2018-10-10

何もかもが飽和した時代から奪い合う喧嘩が起きるのではないか

キャラ論争などを見ていると、何もかもが飽和して頭打ちであるから議論が起きるのではないかと感じる。

飽和していない時代というのは、基本的に揉めたりしないものだ。

どんどん成長させていけばいいだけなのだ

変にも揉めずに発展させれば別の表現やらというものが新たな希望を見せてくれるかもしれないという幻想を抱くことが出来たのだ。

しかし、経済的にも文化的にも現代というのは飽和している。

そして、なかなか新しいものというのが生み出されそうにない。

そうなると限られたパイを如何に分けるかという喧嘩が起きるのだ。

世界中排斥運動やらが起きているのもそういうことだろう。

また、資本主義限界を感じている人々が増えているというのもそういうことだ。

自分も何もかもが頭打ちで飽和した時代を如何に生きればいいのかわからない。

ただ、醜い容姿自分は生きにくそうだ。

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