2018年は、西側先進諸国で学生運動が広まった「1968年」から50年にあたる。ドイツでは最近、この「1968年」や「68年世代」が注目を集めるようになり、トーク番組、新聞や雑誌、単行本などでこのテーマが取り上げられることが多くなっている。
だが、それは単に今年が50周年にあたるからだけではないように思われる。そこには、近年のドイツにおいて、ペギーダやAfD(ドイツのための選択肢)、新右翼運動など様々な「右」の勢力が存在感を強めるなか、右翼系の政治家・活動家たちによって、「1968年世代」という言葉がしばしば、現代のドイツ社会を悪化させ、劣化させた元凶として言及されている現状がある。
例えば、昨年連邦議会に進出し、現在世論調査での支持率が18%を超えるまでになっている右翼ポピュリスト政党AfDの政治家たちは、繰り返し「1968年世代」を攻撃している。党首をつとめるイェルク・モイテンは党集会で「わたしたちは道徳的に腐敗し、左翼・赤・緑で汚された68年世代のドイツからの脱却を望んでいる」と述べて熱い喝采を浴びている。
AfDだけではない。メルケル政権にも加わっている保守政党CSUのアレグザンダー・ドブリントは「1968年はエリートの運動だった」とし、「1968年の左翼革命とエリートの支配に対し、市民的な保守革命が必要」と主張して世論の注目を浴びた。
「68年世代」に右翼が対抗するという構図は今に始まったことではない。
「68年」の運動の「新左翼」に対抗して、すでに1970年代には「新右翼」と呼ばれる思想運動が始められている。また、1990年のドイツ統一前後に急速に台頭した極右やネオナチの運動もまた、68年世代が掲げたリベラルな倫理や道徳への抵抗に動機づけられていた。
社会学者ハインツ・ブーデが定義するところでは、「68年世代」とは1938年から48年に生まれた「廃墟の子供たち」の世代である。この世代が大学生の年齢に達した1960年代末、学生運動の中心を担うことになった。日本で言う「団塊の世代」とやや近い。既存秩序からの解放、自由・平等・参加、開かれた多様な社会の実現など、ドイツに限らず先進諸国における「68年」の運動はどれもこのような理念を掲げていた。
しかしそれに加え、ドイツでは「68年世代」にとって極めて重要なテーマがあった。それは親世代のナチスへの加担である。占領期の「非ナチ化」が終了した後、彼らの親や教師が沈黙してきたナチス時代の過去を糾弾することが、大学の民主化、ベトナム反戦、性の解放などと並んで彼らの活動の一部となった。
その後この世代の若者は大学を卒業し、社会の各界で活躍するようになる。特に学校の教員になった人々は、学生時代のラディカルさからは脱していたにせよ、「68年」のリベラルで左翼的な理念を教育の場に持ち込むことになった。
1970年代から80年代にかけて中高等教育が拡大していくなか、民主主義の育成を目指す「政治教育」の授業において、「68年」的な理念は社会の公共規範として生徒たちに教えられるようになっていくのである。
これが極右運動に新たな潮流を生み出した。1960年代までの極右は主にナチスの残党かその共感者たちによるものだった。しかし1980年代に入ると、民主主義的で反ナチス的な学校教育に反発する若者(特に学業からドロップアウトしている若者)の間に極右・ネオナチ運動が広まった。