今から24年遡ることの1994年、低迷期にあったディズニーで、『リトル・マーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ライオン・キング』(1994年)など数々のヒット作を生み出し、当時、ディズニー製作部門のトップにあったジェフリー・カッツェンバーグは、急遽、空席となった社長のポストに自らを推薦するも、会長のマイケル・アイズナーに拒否されたことで、ディズニーを退社。怒り心頭のカッツェンバーグは、映画監督のスティーヴン・スピルバーグ、レコード会社経営者のデヴィッド・ゲフィンを誘い、ドリームワークスSKGを設立した。こうして、ディズニーとの仁義なき戦いが幕を開けたのでした!!
※マイケル・アイズナーは、『ビバリーヒルズコップ』でスタローン案に反対した、あの人です。当時は、パラマウント映画会長でしたが、その後、ディズニーに引き抜かれており、ジェフリー・カッツェンバーグは、パラマウント時代からの部下です。
1998年
『アルマゲドン』対『ディープ・インパクト』
ドリームワークスは、ディズニーが隕石地球衝突映画を製作するとの情報をキャッチ。急ピイチで隕石地球衝突映画を製作して、一足お先に公開した。しかし、やっつけ感が否めず、ざっくり収益(世界興行収入ー製作費)は、『アルマゲドン』=$413,000,000に対して、『ディープ・インパクト』=$269,000,000で、ディズニーに軍配が上がり、カッツェンバーグは、すぐさま第2ラウンドの作戦を練るのであった。
ディズニー勝利の歌として聴くと、壮大さがいっそう増します。
1998年
『バグズライフ』対『アンツ』
『アルマゲン』情報とほぼ同時期にドリームワークスは、どうやらディズニーが昆虫CGアニメを発注したという情報をキャッチ。ドリームワークスも、急遽、昆虫CGアニメを制作を開始。しかし、これまた、時間が無さ過ぎたのか、カラフルな多様な昆虫は、無理ということで、茶色一色の味気ないアリCGアニメを制作してしまった。ざっくり収益は、『バグズライフ』=$243,000,000に対して、『アンツ』=$71,000,000で、トリプルスコアの惨敗をきっし、またまたディズニーに軍配が上がった。カッツェンバーグは、「この恨み晴らさでおくべきものか」と言ったとか、言わなかったとか。
2003年
『ファインディング・ニモ』対『シュレック』
ドリームワークスは、1999年の『アメリカン・ビューティー』から、2000年『グラディエーター』、2001年『ビューティフル・マインド』と3年連続アカデミー作品賞を受賞するなど、実写部門で着実に実績を積むも、アニメ部門での勝利に固執するカッツェンバーグは、悩みに悩んで、同ジャンルでのゲリラ戦法をやめて、ディズニーに勝利するべくCGアニメ映画を製作する、それが『シュレック』です。結果は、この年から始まったアカデミー長編アニメ賞を受賞するも、 ざっくり収益では、『バグズライフ』=$846,000,000に対して、『シュレック』=$424,000,000で、ダブルスコアをつけられて、三度惨敗。このとき、カッツェンバーグは、「勝ちたいんや!」と言ったとか、言わなかったとか。
2004年
『Mr.インクレディブル』対『シュレック2』
「勝つまでは、諦めません」をモットーにカッツェンバーグは、再度「シュレック」でチャレンジ。冒頭シーンから、アリエルらしき人魚を海に放り投げるなど、カッツェンバーグの執念を感じる演出が随所にみられる。そして、運命のざっくり収益は、『Mr.インクレディブル』=$541,000,000に対して、『シュレック2』=$844,000,000で、仁義なき戦争が始まってから6年目にして、ついにカッツェンバーグは、念願の勝利を手にしたのでした。めでたし、めでたし、とっぴんからりせんしょのみ。(しかし、アカデミー長編アニメ映画賞は、『Mr.インクレディブル』に持っていかれました。)
ドリームワークス勝利の歌として聴くと、お祭り騒ぎしているカッツェンバーグの歓喜をいっそう感じることができます。
「仁義なき戦い!ディズニー対ドリームワークス」の小話でした。