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店人いま274
すべての源は自分自身 アメーバーのごとく変化し時代に即した経営を実践
青木俊夫氏 ㈱ハミングバード・インターナショナル(日専連仙台)聞き手 高桑 隆
今回は、仙台を中心にイタリアンをはじめ、牛たん、ラーメン店など14店舗を展開する㈱ハミングバード・インターナショナルの2代目青木社長にインタビューしました。青木社長は大学時代に100名もの部隊を引き連れ、学生運動をやりすぎて大学を中退。その後、就職先がどこも見つからず、とりあえず東京に出て、そこで見聞き体験する中で家業の飲食店を継ぐ決心をされました。そして、東京で流行っている店をとことん研究し、地元仙台でもがき苦しみながら実践し、みごとブレイク。
青木社長はチャレンジ精神旺盛で、一見すると大胆な方に見えますが、スタッフの教育から組織体系など、実に緻密な計画のもとに経営されています。
そして、さらなる出店先としてはアメリカを視野に入れています。しかしそれにとどまらず、青木社長は「全世界を狙いたいね。夢を語るのは自由だろう」と笑いつつ、目は真剣でした。
仙台にないパスタ店に着目 店に通いつめ徹底研究
●創業はいつになりますか。
青木 1957(昭和32)年に父が創業しました。
●青木社長は2代目になるのですね。ご商売は今と同じ飲食店でしょうか。
青木 パパ・ママストアーの飲食店です。10坪くらいの小さなスナックですね。
●青木社長が継がれたのはいつごろですか。
青木 私は学生運動をやりすぎまして、大学を退学させられました。当時、100人ぐらいの部隊を引き連れていました(笑)。店を継ぐ気はなかったのですが、就職先がどこも見つからなかったので、親父の紹介で東京の三井グループの会員制クラブである三井倶楽部に潜り込ませてもらったんです。そこには偉い方がたくさん見えますので、日本の経済はこうやって動いているんだということを働きながら学びました。
●そのときは、ホールを担当されていたのですか。
青木 そうです。そこに2年くらいいまして、その後は都内のレストランを何店か渡り歩きました。そのうちに飲食店もおもしろいと思いはじめたので、腰を落ち着かせてやってみようと思いました。東京には4年くらいいましたかね。それで仙台に戻って親父を説得してもう1店舗出してもらいました。そしたら2年後くらいに親父が亡くなりまして、私が29歳のときに社長になりました。
●29歳で社長になられたということは、学生時代100人の部隊を引き連れていたリーダーシップがあったからですね。売上げ的にはどうでしたか。
青木 安定した売上げでしたが、このままでは発展性がないと危機感は持っていました。それで、ちょくちょく東京に行き、何かいいアイデアはないかと店を見て歩きました。その中でパスタに注目したんです。それからは東京に行けば10カ所以上のパスタを食べ歩きました。
●当時、パスタ専門店は珍しかったのでは。
青木 仙台には1軒もありませんでした。ちょうど、ゆで上げスパゲティーとして「壁の穴」が東京で流行りだしたころです。
●当時、スパゲティーといえばナポリタンかミートソースくらいしかありませんでしたね。
青木 ターゲットにしたのは、新宿野村ビルの地下にあるお店で、カルボラーナやウニ、タラコのソースがありまして、ぜひ仙台でやってみたいと思いました。東京に行くと、その店に1日に4~5回行き、オープンキッチンのカウンターに座ってどうやって作るのか見ていました。1日に何度も行きましたから不思議がられたでしょうね(笑)。ゴミ箱もあさりましたよ。そして、自分で何度も作って研究し、2年後の1980年に、仙台にハミングバードをオープンさせました。
●当時のメニューを教えていただけますか。
青木 タラコ、ウニ、納豆などを使ったパスタで、注文をいただいてからゆでますので時間がかかります。値段も高い、遅い、なんだかわからないという感じですから、3カ月ぐらいは苦戦しました。そのうち、マスコミが取り上げてくれて大ブレイクしました。
多彩なジャンルの店を展開 でも、当時はもがき苦しむ
●店名の「ハミングバード」は、羽ばたくという意味でお付けになられたのですか。
青木 それもありますが、響きもなんかカッコいいじゃないですか(笑)。
●HPを拝見すると14店舗あり、イタリアンを主体に、牛たん、ラーメンまで、いろいろなジャンルのお店がありますが、多店舗化したのはいつごろからですか。
青木 私の代からです。
●2号店は、どんなお店を出されたのですか。
青木 1998年ごろ、仙台一の繁華街である一番町に出店したⅤECCHO(ベッキョ)というイタリアンのお店です。それ以前にも出店しましたが、失敗の繰り返しでした。当時はもがき苦しみましたよ。
●先ほどそのお店を見てきました。立地はこことずいぶん違いますね。
青木 ここの1号店はビジネス街ですが、休日の土日が忙しいんです。マスコミに取り上げられてから、わざわざ来てくれるお客さまがたくさんいらっしゃるんです。一番町のような繁華街に出せば、一層アピールできると思ったんです。また、回転率を上げるためにゆで時間のかかる乾麺から、短時間でゆでることができる生めんに切り替えました。
●お客さまは、たくさんいらしたのですか。
青木 それが店は2階なので、お客さまが入ってきてくれません。試行錯誤して、焼きたてのパンの食べ放題をやったところ、やっとお客さまに認知されるようになりました。そしたら急に忙しくなりましたので、アメリカに留学していた長男を呼び寄せて、店を手伝わせました(笑)。
●2号店のお店には、熟成肉がありましたね。
青木 実は、2号店も古くなったので、移転を考えたのですが、70~100坪くらいの店がほかになかったもので、改装してリニューアルオープンさせました。でも単に改装するだけでは面白くないので、新たな食材として熟成肉に目をつけたんです。ドライエージングといいまして、肉を熟成させて旨味を引き出すんです。ドライエージングはニューヨークに行ったときに、たまたま入ったレストランで出会ったんです。熟成させることで、肉の嫌な脂が抜けて、おいしく食べやすくなるんです。温度調節して湿度を上げ、風を送り、酵素を肉に付着させて熟成させるんです。
●酵素でも、いろんな種類がありますよね。
青木 酵素が味の決め手です。企業秘密で教えられませんが、ヨーグルトやビールなどの酵素をいろいろ研究し、何度もトライしました。
●どれくらいの期間をかけて熟成させるのですか。
青木 約1カ月です。脂が少ない赤身の肉が適しています。
スタッフ向けの教育プログラムを充実
●ラーメン店も出されていますね。その経緯について教えてください。
青木 息子が3人いて、長男を最初に呼び寄せて後継者として店を手伝わせていましたが、次男もアメリカに留学していて学校を出てしばらくして呼び寄せたんです。そして、三男坊はいわゆるヤンキーでして、一応うちの会社に入れたんですが、ラーメン屋でもやらせようと思いまして、東京に3年ほど修行に出したんです。でも、この三男が1番舌の感覚が優れているんです。帰ってきてからは、うちの焼き鳥店で働かせて、試しに三男にラーメンを作らせてお客さまに出してみたんです。それが好評だったので出店させました。
店名は「ビリー」といいます。その由来は、うちの三男は学校の成績はビリ、運動会もビリ、ですから店名は「ビリー」にしたんです(笑)。その三男坊に3店舗任せています。
●3店舗も見られて、立派なものですね。人を使うことは難しいですから。
青木 うちの場合は教育システムが構築されています。定期的に講師を招いてスタッフ向けのセミナーを開催しています。
●どのようなシステムですか。
青木 スタッフのランクごとにセミナーを受けてもらいます。また得意分野を磨き、上を目ざすためのキャリアアップ・プランというのもありまして、賃金体系もそれに沿ってできています。
●セミナーは、どれくらいの頻度でやられているのですか。
青木 会場を借りて、グループ別に毎月交代で朝から晩まで集中的に行なうものと、1泊2日でやるときがあります。講師は契約しているコンサルティング会社から来てもらい、毎回報告書が提出され、受講生にもレポートを書いてもらっています。また、単に仕事だけではなく、人間的にも大きくなってもらいたいし、うちの店に来て幸せだと思ってもらうように、いろいろ考えて実行しています。スタッフ同士で贈り合う「ありがとうカード」やミステリーショッピングリサーチ(覆面調査)も実施していて、それらをうちの広報誌を通じて公表しています。
アメーバーのように変化 現状維持では店は潰れる
●全体で、スタッフは何人いらっしゃるのですか。
青木 230人くらいいます。そのうち、正社員は60人くらいです。
●失礼ですが、14店舗で年商はどれほどあるのでしょうか。
青木 15億円ほどでしょうか。
●業績は伸びていらっしゃるのでしょうね。
青木 おかげさまで(笑)。でも設備投資には、かなりつぎ込んでいますよ。これまで、大店と言われた店や、勢いのあった店がなくなっていくのを見てますので、常に緊張感を持っています。
私は、変化に対応できなければ、店は潰れると思っています。現状維持ではダメです。アメーバーと同じで、変化しながら、その時々に対応していくことが大事です。
日本は食文化の先進国 出店先は世界中を視野に
●千葉県にも出店されていますね。
青木 千葉の駅ビルに2店舗出店しています。
●海外は考えられていますか。
青木 考えています。手っ取り早いのはラーメンですね。
●中国ですか。
青木 ニューヨーク、ボストンですかね。海外出店も視野にいれて、社名も「ハミングバード・インターナショナル」としました。
●日本の食文化は、アメリカでも通用するでしょうね。
青木 ニューヨークは家賃が高いですが、十分いけますね。牛たんもいけますね。ジェトロさんから、タイにテスト出店しませんかというお話もいただきました。バタバタしていて出店はしませんでしたが、ジェトロさんもサービス産業に力を入れ始めたようですね。
●日本食が世界遺産にも選ばれましたので、チャンスですね。
青木 日本は食文化の先進国で、競争原理が働いてどんどん進化しています。
●まずは、アメリカですね。
青木 全世界を狙いたいですね(笑)。夢はいくら語ってもいいでしょう。
●目が本気ですよ(笑)。
青木 ジェトロさんに、アメリカのスーパーを紹介いただいて行ったことがありますが、合同で会社をつくって出店できたら面白いなあと思っています。
失敗を転嫁せず、すべての源は自分自身にある!
●チャレンジ精神旺盛ですが、飲食以外にも興味はお持ちですか。
青木 ないですね。飲食はプロですが、ほかは何も知りませんからね(笑)。
●これまで見てきたなかで、これは凄いというお店はありますか。
青木 いっぱいありますよ。飲食店というのは食べるだけではなく、そこで過ごす時間や空間、音楽やサービス、空気、すべてが商品なんです。ですから、スタッフにはそのときにできる最高のサービスを提供しようねと言っていますし、クレドにも明記しています。
それと、私は来年あたり引退して、楽をしたいと思っています。
●引退されたら、どうされるのですか。ゴルフ三昧ですか(笑)。
青木 世界中を滞在しながら旅をしようと思っています。そこで旨いものに出会ったり、感じたことを会社にリターンしていきたいですね。私は29歳で社長になりました。長男は38歳ですから十分可能です。また、私がいては老害になりますから、いない方がいいんです(笑)。
●私もたまにですが海外に行きます。日本に戻ると「やっぱり日本はいいなあ」と思うのですが、最近は活力がなくなってきたように感じます。
青木 目の色が違いますね。東南アジアなどは、目がギラギラしています。その目を取り戻さないといけないです。私は息子にスタッフを連れて、自分の足で世界を歩いて来いと言っています。現地の雰囲気を感じることが財産になるんです。外から日本を見ることが必要です。潰れる店は、自分の店しか見ていないんです。
●最後に一言ありましたらお願いします。
青木 私はよく「ABC」だと言っています。「当たり前のことを、バカになって、ちゃんとやる」ということです。それと「TTP」で、「徹底的に、パクレ」ですね。
また、一升の器には一升の米しか入りません。人間の器も同じで、二升の米を入れたければ器を大きくするしかありません。そして、何か問題があっても世の中や人のせいにするのではなく「すべての源は自分自身にある」という考えであるべきです。
●そのためには視野を広げて、いろんなものを見聞きし、勉強することが大事になりますね。今日は、いいお話が聞けました。ありがとうございました。
㈱ハミングバード・インターナショナル
宮城県仙台市青葉区本町2─6─16
電話(022)225─0522
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