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2018-10-11

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・あらゆるものごとを知って、
 それについて思考して判断して生きていくなんて、
 できるわけはありません。
 いかにもできているかのように語る人もいますが、
 たぶん、ウソというかホラを吹いてるんでしょう。
 本気でそう思っているのだとしたら、
 じぶんについての思考も判断もできてませんよね。

 たとえば、です。
 電気炊飯器というくらいの狭い領域にしぼって、
 「いちばんいいのは、どれでしょうか?」
 という問題があったとします。
 A社のこれがいいとか、B社のこれを買うべきだとか、
 したり顔で説明する人はけっこうたくさんいます。
 電気製品の売り場の人も、家電通と言われる人も、
 けっこう自信ありげに詳しい解説までしてくれます。
 あんた、炊いたんか? 炊いて食べたんか? 
 そのしくみの解説は、カタログの受け売りだろうが? 
 ほんとに、そうなんか? 
 ほとんどの電気釜を試したかのように言ってても、
 そんなことしてる人間は、いないです、ほぼいない。
 これにさらに、電気じゃない炊飯の方法が加わったら、
 「おれは、いちおうぜんぶ知ってるけど」とか
 平然と言える人はほとんどいなくなってしまうでしょう。
 たかが、というか、炊飯という狭い領域でも、これです。

 いっぱい知ってる、なにもかも知っているなんてことは、
 あるはずがないのです。
 博覧強記だとか、歩く百科事典だとか、
 新聞5紙を隅々まで読んでるだとか、
 その分野の経験が何十年だとか言いたがる人は、
 基本的に怪しいと、ぼくは(個人的に)考えてます。
 他人がそう思いたがるのはしょうがないとしても、
 なんでも知ってる風に装う人間は、
 その「押し」で有利に戦おうとしているだけです。

 ほんとうに見識のある人は、初々しいばかりの好奇心で、
 新鮮にものごとに接するように思います。
 有利な立ち位置の奪い合いなんかには参加しません。
 「よいほうに決まる」のを知ってるからでしょうね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「わたしはたいしたことない」というおまじないが好きさ。


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