ネットが「集合知」だと期待された時期があった。
東浩紀は「一般意志2.0」だとして、持て囃した。

しかしそれは、単に同調圧力と全体主義の温床でしかなかった。


今では信じられない話だが、2ちゃんねる(5ちゃんねる)もかつては忌憚ない熟議の場であった。
アニメでも、「信者」と「アンチ」が、どの作品でもいい意味でも悪い意味でも対立し、意見を戦わせていた。

しかし、結局支配的になったのは、ただの「悪意」だった。
匿名が善意を示す時ももちろんある。しかし、時を経れば、結局は悪意に駆逐されるのだ。

かつて加藤智大もネットの「善意」を信じ、裏切られ、絶望して秋葉原へ向かった。
仮想空間の「狂気」が、現実世界の「狂気」を呼び起こした瞬間だ。


Twitterも今、次第にそうなりつつある。
未だに真剣に議論しようと頑張っている人、僕の知り合いにもいるが、そのRTなどを読んでもちょっと訳の解らないものになっている。
その人がどうしてそれをRTしているのかも見えてこない。たぶん本人も解らなくなってるんじゃないかな?
危ない。
Twitterではもはや議論にならない。Twitter社の「火に油」な対応もあって、Twitterがどんどん「2ちゃんねる」化している。
非常に危険だ。
もはや「人間の狂気の見本市」と化しつつある。


何度でも言うが、まずは匿名性。
匿名性は「悪意」や「狂気」の助長でしかない。
今までのネット文化がそれを証明している。
自分の身元がバレるのが怖い人間は、やってることが「やましい」から怖いのだ。
その辺だけは本人も自覚しているようだ。


さて、その「匿名の悪意」がやがてどうなったか?全体主義を志向したのだ。

「俺達だって世界を変えられるのだ!」という「一般意志2.0」が向かったのは、善意ではなく悪意。
悪意はどうしたか?ただ多数派でいることを良しとし、少数派を「弱者」として攻撃し始めたのだ。

こうして「ネトウヨ」が作られ、「アベ真理教」が生まれ、見るも無残な政治状況が成立した。

しかし、いつも思うが「ネトウヨ」がアベを賛美しているところを見たことがない。
絶えず野党や他国への罵倒・差別・ヘイトスピーチだ。

彼らは「弱者を攻撃する」ために、「権威」を利用しているに過ぎない。
それを見事に逆利用したアベが、今も「裸の王様」でふんぞり返っている。

最悪の状況だ。


立憲民主党はネット戦略よりも、街頭演説やイベントなど、「接近戦」を中心に闘っている。
それじゃあ今のネット世論は崩せないなぁ・・・と思いつつも、しかし彼らは「ネットを味方につける」危険性を十分知っているのだろう。

これからはすべての人が「顔と名前を出し」、「直接会って」議論をする時代だ。
「集合知」は絶対にネットでは成立しえない。皆、ネットを捨てよ、町へ出よう。