誰かひきこもりの聞き手になって、適当に相槌を打ってほしい。

今日、悲しいことがあった。

電話をかけたが、繋がらなかった。

それだけだ。

だけど、めちゃくちゃ悲しかった。

 

僕は数年前の深夜、痙攣が止まらなくなった。

病院に搬送されると、両腕から血液検査用に血を抜き取られた。

当初原因はわからなかったものの、CRPが13を超えていたことから入院することに。

その後腹腔鏡手術をすることが決まるも、手術室の空きがなかったもんだから、手術予定日まで入院することに。年末年始は病院で過ごした。

手術後の病棟でのリハビリも含めれば、2ヶ月ほど入院していたと思う。

その間、ずっと話し相手になってくれたお爺ちゃんがいた。本生(もとお)さんっていう人なんだけど。

 

手術前は緊急入院だったもんだから、二人部屋しか空き室がなかった。そこで相部屋になったのが本生さんだ。

糖尿病でインスリン注射を打っていたのが印象的で、入院した理由は肝臓がん。齢80を超えて僕の父より年上なのに、饒舌で愛想もよく、看護師さんへのセクハラが大好き。

 

縁もゆかりも無かったもんだから、僕は話しかけなかった。

だけど、むこうは違った。入院期間は長期にわたり、その間ずっと相部屋の患者が入れ替わっていった。中には、数日で退院された人もいたという。

時々娘さんがお見舞いにきていたけれど、社会人だから終業後になる。面会時間は限られ、少し話せば帰ってしまう。

心細かったのかよく話しかけられ、僕も答えた。

 

若かった頃はよく旅行にいったようだ。そこでどんなうまいもんを食ったか聞かされた。

僕は食事制限で絶飲食が続いていたからキツかった。

当時は退院したらなにがしたいか語り合った。僕は当時、「復学して卒業したい」「就職したい」と答えたと思う。

 

その後、僕は先に手術することになり、本生さんとは別れることになった。

僕は手術後の別病棟で激痛からリハビリをサボり、数時間おきに緑色の胃液を吐き、なおも続く絶飲食と、相部屋の患者のさしいれの匂いに堪りかね、二週間後一人部屋に移らせてもらった。当時の体重は41キロ。色々限界だった。

本生さんはそのころに、手術後の病棟に移られたようだ。

僕の病室の番号は伝えてあったので、覗きに来たらしいが入れ違いに。先に退院したんだろう、と諦めていたらしい。

 

だけど運命ってあるもんだ。

僕がリハビリを頑張り、退院日が決まった頃だ。見舞いに来た母が偶然エレベーターで鉢合わせした。その後お見舞いにも来てくれた。

そして、電話番号を渡された。

僕は心に誓った。卒業するか、就職して社会復帰できたら電話をかけよう、と。

当時の僕の認識は甘かった。手術をすれば全てがリセットされて、人生の再スタートがきれると思っていた。実際は慢性的な下痢に苦しみ、年に1~2回は痔瘻が悪化して、病院で排膿してもらうことに。転校したNHK学園の通信コースは学費滞納で退学処分となり、バイトの面接は全滅。近場のコンビニやドラッグストアでは働けなかった。

 

その後は父の浮気に、母方の叔父の脳挫傷老老介護による叔母との喧嘩。父方の叔母の骨粗鬆症による骨折。認知症による要介護認定。父兄弟による叔母の自宅前投棄。自宅のリフォーム。介護疲れ。自宅の差し押さえ。色々あって電話をかける余裕はなかった。

 

そして、2018年の夏。僕は仕事が見つかった。

1ヶ月がたち、電話をかけた。

繋がらなかった。

「お客様の都合により」云々。

ショックだった。

話したいことはたくさんあった。

だけど、伝えたいことがたくさんあったわけじゃない。

僕はずっとひきこもっていて、小学校すら5年生の頃からまともに通っていない。代わりに塾通いは続けていたけど、みんな真面目だったからプライベートな話はしなかった。

だから、他愛もない世間話を繰り返し、社会における自分の立ち位置を理解する機会がなかった。

ひきこもっていたから友達は居ないし、未就学児のころ阪急百貨店に足繁く連れて行ってくれた母方の叔父は喋れないし、叔母とは今となっては険悪だ。

父方の叔母もボケていて、今では介護施設に缶詰だ。

父兄弟は気づいたら福島県の復旧工事に出かけていて、行かなかった人たちのほうが先に死んだ。

 

猛烈に話し相手がほしい。

いや、もしかしたら適当に相槌を打ってくれるだけの聞き手がほしいのかも。

よくわからない。

それで、あー僕は〇〇が足りないんだ。僕の年代の人は〇〇をやるのが普通なのかー。ああ、〇〇って流行っているんだ。僕は遅れてるなー、と感じたい。

 

若者の使っているSNSにも手を出してみたけど、K-POP一色でついていけないし、オタク層は今やってる深夜アニメの話題しかしていないし、ひきこもっているから政治に感心が持てなくてそういう層とも交流はもてないし、クローン病の患者の会には健康な人しかこないから話が続かない。

 

平成がもうすぐ終わる。二年後、東京五輪が開催される。僕よりも若い子は勉強に頑張り、就職している。

それは分かる。

だけど、僕はなにをしていてどこへ向かうのか、よくわからない。5年後のことも、10年後のことも。両親の死後のことも。

今いる場所でさえ、よくわからない。

 

そんな話も本生さんなら全て受け入れてくれるような気がしていた。お互いの名前や事情は知っているし、遠慮する必要もないから腹を割って話せる。だが、今はもういない(電話番号を変えただけで、ご存命かもしれないけど)。

 

考えはまとまらないが、言語化はしてみた。

1人で貯め込むよりは健全だと思った次第。

Twitter @kuron_hatena