レインボーフラッグは誰のもの

LGBT セクシュアリティ ジェンダー系の話題

アイコンが問題なのではない

水野ひばりです。この数日間のTwitter上におけるレインボーフラッグ、及びLGBTについての議論で、ひびのさんからリプライが届いています。

日々限られた時間や、自分の性格や体力の問題もあり、それで、取り急ぎ、経緯はともかく早めに返しておいた方がよい案件について順にお伝えします。

まず上のリプライ。「レインボーアイコン」の話です。

「アイコン」の話はあまり自分ではしていないのですね。自分をtwilogで検索すると次のようにわずか2件しかヒットしません。 「アイコンからレインボーを外せ」とは実は一言も言っていないのです。 

「~そうなのよ」で始まることからも初めは空中リプライのようなものでした。

特に「アイコンからレインボーを外せ」などとは全く言ってないです。上から二つ目のRTは他のユーザーのリツイートです。

「アイコン」に関しては現象として注目していますが、それはあくまで「結果」の確認であって、「アイコン」に「レインボー」をかけたことが問題なわけじゃないんですね。

はい。

①アイコンが問題なのではない。

では何が問題なのか?ということなのですが。

 

②ポリシーの問題です。思想であり、運動のあり方の問題です。

 

私なりにLGBTに関わって来ました。

そこには多くの人が知っているように、様々な人の葛藤や歴史がありました。

そうした中で、ずばり言いますと、あの人たちは果たしてレインボーを掲げるだけに相応しい活動の仕方や、物の考え方をしているのか?ということです。

あの人たち、というのは、もちろん、しばき隊(C.R.A.C.)木野さん、野間さんや男組、我道会の人たちです。

もちろん、私がそれを決められるわけではありませんが、しかし「問う」ことは可能なはずです。

セクシュアルマイノリティの皆さんも、興味を持ったら、良い機会ですので、ぜひ一緒に考えてみて下さい。

みなさんはLGBTがどんなものであって欲しいでしょうか? またそこにどんな想いを込めて日々活動して来たでしょう。

ゼロ年代半ばから数えればおよそ十年、そして90年代半ばから二十年。 私たちは互いに言い争う時もあったかもしれません。が、しかし今は互いにその歴史を振り返ってみましょう。 この人たちは、反差別、反レイシズムの大義名分で手段を択ばない行動を選び取っています。

彼らに賛同するセクシュアルマイノリティもお見えになるようですが、しかし、今、一度、よく考えて下さい。

もちろん、在特会に反対することは必要なことなのですが、運動のあり方としてどうなのかと言うことです。

在特会の差別は目に見える判り易いものです。しかし、「差別」が姿を変え、目に見えない、あるいははっきりと見えているのにそれを差別だと告発し難い状態で、まさにどこにでも現れることを(それは反差別を掲げた運動の場にもです)私たちセクシュアルマイノリティはよく知っているはずです。

これは自分だけの問題ではありません。

LGBTに関わる人たち全体に波及する問題です。

ですから、どうかよく考えて欲しいのです。

 

 

彼らは、LGBTが運動の中で大切にしてきたもの、育んできたもの、を踏みにじってないでしょうか。

 

~つづく ※ちょっとやっぱりかなり長いものになっちゃいそうで、本当はもっといくつかのリプライに答えるつもりだったのですが、一個に答えるのが限界でした。「凡さん、金先生の何を批判しているのか?」ということにも答えたいと思います。それはまたの機会にポストします。できるだけ近いうちに。

 

※あと、最近、これがきっかけで在特会の人たちからRTやフォローを頂いていますが在特会が良くないことは言うまでもないこと」です。