お盆は儒教(中核)を仏教で覆ったもの。カバラ(一神教+新プラトン主義)は易経(儒教の経典)とも道教(多神教)とも無関係! 寸止め陰謀論者が主張するカバラは「クリスチャン」カバラ! 加地伸行『沈黙の宗教―儒教』
Posted on 2015.08.16 Sun 04:58:48 edit
真に効果のある反対運動を潰す為に偽の類似品を作っておくのですよ。
寸止め陰謀論者に、陰謀に気づいた者を洗脳させるのと同じ手法ですね。
煽ってるのは体制側のカルト要員で、大衆を騙すことで給料をもらっています。
職業に貴賎なしって嘘だよね。
洗脳されたデモ教信者の(×立ち上がった)大衆が(集団圧力で)一丸となって向かう先にあるのが「国民投票」(秘密投票なので結果は支配層が決められる)じゃあ「戦争賛成」って言っているのと同じなんですけど。
戦争法案に賛成or反対という二択の罠にはめるという、
AかBかを選ばせてCという選択肢を考えさせない詐術も弄しております。
効果のあるデモは報道されません↓
ヒラ:// @punanny_chang 7:39 - 2015年8月14日
そうだ、昨日の夜、有楽町でたぶん九州電力の東京支店の前だと思う。デモっつーか抗議行動やってたよ。駅にいてイヤホン越しに怒声が聞こえるぐらいだった。
で、どこかメディアは取り扱いしましたか?と。
なにがSEALDsだよ、絶対止められないのに。部屋でクーラーあたって震えてな。
結局、都合の悪いことはTVに映らないんだよ 報道の自由とか死語でしょ まやかしの中に生きてるんだよ
……
盂蘭盆期間中なので、盆についての記事にしました。
お盆は儒教思想(中核)を仏教思想でコーティングした思想が基盤です。
輪廻転生したなら先祖の霊が帰って来るなんてありえないでしょ?
釈迦みたいに輪廻の輪から外れても帰って来ないし。
生まれ変わりといえば、詐欺師がよく主張します。
Xの生まれ変わりを自称するのは、Xの権威を奪うためです。
輪廻転生を外れた釈迦が生まれ変わることはないので、
釈迦の生まれ変わりを自称する宗教家は全て嘘つきです。
イエス・キリストの生まれ変わりを自称する宗教家も全て嘘つきです。
聖書ではイエス本人が偽キリストが現われると言っています。
そもそも実在しないので生まれ変わりなんてありえないんですけどね。
ちなみに、盂蘭盆にはゾロアスター教の影響があるという説があります。
…
カバラが道教の八卦思想のパクリだと言っている人がおるけどな、嘘やで。
八卦は四書五経の一つの易経が元なので儒教の思想。道教ちゃうで。
カバラは新プラトン主義の影響を受けとる。
一者からの流出という、唯一の絶対者がいるという神秘思想は、
中国の多神教+現世利益思想とは真逆やで。
カバラの中核は
①一神教
②新プラトン主義なので
多神教の時点で偽物確定!
生命の木カバラは中世からなので
古代ユダヤの生命の木(と日本)云々ときたら嘘確定!
生命の木であなたがイメージするカバラは
15世紀以降成立のクリスチャン・カバラ
=キリスト教化されたユダヤ・カバラです。
寸止め陰謀論者はキリスト教の手先だから、主張するカバラはユダヤ・カバラではなくクリスチャン・カバラなのです。
ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論と同じく、キリスト教に見えにくいキリスト教思想
=外見がユダヤでも中身がキリスト教思想。
物証成立年代を捏造するのが日ユ同祖論者の特徴ですが、
カバラに関しても、教典の成立年代を確かめないと騙され放題ですよ。
カバラの基本経典は紀元前には存在しません。
①イェツィラー
(3~6世紀。新プラトン主義成立後)
②バヒル(12世紀)
③ゾーハル(13世紀)。
ユダヤ・カバラは旧約聖書重視(カバラにもともとは生命の樹なし)。
クリスチャン・カバラ(生命の樹中心)は15世紀にピコが創始。
インドの伝統的思想を破壊してキリスト教思想で塗りつぶすために、インド風キリスト教神学である神智学が利用されているように、
カバラが道教だとか日本原産だと言う輩は工作員か騙されているかのどちらかばかり。
一神教と多神教、
神秘主義と現世利益が同じに見えるのなら、
イエズス会士のロドリゲスが17世紀に発明した中ユ同祖論と
イエズス会士のロドリゲスが源流の日ユ同祖論でも唱えておけば?
統一教会教祖の韓ユ同祖論もどうぞ。
○ユ同祖論はキリスト教思想(=聖書の古代ユダヤ教徒の実在が大前提)でカモを洗脳するための、キリスト教に見えないキリスト教思想です。
「十の民族が東へ一年半進んで、アルサレトに定住したとはエズラ第四書の第十三章に述べてある通り」と、
17世紀のイエズス会士ロドリゲスが中ユ同祖論を主張する文脈で述べています。
私が知る限りではこのロドリゲスの中ユ同祖論が日ユ同祖論の原型です。
実際に第4エズラ書が日ユ同祖論の(根拠になっていない)根拠として使われていますし。
なお、正距方位図によるとイェルサレムから日本への方向は「東北」であって東ではありません。
メルカトル地図で方角云々しても意味がないことすら判らないって不勉強すぎだろ!
シオニズムはキリスト教思想だし、シオニストはクリスチャン。
古代からユダヤはキリスト教の盾。
カバラ詐欺師に騙されないためにも、儒教について学びましょう。
日本思想に対しても儒教の影響力はすさまじいです。
…
加地伸行『沈黙の宗教―儒教』(筑摩書房、1994)
※加地伸行は暴走するので注意
・儒教では、正門から祖先の神主(しんしゅ。仏教の位牌の元ネタ)をおさめた宗廟(みたまや)に向かって、神道(しんどう)という道が作られている。
・或る火災保険会社が、火事になったとき何を持ちだしますかというアンケート調査を実施。
一位は貴重品(不動産の登記済証やキャッシュカードなど)であったが、
二位は位牌。貴金属類より上だった。
平成五年の夏、自身が原因で北海道の奥尻島が津波・火災の大災害に襲われた。住民の一人が、位牌とパジャマだけつかんで逃げたと答えた。
位牌は持ちだしたが、その位牌を安置している仏壇の最上段にまします本尊はほったらかしであった。
もし寺が火災に遭ったなら、僧侶が持ちだすものの第一は本尊。
第二は過去帳。過去帳は信者に関する記録であるから、その縁に頼って寄進を頼めば寺の再建ができるので実務的な意味が強い。
・死者を「ホトケ」と呼ぶが、このホトケは仏教の仏ではない。このホトケはこの世にうろうろしている霊である。位牌に託されている霊は儒教がいう死者の魂のことである。
仏教でも死者の魂は認めるが、四十九日を過ぎると輪廻転生する。別の存在になるのだからこの世に霊としてうろうろすることはありえない。
死者としてのホトケ=儒教の死者の魂=この世にいる霊。
儒教では霊はあの世ではなくこの世、現世にいる。
草葉の陰とは墓地であり、墓地はこの世にあることから判るように、霊はこの世にいるとみなしている。
仏壇を見れば、仏教徒にとっては最重要の本尊は最も奥に飾り物のように置かれていて、仏壇が拝まれるときも注目されない。
・五感の喜びを大切にし、現実的・即物的・具体的な性格の中国人の場合、そうした民族にふさわしい説明をする宗教者が登場する。その宗教者を儒という。儒の歴史は古く、孔子から始まったのではない。
儒は心身二元論思想を持っていた。
精神を主催するものを「魂(こん)」、
肉体を支配するものを「魄(はく)」とした。
アジアにも心身二元論はあった。
(でもデカルト的な肉体を機械とみなすものではないでしょうね)
魂と魄のイメージは、中国人は五感を離れて抽象的には考えないので、あくまで現実的・即物的に考えて生まれたものである。
魂の左側の「云」に雨冠をつけると「雲」であり、この空に在るあの雲が魂のイメージである。
魄の左側は「白」であり白骨を意味する。死体を白骨化させる為に野ざらしにする場合、犬などが運び去ってしまう可能性がある。そこで死体管理の方法として、土をかぶせて遺骨が散逸しないようにした。すなわち墓(盛土しないで埋めるだけ)、あるいは盛土した、いわゆる土饅頭の墳が作られることになる。
のちに土饅頭の墳が儒式の墓の典型となり、中国・朝鮮半島では今もその形式を守っている。
しかし日本はモンスーン地帯であり、梅雨期も長いので土が崩れやすく、雑草も生えやすい。そこで石塔に変化していった。
・魂魄の統合の儀礼を司っていたのが原儒=職能的シャーマン。
死体を焼いたり、どこかへ捨て去ってしまわないのは、白骨(「魄」は旁〔つくり〕が「白」)がないと死者がこの世に帰って来る儀式
=魂を招いて魄を回復させる招魂復魄(この世への再生)
(魂魄はこの世(あの世ではない)にあることが前提)
=祖先祭祀
ができなくなるから。
よって、インド人のように焼いた骨をそのまま河に捨てることを絶対にしない。
つまり、日本人の遺体に対する考えや、日本の仏式の葬儀や仏壇には、儒教の影響が大きい。
・白骨化したあと、頭蓋骨に神秘的なものを感じたのか、頭蓋骨を廟(みたまや)に安置し、その他は埋葬した。死者の頭蓋骨では気持ちが悪いので、しだいに代替物が使われるようになる。最初は、魌頭(死者の顔に似せたマスク)である。
これも異様であり、更に単純化しして生まれたのが、木の板で作った「神主」(しんしゅ)、別名「木主」(ぼくしゅ)であり、仏教にとりこまれて「位牌」(いはい)になった。
・戒名も儒教の神主との関わりを示す。俗名(諱・字に当たる)・死亡日時・行年(=享年。死去したときの年齢)を記す儒教の神主を仏教の位牌の発明者(原始仏教には勿論ない)が真似たのである。
仏教の位牌の特徴は本名の漢字を入れることが多いこと。
儒教では本名は諱=忌み名なので隠すべきものであるが、日本の大乗仏教では本名を隠さない。
家でも祖先の名と同じ漢字を子孫の名に与えていくのは、中国や朝鮮半島では絶対にありえないことである。
仏教の位牌は個人的なものであるが、儒教はそうではない。
(魔術にとって、本名=住所=目立つ的。
やはり日本人は呪術に対して無防備過ぎ。
ナンモノヒカリ @nanmonohikari 2013年7月7日
「仏像」は仏陀釈尊が亡くなられて五百年後に造られ、「仏壇」の始まりは天武天皇の仏教興隆の勅により、「戒名」の始まりは中国の「あざな」の習慣であり、「位牌」の始まりは中国儒教であり鎌倉時代の禅宗に輸入された。インドに基本的に墓はない。仏陀釈尊の知らないものが日本仏教の正体です。
ダイドウコウジン@DydoCorzine1月5日
日本で「仏事」と思い込んでいる様式の殆どは「儒教」から拝借したものだった。 本来の仏教では死体は川に流して終わり。戒名は近年葬儀の為に後から作られたもの。:沈黙の宗教――儒教 )
・針供養、眼鏡供養、電話帳供養など、日本では物に対しても供養する。
(人間的知性を持たない生物に魂はないとするキリスト教思想では考えられませんね)
・民族の思考はその民族が使う言語の性格や組み立てに負うところが大きい。
よって儒教思想には漢字の性質が大きな影響を与えている。
漢字は表意文字として出発した。
もっとも現在使われている漢字の大半は、その後に増えた発音中心の漢字であって、文字の一部に表意的な部分がある状態である。
「江」の右の「工」は発音、左の「さんずい」は水の意味。このような文字を形声文字という。形(表意性)+声(発音)を両方を持つからである。
形声文字と異なり、形が全てなのが形を象った=象形文字。「大」は人間が手を広げた姿であり意味だけを表している。
表意文字の象形文字よりも、表音文字的な形声文字のほうがはるかに多い。しかし形声文字は象形文字よりも後から生まれてきただけでなく、部分とはいえ表意性を継いでいる。
中国古代、甲骨文字の時代では表意文字が中心であり、表意文字による思考や感情の原型がまず形成されたと考えてよい。
(はじめに実物ありき。原典がギリシャ語で書かれた新約聖書のギリシャ哲学を反映したロゴスと真逆ですね。
はじめにロゴスありきを、言葉ありきと訳すのは誤訳。言葉はイメージを名づけたものなのでイメージより後にできたもの。
よって論理とか秩序とかとういった訳でないと駄目)
・輪廻転生思想を徹底すると歴史感覚が希薄になる。
インド人のインド文献は歴史感覚が乏しい。よってインド文献の成立時期を示すような手掛かりは充分ではない。
聞けば、文献の成立時期の誤差が数百年ということがあっても不思議ではないという。インドに歴史的事実はあっても、インド人にはそれを引き受ける歴史感覚が乏しい。
しかし、
東北アジア人の我々は或る始祖から始まって祖先がいて……という感覚であるから、歴史的事実に対して関心が深く、その根底には招魂再生観がある。中国・朝鮮民族・日本人は文献の成立時期を示すことが好きである。細々とした事件に日時を記す。中国・朝鮮半島の民族が一族の系図を記す族譜を大切にするのは、その典型。
輪廻転生するのであれば、その家とは関係がなくなり、その家の系図である族譜とは無縁となる。
在日朝鮮民族が日本に帰化しない大きな理由の一つは、儒教的歴史感覚にある。帰化して日本人になると朝鮮半島において続いてきた一族の歴史と断絶することになり、耐えがたいことである。
(となると最も帰化に抵抗が無いのはインド人?)
……
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月25日
@0406magi カバラに生命の木が登場したのは15世紀ですよ。そもそも今の聖書と違う聖書ってどんなことが書いてあったんですか?最古のヘブライ語写本はアレッポ写本ですが、それ以前の内容をあなたは知ってるのですか?根拠がありますか?
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 5月25日
モルモン教の飛鳥昭雄が天皇崇拝してる理由ってさ、(戦前の耶蘇教教会の父と子と天皇陛下か?ww)平田篤胤や出口王仁三郎などの成立プロセスがまんまモルモン教と同じであることとリンクしてるよねー?恐らく作者が同じだからこそシンパシーがあるのだと思うんだ。そいえば、船井も神社の家の出身。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 5月2日
@kikuchi_8 @bakkajyane_www 神道系の人たちの仏教に対する憎しみは凄いですね。天皇家が仏教にすがってたのにそれを完全に無視した歴史を捏造してます。八咫烏も本当は仏教徒でないといけないですね(笑)空海の話さえなかったことにされますね。
(仏教国教時代を無視したいのが隠れキリシタン=神道家。
金光教と大本教は鬼結社+和風キリスト教。ヤタガラスって単なる和風キリスト教じゃないの?)
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』と
茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマと
大日本皇道立教会と
鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
““もしそれらの学芸、特に天文学(アストロロジーア)〔占星術〕を最初に作り出した人々が誰であったかを推測せねばならないとすれば、われわれはそれが洪水以前の最初の父祖(パードレ)たち(3)であったことを容易に理解するであろう。事実よく事情に通じたエウロッパ人はみずからそう考えているが、それは適切なことである。なぜなら、バビローニアの地で言語が混乱し、ノエー〔ノア〕の子孫がいろいろな地方に分かれて行き世界中に住みついた時(4)、その子孫のなかに同じ祖先をもつ九人の族長〔カベツサ〕がいて、それぞれがその下に一四〇の部族を従えていたが、それら部族のあるものが東方にやって来て、シナ王国に住みついたのである(5)。これら一四〇の部族の名は今日まで存続していて、そのなかに三人の名高い賢者がいた。彼らはそれぞれそれら部族の族長であったが、彼らのことを書いた史書から推測されるように、同時代の人々であった(6)。もっとも学問における継承関係に見られるように、その働きざかりや年代ではたがいに前後していた。これらの人々は法令や統治機構や文字や学問、学芸および技芸を定めて、シナ人の国家を形成した。その最初の統治機構は部族的で、族長による貴族政治的(アリストクラーテイコ)と言ってよいほどのものであった。しかしながら、王国が建てられるや直ちに君主政治的な機構が導入された。”ロドリゲス『日本教会史』下巻p.107-108
“(5)シナ人がオリエントの地からやって来たという考えは、ロドリーゲスの『日本大文典』の記述のなかにも見られる。「すなわちシナ人は十の民族からなり、それはイスラエルのオゼアス〔ホセア〕王の九年、ユダヤのエゼキアス〔ヒゼキア〕王の六年に、サルマナサル王〔シャルマナサル五世〕が捕虜として連れて来てメディア人とアッシーリア人との間に置いたのだという。……〔この〕十の民族が東へ一年半進んで、アルサレトに定住したとはエズラ第四書の第十三章に述べてある通りであり、その地は多くの地図がシナの隣りに置いているからである。……これらの哲学者〔老子や孔子〕はこの十の民族からなるユダヤ人の系統に属することはありうることである。すなわち彼らがシナに来て、そこにいた民族と混血して自ら変質したが、彼らの持って来た文学や学術は、その周囲のいかなる民族も持たないものであって、その後も引続いて、その方面の支配力を持っていた(土井忠生訳『日本大文典』一九五五年、三省堂、八四三ページ参照)。ここに記述されていることは紀元前八世紀の出来事であって、もちろん「言語の混乱」以後のノアの子孫の移住とは区別されなければならないが、いずれにせよ、こうした中国民族および中国文化のバビロニア起源説というべきものは、ロドリーゲスがこの後一貫してとっている立場である。” ロドリゲス『日本教会史』下巻p.109-110”
フェイド大帝 @FeydoTaitei 10月20日
中国道教や風水は神秘的なのか、
中国思想でも人気だ。
だけど本来、中国思想は儒教と
セットだ。抱朴子も下巻は
売れるが、上巻は売れ残る。
仙人が山で霞を喰う話は神仙思想
の観点からは、気功やヨガを
彷彿させるが、あれは本来そういう
意味じゃない。
あの逸話は余りにも国家が腐敗して、 貯金も収入を失くした老人が 山に引き篭もって霞を喰うぐらい しか許されてないと政治に対する 皮肉を語っている話なのだ。 当然、これは儒教的なお話だ。 確かにインドからの輸入品も 多いが、中国人というのは 根本的にはインド人とは異なる。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 3月15日
五摂家の中では鷹司家が重要くさい。
三菱や三井などの財閥系の黎明期 の頃に鷹司家が結構活躍している。
江戸時代と言えば「朱子学」だが、 これ教科書でも評判悪いし、 2chとかでも酷評で、中国の中華思想や 韓国の選民思想も全部朱子学が諸悪の 根源だとか唱えられている。
ところが朱熹の著作ってほとんど 日本語の現代語訳がないのよね。 陽明学の王陽明の方は訳され まくっているのに。
個人的にはこの江戸時代に流行った 「朱子学」が重要なんじゃないかな。 徳川システムにも確かに悪い所は あるけど、日本の歴史の中では 一番マトモな方だったと思うのだが……
重要なのは徳川時代ってのは 天皇家や公家や仏教家の権力を 削ぐ政策も採ったって所だな。 特に朱子学には商業活動(つまり資本主義) を批判する立場を取っていた。
この商業の「商」の語源は 古代中国の「殷」の別名から 来ているらしくて、基本的に周の 時代に発展した儒教はこの「殷」を 批判しているとの見方もあるらしい。 殷ってのは金儲け重視、オカルト偏重 の政治が特徴で、昔の朝鮮王朝や 日本の天皇家のご先祖様と言えるの だけど、(実際、周にやられた後、殷 の残党は朝鮮半島方面に逃げている)
この殷の創設者が「契」という 皇帝。これは「契約」という言葉 の語源だとも言われているらしい。 「商売」を行う際に「契約」を 重視するかららしい。
ところで儒教ってのはヒンドゥー教 みたいにカーストを設定する教え ではないからね?
既にカースト制が存在している社会 (つまり共同体としての国家の事) において、トップカーストのリーダー はどうあるべきかを説いた教えだから、 民衆を奴隷化するための教義という解釈の 仕方はズレている。
儒教は基本オカルト嫌いだしね。 易経が今ではオカルトだけど…… 当時は最先端科学だったしね。 MAGE政府の大嫌いな徳川システム が重視していた教えだから、 なんかいい事書いてあるんだろう。 訳書もないし。
江戸時代はキリスト教もフリーメイソン も長崎の出島に隔離されてた所が 重要ね。最も家康も初期の頃は キリスト教も、メイソン教にも寛大 だったらしいが。
あ、後、韓国における朱子学、民間巫女 信仰、キリスト教の関係も面白いよ。
朱子学と巫女信仰というのは相性 悪いから、支配層側の朱子学連中は 巫女教を当然弾圧した。 弾圧された巫女教は地下活動化した わけよ。で、その潜伏先が何処か というと、キリスト教の教会だった わけ。 これが韓国でキリスト教も
キリスト教が韓国でブレイクした 理由。 韓国系の新興宗教がキリスト教神学 とは関係のない神降しを重視するのも これの名残りでしょう。
いづる @iduru 2014年8月13日
お盆豆。
今イラクでISISに迫害されてるヤズディ教徒。このヤズディ教はイランやロシアに現存する、拝火教たるゾロアスター教の流れを汲んでいるんだが、実はお盆の習慣は仏教ではなくこのゾロアスター教の流れを汲むという説がある。確かに迎え火送り火などお盆は火を崇めるからねえ。
kenji_ism @kenji_ism 12月22日
神社の注連縄は本来は稲藁ではなく、麻縄を使用した。仏教ではお盆に麻柄(おがら)を焚く。ゾロアスター教では拝火壇で燃やす火の中に大麻を投入した。覚醒作用とお経や教義がセットになり、宗教が広がった。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 5月12日
日油同祖論はイエズス会が特許を持ってる製品だけど(ネットや本での使用は無料だけど著作権はイエズス会にあり)、その他ユダヤ同祖論もイエズス会製だろう。で、やたらと日油同祖論で渡来人が偉いと賛美するのは背後に統一教系などの韓ユ同祖論があるからだろうな。
菊池 @kikuchi_8 5月2日
とはいえ国際政経学会も良質な部分となると限られてくる。日猶同祖論者や神代史派も多かったからだ。酒井勝軍や小谷部全一郎等の日猶同祖論者、竹内文書、大本教や世界最終戦論や狂信日蓮主義を明確に批判しているのは確実に確認した限りでは愛宕北山先生とその弟子・渡部悌治先生くらいである。
菊池 @kikuchi_8 3月6日
3)古代のラビと修験者の頭巾やほら貝、服装が似ていたとしても「だから何」という程度の話に過ぎない。そんな事より、明らかに意図的に「天地の創造主」というキリシタン神学由来の概念を導入した平田篤胤の方が問題である。出口王仁三郎もその神観を継承している。同祖論もこの周辺が主に唱える。
菊池 @kikuchi_8 3月10日
石上神宮に安置されている七支刀がメノラだ!とかこじつける者もいる(笑)メノラは燭台であって刀ではないであろう。そもそもアニミズムの日本と一神教の猶太という根本的な相違がある。日猶同祖論者はわずかでも共通点があれば針小棒大に取り上げ、違いはどんなに大きいものでも無視する。
甲斐宗運act4 (早川 数秀) @KazuNoSaru 2012年9月18日
@kcin_tokorozawa ああ、文献に八幡書店のものがありますね。八幡書店が大本教であることはご存知かと思いますが、http://ow.ly/dMSa2 と白鳥の http://ow.ly/dMSeZ とを比べてみてください。 天津教=竹内文書です。
@kcin_tokorozawa ここに三村三郎が出てきます。対談者の一方、武田崇元は八幡書房社長にして、出口王仁三郎の孫娘の婿であり、大本の幹部にして、雑誌「ムー」の最高顧問です。 「日ユ同祖論」の謎の淵源を探る - http://ow.ly/dQDDJ
“──王仁三郎は日ユ同祖論についてどういう見解をもっていたんですか。
■武田 王仁三郎がユダヤ問題についてまとまった形で述べたものはないんですが、如是我聞のような 形で彼がいろいろ言っていたことは事実で、たとえば、ユダヤ民族の12の支族のうち11支族は外国にあり、日本には一番よい流れが入ってきたものの、その 後、変質したので本当のものは少ないということを強調したりしています。
また、王仁三郎は、ユダヤ人は神命奉仕者で、神様から選ばれたのだから神の選民であることは間違いないが、天孫民族とは全く違うと述べています。日本は天孫民族だから選民と違って神の直系であるというわけです。
”http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb411.html
大宮司朗氏
(神道霊学・霊術界の巨匠)
×
武田崇元氏
「日ユ同祖論」の謎の淵源を探る
ユダヤ教カバラの歴史 ~起源、および第1期(発端期)から第5期(衰退期)まで~
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/kabbara2.htm
” 一般にカバラは、以下の5期に分けられている。
・第一期(発端期) 紀元1世紀~10世紀
いわゆる「創造の書」(成立したのは2~6世紀頃)が注目を集めるまでの期間。瞑想が行われるようになり、実践者達は、神や天使の階級について思索し、神の玉座を幻視していた。さらに、護符や呪文を用いた魔術も早くも実践されていたらしいことが、「ガオン・ハイ」なる書物に書かれている。この時代に活躍したカバリストとしては、ベン・アキバが有名。
しかし、この時期には、カバラの教義は、まだ整理・統合はされていなかった。
・第2期(成長期) 10~12世紀
「創造の書」を中心にし、発展した時期。
これ以前のカバラ思想が、神学的な思弁・瞑想に留まっていたのに対し、宇宙論や「宇宙の創造の過程」、と言った考察が始まる。ピタゴラス主義が流入する。
この時期のカバリストとしては、ベン・サムエル・ハ・シャフィド、エレアザール・ベン・ユダ等が有名。
・第3期(前期完成期) 12~16世紀
「バヒルの書」登場。
神学的考察と宇宙論、宇宙の創造論、これらが一体化する。
こうして、「生命の樹」の概念が作り出される。
さらに「ゾハール」が表舞台に登場する。
輪廻転生(!)の思想も取り込まれる。
この時期のカバリストとしては、生命の樹の理論の原型を作った盲人イサクと、その弟子達が有名。
キリスト教へのカバラ移入が始まる。
・第4期(後期完成期) 16~17世紀
「ゾハール」の研究、本格化。ゲマトリアを始めとした文字によるカバラの体系も完成する。
今、我々が知っているカバラの形が、整えられる。
この時期のカバリストとしては、イサク・ルリア、モーゼス・コルドベロが有名。「石榴の園」が書かれる。
キリスト教カバラも活発化。
・第五期(衰退期) 17世紀以降
サバタイ・ツディ運動で異常な盛り上がりの後、急速に衰える。
護符や呪文を用いた魔術カバラが盛んになる。ユダヤ教カバラの魔術書「ラティエルの書」出版さる。
正統派ラビ達は、次第にカバラを異端視する。
そして、ユダヤ教カバラは、事実上、消滅する。
カバラは、キリスト教カバラおよびオカルティストの魔術カバラだけが生き残ることになる。
そして、ユダヤ教カバラは、かのG・ショーレムの登場によって、20世紀になって、復活を果たすことになるのである。
我々が関心を持っている魔術カバラは、後に詳しく触れるように、キリスト教カバラの流れを組むものである。”
盲人イサク
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/mouisaku.htm
"盲人イサクの生涯について正確なところは依然、謎が多い。
ただ、彼は1165年にフランスのナルボンヌ地方ポスキュール村で生まれたらしい。
(…)
彼こそがカバラ第三期の立役者であり、カバラの中興の祖とでも呼ぶべき存在である。実際、「カバラ」と言う言葉を最初に秘教的伝統の意味で使ったのは、彼であると言う。
また、カバラの研究に、文字通り生涯を捧げた最初の人物でもあった。
彼の思想は極めて感照的で新プラトン主義およびグノーシス思想の強い影響が認められる。
何は無くともカバラを学ぶには瞑想が絶対に必要である、これがイサクの思想であった。単なる神学の形而上的な考察だけでは駄目なのだ。
彼は、特に精神的な緊張を伴った瞑想を重視している。そして、各種の瞑想には、それぞれに合った祈りが必要であり、その祈りはセフィロトの系統に従って構成されたものでなければ成らないと考えた。
早くも彼は今日の「生命の樹」のそれに近い概念を持っていたのである。
とは言うものの、彼のカバラ思想を理解しようとする場合、今現在、我々が知っている完成された生命の樹でもって、それを当てはめようとすると混乱する。
彼の時代のセフィロトは、現代のセフィロトとは異なるものである。
しかし、彼が、現代伝わる「生命の樹」の原型を作ったとも言えるのである。
セフィロトの考え方自体は、すでに「創造の書」の中にも見られたが、これは12世紀に入ってから、大きく変化する。というのも、これまでセフィロトの概念は神学的な考察どまりだったのに対し、宇宙の創造論と一体化するのである。
この全く新しいセフィロト論の創始者こそが、盲人イサクと言われているのだ。一説には、彼こそが「バヒルの書」の著者だと言われることもあるのだ。
彼の思想は3つの重要なコンセプトから成り立っていた。これは神性における3つの次元とも表現できる。すなわち、アイン・ソフ、思考、言葉である。
アイン・ソフ、この未顕現のものを思考を通じて理解することは不可能であり、思考の虚無化が成されてやっと到達できる。アイン・ソフは聖なる思考そのものと関係しており、そこは超越的な領域である。
「思考」は10個のセフィラには含まれない。セフィロトの数を完成させる「知性」は「思考」と「コクマー」との中間に位置するものである。聖なる意思は「思考」を活性化し、優位のものとする。この「聖なる思考」もセフィラには含まれない。
「思考」とは、宗教的高揚感が中核となり、そこにあらゆる神秘的感情が結合し、持続するところの球体である、すなわち、この「思考」それ自体が「隠れた神の顕現(あるいは「未顕現」)」であり、「アイン」とも呼ばれる。これは第一の流出であり、最も隠れた高位の神性の存在であり、人間の俗的な思考を虚無化させることによって、やっと存在を知ることの出来る高位の思考である。
これより下位の世界は「言語」によって成される。なぜなら、創造主による言語表現によって宇宙は形成されたからである。神性内部の「言語」の発展と共に世界は創造された。これこそが、盲人イサクの思想の中核である。
すなわち、神が言われた聖なる「言葉」が流出し、物質化することによって全ての創造は成し遂げられた。「言葉」は表面上は無意味だが、その「言葉」に内在するものの顕現することによって創造は成されたのである。これは「聖なる言葉」が、流出によって「物質的存在」に移行する、とも言い換えられるだろう。
こうして生じたセフィロトは、「分離できる世界」と呼ばれる原則でもある。この意味は、現実的存在の多様性という意味である。そこでは、絶えることのない超越した神性からの流出が続いており、それが「分離できる世界」へと注ぎ込まれている。
我々は、ここにも「生命の樹」の原型を見ることが出来るであろう。
ともあれ、盲人イサクは、こうした複雑かつ難解極まりないセフィロトを理解する具体的手段として瞑想、誠意、献身をすべきであるとした。
瞑想によって、人は万物の本質と流出による創造の各段階の相互関係が理解できる。万物は相互に照応し合い、関係し合い、そしてこれら万物は全宇宙的流出のプロセスに内包されるのである。
そう、ここでも「生命の樹」の基本概念が見られる!
そして、最終的には、流出による創造とは、神ご自身の瞑想の結果である、ということが了解できる。
ただ、ここで注意すべきは、イサクは瞑想による「神との合一」はあくまで「一致」あるいは「密着」であり、「融合」ではない、としたことであろう。それは一度獲得されれば、それでお終いというわけではない。瞑想、誠意、献身によって、絶えず繰り返される行為でもあるのだ。
(…)
ともあれ、盲人イサクの登場によって、カバラは大きく変化し、発展した。
彼の登場以降を「カバラ」と呼ぶべきであり、それ以前は「ユダヤ教神秘主義」とすべきだ、という主張すらある。
我々が知っている「生命の樹」に基ずくカバラの原型は、彼によって作り出されたと考えて良いであろう。 "
「ルネサンス」の舞台裏
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_renaissance.html
”ピコ・デラ・ミランドラ。 カバラを深く研究し、
様々な異教思想をキリスト教的に解釈しようとした
思想家であり、「キリスト教的カバラ」の創始者、
または最初で最大の解説者であった。
同じくコジモ・デ・メディチのもとにいて、マルシリオ・フィチーノの親友であったピコ・デラ・ミランドラは、「キリスト教的カバラ」の創始者、または最初で最大の解説者であった。ピコ・デラ・ミランドラは、ユダヤ神秘主義のカバラ神学によって、キリスト教の真理を確認できると考えていたし、カバラもまたモーセより伝わった古代の叡知の伝承だと信じられていたので、これによって古代の異教とされる「ヘルメス文書」も確証できるものと思っていたようである。
ピコ・デラ・ミランドラは、カバラの10のセフィロトによる段階を宇宙の天球層と関係づけて、それらの天球層の更に彼方にある神秘主義的な無に至る上昇を試みた。これはグノーシス主義とも新プラトン主義ともとれるマルシリオ・フィチーノ風のヘルメス思想とカバラが合体した考え方で、ピコ・デラ・ミランドラはカバラの聖なる力が、マルシリオ・フィチーノの術を悪魔の影響から守ることができるとしている。
こうしてピコ・デラ・ミランドラが創始した「キリスト教的カバラ」は、マルシリオ・フィチーノの「ヘルメス主義的魔術」と共に、ルネサンスの中心的思想を作り上げたのであった。
なお、ルネサンスは、一般に「人間復興」などと訳されているが、それはイタリア・ルネサンスの思想的な意味での中心人物であったピコ・デラ・ミランドラの、次の言葉に由来している(ピコ・デラ・ミランドラは、これをイスラムの書物から学んだことを告白している)。
「神は言う。『すべてのものは私が制定した法に服すべきである。しかし人間だけが自分のあるべき姿を決定することができる』と。そこで我は叫ぶ。父なる神の恩寵よ! 人間はなんと偉大で幸福であるか! 」(『オラティオ』)”
ユダヤ教徒の「カバラ」と
「メシア運動」の歴史
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd600.html
” ユダヤ教の神秘思想が「カバラ」という呼称で統一されるようになったのは、歴史的には中世に至ってからのことである。そこに至るまでの間、カバラの伝統は、キリスト教が支配する世界からは、完全に隠されていた。
しかし、12世紀に至って北スペインやフランス南東部のプロヴァンス地方にカバラについての秘義を語る者が現れだすと、以後、カバラはヨーロッパ世界に急速に広まっていった。その際、特異な神秘思想を展開するカバラ奥義書が、数多く執筆・編纂されていった。
(…)
●現在、カバラには三大教典があるが、そのうちで最も古いものは『イエツィラの書』(別名『形成の書』/紀元3~6世紀に成立)で、残りの『バヒルの書』(別名『光明の書』)と『ゾハルの書』(別名『光輝の書』)はこの時期(12世紀~13世紀)に成立した。
(…)
●ところで、ハシディズムと政治の関係についてであるが、1912年に結成された宗教政党「アグダト・イスラエル」がイスラエル国家に協力的姿勢を保っているのに対し、超正統派ユダヤ教の政党「ナトレイ・カルタ」は、現在のイスラエル共和国を国家として承認することに反対している。
彼らはイスラエルが独立する際にも、断固反対した。真のイスラエル国家は、メシアとともにしか現れないからだという。
この超正統派ユダヤ教は、規模は小さいが、原理主義的傾向が極めて強いのが特徴である。彼らはメシアの出現を待望してやまず、そのために祈りと戒律を厳守した、極めて求道的な生活を日々送っているのである。
(…)
■■第7章:本質的に「シオニズム」と「ユダヤ思想」は別物である
●「シオニズム」(別名 ZION主義)とは、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという思想である。聖地エルサレムの「シオン(ZION)の丘」にちなんで名付けられた。
現在のイスラエル政府の「シオニズム」は、人種差別的なイデオロギーと軍事思想に基づいているといえる。
(…)
「シオニズム」に抵抗する人々
●一般に「シオニズム」と「ユダヤ思想」の違いはあまり意識されることはない。
そのため、「シオニズム」と「ユダヤ思想」は同じものだと思っている人が多い。しかし本質的に、「シオニズム」と「ユダヤ思想」は別物である。
基本的にシオニズム強硬路線派は、無神論者といっていい。ユダヤ教そのものにはあまり関心のない連中である。自分たちの行動を正当化するためにユダヤ教を利用することはあっても、ユダヤ教そのものを信仰してはいない。
●『反シオニズムの正統派ユダヤ教徒』と題された本には次のように書かれている。
「正統派ユダヤ教徒の大半は、パレスチナの地にユダヤ人のための民族の郷土を設立するというシオニストの野望に反対である。これはシオニズムそのものではなく、シオニストに反対するという側面が大きい。
なぜならば、シオニストは大半が脱宗教的であり、伝統的なラビの権威よりも、社会主義や民族主義といった『非ユダヤ的』なイデオロギーを優先しているからである。正統派ユダヤ教徒は、自分たちの立場を神学的な面から正当化するため、救済を早めることを禁じたラビの伝統を様々に引用し活用している。」
「イスラエル共和国」の独立宣言(1948年)
●シオニスト強硬路線派が悲願の建国を果たした「イスラエル共和国」──。
しかし、超正統派ユダヤ教徒はこの国を認めようとしない。
なぜならば、イスラエル共和国は建国において“メシア信仰”を無視し、しかも政教分離という近代国家の原則を採用した世俗国家であるためだという。超正統派ユダヤ教徒からすれば、このようなイスラエル共和国が“国家”と名乗ること自体、神に対する許しがたい冒涜に他ならないという。
この超正統派ユダヤ教徒は「聖都の守護者」を意味する「ナトレイ・カルタ」(前出)と呼ばれ、現在のイスラエル共和国はユダヤ教の本質を完全に逸脱した世俗的な寄せ集め集団に過ぎない、として徹底的に批判している。
「シオニズム」を批判する超正統派ユダヤ教徒たち
イスラエルの国旗を燃やして、「シオニズム」に反対
●1985年4月4日、超正統派ユダヤ教徒グループ「ナトレイ・カルタ」は、次のような声明文を発表した。
「シオニストの大冒険は不名誉な終わりを迎えようとしている。最初はシナイ半島だった。今度はレバノンである。独立した真のユダヤ教徒であるトーラーのユダヤ人にとって、これはまったく驚くことではない。我々は両親からも教師からも、シオニズムはユダヤとユダヤ思想の敵だと教えられてきた。
シオニストの政治的策動は、一時的には成功するかもしれないが、長い目で見れば、その命運は尽きているのである。 〈中略〉
シオニズムはユダヤ思想とは全く反対のものである。ユダヤ思想は数千年にわたり、シオニズムなしに存続してきた。シオニズムのいう『メディナ』は全くの作り物であり、真のユダヤ思想を歪めるものである。」
(…)
●更に彼らは、1992年に次のような声明を発表した。
これは「シオニズム」に対する強烈な批判メッセージであった。
「敵であるシオニストと私たちの戦いは、妥協の余地のない、まさに “神学戦争”なのである。」
「ユダヤ人たちが全世界に追放されたのは、神の意志によるのであって、彼らが神の律法を守らなかったためである。あらゆる苦難をへて、メシア(救世主)が到来するまでそれは続く。メシア到来によってのみそれが終わるのである。それゆえに、シオニストあるいはその関係機関が神を無視して世界中からユダヤ人たちに帰ってくるように強要するのは、ユダヤ人たちをいよいよ危険に陥れる“不敬の罪”を犯していることになる。」
「もしシオニストが神を無視し続けるならば事は重大である。ここ、すなわちイスラエルは地上で最も危険な場所となろう。」
「シオニズム」に反対するユダヤ人たち
「Zionism is Nazism」(シオニズムは
ナチズムだ)と書かれたプラカードが見える
(…)
●サザン・バプテストの 「新約聖書学」教授フランク・スタッグは、以下のような見解を述べている。
「今日のイスラエル国家は数ある国々の一つにすぎない。それは他のあらゆる政治国家と同様に“政治国家としての運命”を辿らなければならない。他のあらゆる政治国家のように判断されなければならない。
現在のイスラエルの国や国民を“神のイスラエル”とすることは、『新約聖書』の教えにおいて致命的な誤りを犯している。」
●また、プレズビテリアンの 「旧約聖書学」教授オーバイド・セラーも、このことを次のように結論づけている。
「現代のパレスチナにあるユダヤ国家は、聖書や聖書預言によって正当化されるものであるというシオニストたちの主張を支持するものは、『旧約聖書』にも『新約聖書』にもないということに私とともに研究している者たち全てが同意している。”
Thank you for reading this long blog post!
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