9月中旬からアメリカ中を釘付けにしてきた最高裁判事候補のブレット・カバノー氏が米連邦議会上院での最終採決を経て承認された。カバノー氏は、「承認50、反対48」という僅差で 、トランプ大統領と共和党が望んでいた通り、最高裁判事として承認された。
カバノー氏をめぐっては承認過程で、1980年代初頭に当時高校生だった氏から性的暴行を受けたという告発が浮上し、この3週間、米メディアのトップニュースを独占してしてきた。
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9月27日の上院司法委員会における告発者・クリスティーン・ブラゼイ・フォード教授とカバノー氏両者の証言、「FBI(連邦捜査局)による捜査を経るまで最終採決延期」という28日の司法委での急展開、それから1週間内でのFBIの捜査、そして10月6日の最終採決に至るまで、視聴者にとっても、あたかもリアリティTVの中で生きているような日々だった。
たった9人面談でFBI捜査打ち切り
現在上院100人のうち、共和党は51人、民主党は49人。過半数を占める共和党の51人がカバノー氏を承認すれば、彼は最高裁判事になるという状況だった(50対50に割れた場合には、ペンス副大統領の票が勝敗を決する)。
共和党には最後までカバノー氏への支持を留保する数人の議員たちがいた。このうち2人以上がカバノー氏への反対票を投じ、民主党が1人残らず反対した場合にのみ、承認はされない。だから、反対する共和党議員が果たして2人以上いるのか、民主党が一枚岩なのかが注目されていた。
FBIの報告の内容は公表されておらず、共和党と民主党が1時間交代で報告書がある部屋に出向いて読んだ。共和党上院議員たちの大多数は、報告書の内容にについて「報告は満足できる」とし、カバノー氏への変わらぬ支持を表明した一方で、民主党はFBIの捜査を不十分と主張、もっと時間をかけた入念な捜査を要求した。
FBIが1週間でインタビューした相手は9人 。その中にはカバノー氏本人も、告発したフォード教授も教授の夫もセラピスト、数多くのカバノー氏の友人らも含まれていない(FBIがインタビューした人、しなかった人のリストはこちら)。
捜査の結果、最後まで承認を決めかねていた3人の共和党議員のうち、1人が反対に回ったが、賛成多数で承認は認められた(ちなみに民主党からも1人、承認賛成者が出た)。
承認反対のデモで300人以上が逮捕
10月6日午後、カバノー氏の承認が正式に確定すると、トランプ大統領は、
「カバノー氏は長年にわたって卓越した最高裁判事となるだろう。彼ほど清潔な、何一つ問題のない人間は滅多にいない。FBIはいい仕事をした」
と満足げに述べた。
ワシントンの最高裁や上院付近では1日中デモが行われ、この1週間で合計300人以上が逮捕された。
一度任命されたら終身職の最高裁判事
日本から見ると、今回のアメリカでの大騒ぎは謎に映るかもしれない。日本の市民の間で最高裁判事が話題になることはまずない。
なぜアメリカではそんなに最高裁が重要なのだろうか?
アメリカも日本と同じように三権分立に基づいているが、アメリカの最高裁の持つ力は強大だ。人工妊娠中絶、同性婚、死刑、宗教、表現の自由、移民、銃規制、環境規制、プライバシー保護など、生命、人権、ライフスタイルなどの価値観に関わる幅広い問題についての判断を下す役割を持つうえ、法案を無効にしたり、大統領の権力すら制限できたりするからだ。2000年の大統領選におけるブッシュ対ゴアの接戦の結論も、最高裁が出した。
さらに最高裁判事は選挙の洗礼は受けず、一旦任命されれば終身制である。病気や死亡、本人の意思による引退、弾劾がない限り、一生安泰なのだ。現在53歳のカバノー氏が最高裁判事に就任すれば、おそらく30年以上にわたり最高裁の判決に影響を及ぼすと予想される。
カバノー騒ぎの最中から、「最高裁判事は弾劾できるのか?」ということも話題になっている。詳しくは省くが答えはイエスで既に署名運動も始まっている。だが、これは大統領を弾劾するのと同じくらい難しい。
オバマ時代に“奪われた”判事席
今回の承認が物議を醸したのには、政治的背景もある。
オバマ前大統領は、2016年2月にスカリア判事が亡くなった際、穏健派のメリック・ガーランド氏を後任に指名した。しかし、共和党のマコネル院内総務は10カ月間にわたり(つまりオバマ前大統領の任期が終わるまで)審理を先延ばしにした。トランプ大統領が就任すると、保守派のニール・ゴーサッチ判事を指名し、2017年4月に彼が、スカリア判事亡き後1年以上も空いていた席についた(この異常な顛末については、オバマ大統領の寄稿が日本語になっている)。
民主党にとっては、本来ならばオバマ前大統領の指名した候補が座るべきだった席を不公平な形で奪われたという苦い思いが今もある。
カバノー氏の前任者、アンソニー・ケネディ元判事。保守だが同性婚などについてはリベラルな立場をとり、swing voterとして知られていた。。
REUTERS/Jonathan Ernst
この度の空席はケネディ判事の退職によるものだが、彼は保守でも同性愛、人工妊娠中絶等の社会問題に関してリベラルな見解を持ち、swing voter (意見が割れた時の決め手の1票)として知られていた。ケネディ引退後、現最高裁は保守とリベラルが4人ずつだ。明らかに保守派であるカバノー氏が加わることによって、保守5人、リベラル4人とハッキリ分かれた構造になる。
カバノー判事の過去の投票歴や見解を分析した人々によれば、彼は、現最高裁判事の中で最も右と言われるトーマス判事と同じくらい右寄りであると言われている。
もっとも保守的な最高裁に
大統領は4年か8年で交代し、議会も選挙のたびにバランスが変わる。しかし、最高裁のバランスを変えるには、はるかに長い年月がかかるのだ。だからこそ共和党としては、ホワイトハウスに加え上院・下院両方を自分たちが支配している間にカバノー氏を任命してしまいたかった。
一方、民主党はカバノー氏の銃規制、人工妊娠中絶、ロシア疑惑捜査などへの考え方、共和党にべったりな政治観に対し強い危機感を持っており、性暴力疑惑以前から慎重になっていた。
カバノー氏が承認された今、最高裁が右傾化していくことは明らかで、「アメリカは、1937年以来、もっとも保守的な最高裁の時代に入った」と言う法律学者もいるほどだ。
現最高裁判事9人の年齢をみると、保守は比較的若く、リベラルの方が年齢が高い。特に現在最高齢のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事は85歳だ。彼女は2020年まで続投する意思を明言しているが、もしトランプ大統領在任中に彼女の席が空くことになり、その時、共和党が上院多数を握っていた場合には、今回と似たような政治的ドラマが再び起こる可能性もある。
露呈した不都合な資質
9月27日の公聴会ではカバノー氏が無実かどうかは結局わからなかったが、告発内容の真偽とは別に、その過程で図らずも明らかになったことがある。それはカバノー氏の資質に関するものだ。
公聴会で見せた姿は多くの人々を驚かせ、「こんなに感情的で好戦的な人物が、最高裁判事に就いて大丈夫なのか?」と思わせた。ただ、この激情を前面に押し出すスタイルは、ほかならぬホワイトハウスのアドバイスによるもので、トランプ大統領はカバノー氏の答弁の様子に満足していたことが報じられている。「トランプ・スタイル」を取り入れたということだ。
カバノー氏(クリントン大統領弾劾関連の調査に関わり、ブッシュ息子のホワイトハウスで勤務した経験がある)が、共和党的バイアスのかかったレンズで物事を見ているということも露呈した。公聴会の冒頭、カバノー氏が言い放った
「これは、トランプが大統領になったことへの怒りに基づく民主党の陰謀で、何ミリオンもの資金に支えられた政治キャンペーンだ」
という言葉は根拠のない言いがかりと受け止められ、判事としての政治的中立性に疑念を抱かせることになった。
さらに彼のしばしば相手をはぐらかし、正面から質問に答えようとしない姿も、不信感を抱かせた。民主党議員の発言を遮ったり、食ってかかったり、自分の華々しい経歴を延々と話し続けたことから、「傲慢」「失礼」という印象も残した。
今回の公聴会の最大かつ唯一の目的は、カバノー氏が最高裁判事という司法の頂点たる仕事に適した人物かを判断することだった。
2400人以上の法律教授たちが上院あてに承認反対を表明する手紙を出したのも、その資質に対する疑念からだった。ハーバード大学の憲法学の権威ローレンス・トライブ氏、引退した最高裁判事スティーブンス氏なども、公聴会後支持を翻した。アムネスティ・インターナショナル、全米弁護士協会などからも承認を遅らせるべきという異例の進言があった。これら全てを無視して、上院は採決を強行したわけだ。
中間選挙へ女性たちの怒り
承認は一段落したものの、11月6日の中間選挙までカバノー氏問題は大きな話題であり続けるだろう。というより、これが今回の中間選挙の大きなポイントになることは確かだ。
今回の中間選挙では、上院議員のうち35人、下院議員全員の435人、州知事36人、多数の地方議員を選ぶ。そして何より中間選挙はトランプ大統領と与党・共和党に対する信任投票という意味を持つ。
もし野党・民主党が上下両院で過半数議席を奪還すれば、トランプ大統領が残りの2年間でできることは極めて制限される。現段階では、少なくとも下院では民主党が議席を増やすと予想されているが、上院では共和党が優位と言われている(上院の改選議席35の内、共和党が占めるものは9議席のみであるため)。
民主党の下院予備選には、前回中間選挙より500人も多い1500人が出馬、このうち350人が女性で、史上最多となった。トランプ大統領に対する不満、#MeToo の影響だ。その流れの中でのカバノー氏の承認が女性たちの怒りを原動力に、民主党がさらに盛り上がっていくと見られている。
ただ、トランプ大統領もそれは見抜いているので、その勢いに対抗すべく、カバノー騒ぎを利用し始めている。それが、10月2日のある集会で明らかになった。
トランプ大統領による「告発者いびり」
10月2日に行われたミシシッピー州での集会で、トランプ大統領は告発したフォード教授のものまねをし、聴衆からの笑いをとるネタにした。
「どこでパーティがあったかも、どうやって家に帰ったかも覚えていない?なのに、ビールを1本飲んだことと、カバノー氏に襲われたことだけをはっきり覚えているというのはどういうことだ?」
と。のちにトランプは、
「フォード教授がカバノー氏に襲われたというのは人違いであると100%確信している」
とも言った。
フォード教授自身が公聴会で述べていた通り、トラウマを経験した人が、トラウマの部分だけをやたら鮮明に覚えているということはよくあることだと言われているし、脳科学的にも証明されている。自らも性暴力の被害者であるレディ・ガガも、トランプの発言の直後にテレビ番組で、
「トラウマの部分だけをはっきり覚えているというのは、私にもわかる感覚です。辛い経験を頭の中の箱にしまって生きてきたフォード教授は、私たち国民を守るために、わざわざその箱を開けて、勇気を持って前に出てきてくれたんです」
と述べていた。
これらのトランプ発言は、早速炎上、特にフォード教授のものまねについてはさすがに共和党議員たちからも批判が出た。しかし、これまでにも何度も証明されているように、トランプ大統領がこのように煽動的な発言をするたびに喜び、盛り上がり、支持を強くする人たちが確実にいるのだ。
トランプ大統領は公聴会後、フォード教授の証言について「彼女は説得力のある証言をした」とまで言っていた。なぜたった数日後に翻したのだろう?
これは選挙を控えての彼ならではの嗅覚だろう。彼の支持者たちは、「我々に対する民主党の理不尽な攻撃」という陰謀説を聞くのが大好きなのだ。「#MeToo は行きすぎだ」「#MeToo のせいで生きにくくなった」とも感じている。トランプ大統領の天才的な才能は、「トランプ支持者が聞きたいと感じていることを言う」ことで、それが何よりのキャンペーンだと知っているのだ。今回も、カバノー騒ぎを利用すれば、支持者たちに危機感と連帯感を感じさせ、選挙にうまく結びつけられると読んでいるに違いない。
この2年で明らかになったように、トランプ大統領は人々の中に憎悪や怒り、嫉妬や恐怖を駆り立て、それら忌まわしい感情を利用して、自分が得たいものを得る。彼のそんなやり方に共感する人たちが少なからずいる。アトランティック誌は、「The Cruelty Is the Point(残酷さこそがポイントなのだ」と題した論評で、「トランプと彼の支持者たちを強く結びつけているのは、残酷さ、そして残酷さの中に彼らが見出す快感である」と述べている。
1991年から何が変わったか
アメリカ国民にとって今回の出来事は、1991年に起きたもう一つの出来事を否応なしに思い出させるものだった。現最高裁判事クラレンス・トーマス氏の承認過程で浮上した元部下アニタ・ヒル(現ブランダイス大学教授)によるセクハラ告発だ。この27年で、何が変化したのか、そして何が変化していないか、ということが、公聴会の前後に非常に話題になった。
1991年の公聴会は、上院司法委の白人男性14人が、黒人女性であるヒル教授に対し、無神経で的外れな質問を浴びせ、のちのちまで批判された。告発にもかかわらず、トーマス氏は、僅差で最高裁判事として承認された。それへの怒りもあって、翌1992年の選挙では連邦議会の女性議員の数が2倍に増え、「Year of Women」と呼ばれたほどアメリカ政治史に残る重要な出来事であった。
アニタ・ヒル氏自身、カバノーの告発の浮上直後、ニューヨーク・タイムスへの寄稿で当時の思いを語り、
「今は、#MeToo の流れもあり、性暴力に対する人々の関心はずっと高い。1991年に戻ってやり直すことはできないけれども、今回、前回よりもうまく対応することはできるはず」
と述べていた 。
#MeToo 運動に加え、ソーシャルメディアの存在も27年前には考えられなかった。今回、フォード教授を支持する人たちは、#IBelieveChristine、#ibelievechristineblaseyford、#DearProfessorFord、#believesurvivors、#believewomenなどといったハッシュタグをつけてTwitterやFacebookで、会ったこともない人々同士がアイデアや意見を交換しあい、抗議行動を組織したりした。フォード教授のための募金もネットで大量に集まった。
一方、大して変わっていないこともある。例えば、上院司法委、特に共和党側が相変わらず白人男社会だということ。1991年は14人の委員が全員白人男性だった。今、21人の上院司法委のうち、共和党側の11人は相変わらず全員白人男性である。民主党側は、10人のうち4人が女性、3人は有色人種なので、少なくともそこには変化が見られる。
しかし、最終的に出た結論は、27年前と同じだった。いずれの告発者女性の言葉も、結局のところ承認を止めるには至らず、疑惑が晴らされることのないまま採決に進み、僅差で承認が通った。彼女たちの言葉は信じてはもらえず、告発された男性側は最も権威のある裁判所の判事となった。
Divided States of America
民主主義は、異なる意見を持つ者同士の「対話」があって初めて前に進めるシステムだ。2016年以降のアメリカでは、その「対話」が事実上機能しておらず、対立が対立のまま深まる一方だ。トランプ大統領の誕生は社会の根底にあった亀裂を表に引きずりだし、今回のカバノー騒ぎは、それをさらに深いものにしてしまった。一つの国の中に二つの全く違うアメリカがあり、互いに他方を徹底的に忌み嫌っている。
「United States of America ではなくて、Divided States of America だね」と友人が言っていて、名言と思った。
カバノー氏が承認された日に出たワシントン・ポストの記事の中でコメンテーターの一人が、「今我々は、アメリカの政治史上2番目にひどい分裂の時代にいる」と言っていた。1番ひどかったのは南北戦争前の時代、その次にひどいのが今だというのだ。
同じ記事に、8月に行われた世論調査の結果が出ていた。
「民主党と共和党は、政策やそれをどう実行するかということについてだけでなく、基本的な事実関係についてすら合意することができない」という命題に、78%のアメリカ人がイエスと答えたという。
公聴会での証言を聞いた後には、86%の民主党支持者たちがフォード教授を信じると言い、84%の共和党支持者たちがカバノー氏を信じると言ったというデータも引用されている。両者とも、自分達側こそが被害者だと考えており、「敵は、悪意をもって動いている」と思っている。共通の理解のベースを築くという、民主主義にとって不可欠なことが不可能な状態になってしまっているのだ。
今回アメリカでは事実上、三権分立に対する信頼が崩壊した。トランプ大統領になっても司法だけは独立を保ち、最高裁はかろうじて政治に巻き込まれない中立的な判断を下してくれる最後の砦と見なされてきた。その独立性が傷つけられ、司法もまた党派政治に侵食されてしまった。だからこそ、今回は一人の判事の任命という問題を超えた大きな意味がある。
政治に対する不信感や、社会の構造的分裂、対話が成立しない状態は、急に始まったものではないし、アメリカだけでなく、欧州にも日本にも明らかに存在する流れだ。ただここへきて、アメリカではこれらの問題が、悪い意味で次の段階に入ってきたという感じがする。この方向で進めば近い将来、民主主義は生きたイデオロギーとしての説得力を失い、ただの理論と化してしまうかもしれない。
中間選挙まであと1カ月。一般に中間選挙は、大統領選挙に比べると投票率が低い。でも今、民主党、特に女性たちは怒っている。この怒りが11月にどんな結果を生むのか。この選挙にかかっているものは、アメリカの民主主義の未来にとってあまりにも大きい。
渡邊裕子(わたなべ・ゆうこ):ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー、2018年は約1年間の自主休業(サバティカル)中。