糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

10月09日の「今日のダーリン」

・なにを書こうかなぁと、いろいろ考えていたのですが、
 書いてはやめ書いては迷い、書くのをやめました。
 いちばん書きたかったことがあるのだから、
 それを素直に書いたほうがいいと思いました。
 とても近くにいる人が、赤ちゃんを生むことになって、
 それを横から見ていたら、赤ちゃんを生むということは、
 同時におかあさんが生まれることなのだと思いました。
 もっと広く言えば、おとうさんが生まれるし、
 おじいさんやおばあさんが生まれるし、
 新しい人の加わった世界が生まれることでもあります。
 先日、気仙沼に旅をしましたが、
 着いたとたんに詩をつくりたくなりました。
 おなかのなかの赤ちゃんのことばを聞いている詩です。

 「おかあさんになる人に、あげます」と書いて、
 おかあさんになる人にメールで送りました。


 わたしがうまれる 

 いま わたしがうまれる 
 いままで わたしは まっていた 
 そだちながら まっていた 
 ひとりじゃなかった おかあさんといたし 
 みんなが こっちをみていてくれた 

 いま わたしがうまれる 
 いまから わたしは あいにいく 
 よろこびに あいにいく 
 ひとりじゃないよね おかあさんもいるし 
 みんなが わたしをみていてくれる 

 いま わたしがうまれる 
 いま わたしがうまれる 

 書いたぼく自身は、幼いころにおかあさんと離れたので、
 おかあさんのことを思うのが、とても不得意です。
 ただ、おかあさんになる人とは、とても親しいので、
 赤ちゃんは、きみや、みんなのことが大好きで
 生まれてくるんだよと、伝えたかったのです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生まれたばかりの人の前で、ぼくらはその人をまねている。