もう10回以上は観ている。
京アニ時代は一年に一回必ず観る映画の一本だった。
初めて買ったDVDもこれだったような。
「一年に一回必ず観る」映画、もうなくなったね・・・。
ヴィム・ヴェンダース。
若い頃おおいにパク・・・いや参考にした監督だ。
『AIR』の5話は完全に意識している。
簡単に言えば孤独な青年と少女とのちょっとした逃避行、淡い恋物語という、まぁ映画好きにはたまらん素材だ。
しかしそこはヴェンダース、ここに「見る」とは?「撮る」とは?という、実に映画的なテーマを盛り込む。
主人公・フィリップが「見たままが撮れていない」と煩悶する「写真」が、アリスにとっては、証明写真が温かい「思い出」として残る。
「見えた」景色は人それぞれ、みんな違う。その違いに人間は悩む。
しかし、それでも人間は、同じ景色を見たいと願う。
実に普遍的なテーマをしれっと織り込んで、しかし説教臭くはならない。
ゴダールならもっとインテリぶってやっちゃってるところを、ヴェンダースは叙情を忘れず、描く。
「ニューシネマ」の最たる特徴だ。
ラスト、列車の中でアリスが、
「これからどうするの?」
フィリップは、
「物語を書く。君は?」
アリスは黙って窓を開く。
アリスのフィリップへの思慕が滴り落ちるような感動的なシーンだが、同時にこれは、ジョン・フォードの死という「映画の死」と向き合ったヴェンダースの、それでも抑えきれない映画への思慕と重なるのだ。
映画は死んだ。しかし、ゾンビのようにこれからもしぶとく残る。
ヴェンダースはそれに十分過ぎるほど自覚的だった。
そして今、アニメも死んだ。
「アニメの死」以降を生きる、その覚悟が、僕達にも必要だ。