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2018-10-14

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・上海にいまの季節に来る人は、当然のように
 「上海ガニ」を食べようとします。
 そして、きっと食べるのです。
 ぼくはエビとカニのアレルギーがあるので、
 上海であろうが越前であろうがカニは食べられません。
 じぶん以外の皆さんが、おいしくカニを食べているのを、
 幸せそうだなぁと見守るばかりなのであります。
 ぼくの本心として、おいしくカニを食べている人のことを、
 憎たらしいと思うことはありません。
 あえてじぶんの気持ちに名前を付けてやるとすれば、
 「あこがれ」が近いのかもしれません。
 アレルギーのぼくは、上海ガニをおいしく食べている人に、
 そう、あこがれているのです。

 思えば、「あこがれ」というのは、
 ぼくの大事なキイワードのように思います。
 信じられないような活躍をするスポーツ選手にも、
 もちろんあこがれますが、地道な努力と工夫を重ねて、
 スターを支えるような裏方にもあこがれます。
 いま我が家にいる仔犬が、うれしいときに
 思いっきり振るしっぽにも、あこがれます。
 ミュージシャンたちがぼくらをよろこばせてくれたら、
 そこでもやっぱり、いいなぁとあこがれます。

 羨ましいとも言えそうだし、嫉妬があるかもしれないとも
 疑ってみるのですが、やっぱりちがうんですよね。
 もっとずっと相手への尊敬があるのだと思います。
 ぼくにはなれないし、なれたらいいなとちょっと思うけど、
 なによりあなたが素晴らしいんです、という感じ。
 これは、いつごろからか、ぼくが獲得した感じ方です。
 かつて、この感じを「感心力」と呼んだかもしれません。
 だいたいのいいものにあこがれちゃう、感心しちゃう。
 その対象が、世界の偉人であろうが、子どもであろうが、
 どうぶつであろうが、カニ食いおじさんであろうが、
 ときには景色であろうが、仕組みであろうが、
 さらには歴史上の暴君であろうが、鬼であろうが、
 あこがれることはいくらでもあります。
 上海ガニの話からずいぶん飛躍したようですが、
 ぼくのなかでは地続きにつながっています。
 もともと「あこがれたい」性分なのかもしれませんね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
また今日も早起きなんだ。ちょっとでも眠らなきゃねー。


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