アニメ『プリンセス・プリンシパル』スパイ作品へのオマージュの数々を読み解く

スパイが出てくる小説や映画が大好きなので、『プリンセス・プリンシパル』は第1話Aパートからもう惚れてしまうくらいでした。個人的に久しぶりに毎週欠かさずリアルタイムで追って観たアニメです。

本作の面白さは色々なところにあると思いますが、何よりも好感を覚えたのは、本作が過去の名作スパイ小説、スパイ映画などから影響を受けていることが、かなりはっきりした形で見て取れることです。オマージュといって良いと思います。それも結構な数に上ります。

この記事では、そんな『プリンセス・プリンシパル』に込められている、スパイものへの数々のオマージュを見ていってみます。

話の核心に迫るようなネタバレは回避していますが、本編をある程度視聴してからお読みいただくことをおススメします。

 
1.アンジェ・ル・カレ
これはもう有名な話ですが、第2話冒頭などで語られるアンジェの変名の苗字の元ネタは、イギリスのスパイ小説家、ジョン・ル・カレです。
この小ネタは、本作のオマージュ元の大部分がル・カレの作品であることを、はっきり示しています。

ジョン・ル・カレは、現実のイギリスの諜報機関MI6(正しくはSIS)などで本物のスパイとして働いたことのある小説家。『寒い国から帰ってきたスパイ』、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、『ナイロビの蜂』、『誰よりも狙われた男』などの著作が有名で、多くの作品が映画化されています。(ジョン・ル・カレ -Wikipedia)

詳細は後述しますが、このうち『プリンセス・プリンシパル』に一番大きな影響を与えたのは、長編小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(1974年)と、それを映画化した『裏切りのサーカス』(2011年)だと思われます。(※詳しくはこの制作者インタビューでも語られていますね→橘正紀監督、梶浦由記さん、湯川淳CPに聞くTVアニメ『プリンセス・プリンシパル』誕生秘話

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ル・カレ作品の特徴を一つ挙げるとすると、いわゆるジェームズ・ボンド的な、派手でアクションに溢れたスパイとは全く反対の位置にある、もっと地味で冷酷でリアルな世界――監視とか尾行、聞き取り調査がほとんど――のスパイを描いていることです。

『プリプリ』も一見アクションが目立ちますが、例えば第2話や第6話、第8話のように、かなり地道で慎重さが求められる任務、そちらの方に実は本質があると思います。本当に外連味だけのスパイアクションにしたかったら、わざわざそんなエピソードは入れないはず。そして、そういったリアリティ重視のスパイ描写を含めながら、上手いことエンタメに仕立て上げられている作品は、なかなかありません。

 
2.コントロール
『プリプリ』の設定の中ではアルビオン共和国のスパイ組織の名称ですが、ジョン・ル・カレの作品では、コントロール(Control)は組織名ではなく、個人の名前として出てきます。英国諜報機関(通称:「サーカス」)のチーフであり、劇中で一度も本名は明かされません。『プリプリ』で言うところの、Lに相当する人物ですね。

少し付け加えると、チーフの名前がアルファベット一文字なのは、映画『007』シリーズでのMI6の長官Mが元ネタで、そしてさらにその「一文字」の元ネタは、現実のMI6の初代長官マンスフィールド・スミス=カミングという人物で、彼が書類へのサインに、イニシャルの「C」だけを書いたため、以降の歴代長官もサインに「C」とだけ書く習わしができました。
ジョン・ル・カレの作品もそれを踏まえ、サーカスの長官の名前をCで始まる単語Control(コントロール)としており、それが『プリプリ』まで行き着いた……という流れが見えます。

ところでLは何の頭文字なんでしょうね。”Leader(リーダー)”? それとも”Liar(嘘つき)”?


C「Mが何の頭文字か知ってるか? “間抜け(Moron)”だ」
(カチッ)
M「Cが何の頭文字か今分かったよ…」(ジャラッ)「“不注意(Careless)”」

――映画『007 スペクター』

3.チェンジリング作戦
今更解説は不要でしょうが、チェンジリング(Changeling)とはそもそも、 ヨーロッパの伝承で、妖精が人間の子供を連れ去った後に残していくと信じられた、「取り替え子」を意味します。(=change(変える)+ling(人))
つまり、ファンタジー由来の作戦名です。

ジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』では、「ウィッチクラフト(Witchcraft, 魔法)」と名付けられた作戦が物語の鍵となっています。サーカスの一幹部アレリンとその一派が提案した作戦で、「マーリン(Merlin)」と名付けられた謎の情報提供者からソ連の重要情報を入手するというもの。
物語の主人公ジョージ・スマイリーは、最初その信憑性を疑いますが、しかしその情報は驚くほど正確で価値の高いものでした。アレリン達は、政府や軍に高く評価され、一方で何も成果を出せない現長官のコントロールは、次第に劣勢に立たされます。


スマイリー「どこでこれを?」
コントロール「わしじゃない。パーシー・アレリンが持ってきたのだ」
エスタヘイス「ちょっとコントロール――」
コントロール「黙れ!」
エスタヘイス「」
ヘイドン「ひどいものだ。最初から最後までいかにも作り物っぽい。だが、本物の可能性もある」
スマイリー「これが本物だとしたらまさに“砂金”だが、タイミングが良すぎるところが怪しい」
コントロール「スマイリーは疑ってるぞぉ、パーシー」
スマイリー「どこで入手した? 情報提供者は?」
アレリン「私の新しい情報源だ」
スマイリー「だが一体どの筋の――」
アレリン「彼はソ連の重要政策決定レベルにアクセスできる人物だ。我々は“ウィッチクラフト作戦”と呼んでいる」
コントロール「パーシーはわしらの頭越しに大臣に直接それを見せたのだ、スマイリー。パーシーは、“新しい友人”の身元を最高機密にする了承を得た」

――映画『裏切りのサーカス』

やがて猜疑心に囚われたコントロールは、「サーカスにソ連の二重スパイがいる」と考えるようになり、ある時スマイリーにも知らせず、秘密裏に作戦を始めます。それは「テスティファイ(Testify, 証明)作戦」と名付けられました。

「ウィッチクラフト」も「マーリン」も、イギリスの魔法使いの伝説から採られた単語で、また「テスティファイ」は中世の魔女裁判とも縁のある単語です。こちらも、ファンタジーや民間伝承から着想を得たコードネームと言えます。
『プリプリ』において「チェンジリング」という単語が使われたのは必然的だと思いますが、こうして伝説やファンタジーに基づいたコードネームを付けているのも、一種のオマージュかもと私は思いました。

ちなみに『ティンカー、テイラー、…』では、テスティファイ作戦は失敗に終わります。コントロールは失脚し、スマイリーも引退を余儀なくされますが、その後サーカスに二重スパイがいる疑惑が再び持ち上がります。スマイリーはその捜査を頼まれ、やがてウィッチクラフト作戦は「魔法」ではなく、隠された仕掛けがあることを突き止めます。
この話は、「スパイの世界において『魔法』は存在しない」ということを証明していく物語でもあるのです。

4.時系列シャッフル
『プリプリ』では各エピソードの放送の順番と、実際の時系列とが一致してませんが、小説『ティンカー、テイラー、…』および映画『裏切りのサーカス』もプロットの順番が出来事の時系列と一致していません。
『ティンカー、テイラー、…』は、過去のテスティファイ作戦の失敗の真相を、現在の時間軸でスマイリーが調査していくというプロットとなっており、頻繁に過去の回想描写と現在の描写とが入り交じります。そういったストーリーテリングはなかなか書くのも難しいようで、作者もこう明かしています。

わたしはストーリーを最初から最後まで現代にして、後日用いたフラッシュバックを取り入れるつもりは、じつはなかった。だが、いざ本格的に執筆にかかると、それでは自分を窮地に追い込んでいることがわかった。直線的に話を進めながら、同時にその直線路をふりかえって、主人公を物語の出発点まで連れもどすうまい方法が考えつなかいのだ。それで長らく悩んだすえのある日、原稿をそっくり庭に持ち出して焼却し、また最初からはじめた。

――小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』[新訳版] 著者序文

『プリプリ』もチェンジリング作戦を軸に話が進んでいるものの、その作戦の中身自体は、実はそれほど説明しておくべき量は多くありません。だから、各エピソードの順番を大胆に入れ替えてしまっても、それほど理解に苦しむことはないのです。なので、例えば第1話に引きの良いアクションメインの話を持ってきておいて、第2話から本題に入る……、というプロットの組み方が許されます。

5.テーブルの上の置き時計
『プリプリ』でLや7、大佐らがいる会議室のテーブルに、振り子式の置き時計がありますが、似たような時計は映画『裏切りのサーカス』の作戦室にも映っています。

『裏切りのサーカス』より


動いているところを見た方が分かりやすいかもしれませんね。(↓予告編動画の0:30~)

これを初めとして『プリプリ』の背景美術は、上記映画をビジュアル面で参考にしている気がします。

6.亡命希望者を乗せてカーチェイス
『プリプリ』第1話冒頭のカーチェイスシーン、雰囲気は全然変わりますが、個人的にガイ・リッチー監督の『コードネーム U.N.C.L.E.』序盤のシーンを思い出させて、初見の時は一人で勝手にテンション上がってましたね。
CIAエージェントが東ベルリンの女を連れ、KGBエージェントの追跡を逃れてベルリンの壁を目指すシーン。


ソロ「奴らはまだ尾行しているか?」
ギャビー「ええ」

ソロ「……奴らの一味か? 口は動かさず答えて」
ギャビー「んん…」
ソロ「こっちを見ているか?」
ギャビー「んん」
ソロ「ハンドルに片手だけ乗せている?」
ギャビー「んん…」
ソロ「銃声のような音が聞こえたら……、走れ」
……
(パスッ パスッ)

――映画『コードネーム U.N.C.L.E.』

7.秘密の武器庫
『プリプリ』第3話にて、黒板を裏返すと武器がずらっと並んでいるシーンがありますが、これもスパイもののお約束的な要素だと思います。最近の映画なら『キングスマン』とかが似ているんじゃないでしょうか。

また、ペン型の拳銃のような小道具なんかもお馴染みですね。


ボンド「銃と発信機……。冴えないプレゼントだな」
Q「ペン型爆弾の方が良かったですか? ああいうのはもう古いんです」

――映画『007 スカイフォール』

8.即席の武器
『プリプリ』で、ちせがアイロンやリボンの紐を武器として使ったように、何の変哲もない日用品を武器として戦うのも、ある意味スパイ作品で伝統的な要素です。

“どんな場合も、武器は身近に見出すことができる。灰皿、二枚の硬貨、万年筆。どれを用いても、相手の眼をえぐり、切り裂くことができる”戦時中、オクスフォードの例の家で、ものしずかな小男だったウェールズ人の軍曹が、好んで口にした教訓である。“ナイフ、ステッキ、ピストル、なんであろうと、一時に両手をつかうべきでない。左手はいつも自由にして、下腹にしっかりあてがっておくこと。武器になるものを見出せないときは、両手をひろげ、親指を曲げずに伸ばしておけ”リーマスの右手が、マッチ箱を縦ににぎりしめ、押しつぶした。ぎざぎざの先端をもった木片が、指のあいだからとび出した。

――小説『寒い国から帰ってきたスパイ』

映画でいったら、『ジェイソン・ボーン』シリーズの丸めた雑誌ファイトシーンを私は推します。

 
9.私的な理由で嘘をついたスパイが代償を払う
最後はちょっと真面目な話に戻りますが、スパイものを観ていると、スパイ達が使う嘘には二種類あることが見えてきます。一つは、任務のためにつく嘘。もう一つは、組織のためではなく、自分自身のためにつく嘘
『プリプリ』のアンジェがつく突拍子もない嘘は、ほとんどが結果的には任務を遂行するための嘘です。しかし、彼女は自分の出自の真実を、コントロールはもちろん、プリンセス以外のチームの仲間にさえ隠しています。

今作の主たるオマージュ元であるジョン・ル・カレの作品では、任務のためではなく個人的な理由から嘘をついた人間は、最終的には全員、何かしらの形で代償を払う運命を辿っています。ネタバレになってしまうので詳細は伏せますが、その罰の大小はさまざまで、究極的には命を犠牲にする人もいます。

スパイ・エージェントは、組織のために働く一方で、自分自身の生活や安全を守るために自分の意志で動いています。組織の方は、現場の各エージェントが信頼に足る人間であることを前提として、初めてまともに機能するようになっています。よって、組織はその構成員に対し、組織に絶対的に忠誠であることを求めてきます。

しかし、どんな人間も弱みというものを抱えています。弱みの無い人間はいません。そして、諜報戦の本質とは、敵方の人間が抱えている弱みを見つけ出し、それを徹底的に利用して自分達の優勢に繋げることです。あらゆるスパイは、その弱みが敵に露見してしまった時、組織を守るか、自分自身を守るか、という究極の選択を迫られます。

『プリンセス・プリンシパル』の世界でも、犠牲になっているのは何かしらの弱みを持っていた人々です。病気の家族がいる、壁の向こうに離れ離れの家族がいる、食べるのにも困るほど金がない、任務や仕事から逃れて自由に暮らしたい……。
アンジェは自分の究極の秘密を覆い隠すことによって、一見スパイとして”無敵”のように見えます。しかし、それはプリンセスとの信頼関係があるからこそ成り立っている強さであり、実際はいつ崩壊してもおかしくないほど危ういバランスの上に立たされています。(そして、全く同じことがプリンセスの方にも言えます。)

『プリンセス・プリンシパル』を、スパイものとして骨太の物語たらしめているのは、この諜報戦の醜さをしっかり捉えているところだと思います。犠牲になるのはいつも、スパイではなく「人間」であること。このテーマが物語を貫いているところが、私がこの作品に惹かれた理由です。

ドロシー「私達はスパイだ。でも、スパイである前に人間だ。割り切れるかよ!」
アンジェ「私は黒蜥蜴星人よ。人間じゃないわ」

ドロシー「…………。嘘つき」

――アニメ『プリンセス・プリンシパル』第11話

最後に
何はともあれ、『プリンセス・プリンシパル』、めちゃくちゃ面白かったです。気付いていたらハマっていた感が凄いです。そして、改めてスパイものを好きで良かったと思いました。

本記事で紹介したスパイ作品の数々も、本当に面白いものばかりなので、もし『プリプリ』でスパイもののジャンルに興味を持った方がいたら、ぜひチェックしていただきたいです。
ジョン・ル・カレの小説が超おススメですが、正直ストーリーが複雑で忍耐を要するので、海外小説にあまり慣れてない人には難しいかもです。上記で紹介した映画『裏切りのサーカス』は、これ以上望めないほど完璧な映画化作品なので、こちらもおススメします。映画か原作小説どちらかを観た上で、もう片方を観ると理解が進みやすいと思います。

『プリンセス・プリンシパル』、2期はあるのか無いのかという点が個人的に最大の気がかりではあります。あんな終わり方されたら、もっと観たくならないわけがありませんので……。
いつか吉報が来ることを願いつつ、私はそのうちブルーレイの特典のノルマンディー公ドラマCDでも聞いてみたいと思います。

10.おまけ
第4話終盤にて、スパイのことを「鳩」に例えることがある、という逸話がありました。個人的に聞いたことが無いなぁという感じでしたが、今年になって出たジョン・ル・カレ初の回想録のタイトルが『地下道の鳩』(原題”THE PIGEON TUNNEL”)であることを思い出し、一人で「へぇ~…」となりました。

地下道の鳩: ジョン・ル・カレ回想録

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カテゴリー: 良いモノ語り, 良いモノ語り -アニメ

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