実は軍人恩給で、悠々自適に暮らした 職業軍人たち
富永恭次陸軍中将
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮
「諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」と言ってたが
米軍が迫ってくると司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする
菅原道大陸軍中将:
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。
10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
倉澤清忠陸軍少佐
菅原道大の部下で第六航空軍参謀。特攻隊を次々送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ」と罵り殴りまくる。悔しさのあまり自殺した者も
戦後は復讐を恐れて拳銃を持ち歩き枕元に日本刀を置いて寝る
天寿を(略
玉井浅一海軍大佐:
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。
機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
戦後は僧侶になり、天寿を全うした。
太田正一海軍大尉:
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。
「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。
敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。
最初の富永中将は少し加筆、倉澤少佐は字数制限で少し省略してますが基本的には定番の特攻隊費コピペです。
今何故またこれを引っ張り出したかと言うと、国のために死ねとか言うような大臣が幅をきかす世になってしまったので
そんな事言う本人に限ってこんなもんよということを伝えたくなりまして。
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祖父が軍人恩給貰ってました。二年くらい施設に入って亡くなりましたが、恩給では足りませんでした。下級軍人なんてそんなもんです。何度も「負けるケンカはするな」と言っていましたが戦争の話はしませんでした。
2018/10/8(月) 午後 1:30 [ くろむ55 ] 返信する
> くろむ55さん
軍恩給の受給者は、自動的に自民の党員になるも、変な話ですね~
2018/10/8(月) 午後 2:29 [ 短足おじさん ] 返信する
転載させて頂きます。
731部隊も上層部は日本に逃げ帰って,天寿を全う。大学で教授になったお方も。逃げ遅れた下級兵士は,戦犯でした。
2018/10/8(月) 午後 10:41
返信する
> 電脳写真工房さん
理不尽な世界ですね~
2018/10/9(火) 午前 5:58 [ 短足おじさん ] 返信する