2018-10-14

似たような容姿で集まる時代なのか

高校というクラスを思い出すと何だかんだ多様性というのは保たれていた気がする。

いや、そんなことは無かった。

自分は最終的に私立文系クラスにいたがウェイな人間ばかりがいるクラス孤独だった。

ただ、その前は似たようなアニメ趣味やらインナー系の人間が沢山いるクラス何だかんだ居てよかったと思ったものだった。

それでも、中学のころよりも高校の時のほうが分断が激しかった気がする。

ある程度の容姿学力というもの差異が開き、もはや埋めがたい格差となっているのだ。

そのあと自分大学受験で散々な目に遭い、低偏差値大学に進学するのだった。

そこではもっとからさまで、人間容姿で分裂している。

似たような容姿で皆が集っているのだ。

そして、ただただ享楽を得ようとする。

正しく、これは「分断」というものだろう。もはや、どこか交わる気配などないのだ。

精々、就職活動えぐい闘争を繰り広げるだけである

思い返せば、中学の時というのは何だかんだ差異がないから分断がなかった。

割と誰でも居てもいい雰囲気だった。

思えば容姿の差が少なかったからだろう。

最近卒論相談先生とした。

もう、国民国家のもとで皆で国民なんて言える時代じゃないよなという話になった。

そうなるともっと小さい単位 民族容姿で集うことになると。

それがエグい分断になる。

ただ、その間にも経済格差は広がる。貧しい者が集って格差是正を目指さなければいけないのに、容姿やらで無慈悲な分断でどうにもない。

酷い時代である

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