百千の葉草もみぢし
野の勁(つよ)き琴は 鳴り出づ
哀しみの
熟れゆくさまは
酸き木の実
甘くかもされて 照るに似たらん
われ秋の太陽に謝す
伊東静雄
澄み渡る秋空の下、娘氏の幼稚園で第3645回大運動会が挙行された。
年長さんとなった我が子の最後の雄姿をこの目に焼き付けようと、朝から荷物を抱えて幼稚園に乗り込む一人の父親の姿があった。
だが、父親は忘れていた。今年から開門時間が30分早まっていたことを。
というワケで、運動場の隅っこの草が生い茂り、蚊が乱れ飛ぶカスみたいな一角で一族郎党が集結して運動会は始まった。
まずは玉入れ。顔に玉が当たって泣き叫ぶ娘氏をしっかりシャッターに収める。去年はかけっこでコケて泣いていたな、その前はお目当ての景品が取れなくて泣いていたな、と記憶が鮮明に蘇る。
クラスメイトのお友達も知らない間に大きくなって、ワタクシの股間をニギニギしに来る。だんだん当たりが強くなってきて、人の目がなければ頭を叩いてしまいそうになる。
続いて愛する嫁と我が子が手をつないで、親子ダンスが始まる。嫁もなぜか体が横に広がった気がするが、気のせいだろう。他のママ達も漏れなくウエスト周りが成長している。
かけっこが始まる。1か月前からこの日に向けて、娘氏は家から幼稚園までダッシュする特訓を続けていた。努力をすれば必ず結果が出るワケではないが、その過程で得たモノはいつか君の助けになるだろう。
かろうじて2着に滑り込んだ娘氏は、少し悔しそうで少し誇らしげで、すっぱいミカンを食べたようなはに噛んだ笑顔見せてくれた。パシャリ。
ファインダー越しに眺める娘氏は、親バカ丸出しだが誰よりも輝いて見える。
いつの間にか背も伸びてカメラに収めるのがカンタンになったのか、ワタクシのカメラ技術が上がったのか。
とにかく、ワラワラいる子供たちの中から不思議と娘氏を見つけるのが上手くなった。
尊敬するD・カーネギー先生の名著「人を動かす」にこんな記述がある。
笑顔は好意のメッセンジャーだ。受け取る人々の生活を明るくする。しかめっ面、ふくれっ面、それに、わざと顔をそむけるような人々のなかで、あなたの笑顔は雲のあいだからあらわれた太陽のように見えるものだ。
「人を動かす」101ページより引用
結婚以来、嫁のしかめっ面に攻撃され、姑から必死に顔をそむけて生きてきたが、娘氏の笑顔に救われていたような気がする。
娘氏が生まれるまでは、毎日、自然な笑顔を忘れていたように思う。自分に幻滅していたのか人生に幻滅していたのか、知ったこっちゃない。
だが、娘氏が嫁の腹から飛び出して、毎日、大地をドンドン踏み締めてしっちゃかめっちゃかしてくれるもんだから、笑顔もドンドン増えていった。
そんな調子で生きてたら息子氏も飛び出して、世の中の幸せを独り占めしたような笑顔をするもんだから、周りもつられて笑ってしまう。
少々金がないことなど、どうでもいい。んなことより、今日、どうやって笑って過ごすかの方が大事なのだ。それに気付くのに随分時間がかかってしまったな。
少し色付いた木々から百千の葉っぱが舞い、澄んだ空に子供たちの黄色い声が響いて、世界がまぶしく見えたアンニョイな午後。
ワタクシは秋の太陽にチャッス!アシャース!オナシャス!と、笑顔でお礼をしておいた。