挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
とある王国の憂鬱 作者:神嶋桜貴
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
1/1

王妃様の憂鬱

「つまり、わたくしと結婚して王位を継ぎ、なおかつ最愛の人も手に入れる。と、あなた様は仰るのですか」


 あさましいこと。と言う言葉は口の中に転がして、ユーメリアは目の前の男へ冷めた目を向けた。


「…ユーメリアには申し訳ないと思う。けれど、彼女のいない人生なんて耐えられないんだ」


 この国の王太子、フレデリック・フォン・ガルディオスは情けない顔でうなだれていた。なるほど。彼自身、少しは自分のあさましさに気が付いているらしい。


「その方は爵位は低いですが、貴族だと伺っております。王位を継がなければ、その最愛の方を正妻にする事も可能では無いのですか?あなた様がそこまでその女性を好きだと仰るのなら、わたくしとしてはこの婚約を破棄しても良いと思っておりますよ。婚約は、第二王子殿下に引き継いでいただければ良いのですから」


 ユーメリアのもっともな言葉に、フレデリックは言葉を失った。


「それ、は…」


 かすれた声で一言呟いたあと、言葉が続かない。

 ずっと、王になるのだと。この国の頂点に立つ存在になるのだと思ってきた彼には、誰かにかしずく自分が嫌なのかもしれない。なんと言う傲慢さなのか。けれど、国王とはそのくらいの傲慢さが必要なのかもしれない。

 ふう、とユーメリアは息を吐いた。現状、王太子である彼が望むのなら、いくら隣国の王の血を引く娘でも、この国の侯爵家である以上、一臣下にすぎない。そんな自分では、拒否権などあって無いようなものだ。


「公務はわたくしにさせていただけますか」

「もちろんだ!」

「では、次代となるお子はその側妃となる方に産んでもらって下さい」

「…え?」


 どうやら彼は、別の女性を愛していると言いながら、ユーメリアとも夜を共にする気でいたらしい。先程から、いったいどれほどユーメリアを馬鹿にすれば気が済むのか。ふつふつと怒りが込み上げてくるが、それを完璧に押し隠して呆けた顔のフレデリックを諭すように言葉を紡いだ。


「もし、わたくしと側妃に男児が生まれれば王位争いが起こるかもしれません。わたくしは、この国を荒らす原因にはなりたくありません」

「…分かった」


 少し悩んだあと、フレデリックはしぶしぶ頷いた。正直、この婚姻の本当の意味を分かっていない彼が、なぜ悩む事があるのかと呆れる。けれど、どこまでも傲慢な彼にはユーメリアと体の関係を持てない事が不満らしい。本当にふざけている。


「では、わたくしには白の離宮を下さいませ」


 ユーメリアの言葉にフレデリックが目を瞠る。


「あなた様の寝室と繋がる部屋は、最愛の方がお使いになれば宜しいと思います。ですから、わたくしは白の離宮が欲しいのです」

「…欲しい、という事は、そこは王の権威すら及ばない場所になる、と言うことか?」


 腐っても彼は王太子。そこそこに優秀だったらしい。ユーメリアの言葉に含まれた真実をちゃんと理解したようだった。


「ええ。言葉の通りです。わたくしは白の離宮が欲しい。この二つの事を約束して頂けるのなら、わたくしはあなた様の妃となり、この国を支えましょう」


 自分の欲の為に拒否権の無いユーメリアを犠牲にするのだ。ならばこのくらいの物は貰ってもいいだろう。

 しばらく考えた後、彼は再び頷いた。さすがに大陸一の権勢を誇る帝国の、それも皇族が輿入れした家の機嫌をこれ以上損ねるのもまずいと思ったのだろう。

「分かった。君の希望を叶えよう」

 かくして、ユーメリア・フィディオリスはガルディオン国の王妃となった。



  ※




 ユーメリアは最高の状態で淹れられた、香り高い紅茶を一口含んだ。ほう、と知らず満足気な吐息が零れる。視線を滑らせれば、澄んだ湖面が太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。その輝きを受ける様に、色とりどりの花が咲いている。白の離宮が誇る、世界一と名高い庭園だ。

 ユーメリアにとって公務の合間にここで寛ぐのが、あの屈辱的な婚姻後の一番の楽しみだった。

 あれから三年。フレデリックは度々ユーメリアに夜を求めて来たが、全て断った。あの愚王は、手に入らないと思ったら余計欲しくなったらしい。あの時の彼を見てこうなる事は予想出来たから、白の離宮を手に入れたのだ。本当に、どこまでもこちらの期待を裏切らない男だ。もしあのまま続き扉の寝室にいたら、きっと今頃は既成事実を作られていただろう。

 不快な事を思い浮かべてしまって、それを誤魔化す様に甘い菓子を口に運ぶ。ほどよい甘さのケーキがほろほろと溶けた。甘さの余韻に浸っていると、一人の侍女がやってきて耳打ちする。同時に、ユーメリアは端正な顔を顰めた。呆れた息を吐き出しながら席を立つ。気遣わし気な侍女を引き連れて、優雅に歩き始めた。

 ほどなくして、ユーメリアは目的の場所である離宮の入り口に辿り着いた。予想通り騒がしさに包まれている。と言っても、一人の男の声が響いているだけなのだが。

 仕方なくユーメリアは口を開いた。


「そのように大きな声を出されて、いったいどうされたのです」


 槍を交差させた屈強な兵越しに声をかければ、顔を真っ赤にした男が睨み付けてきた。扇子で口元を隠しながら内心で呆れる。


「どうした、だと?私はこの国の王だぞ!?なのに何故、妻である王妃に会うために兵に止められねばならんのだ!」


 再び大きな声で叫んだこの男は、フレデリック・フォン・ガルディオス。三年前ユーメリアを侮辱し、己の欲望を叶えた男だ。そして三年間、王と呼ばれていた男。


「この白の離宮は、わたくしを主とする王の権威が届かぬ所。そうお決めになったのはあなた様でございますよ。それにいったい何を仰っているのです。あなた様は先日わたくしと離縁なさり、退位されたではありませんか」

「そ、それは…っ。あれは騙されたのだっ!俺はユーメリアと離縁するつもりなんて無い!」


 言い訳にももう少しまともな事があるだろうに。本当に呆れるしかない。


「ご自分で書類にサインされたではありませんか」

「離縁の書類だとは思わなかったんだ!」


 ふう、とユーメリアは不快感を吐き出す。一国の王が、なんの書類であるのかも理解せずにサインする事が何を意味するのか。その姿を見た臣下達が国王が変わることに異を唱える事をやめたのも、当たり前の事だろう。国王となれる者は彼だけでは無いのだから。


「ですが、あの書類はすでに教会へ提出済みです。今更、無かった事には出来ませんよ」

「そんな…。いや、だがユーメリアと離縁したからと言って、なぜ王位を退かなければならんのだ!」


 この期に及んで、この男はいったい何を言っているのか。ユーメリアと婚姻したからこその玉座だと忘れているらしい。なんと言葉を返そうかと考えていた時だった。


「それはユーメリア様がこの国の王妃である事は、決して覆らない決定事項で。この国の王となれる存在は、兄さんでなくてもいるからですよ。だからこそ三年前、兄さんはユーメリア様を犠牲にして廃止されたはずの側妃制度を復活させたのでしょう?運命の女性の為に」


 フレデリックとは違った落ち着いた声に視線を上げれば、二人の護衛を連れた精悍な男性がこちらへ近づいて来ていた。


「これはクライム様。ようこそ白の離宮へ。お約束の時間だと言うのに、騒がしくしておりまして申し訳ありません」


 ユーメリアは芸術とも言われている美しいカーテシーで彼を迎えた。

 彼の名は、クライム・フォン・ガルディオス。フレデリックの弟であり、彼が王位にあった時代には王位継承権第二位だった男だ。


「謝るのはこちらの方です。愚兄がお騒がせして申し訳ありません」


 困ったように笑う彼に、ユーメリアはカーテシーで答える。


「やく、そく?いや、それよりもクライム。この私を愚兄などとっ!いくら弟と言えど言葉が過ぎるぞ!不敬罪で死にたいのか?」


 そこを気にするのか、と言う言葉を飲み込む。彼はどこまでも愚かなのだ。己が愚かな事にも気づいていない愚か者。


「やれやれ、兄さん。不敬だと言うならそれこそあなたですよ。正式な戴冠式はまだですが、私は今この国の王なのですから」


 そう。クライムはフレデリックが退位した後、子がいなかった為に、そのまま繰り上がり王となったのだ。もともと優秀だと評判だった彼だから、臣下である貴族もこの国の民も、誰一人として反対する者はいなかった。


「っ!俺はお前が王になる事どころか、退位する事も認めていない!」


 クライムはわざとらしく肩を竦める。


「兄さん、いい加減にして下さい。退位して私に王位を譲る、という宣誓書にもサインしたじゃないですか。ああ、あの書類も離縁状と一緒に教会へ提出済みですよ」

「だ、だからあれは…」


 愚かな彼もようやく、どれほど叫んだところで現状を変える事など出来ないのだと分かり始めたらしい。声が徐々に小さくなっていく。


「本当は、私だってこんな事はしたくは無かったんですよ?でも政務を疎かにするどころか、国を傾けかける程に側妃や贅沢品にお金を使っては…」

「そ、そんなつもりでは…。政務はユーメリアがいたから…」

「いたから?だから兄さんが遊び呆けていて良い訳じゃ無いんですよ?王にしか出来ない事はたくさんあるんですから」


 どんどんフレデリックの顔色が悪くなっていく。ユーメリアはそんな彼を冷めた目で見つめていた。

 別に政務をしないだけなら彼が王のままでも良かったのだ。傀儡の王などこの世界にはたくさんいる。けれど彼は、国を傾けかけ、あまつさえユーメリアを侮辱したのだ。許せるはずが無かった。

 だからこの三年間。ユーメリアは政務を積極的にこなし、貴族だけでなく民の支持も集めた。全てはユーメリアに落ち度無く離縁する為。影を使って側妃に子が出来ない様に手を回しもした。きっと、この事を知った人達からは悪女だと罵られるだろう。でも、とユーメリアは思う。純粋で真っすぐなままの人間が、本当に一国を治められるのか、と。周りは己の利益ばかり考える者や、自国の為ならばどんな事でもする狸ばかりなのだ。真っ白な人間ほど扱いやすい物もいない。すぐ飲み込まれて終わりだ。まあ、そうしてユーメリアの評価が上がっていくほど、フレデリックは追い詰められてさらに堕落していったのだが。

 彼は、昔からユーメリアと自分を比べて劣等感を拗らせてきた。分かっていたけれど、その元凶でもある自分に何が出来ただろうか。悪化する未来しか見えない。だから、何もしなかった。


「さて、それでは兄さん。私とユーメリア様はこのあと話がありますから。そろそろここを離れて下さい」

「な、に?いや、待て。そう言えば約束がどうのとか言っていたか?」

「ええ。これからユーメリア様との婚姻に向けて色々と話し合わなくてはならないんです」

「こん、いん。誰と誰が、だ」

「もちろん。私とユーメリア様ですよ。帝国の至宝と謳われた姫君を母に持ち、その唯一の子である彼女がこの国で王以外の誰かに嫁ぐはずがないじゃないですか」


 馬鹿ですねー、とでも言いそうな口調でクライムは続ける。


「もしユーメリア様が王妃でないのなら、娘とその孫を愛してやまないかの帝王がこの国で婚姻を許す訳がありません。すぐに帝国の、それもふさわしい方との婚姻をお決めになるでしょうね。そうなれば、いままで帝国に庇護されてきた我が国は困ったことになります」


 フレデリックがよろめく。それほどに衝撃的な事だったのだろうか。ユーメリアとこの国の王との婚姻は決められた事。それを彼は知っていたはずなのに。まるで助けを求める様に視線を彷徨わせたあと、フレデリックはユーメリアを見つめた。


「ユーメリア…。君は俺を愛していただろう?だからあの時、俺を支えると言ってくれたんじゃないのか?」


 フレデリックの情けない顔が、かつて幼かった頃の彼に重なる。泣き虫で弱くて、けれど良き王になるのだと言っていた。それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。


「わたくしはあなた様をもう、愛してなどおりませんよ。あの時もわたくしは、あなた様の妃になるとは申し上げましたが、あなた様を支えるとは一言も申し上げてはおりません」


 今度は完全に言葉を失ってしまったらしい。真っ白な顔で呆然としている。別の女性に愛を囁いておきながら、どうしていつまでも心を寄せていて貰えると思っていたのか。

 本当に、どこまでも愚かな人。

 クライムが己の護衛にフレデリックを連れて行くように命じる。抵抗することなく彼は歩き始めた。きっとこのまま、彼が蟄居させられる予定の北の塔へ連れて行かれるのだろう。塔には、フレデリックが運命の相手だと言った女性も行く。けれど、継承問題が起きないように、同じ部屋で暮らす事は許されない。同情はしない。病死しないですむ温情が与えられているのだから。


「本当に、うちの愚兄が申し訳ありません」


 かけられた声に振り向けば、いつの間にかクライムが隣に来ていた。


「いいえ、クライム様に謝罪して頂く事ではございません。わたくしにも、いたらない所があったのでしょう」


 そっと目を伏せる。胸の奥がチクりと痛むのはきっと、愛は無くとも情はあったから。きと、そう。

 その時だった。衣擦れの音と共にクライムが片膝をつくのが視界に入る。まるで騎士が主にするような行為だ。突然の事に、さすがのユーメリアも目を見開いた。


「こんな事を突然言われたら、きっとユーメリア様は驚かれるかもしれません。けれど言わせてください。私はずっと、あなた様をお慕い申し上げておりました。兄の婚約者だった頃からずっと」

「クライム様…」


 苦笑を浮かべた後、クライムは真剣なまなざしをユーメリアへ向けた。小さく心臓が跳ねる。


「兄の婚約者だったから。この思いは封印するつもりでした。臣下として二人を支えていけるだけで充分だったんです」


 ここが離宮の入り口で、あの騒ぎの後だから人がたくさんいると言うのにクライムはまったく気にしていない。いや、もしかしたらだからこそ、なのかもしれない。


「クライム様、わたくしは…」

「分かっています。だからこれは私の、いえ俺の自己満足です。あなたに永遠の愛を誓わせて下さい。決して俺はあなたを裏切りません。あなただけを愛します」


 これは、フレデリックの事で帝国から不興を買ってしまったからこそのパフォーマンスなのだろう。これ以上ユーメリアを蔑ろにすれば、きっとこの国は帝国に滅ぼされる。そう、だからこそのクライムの態度と言葉。分かっている。きっと本心からではない。分かっているのに……。


 どうして彼の瞳は熱を孕んでいるのだろう。

 どうしてその瞳の奥に狂おしい程の劣情がちらつくのか。

 剣ダコの出来た手が差し出される。そういえば彼は将軍の地位にいたのだと、どうでもいい事がよぎった。


「わたくしは今、あなたを愛しておりません」

「はい」

「あなたの言葉が本心なのかも、信用出来ない」

「分かっています」


 武骨な手を見つめる。そうして、どこまでも真摯で熱い瞳と目を合わせた。


「それでも良ければ、わたくしはあなたを信じられるようになりたい。…と、思います」


 そろそろと、差し出された手へ触れるか触れないか程度に自分の手を重ねる。白くて滑らかなユーメリアの手を、クライムは壊れ物を扱うかのように包んだ。静かに立ち上がる。


「あなたが俺を信じて下さるように、俺は俺の全てを捧げます」


 クライムが破顔する。まるで心の底から溢れる喜びが隠しきれなかったのだと言うように。


「よろしく、お願い、します」


 ユーメリアは彼の瞳を言い終わるまで見ていられなかった。頬と耳が熱い。

 そうして、予感にも似た確信がよぎる。

 わたくしはきっとこの人を…。



ここまで読んで頂き、ありがとうございました!

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。


評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。