インタビュー
ReDesigner Magazineでは、さまざまな組織・企業で活躍するデザイナーのキャリアをご紹介しています。今回お話を伺ったのは、株式会社サイバーエージェントの執行役員でクリエイティブ統括室室長の佐藤洋介さん。大手印刷会社でWeb制作を経験したのち、サイバーエージェントへ入社し、クリエイティブ統括室を設立されています。デザイナーでありながら執行役員として経営陣と肩を並べる佐藤さんに、組織の上層部でのデザイナーの在り方について伺いました。
──本日はよろしくお願いします。まずは、佐藤さんが学生時代に熱中していたことについて伺ってもよろしいですか?
工業高校の機械科で、製図や機械実習を通してプロダクトを作っていました。もともと母親が幼稚園の先生をしており、毎日一緒に絵を描いているうちに、製図をベースにプロダクトを作ることってかっこいいなと思いはじめ、モノづくりにおけるエンジニアになろうと思い機械科に入りました。実は父親も整備士をしていて、自分で手を動かして製図を描いたり、それを見ながら組み上げたりするエンジニアに憧れていたんです。実寸大のプロダクトを制作できて、目に見えるアウトプットが作れるということで機械科に惹かれました。
──手を動かすことが好きだったことが、デザイナーを志す原点だったのでしょうか。
そうですね。とにかく製図を描き、組み立てることが好きでした。「万力」というツールの部品を3年間かけて1つずつ手作業で作ったり、ドラフターという製図を描くための道具を使ってスパナの製図を描いたり。ドラフターってすごいんですよ。仕様書に沿って角度や半径を計算しながら描くと、綺麗なスパナの製図が描けるんですよ。一度、ドラフターを使う実習で描ききれなかった部分を、定規や他の道具で描いてみたんです。だけどそれが、なかなか上手く描けなくて。そこでドラフターの偉大さに気づきましたね。自分のスキルだと思っていたことが、ツールに頼っていた部分が大きいということを初めて気づきました。僕は絵がすごくうまかったわけではないし、当時は「デザイン」という言葉すらもあまりよく分かっていなかった。
ただ、先生が持ってくる製図の図面や、出来上がりのCGイメージなどは、基本的には全て「デザイナー」が作っているものだと教わり、プロダクトの設計者と実際に作る人は違うことを初めて知りました。僕が学んでいた機械科は設計すること、実際に作ること、どちらも学べるのが魅力的だったんです。
大学は千葉工業大学の工業デザイン学科へ進学しました。当時はスマホもなく、パナソニックやNECなど二つ折りの携帯電話やダイソンの掃除機が話題で勢いがありました。ですので、周りの学生にとってプロダクトについて学べる工業デザイン科がとても輝いて見えたんですよね。僕自身、これまで設計図を描いたり、万力の柄のサイズを決めたり、ネジの長さを決めて切ることがデザインだと知らなかった。それを大学に入るときに気づきました。
──大学ではどんなことに興味を持っていたんですか。
世間では携帯の液晶サイズをどんどん大きくしている中、ソニーだけは『ソニー・エリクソン』というブランドで、当時の流行に逆行したすごく小さい端末をリリースしたんです。驚いたのはその使い勝手で、小さくまとまったボタンの押しやすさを考慮し、ボタン自体に階段式の造形を施し、指による押し間違いを回避しているところでした。そうして進化していく「UI」という分野に興味を持ち始め、端末の画面や、データ放送などのインターフェースなどに興味を持ち始めました。その時に、Webに自由にアップできて、プログラミングによって自由に操作ができるFlashに出会ったんです。
高校生の頃から関わって来たプロダクト制作は、全行程を自分でやることができず、全体のイメージが見えなくて腑に落ちない部分がありました。プロダクトデザイナーが設計をするけど実作業はしないみたいな。ただ、Webの世界だとFlashを一から作って動かし、アップロードさえすればどこからでもアクセスでき、誰でも使える。一気通貫して携われるWebの世界の方が、今後、先がありそうだなって勝手に自分で思ったんです。なので、自ずとFlashを作って過ごした大学時代でしたね。
──高校とは、ガラッと変わってWeb関係を学んでいたんですね。
そうですね。僕、大学院へ進学しているんです。学部時代に専攻していたのは建築やプロダクトだったので、UIや放送分野など、「情報デザイン」としてもっと知識の幅を広げたいと思ったのが4年生のとき。その頃は、Flashを学び始めて一年くらいだったし、情報デザインを学び始めた頃だったので、まだまだUIデザイナーとして就職できるレベルではなかったというのもあります。
当時お世話になった元ソニーの教授が、人の感情の浮き沈みを測れる「セマンティックスコア」という研究をしていたんです。いわゆる、映画を見ているときに感情がプラスとマイナスで行き来し、最後に最高潮に達して見ていて気持ちがいい、という感情の変動ですね。彼がやっている人間が見えてない部分を注意深く見ていることに興味もありました。
──まさに、今のAbemaTVじゃないですか!
そうなんです。テレビって、スポーツ中継のようにどうしても見る人が受け身になって、一方通行になってしまいます。もっとインタラクティブに、例えば自分でサッカーのプレイシーンのアングルを決められればもっと面白い。それをデジタル放送を使えば実現できるというところまで研究しました。デジタル放送を使うことで、それが実現できることを裏取りし、そのシミュレーションを全てFlashを使って作っていました。
──大学院卒業後は、大手印刷会社に就職されていますよね。意外なキャリアでした。
当時は、大きい会社入ったら両親が喜ぶだろうなあって思っていました。他にも、自分が大学や大学院でやってきたことを認めてもらって、一番力を発揮できるとも思ったので。大手印刷会社のWeb部門なら、大きなバックボーンがあるので、やれることがいっぱいありそうだなと思い入社しました。
しかし、一番最初に配属されたのはデザインの部署ではなく、コーディングの部署だったんです。当時はデザインができると思って入社したので、デザインを全然やらせてもらえず、ものすごく荒れた気がします(笑)。今思えば、HTMLもまだかじり始めたばかりだったし、そんなやつにWebデザインなんかできるわけがない。「基礎を学べ」ということだと分かるのですが。最初の新人研修期間で同期との差がすぐについてしまい、焦ったのを覚えています。Flashの使い方や、アクションスクリプトは知っていたけど、専門的にコードを書いたことがなかったんです。当時はだいぶ反骨精神で仕事をしていた記憶がありますね。
僕、すごく負けず嫌いなんです。それもあって、周りに追いつくためには何でもしてました。自分よりHTMLに詳しい同期を捕まえて、ランチを奢る代わりにHTMLについて教えてもらったり、オススメしてもらった本を馬鹿正直なくらい全部読んで自分の知識にしたり。詳しい人から吸収して、その人を越えてやろうという気持ちでした。「いつか自分も周りを驚かせるようなデザインをつくりたい」と、ひたすらかじりつくように周りから吸収していたんです。デザイナー向けのコンペがあることを嗅ぎつけて、当時のデザイン部署のトップに掛け合ってもらい、特別に自分も参加させてもらったこともあります。
──周りからスキルを盗んでいったんですね。ビジュアルやインターフェースデザインのスキルは、独学でどのように身につけたのですか?
デザイナーから渡されるpsdデータをひたすら見て勉強しました。自分ではここまでできないって思うくらい作り込まれたデータが多かったので、そこでも負けず嫌い精神が発動して、周りから学んでいた感じです。
日々コーディングと独学でデザインの勉強をしていたら、それが認めてもらえてデザイナーのいない自社サービスへの出向が決まりました。そこでは当時、ガラケー向けのコミックサービスを作っていました。人数も少なく、とにかく若手の馬力が欲しかったようで子会社の僕に声がかかったようです。「出向」と告げられたとき頭の中ではドナドナがかかっていました。「飛ばされた!」みたいな(笑)。でも、今思えばデザイナーがいない部門でデザインに責任を持たせてくれたことは、とてもいい環境でしたね。チームでFlashが使える人がいなかったので、動くバナーを作ってみたら上司やチームの方にすごい褒めて盛り上げてもらって。そのとき面倒を見てくれた上司の方達とは、今でも繋がりがあります。
出向から帰ってきたら、今度こそデザインの部署に行きたかったので「HTMLは完璧にマスターしておくので、デザインをやらせて欲しい」と、上司にずっと懇願していました。マネジメントをするようになった今になって思えば、相当生意気な部下ですよね(笑)。
──自社サービスを経験したことが、次のキャリアへのステップになったんですね。
クライアントワークをずっとやっていると、納期の関係で自分が一番ベストだと思う状態で出せないことがよくありました。それは僕の力不足でもあったのですが、僕は修正したいんだけど、クライアントの予算の都合で調整できなかったり。それがすごくもどかしかったんです。あとは、自分がギリギリまでブラッシュアップしたサービスが、ユーザーに届き、ユーザーがどう思っているのかまで知りたかった。自ずと自社サービスを持っている会社に興味を持つようになりました。
サイバーエージェントはAmebaという大きなサービスがあり、それを軸に広告や多数のゲームを展開していました。自分たちがサービスのオーナーであるというのは、すごく魅力的でしたね。そもそも、工業高校を卒業しているのもそうですが、なにか1つのことには縛られたくなかったんです。工業デザインのように、建築もあれば、情報デザインもあるみたいな。だから、ゲーム会社に入るとかメディア会社に入るというより、僕はサイバーエージェントに入りたかったんです。
そして、なによりサイバーエージェントに入社した最後の決め手は「人」ですね。 いくつか内定をいただいた会社には、オフィス見学をさせていただいていました。その中でも、サイバーエージェントはこれだけ規模が大きい会社にも関わらず、すれ違う人全員が僕を担当してくれた人事の方に挨拶をしているんです。すれ違い様に、ただの挨拶だけでなく、ちょっとした会話をフランクに。年齢も序列も関係なく風通しが良い社風と、彼らの仕事へのモチベーションの高さを実感することができました。
──転職活動をされていたときに、ポートフォリオは作りましたか?
作りましたね。中途採用のポートフォリオって、新卒の選考より全然簡単なんですよ。今思い出しても、二度と繰り返したくないのが新卒の選考試験ですね。最近の学生のポートフォリオって結構コンセプトベースじゃないですか。ポートフォリオを通じて何を伝えたいのかが重要というか。先日もインターンの学生に、「もっと雑誌を見たほうがいいよ」ってフィードバックしました。 それと比べて、転職活動の時のポートフォリオには、事実を載せるだけでいいんです。このプロジェクトは、これだけの予算と工数でやりました、UIも映像も自分で作りました、みたいな。そもそも案件としてしっかりしているので、変に大きく見せずに事実だけを載せる感じですね。
──佐藤さんはサイバーエージェントに入社後、デザイン戦略室を設立したんですね。
はい。入社して3年目くらいですね。藤田(社長)の元で立ち上げました。当時多数の新規サービスが立ち上がっている中で、サービス毎にクオリティにばらつきがあったり、全体のデザインの統制が取れていないという状態でした。そこで藤田から「クリエイティブの質を担保してくれ」という話があり、各部門のクリエイティブを担当するメンバーが集まってできたのが、デザイン戦略室です。
入社当初僕はすごく生意気で、全部自分が作ったほうが良いものができると思っていたんです。僕自身、制作会社でいくつもの案件を同時並行でこなしていたので、他のデザイナーよりもこなせる業務量が全然違うと。だから、サイバーエージェントの中でリソースの問題でサービス運用が止まっているものがあれば、どんどん自分にやらせてくれと上司に言っていました。並行して3つくらいのサービスを作っていたと思います。
そこから、2015年頃どんどん増員したメディアのデザイナーをまとめなければいけないというタイミングで、マネージャーのような役割もするようになりました。
──プレイヤーとしてのデザイナーから、チームをまとめるマネージャーになった時にどのような変化がありましたか。
僕はいわゆる、マネージャーというマネージャーではないんです。人を指導しているという感覚はなく、周りに助けられて常に現場で働くタイプ。当然、マネージャーになればマネジメントの時間が増えて、自分が制作する時間は減っていくと思います。だけど、作る時間が減ったとしても、作るチャンスは減っていないと思うんですよ。やるかやらないかは自分で決められる。
当時は、現場から離れるのがすごく寂しかったですが、デザインすることはやめていません。今もデザイナーとして手を動かし続けています。それと同時に、会社のクリエイティブ力を引き上げるために必要だと思うことを考え、試行錯誤しながら実行していました。
── その後、デザイナー初の執行役員に選ばれたんですよね。執行役員を目指していたというよりは、働いているうちに藤田社長に選ばれたんですか?
実は、藤田には事前に何も言われてなかったんです。半年に一度行われる社員総会で突然「新任の執行役員はこの方です」という感じで発表されました。全社員が参加するのでもちろん僕も参加していたんですけど、その時まで知らなくて。そこで改めて、サイバーエージェント全体が、クリエイティブに期待しているんだなと感じました。僕自身がすごいから選ばれたというわけではなく、社員のクリエイティブに対する目線を上げ、「クリエイティブで勝負する」ために選ばれたのだと思っています。
── 執行役員になることに、戸惑いや不安はありましたか?
いえ、なかったですね。 執行役員になっても、新しい物を背負った感覚はありませんでした。サイバーエージェントのクリエイターが、自分たちに誇りを持てるような会社にすることが僕の仕事です。だからやるべきことは変わらないし、社内のメンバーが、「サイバーエージェントのクリエイターである」ことに対してポジティブな気持ちを持ってくれることが僕の目指すべきところだと思っています。そのために、サービスのクオリティを担保して、採用も頑張って、対外的な打ち出しにも力を入れて、そうした全ての取り組みを積み上げてサイバーエージェントのクリエイティブを牽引していきたいですね。
そのために経営の視点をどう取り入れるかは常に考えています。僕自身、経営に詳しいわけではないですが、会社として今後どういう方向に行こうとしているのかは肌で感じてわかります。当然、経営者が何を考えているのかを常に理解するのも大切ですが、それだけでは経営がわかっているとはいえないじゃないですか。会社として、どういう人が求められていて、どういうアウトプットを期待されているのかを常に考えています。また、会社の規模がスケールし、一つひとつの意思決定がもたらすインパクトが大きくなってきました。だから、常に最善の意思決定をするために最適な材料を集めて、最適な経営をサポートするのが僕の役割だと思っています。
──現在、佐藤さんは執行役員であるものの、マインドセットはデザイナーだと思います。デザイナーとは、どのような存在と捉えていますか?
経営に巻き込むべき優秀なアレンジャーだと思っています。今あるものを作り替えたり、今ないものを立ち上げたり。市場の変化に対して常にアレンジが求められる職業だと思います。誰かから提案されたものに対して、自分の意見も入れながら新しく提案しアレンジする。コミュニケーションも同じですよね。
僕の場合、デザインと経営をアレンジするのが役割です。現場のデザイナーと同じように、ユーザーの意見とプロダクト開発の意向を組み合わせて、新しい体験としてアレンジする。変化の激しい市場に対して経営をどうシフトしていくか、そのために既存のものをどうアレンジしていくのか。常に時代の変化に向き合ってきた我々デザイナーは、経営においては優秀なアレンジャーとして機能すると思っています。
──ReDesignerでは「デザイナーの価値を再定義する」ことを掲げています。現在、キャリアに迷われている人へアドバイスはありますか?
自身のバリューも大事ですが、デザイナーはやはり、コミュニケーションを通じて信頼関係を築けるかが大切だと思います。自分だけの得意技のように、デザイナーとしての明確な一本の槍を持ちながら、同じくらいにコミュニケーションスキルも必要不可欠だと思います。デザイナーに求められることが多角化してきた今だからこそ、スキルとコミュニケーションどちらかだけではなく、両方を鍛えていくことが大事。 しっかりとしたバックボーンがあり、周りをアレンジしていけるデザイナーが今後さらに求められていくと思います。
デザイナーとしての在り方を背中で伝えたい 現場から離れても自らの手を動かし続ける佐藤洋介さんの信念
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