントに逢着しなかったばかりに、苦しみながら生きて、悪くすれば自殺してしまう若い人を気の毒におもう。
例えば、親などは血が繋がっているというだけの他人で、親だといえど、嫌いな人間は嫌いでいいのだ、ということを知らないというだけで、いつのまにか、親の無言の期待に応えて、無我夢中で勉強して、親が喜ぶ学校へ行き、医者になって、親が夢に描きそうな夫をもち、ある日突然、心を訪問した「自分」という最も近しい友達に絶交を言い渡されて、文字通り心神を喪失して、まるでガラスで出来た心が粉砕されてしまったように、ある日を境に絶望のなかから抜け出せなくなった人を知っている。
子供のときに、母親が、家族の社交の範囲にいた有名な「良い子」の話をしていて、なんて素晴らしい子でしょう、というので、いたずらっけと、もしかしたら母親があんまり褒めるので嫉妬の気持が少しくらいはあったのかも知れません。
「おかあさまは、算数が出来る馬の話をしっていますか?」と述べたことがある。
母親は、その数学博士の渾名があった馬のことを知っていて、その馬が、実は自分の頭で計算しているのではなくて、ごく些細な観客の表情の変化を読み取って、正しい解答の数字がかかれたカードをくわえて運んできていただけだった、という故事を、なぜ息子が挙げたのか、すぐに気が付いて、嫌な顔をした。
われながら、嫌なやつだが、いまでも、子供というものの悲惨さについて考えるたびに、そのごくわずかな顔色を読み取って親と周囲の期待に応えてしまう数学博士の馬のことを考える。
学校という場は、ゆいいつではないにしても、子供を周囲や社会への反応としての自己という最悪の自我形成から救い出すには最も向いた場所であると信ずべき理由はたくさんある。
この記事を書こうとおもったのは、ニュースで、ある高校生の身の上に起きた傷ましい出来事を見たからだが、そのニュースをここでくだくだしく書きたくない気持が、いまのわしにはある。
それに、若い人間の心を社会のおとなが総出でズタズタに引き裂いてしまうというような事件は、毎日、どこにも、いくらでも転がっているので、特に書いておく必要もないのではないかとおもいます。
(画像は「軽井沢国際親善交歓会」開場寸前の軽井沢ホテルコンベンションホール。映画「シャイニング」っぽい雰囲気でしょう?)
自分が義務教育を受けていた時のことを振り返ると、学校が「社会への反応としての自己」しか持たない人を量産する場所だったとしか結論付けられないのが少し残念です。
自由な精神状態で知的な遊びができる環境を促す教育であってほしいと思う一方、何というか、日本の学校がそうなるのは難しそうな気もします。
子どものときのただでさえ狭い視野の中で、親や学校のよく分からない価値基準で塗り固められてできた後遺症?を抱えたまま年を取った人が日本にはたくさんいると思う。
人それぞれ自由を確保するためにしている、好きなことは一つくらいあるはずで、生きづらさへの対処はそうやって個人的にやっていくしかないのかなと感じています。
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昔、BBCの番組で面白いドキュメンタリがあって、いろんな国の子供たちの、6年ごとの成長を追う、というものがありました。
日本を含めた数か国で、日本以外の国の子供はいろいろ紆余曲折を経ながら大人になっていってて、めっちゃ面白かったのに、日本の子供たちだけは、親が敷いてくれたレールを丁寧になぞりました、的な大人になったケースばかりで、わたしの絶望はそのときから始まっていたに違いありません。
いちばん印象的だったのは、イギリスか、アイルランドか、忘れましたが「将来は政治家になりたい」と言った男の子がいて、その子が青年になったとき、何かがきっかけでホームレスになり、その後なんと、本当にその地域の議員になっていたのに驚きました。しかもホームレスのままで生活保護を受けながら。
あの番組を観て私は、日本以外の国では、多岐にわたる人生を送るのはごく普通のことで、自分の国がなんて凡庸な国であるかをそのとき衝撃的に知ったんだと思います。
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私はペーパーテストの勉強が少し得意な、反抗もしないぼんやりした子どもだったと思います。
大学に入って地元の企業に入り、そこそこ働いて結婚して子どもを生み育てる
強制されたわけではないこの流れを、何も考えず辿ってきて、そして運良く辿ることができて、もうあとは子育てと親の介護かなと思っていて、ここにきてやっと不思議な気持ちになっていました。
私って何かな?何をしたかったのかな?って。
もう結婚して子どももいるのだから、落ち着かなきゃいけない。家族のために生きなきゃと思っていたから、「自分の人生を拡張していく」ことが必要で、守ってはいけないという冒頭の話は目からウロコどころではありませんでした。
思えば私の母が、守りの人生に近い人生を送っていると思います。母のほうがもっと具体的に、両親が決めた高校へ進み、周りがすすめた人と結婚して私を産み、幸せだといってくれるけど、周りに合わせて人のために人生を送ってきたのではないかなと自分が大人になってから気づきました。
母はとても愛情深く、我慢強く、信心深い人です。とても尊敬しているけど、私は母のように自分を犠牲にできる気がしないと思えてきて、子どもに対する愛情が足りないのではと思ったり母のようになれない自分をダメなやつだと思っていました。
ガメさんの言葉は、五月の明るい雨のように優しくて、輝きをくれます。いつも知らない価値観を教わってます。当たり前のことなんでしょうけど、私にとって新しい世界です。
うまく言葉にまとめられませんが、ガメさんの言葉のおかげで私の世界は広がりました。本当にありがとうございます。
若い人に向けた文章だろうと思いましたが、私はこの文章を読むことができてモヤモヤしたものが晴れました。
私はこれからも私の人生を生きて、子どもを愛して、そんな生き方を伝えていこうと思います。
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小学校に入学した直後、迂闊にも「なまえ」を漢字で書いてしまいクラスメイトになじられたトラウマを思い出しました。
6歳の時点で憲兵と自治会長に囲まれてるんだぜえ
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ガメさんこんにちは。いつも素敵な記事をありがとうございます。記事を読んで考えたことがあるので私の考えを共有しますね。
5段にも重なった組み体操を小学生にやらせる。それが頽れた時に、子供にどんな危険を与えるかの検討もせずに。「先生」たちは、「慣例だから」「親御さんが望んでいるから」「美しいから」組み体操をやらせる。
ひざに痣を作った。「先生」は「その痣、どうしたの?」と生徒に尋ねた。生徒は失敗をして親に殴られたという事実が恥ずかしく、自分の自尊心を守りたかった。羞恥心に耐え、唇をかみながら「大丈夫です。」と答えた。「先生」は、「そう。なにかあったら相談するんだよ。」と言ったきり、クラスが変わっても生徒に話を持ち掛けることはなかった。
部活の練習に寝坊した。すっかり自分が嫌になって、勇気を出して部室のドアを開けたらみんなが準備を終えて、こちらを見ている。顧問の「先生」が一言「おまえ、もう部活に来なくていいよ。」「ごめんなさい。でも練習に参加したいんです。」「いや、みんなの迷惑だから、もう来なくていいよ。」
連絡ノートに「新学期が始まって夏休みの自由な時間が恋しい。やっぱり学校に来るとみんなに合わせないといけない気がして、少し鬱々としています。」と書いた。「先生」から返ってきたコメントは、「クラスのみんなも、我慢しているのだから。気の持ちようでいくらでも楽しくなるよ。」
文化祭でクラスを埋めつくす立体展示を作ろう。予算は2万円か、限られているね。段ボールは近所の薬局にもらうとして…。そうだ、トイレットペーパーの芯を使うのもいいアイディアだね! みんなで協力して、学校中のトイレットペーパーの芯を集めよう。
後にそのクラスは全校集会でひどく校長の「先生」に怒られた。「さすがテストの平均点が低いクラスだ。学校の備品のトイレットペーパーの芯を盗むなんて。恥ずかしくないのか」
「私は集団行動とか嫌いです。だれかが何かをしでかしたら、連帯責任とか言われるのがいやなんです。」「まあ、それも社会に出るまでの修行だと思って。」
「話を聞いているだけ」のはずの心理カウンセラーの「先生」は私に言った。
これらは、私が初等教育、中等教育を受ける中で直面した実例です。これを見るだけでも、日本の教育では、子どもを「規律に従ういい子」として、組み体操を形作っている部品のようにみなしていることがありありとわかるでしょう。
教育とは確かな学力と子供の心の豊かさを育むもの。国はそんなお題目を掲げるけれど、
子供を救うための砦たる学校で子供と向き合わずに、いかに心の豊かさを育めようか。
悲しいことに、自分の生活を投げ捨てて、日々お仕事を頑張っている人の中には、この事実に気づかない人もいるのです。
「国際的にみて、日本の学生は意見を言わない」と言われているけれど、きっとね、初等教育からそんなふうに子供を押さえつけていたら、そりゃあ、意見を言わなくなるでしょう。みんな、形式ばった議論が正しいと思っている。人々の無意識のレベルに「突飛な意見」が良くないものだと焼き鏝のように刻まれている。
学生でありながら、自分の心に従わず、「組織の立場で」意見の言う人の多いこと。
大学に入って、私は、やっと、「先生」の呪縛から解放されました。高校生まで、自分の意見を言えずに、生ける屍のように過ごしていたけれど、「先生」がいなくなってはじめて、アカデミアで自我をもてるようになれたのだと思います。
最近は自分と周りとの温度差にちょっと疲れてきましたが、私は悲しければ泣いて、違うと思ったことは違うと言う、とまあ、周りに浮世離れしているねあなた、だとか、馬鹿じゃないのとか思われているかもしれないけど、ちょっとずつかたーい、人間であることを忘れているような、みんなの考えをほぐせればいいなと、やりたいようにやっております。
お役人になって、今のあり方を変えたいと思っていたけど、この間1年もの、10年ものの実物とを見比べた時に、人間(熱意を滾らせ組織の中で足掻いている人)と非人間(すっかり忖度というものが骨身に染み付いた組織の構成員)を見ているようで、少し思いとどまってしまいました。難しいものです。
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