高校というクラスを思い出すと何だかんだ多様性というのは保たれていた気がする。
いや、そんなことは無かった。
自分は最終的に私立文系のクラスにいたがウェイな人間ばかりがいるクラスで孤独だった。
ただ、その前は似たようなアニメ趣味やらインナー系の人間が沢山いるクラスで何だかんだ居てよかったと思ったものだった。
それでも、中学のころよりも高校の時のほうが分断が激しかった気がする。
ある程度の容姿や学力というものの差異が開き、もはや埋めがたい格差となっているのだ。
そのあと自分は大学受験で散々な目に遭い、低偏差値な大学に進学するのだった。
似たような容姿で皆が集っているのだ。
そして、ただただ享楽を得ようとする。
正しく、これは「分断」というものだろう。もはや、どこか交わる気配などないのだ。
思い返せば、中学の時というのは何だかんだ差異がないから分断がなかった。
割と誰でも居てもいい雰囲気だった。
もう、国民国家のもとで皆で国民なんて言える時代じゃないよなという話になった。
それがエグい分断になる。
ただ、その間にも経済格差は広がる。貧しい者が集って格差是正を目指さなければいけないのに、容姿やらで無慈悲な分断でどうにもない。