Facebookを開くと少しだけ胸が苦しくなった。
20代の頃はみんな、
「仲間とキャンプに行ってきました〜」
とか、
「ゴルフを始めました!ラウンドレビューです!」
みたいな投稿をしていて、誰の投稿も似たようなものだった。
おいおい、なんで俺が呼ばれてないんだ、くらいしか思わなかった。
20代後半くらいからは
「プロポーズしました」
「結婚しました」
「子供が生まれました」
みたいな報告がチラホラと出てきて、明日の合コンのことばかり考えていた自分とは別世界に行ってしまった気がしたものだった。
そして30歳を過ぎてしばらくした頃、つまりは最近の話なんだけど、増えてきたよね。
大きな仕事をする奴が。
びっくりするくらい大きなイベントを主催したり、本を書いたり、新聞に乗ったり、作ったアプリが大ヒットしたり、アメリカに留学した人の報告がFacebookでキラキラと輝いてて、眩しくてディスプレイが滲んで見えた。
他にも
「○○さんが転職しました。勤務先:Goldman Sachs(ドーン)」
みたいなのとか。
これね、20代の頃はそんなに多くなかったんよ。
せいぜい
「会社辞めました〜(てへぺろ)」
くらい。
社会人の始めの方はきっと、みんなそんなに差がなかったんだ。
でもね、30代になると、小さな小さな積み重ねの差がもう取り返しのつかないくらいの差になって、それが実績に結びつき、結果がFacebookで見え始めるんだよね。
図にするとこんな感じ。
チャレンジが機会を生んで、新たな出会いをもたらし、そこから新しい大きなチャレンジに突き進んで、伸びる人はどんどん活躍の場を広げていく感じ。
おそらく30代前半で顕在化し始めた「差」は30代後半には途方もなく広がって、40代になる頃にはもう背中も見えなくなってるんだろうな、と思う。
今になって可視化された「明確な差」はきっと、ずっと前からでき始めていたんだ。
おそらく僕が合コンに明け暮れていた20代のうちにから。
1.01の法則
1.01の法則。こつこつ努力すればやがて大きな力になります。
0.99の法則。逆に、少しずつさぼれば、やがて力がなくなります。
有名な「1.01の法則」
この「1.01の積み重ねの差」は20代のうちは全然見えなかったけど、30代になるとはっきりと見える。
月曜日に暗い顔で会社に向かう人と、張りのある顔で毎日イキイキと仕事してる人で、明確な差が出てくる。
もちろん、そんなイキイキしてるのはFacebook友達全体の1割にも満たないけれど、そういう人がやっぱり目立って輝いてる。
カッコいいよね。
俺、こういう社会人になりたかったんじゃなかったっけ。
ダメな方に目を向ければ、40代なのに仕事もできない、意思決定もできない、知識もない人がたくさんいる。
毎日ちょっとずつ自分を誤魔化して、言い訳して、「0.99」を続けてしまうと、何も身に付かないまま年だけ取ってしまうのだろう。
人の実力は、生きた時間には比例しないのだ。
「俺は1.01を積み重ねてこれたのか?」と自分自身に問うてみると、全然自信を持てない。
ダラダラと張りのない毎日を過ごして、惰性で仕事をしていた部分もあったから。
その差が今のFacebookに出てるんだな、と思う。
いま20代の人は、「30代になるとこうやって友達の間で『差』が見えるようになるんだ」って思っていてほしいな。
名乗りを上げる
僕がFacebookを観察し、分析した限りだと、やっぱり目立ってる人は「どこかで名乗りを上げている」のがほとんどですわ。
コツコツ勉強するだけじゃたぶんダメ。
運任せでもダメ。
「お勉強」だけしていて報われるのは大学生までで、社会人で実績を残す人はみんな、自分の意志で何かに「応募」してる。
関連記事:世の中の成功した人全てに共通する特徴は「応募」していること
留学然り、転職然り、出版然り、イベント然り、アプリ開発然り。
手を挙げて「応募」して、そこで何かの実績を残して、人とつながって、また新しい仕事が舞い込んできて...という好循環ループの中に入っている人が、うまくいっているように見えるな。
ループの外から観察した限りだと。
でね、「応募」すると、きっと大変だと思うんよ。
残業が増えるかもしれないし、余計な仕事も舞い込んでくるかもしれない。
失敗したら恥をかくかもしれない。
そういう「大変さ」を覚悟した上で手を挙げて、人がやらないことに自発的にチャレンジした人が、結局は今、楽しそうに仕事しているように見えるなぁ。
「起業してリスクを取る」ほど大げさなことはやらないにしても、「覚悟」や「時間」や「情熱」を捧げてる人にだけ、美味しいリターンが回ってくるのだなと。
棚から餅が落ちてくるのを口を開けて待っていても、結局何も起こらないということだ。