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【大相撲】

輪島さん逝く 「黄金の左」永遠に 型破りな言動

2018年10月10日 紙面から

数々の名勝負で「輪湖時代」を築いた輪島(上)と北の湖。1979年7月の名古屋場所では浴びせ倒しで輪島に軍配=愛知県体育館で

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 大相撲の第54代横綱輪島で、「黄金の左」と呼ばれた左差しの攻めにより歴代7位となる14度の幕内優勝を果たした輪島大士(わじま・ひろし)さん=本名輪島博=が下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱で、8日午後8時に東京都世田谷区の自宅で死去した。70歳。石川県出身で日大相撲部から花籠部屋に入門し、70年初場所に幕下付け出しで初土俵。73年夏場所後に横綱へ昇進した。葬儀・告別式は未定だが、喪主は妻の留美(るみ)さんが務める。

 昭和の大相撲を支えた大スターが天国へ旅立った。「黄金の左」と呼ばれた左差しを武器に歴代7位の優勝14回。土俵外では型破りな行動で関心を集め、ユニークな言動と人懐っこい人柄でファンから愛された元横綱輪島が、70年間の波瀾(はらん)万丈な人生に別れを告げた。

 「蔵前の星」というニックネームの通り、力士人生は輝きに満ちていた。日大で学生横綱となり、花籠部屋に入門。1970年初場所に幕下付け出しで初土俵を踏むと、強烈な下手投げ、洗練された天才肌の取り口で一気に番付を駆け上がった。72年夏場所で幕内初優勝。73年夏場所後に学生相撲出身で史上初めて、横綱に昇進した。本名をしこ名にして最高位に就いたのも初。身長186センチ、体重130キロ前後の均整が取れた肉体に、トレードマークとなった金色の締め込みがよく似合った。

 6学年下の横綱北の湖とはしのぎを削り、「輪湖(りんこ)時代」を築いた。対戦成績は輪島さんの23勝21敗。本割、優勝決定戦で連勝し、逆転優勝した74年名古屋場所千秋楽は今でも語り草だ。15年11月に亡くなった当時日本相撲協会理事長の北の湖親方も生前、「みんな輪島さんの左がすごいと言うけど、右のおっつけが強烈だった。だから左の下手投げを食うんだ」と脱帽していた。

 81年春場所限りで引退。花籠親方となって部屋を継いだが、まげを落としてからは苦難が続いた。年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚し、85年12月には廃業に追い込まれた。86年には全日本プロレス入り。2年余りで退くと、タレント活動、アメリカンフットボールの社会人チームの総監督も務めた。約5年前の咽頭がん手術で声が出なくなるなど、近年は病と闘った。昨夏には息子の大地さんが天理(奈良)の控え投手として甲子園出場も、体調が思わしくなくスタンド観戦はできなかった。

 最後は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱で、都内の自宅で息を引き取った。その圧倒的な存在感で土俵を沸かせた輪島大士。不世出の大横綱が残した功績は、永遠に色あせることはない。

 

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