自分の武器ってなんだろう。

誰かや仕事に向き合った時に、「これが自分だ!」と声高に宣言できる“何か”が、自分の中にあるのだろうか。

多くの人が、どこかでこんなふうに感じたことがあるかもしれません。しかし、こうした疑問は(残念ながら)完全に霧散することはないでしょうし、どんな環境にいても突きつけられるでしょう。学校でも、会社でも、そして芸能界でも、です。

俳優の河相我聞さん。10歳で子役デビューし、芸能界でのキャリアは30年以上。90年代にはアイドル的な人気を博しました。

20代でブレイクした当時は「自分がなぜ売れているのかわからなかった」という河相さん。「芝居も歌も下手くそ。すべてにおいて凡庸だった」と語ります。

芸事において、最も重要に思える才能という武器。ならば、「自分は武器を持っていない」と自ら語る河相さんは、いったい何をよりどころに芸能界を生き抜いてきたのでしょうか? 河相さんの働き方は、これといった武器がない、と感じ悩んでいるビジネスパーソンにとっても、大きなヒントになるはずです。

いい加減でどうしようもなかった子役は、いつ「働く」を意識したのか

河相さんは子役出身。小学校4年生から演劇の世界に入りました。きっかけは「不登校」だったといいます。

「8つ上の兄は秀才だったのに、僕はまったく勉強ができなかったんです。友達ともうまくコミュニケーションがとれなくて、そのうち不登校になりました。そしたら母が『学校行かないなら働け』と。今思えば、それもおかしな話ですけどね(笑)。その時に兄が児童劇団のチラシかなんかを持ってきて、じゃあこれに入ろうということになった。学校に行かなくてすむなら、まあやってみようかなって」

そんな、やや後ろ向きな動機からスタートした俳優のキャリア。しかし、徐々に楽しくなっていったそう。

「仕事自体が楽しいというより、知らない街の仕事現場に一人で行くとか、そういう普通の小学生には味わえない冒険が楽しかったんですよね。電車賃と食事代を渡されて、仕事が終わったら自分の好きなものを食べに行けるし、余ったらそのままゲーセンで遊んで。あとは撮影でいろんな世代の人と会ったりして、毎日が刺激的でした」

しかし、そこは子ども。当時はまだ「仕事」という感覚はなく、それゆえ「責任感もゆるゆる」だったと振り返ります。

「セリフもろくに覚えなかったし、遅刻も多かったですね。それも平気で1時間、2時間遅れていました。『天までとどけ』っていうドラマのオーディションは、一次と二次どっちも遅刻しました。でも、それは仕事をなめているというより、よくわかっていなかったんですよね。子役から入って、働くということに対してピンとこないままやっていたんだと思います」

遅刻をしなくなったのは19歳の頃。それまで、大人にいくら叱られても改まらなかった少年がようやく真っ当になったのは、「父親になったから」と河相さんは続けます。

「19歳で子どもができて、父親になったんです。その時に初めて、ちゃんと働いて稼がなきゃっていう意識が芽生えた。当時、月々の手取りは5万円くらいで、これはさすがにまずい。そこで、まずは当たり前のことをちゃんとやろうと。ガテン系の仕事に転職することも考えましたが、運よく大きい仕事を立て続けにいただき、そこから順調にオファーが増えていきました」

若い頃は武器がなかった。だから「何でもやった」

河相我聞

そして20代、河相さんは「アイドル俳優」としてブレイク。俳優業のほか、バラエティーや音楽番組まで、引っ張りだこの人気者になります。しかし当の本人は、周囲の過熱ぶりに違和感を抱いていたのだとか。

「僕には何もなかったんですよ。ルックスを褒められたりもしましたが、それは一流のメイクさん、スタイリストさん、カメラマンさんのおかげでそれなりに見えるのであって、素材は大したことないんです。芝居も下手だといわれてましたし、歌も得意じゃない。それなのに、音楽番組で吉川晃司さんの後に歌わされたりして。あり得ないですよね。そんな『本物』たちと同じステージに上がっていいレベルじゃないんです。毎日、なんでおれここにいるんだろう…って思ってました」

しかし、そんなジレンマとは裏腹に、仕事は増える一方。その原因を、次のように分析します。

「とにかく、どんなオファーも断りませんでした。いただいたオファーはすべて『Yes!』です。本当にNGがいっさいなかったので、おかしな仕事もいっぱいきましたよ。銭湯でシンクロナイズドスイミングやったり、亀甲縛りで運ばれていくとか。アイドルだったはずなんですけどね(笑)。

まあ、武器がないぶん、何でも一生懸命やりました。当時、役者がバラエティーに出るって珍しかったから、面白がって使ってもらえたんでしょうね」

当時は、毎日のようにテレビに出る一方、成人式やデパートなどでの営業の仕事も多かったといいます。売れっ子にもかかわらず、ほとんど客のいない家電売り場で歌ったこともあるそうで、その「選ばなさ」たるや、逆に信念を感じてしまうほどです。

「仕事って、選ばなければいくらでもあるんですよね。それをかたっぱしから請けていたら死ぬほど忙しくなっちゃって、当時は一週間のうち2日は徹夜でした。でも、こんなに忙しく働いているのに、あまり収入につながらないんですよ。なぜかというと、当時所属していた事務所の取り分がめちゃくちゃ大きかったからです。自分の取り分の低さは、某お笑い系事務所の比ではない(笑)。

ですから、主体的に働くっていうより『働かされている』感覚で、頭の中にはいつもドナドナが流れていましたよ(笑)」

拳銃をつきつけられて命乞い。壮絶な経験の果てに身につけた「半端ない自信」

河相我聞

その後、アイドル的な人気がやや落ち着いてからも、「NGがない河相我聞」には相変わらずおかしなオファーが届きます。もちろん、断るという選択肢はありません。

「たとえば、番組でタレントが秘境に行かされるのって、僕がわりとハシリなんですよね。アマゾンの部族の村に滞在して虫食べたりとか、そんなのは序の口。やたら予防接種を打たなきゃいけなかったり、もし死んだら事務所に莫大な保険金が入るような、危険な場所にも行きました。麻薬の密売人に間違われて10人ぐらいからライフルやら拳銃やらを頭に突きつけられ、ひざまずかされて半泣きになったり(笑)。その時の通訳さんは、銃を突きつけてきたのは麻薬取り締まりの人たちだ、とは言っていたような……。なにせ、アマゾンはスペイン語すら言葉が通じないので2人通訳が必要で、なんだったのかは正確にはわからないんです。とにかく、そういうあり得ない経験を何度も重ねていくと、怖いものがなくなっていくんですよね。感覚が麻痺していく。だから、ますますNGがなくなっていく……」

幸か不幸か、こうしたいくつもの得難い経験を経て、いつしか河相さんには確固たる自信が芽生えていきます。

「僕、『自分を信じる力』が半端じゃないんですよ。相変わらずタレントとしての才能はたいしたことないと思うけど、自分は何やってもうまくいくだろうっていうナゾの自信はあるんですよ。それはやっぱり、みんなが毛嫌いすること、人がやらないことにチャレンジして、濃密な経験値を積んできたから。なんせ、拳銃を突き付けられても生き延びたわけですからね。たいていのことは楽勝に思えます」

若い頃、武器がないことに悩み、それゆえ「何でもやった」河相さん。それは結果的に、「自信」という唯一無二の武器を育てることにつながったようです。そして、その自信は「力強く生きるための源泉になる」と河相さんは言います。

「失敗したらどうしようとか、まったく考えなくなりました。だから、その時々で面白そうなことに躊躇(ちゅうちょ)なく飛び込める。実際、いろいろやりましたよ。いきなりラーメン屋を開業したのもその一つ。何店舗も拡大して最初はうまくいってたんだけど、芸名を使って商売することに対して当時の事務所から訴えられたり、共同経営者に横領されたりもしました。その人は(横領額は)2000万円くらいって言ってましたけど、たぶん『億』はいかれてますね。でも、そんなの大した失敗じゃないんですよ。お金はまた稼げばいいし、自分なら稼げると信じているから。それに、今となってはいいネタですしね。内容証明送り付けられてガンガン脅されてた元社長とは、その後もお茶飲みに行ったりしてましたね」

生活のために働くのはやめて、好きなことを全部やりたい

河相我聞

「才能の乏しさは相変わらですが、なんでもやったことで、“生きていくための柔軟性”みたいな武器は身に付いたような気がします」

そう笑う河相さんは現在43歳。最近では、俳優なのにやたら読ませるブログも話題で、ネットで人気を集めています。しかし、当人はいたってマイペース。“再ブレイク”の声にも、力む様子は微塵も伺えません。

「最近、二人の子どもが自立して、手が離れたんですよ。住宅ローンも完済しましたし、これからはそこまでしっかりお金を稼ぐ必要もなくなりました。なので、ここらでいったん働くことをやめてみようかなと思っているんです。そう言うと語弊があるかな。正確にいうと、“生活のために働く”のをやめて、なるべく好きなこと、やりたいことに時間を使いたい。たとえば、今は英会話とピアノのレッスンとボイストレーニングに通っています。楽器も改めてやると楽しくて、気づいたら朝方まで徹夜で弾いたり。まあ、やっぱり才能はないんですけどね(笑)。でも、そもそも才能がある人なんてほとんどいないから、自分が凡庸だからって落ち込む必要はまったくないですよ」

何でもやった。そうしたら自信ができたし、「困ったことがあっても、自分なら大丈夫」という確信も得られた。生活のため、という割り切りとともに築かれたキャリアが、河相さんに「やりたいことをやる」という新しい選択肢をもたらしました。

ブログやTwitterを見ると、突然思い立って浜松に餃子を食べに行ったり、豊橋にあん巻きを買いに行ったり、フットワークは軽やか。じつに楽しそうです。

「思い立ったらすぐ行動。その日の気分で、何をしでかすか自分でもわからないっていう。そういうのが楽しいんですよ。そのためにも、健康には気をつけています。よく動く身体をキープして、好きなこと、やりたいことを躊躇なく全部やる人生にしたいですね」

河相我聞(かあい・がもん)

俳優。1975年5月24日生まれ。埼玉県出身。10歳で児童劇団に入団。過去の出演作品に『天までとどけ』『未成年』『みにくいアヒルの子』など。近年はサスペンスドラマや舞台に出演するほか、CMのナレーションなどの活動をしている。

ブログ:かあいがもん「お父さんの日記」

Twitter:@gamon0524

<取材・文/榎並紀行(やじろべえ)>