青い芝」の戦い

声を上げはじめた女性たち—障害者運動とフェミニズム

40年以上前、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われる運動をおこなった、脳性マヒ者による障害者運動団体「青い芝の会」。「健全者」の作ったルールに強烈に異議を唱えましたが、彼らの中には、保守的な男女観もみえたと言います。それに対し「青い芝」の女性たちがどういった声を上げていたのか、学生時代に彼ら/彼女らと過ごしたお二人、荒井裕樹さんと九龍ジョーさんが語ります。

「青い芝」の女たちの戦い

— ここまで横田弘(※1)さんや花田春兆(※2)さんのお話をうかがってきましたが、「青い芝の会」にいた女性たちは、どのように運動に関わっていたのでしょうか。

※1 横田弘(1933-2013):脳性マヒ者。詩人。運動家。日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会に所属し、同会の会長などを歴任した。1970年代以降、障害者差別を告発する激しい抗議運動を担った。横田が起草した「青い芝の会行動綱領」は、現在に至るまで、多くの障害者運動家に多大な影響を及ぼした。

※2 花田春兆:脳性マヒ者。1925年、大阪生まれ。日本初の公立肢体不自由児学校「東京市立光明学校」(現・東京都立光明特別支援学校)卒業。身体障害者による文芸同人誌「しののめ」を主宰。俳人・文筆家・障害者運動家として多方面で活躍。日本障害者協議会副代表、内閣府障害者施策推進本部参与など公職を歴任した。長らく障害者運動の業界では「長老」のような存在感を放ち、彼に影響を受けた運動家も数多い。2017年、逝去。

九龍 ぼくの関わっていたグループホームは入居者が男性だけだったんです。たまに恋人が訪ねてくることがあって、それが障害を持った女性のときはありました。あとは青い芝の会の催しでボーリング大会があったりして、そこには女性の方もいらっしゃったのですが、正直、男女観に関しては少し保守的なものを感じていました。

荒井 そうですね。男女の性規範に関しては保守的な部分もあって、そこは問い直さなければいけませんよね。青い芝の人たちが「そういう性規範を持つ世代だった」と言えばそれまでですが、障害者であっても「世代」の価値観からは決して自由じゃないし、場合によっては、より露骨に出てしまうこともある。

九龍 重要なのは、そうした男女観に対して、青い芝の内部からも批判の声があったという点ですよね。『女としてCPとして』という本に詳しいんですが、その中で内田みどりさんなどが鋭い問題提起をしている。当時は、ガイドヘルパーのハンコを押してくれるひと、ぐらいな感じで内田さんと接していたので、あの本を読んで胸を衝かれるものがありました。

荒井 実は大変な名文家で、運動の最前線にもいた人なんですよね。本の一節を紹介しましょう。

 この時期、私を含め運動に参加した大半の女たちが子育てに追われていた。障害者運動と子育て、自分を自覚し割り切っての女たちの戦いも、時にその余りの厳しさに崩れそうになる。
 そんな運動のひとつに暮れの街頭カンパ活動がある。
 かろやかに流れるジングルベルのメロディーに子供たちの笑い声がはずむ。ケーキやオモチャを抱え家路を急ぐ親子連れ、女たちは、家に置き去りにしてきた子供におもいを馳せた。マイクからほとばしる男たちの叫び、女たちは黙って人並み(ママ)のなかに黙々と「ビラ」をまき続けた。女たちは、子育てのなかから生まれる新たな地域との摩擦のなかで、男たちとはちがう差別や偏見を味わいはじめていた。男たちは、障害者運動に夢とロマンをかけ、女たちは、日々の生活をかけた。
(内田みどり「私と『CP女の会』と箱根のお山」より)

ちなみに内田さんは、『さようならCP』のことも「あの映画は女性差別以外の何ものでもないと思っています」と断言されています(参考:全国自立生活センター協議会編・発行『自立生活運動と障害文化-当事者からの福祉論』2001年)。


さようならCP [DVD]

九龍 運動家と生活者という二つの側面が相矛盾してしまうという状況はマイノリティ運動にかぎらず、どんな運動にもつきまとうわけですけど、それがもっともあぶり出されるのが男女の性差別的な役割問題だとおもいます。そこを隠蔽せずにぶつけあうのもまた、青い芝の会の力なのかなと。

「当たり前のこと」も問い直す

荒井 横田さんたちが求めたものってすごく「当たり前のこと」じゃないですか。でも、「当たり前のこと」って、実は不均衡な力関係が前提になっていることがあるんです。

たとえば青い芝は、女性運動家たちと意見がぶつかることがたびたびありました。彼らと向き合った女性たちのなかには、青い芝の中に「男っぽさ」や「男らしさへの憧れ」みたいなものを感じ取った人が少なくないんですね。 たしかに、彼らは「男らしさ」という価値観からずっと除外されてきた。「性欲ないよね」「恋人なんかできないよね」「結婚しないよね」という目で見られてきた。だから、その反発で「男として当たり前のこと」を願うようになるわけですが、その「男として当たり前」という感覚は、女性たちが息苦しさを感じていた価値観そのものだったりするわけです。

安保法制のデモ(2015年)の時にも、「当たり前の日常を守れ」という主張があって、それはそれで共感したのですが、でも、その「当たり前」に「お母さんがご飯をつくってくれるような日常」をイメージする人もいた。誰かにとっての「当たり前」は、誰かにとっては窮屈な場合もあるんですよね。

九龍 しかし、「当たり前」を疑うのって、すごくエネルギーがいりますからね。ましてや、「当たり前」のことができないことに苦しんだり、その「当たり前」を獲得するために血の滲むような努力をしているひとにとってはなおさらでしょう。それでもなお、「当たり前」の前で思考停止しない必要がある。

ぼくは青い芝の会の人たちと、フェミニストの人たちが優性保護法などをめぐって議論を交わす現場を、何度か見てきました。たとえば、「出生前診断」をどう捉えるか。障害者の生存権と出産に関わる自己決定権のせめぎ合いは、いまだ横塚晃一さんの著書『母よ!殺すな』(1975年)のインパクトの圏内にあるともいえる。ただ、この何十年かで、青い芝とフェミニズムという問題系のなかで培われてきた議論の深さにはかなりのものがあって、これは世界的にも重要な思想的蓄積なんじゃないかと思うんです。


母よ!殺すな

人間としての横田弘

— 荒井さんの本『差別されている自覚はあるか』では、横田さんの妻・淑子さんのお話も出てきますよね。


差別されてる自覚はあるか: 横田弘と青い芝の会「行動綱領」

荒井 インタビューでご自宅にお邪魔した際、マイセンの素敵なカップに入った紅茶と、ドライフルーツの練りこまれたパウンドケーキが出てきて、おしゃれな人だなぁと思いました。

「運動家の妻」って、尋常じゃないご苦労をされていることが多いから、お話をうかがうのがむずかしいんです。夫のイメージを守るために、話せないこともたくさんあるだろうし。

九龍 活動家としては立派でも、生活者としては……というひとも少なくないですからね。

荒井 でも、淑子さんはお話を聞かせてくださいました。「あの人は本当、ダメ人間」と笑いながらおっしゃるんですね。ぼくもつられて笑いましたけど、奥様のご苦労を思うと「笑い話」じゃ済まない。でも、なんか笑ってしまう。そこにお二人の関係がにじんでいるようで、「横田弘さんの評伝、締めの1行はこれしかない」と思いましたよ。

九龍 横田さんは障害者運動のなかである種のカリスマではありましたし、実際にたぐいまれなる思想家でもあった。同時に、ぼくたちが接してきた横田さんには、お茶目でしょうもないところもいっぱいあって、日々これ闘争という人ではけっしてなかった。荒井さんの著書『差別されてる自覚はあるか』を読んで、そういう横田さんのお茶目な部分をたくさん思い出しましたよ。

「人が人を信頼する」とはどういうことか

— 横田さんは2013年に急逝されますよね。

荒井 横田さんが亡くなってから、周辺の人たちから、どうしようもないエピソードがいくつも出てきました。横田さんって、すごく普通の人なんですよね。若い頃の横田さんをよく知る方と話をしていると、横田さんって、もともとの性格としては温厚で、怒るのが苦手なタイプの人だったんだろうとおもいます。

九龍 『さようならCP』でも、横断歩道を車椅子を使わずに、膝で歩きながら渡るシーンがあります。信号が青から赤に変わって、車にブーブー、クラクションを鳴らされているなかを、横田さんが一生懸命、反対側の道路へと渡る。いわば蛮勇ですよね。そんなことをやった直後に、横田さんの漏らす一言がよくて、「おっかなかった……」って言うんですよ。あのシーン、ホント大好き。

荒井 ああ、普通の人なんだっておもいますよね。

九龍 そりゃ、誰だっておっかないよなって。

荒井 本の中で紹介した息子さんへのインタビューで印象的だったのは、奥さまが頸椎の手術をされたときの話です。無事に手術が終わった後、息子さんが帰ろうと言ったら、「映画館にいこう」と言って、一緒にオールナイトの『男はつらいよ』を観たらしいです。

九龍 なんですか、そのできすぎた話は(笑)。

荒井 一人になるのが不安だったのか、何かして気を紛らわせたいと思ったのか。そんな人が、運動の最前線で声を張り上げていたわけです。しかも、横田さんは身体が自由に動かないわけですから、怒った健全者に暴力を振るわれたら死んでしまう可能性だってある。体格も大きい方じゃない。

九龍 むちゃくちゃ細い体格ですよ。

荒井 それでも、いろいろな人に車椅子を押させますよね。横田さんたちの活動拠点は磯子(横浜市)にあって、駅に行くには歩道橋を渡らなきゃいけないんですけど、当時のスロープは細くて傾斜がきつくて怖かったようなんです。そこを介助者に押してもらう。「介助者」っていっても、ほとんどは大学生のボランティアです。足を滑らせたら、横田さんは受け身もとれない。場合によっては命にかかわる。

九龍 それでも、すべてをゆだねる。

荒井 そこがすごいです。ぼくだったら「介助者に嫌われないようにしよう…」とか思ってしまいますよ。でも、横田さんは「健全者」とは徹底的にぶつかるし、拒絶するところは強烈に拒絶する。 「人が人を信頼する」とはどういうことかについて、身体を張って、とても大事なヒントを示してくれたんだとおもいます。

構成:山本ぽてと

<次回、10月20日(土)更新予定>

この連載について

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青い芝」の戦い

荒井裕樹 /九龍ジョー

「青い芝の会」。それは、脳性マヒ者による障害者運動団体です。青い芝の会は1970〜80年代に、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われるような運動をおこない、「強烈な自己主張」を行ってきました。学生時代に彼ら/彼女らに出会い、と...もっと読む

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コメント

YuhkaUno "その反発で「男として当たり前のこと」を願うようになるわけですが、その「男として当たり前」という感覚は、女性たちが息苦しさを感じていた価値観そのものだったりするわけです。" 12分前 replyretweetfavorite

YamamotoPotato 第四回が更新されました→ 42分前 replyretweetfavorite

YamamotoPotato 九龍「『当たり前』を疑うのって、すごくエネルギーがいりますからね」「その『当たり前』を獲得するために血の滲むような努力をしているひとにとってはなおさらでしょう。それでもなお、『当たり前』の前で思考停止しない必要がある」https://t.co/f3BxBh6tIK 約1時間前 replyretweetfavorite

YamamotoPotato 第四回が更新されたました→ 約1時間前 replyretweetfavorite