日記

好きなものと日常

♯わたしの自立

地元を離れて、約2年と半年が過ぎた。

 

あまり勝手がわからないまま、とりあえず絶対にド田舎の地元を離れて都会で働くという意志だけを抱えて就職活動をし、拾ってくれた会社はブラック企業で、これまたよくわからないままがむしゃらに働いていたら知らず知らずのうちに心身ともに限界に近い状態になり、地獄を見るようなかたちで退職し、転職活動をし、転職した。

毎日いろんなことがあっていろんな人に出会っていろんな経験をして、自分では5年くらいこの街にすんでいるような気がしているけど、実際はまだ2年半しか経っていないと思うと驚く。

 

生まれてから20数年間、実家のある故郷に住んでいた。

周囲には海と山しかなくて、密接な近所付き合いやすぐ広まる噂や町内の人々の監視の目や、田舎特有の息苦しさがいつもつきまとっていて、大好きなバンドたちのツアー日程には当然私が住んでいる県は組み込まれないし、趣味が合う人が周りに全然いないし、車がないとどこにもいけないし、休みの日はイオンくらいしか行くとこないし、イオン飽きたし、挙げだしたらキリがないけどとにかく地元を離れたい理由が山ほどあった。そんなにも地元を出たかったのに大学受験で玉砕して地元の大学に通うことになり、「地元最高!大好き!」って言ってる同級生たちが地元に後ろ髪引かれながら泣く泣く大学進学のため県外に出ていくのを羨望の眼差しで見つめながら、自分は諸々の理由で人より長く大学に通い、結局地元を愛してやまない同級生たちより何年も長く地元に住んでしまった。

 

就職のタイミングを逃したら一生脱出できないかもしれない…と思った私は、自分を追い込むために地元の企業は一切受けずに、一番近い都会である関西圏で就活をした。

なんだかんだで、とある企業が拾ってくれることになって、ついに都会に進出できるということが正式に決定した。会社の人事担当者から採用内定の電話がかかってきたときの嬉しさは今でも覚えている。

 

田舎から就職のために出てくるので、会社に家賃補助をもらって借り上げ社宅を契約できることになった。

入社の数か月前、不動産会社のお兄さんにいくつか物件を案内してもらいながら、自分がこれから住むことになる街を初めて歩いたときのわくわくは忘れられない。実家の周りは海と山しかなくて最寄りのコンビニまで車で20分、みたいな街に20数年住んでいた私にとっては夢の国のようだった。この街には徒歩圏内にあらゆるものがある。決めた物件の隣はコンビニで、50m圏内に別のコンビニも2つあって、スーパーは徒歩1分でいけて、周囲には飲食店がゴロゴロある。少しさびれた雰囲気ではあるが、昔ながらの商店街が近くにあり、JRの駅も私鉄の駅も近いしTSUTAYAも歩いていけるし、県内で最も栄えている中心地までは地下鉄で数駅だ。

 

地元にいたときは居酒屋があるような街中から実家までは車じゃないと帰れなかったので、飲み会ではお酒を我慢して(大学生の飲み会なので、酒を飲まないと周囲から醒めるわ~と言われてそれもちょっと嫌だった)街灯のない真っ暗な山道を自分でボロボロの中古車を運転して帰るか、どうしても飲まないといけない会のときは恥ずかしい話だが親に頼み込んで街まで車で迎えにきてもらったりしていた。電車なんてそもそも通ってないし、バスは一時間に一本しかなくて最終便が20時だった。親も次の日仕事なのでリミットは粘って22時くらいだし、そんなことが月に2回でもあると母親から「疲れる!!月1回までにして!!」と怒られたりしていた。(今なら娘のどうでもいい飲み会の送迎をするめんどくささが想像できる。ごめんねお母さん)あと、母親が超絶心配性だったので、夜私がちゃんと帰ってくるまで布団に入っても寝付けないから睡眠不足になって迷惑している、という文句を言ってくることがしょっちゅうあって、いやそんな理不尽なこと言われてもこっちは研究室で研究してるんだしバイトもあるしどうしようもないじゃん、と反論して喧嘩になることも多々あった。

 

じゃあもう大学の近くで一人暮らしすればいいじゃん?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この田舎で実家と学校間が車で20分くらいの距離なのに大学近くで一人暮らしなんてしようもんなら、その噂が町内を駆け巡り、主婦たちのゴシップネタにされ、きっと私の家族は近所の人とすれ違うたびに「こんなに近いのに学校の近くに娘さん一人暮らしさせてるんだって?お金に余裕があるんだね~」と薄ら笑いで嫌味を言われただろう。まあ別にそうなるのが嫌で一人暮らしをしなかったなんてわけでもなくて、確かに公共交通機関の面では超超超絶不便だけど全然車で通える距離だし経済的に余裕があるわけでもなかったのです。

 

そんな田舎で不便かつ不自由な生活をしていたもんだから、現在の自分の生活に対して、最高じゃん!!って気持ちになることが今もよくある。ごく当たり前に飲みに出かけることができて、当たり前に電車に乗って帰ってくることができて、電車は遅い時間まであるし、お店の選択肢も山ほどあって、地元にいたら出会えなかったような人たちと知り合える。ただ普通にお酒を飲みに行って自力で家に帰ってくることができるという環境が、私にとってはたいそう特別なものなのだ。あと、今の職場はだいたい定時に上がれるので、仕事終わりに友達と会うこともできるし、好きなバンドの平日開催のライブに行くこともできる。多くの人にとっては「え?そんなの普通のことじゃない?」と思われることばかりかもしれないけど、私はいまだに一つ一つのことに感動している。

 

 そして、一人暮らしはめちゃくちゃ楽しい。他に人がいないから、何時に帰っても、何時に起きても、家で何をしても、何時に何を食べても、誰を呼び込んでも、誰からも叱られず喧嘩にもならないわけだ。自分が働いて得たお金で自分の生活を運営しているので、誰かから文句を言われる筋合いはない(はず)。根が無駄にまじめで小心者なので正直全然ハメを外すようなことはしていないのですが、何をしたって人様に迷惑をかけないよう最低限のラインさえ守れば誰からも干渉されないんだなと思うとそれだけで笑いが漏れてしまう。自由って最高だ。最高過ぎてもう誰かと一緒に暮らすなんて一生できないかもしれないと怖くなる時もあるけど。

 

 そんな風に浮かれた状態が続いている私だけど、自由の代償は思っているより大きいなと感じることも多々ある。一番はなんといってもお金だ。自立の定義は環境や条件によって異なると思うし考え方も人それぞれなので一括りにすることはできないが、ひとまずここでは一旦、自分の稼いだお金で自分を養うことを“自立”と考えることにする。決して多くは無いけれど自分で稼いだお金で自分の生活をなんとかやりくりできているという事実は、精神面で大いに私を支えてくれている。しかし、一応“自立”しているという体裁を保つために毎日会社へ行って時には嫌な思いも大いにしながら仕事をしてお給料をもらい、そのお給料からどばどばと税金や生活のための固定費が引かれていくのを見ると、この状況は一体何なんだ?という気持ちになることも無くはない。

 

特に、新卒で入ったブラック企業に勤めているときはその気持ちが強かった。永遠に終わらない量の仕事をヒイヒイ言いながらこなして、心身共に追い込まれ、夜中に家に帰るとクタクタでお風呂に入るのがやっとだった。朝はギリギリまで眠り、実家の父が田んぼで取れた米を送ってくれるのにその米を炊く時間すら無く、恥ずかしながら朝食は家を出る間際にコンビニに駆け込んでおにぎりを買い、駅に向かう道中で口に詰め込んでいた。日曜日はいつも「今週こそは会社にお弁当を持っていくぞ!」と思って平日分の作り置きおかずを作るのに、結局平日はお弁当を用意する気力も時間も残らない働き方をしているので毎回おかずを無駄にしてしまう。ストレスのはけ口を食にしか見いだせず、ランチが徐々に豪華になっていく。18時頃に外回りが終わり会社に戻るけど、そこから仕事の第2ラウンドが始まるので、それにそなえてコンビニのおにぎりやパン、お菓子、コーヒー、栄養ドリンクを買い込む。最後のほうは栄養ドリンクを一日3本飲んでいた。あまりにも精神的に追い詰められていると、外回りで使った交通費を精算する余裕すらなくなってしまう(この頃精算できず自腹で払ったままの交通費の合計を考えると恐ろしい)。会社で問題にならないように、残業時間をPC上で細工して記録上少なくするのは、どこの企業でも行われている当たり前の行為だと思っていた。平日は全身全霊を会社に捧げていたので、土曜日は死んだように眠る。目が覚めてから、「休日なんだから何かしなくちゃ!!」という気持ちで焦って街へ出かける。会社に忍び込んで仕事をすることもあった。私なんかより酷い労働環境の中で頑張ってる人なんて探せば山のようにいるのも当然知ってるけど、人の限界のサイズはそれぞれで、私はこの生活で徐々に追い詰められて限界が来た。

 

 今振り返ると、あの頃は自分の中でもいろんなことがおかしくなっていたなと思う。これだけ働いているんだから!と思って外食したりお酒を飲んだり欲しいものを買ったりイベントに行ったりするけど、どこか心が虚しかった。めちゃくちゃな生活だったからお金もどんどんなくなるし、お金貯まらないけど何に使ってるかよくわかんない、けど今の出費から何も削れるものがないよなーと本気で思っていて、仕事の報酬でお金をいただいているというよりは、仕事ができる状態を保つためにお金を吸い取られているみたいな感覚だった。ドツボにハマって、いよいよ何のために生きてるのか本気でわからなくなってしまっていた。今なら、ブラック企業経験者あるあるだよね~って笑えるけど、当時は「今向こうから来る車に敷かれたら、出せてない見積もりのことお客さんに許してもらえるかな?今月売り上げが危ないのも責められずに済むかな?」とか毎日真剣に考えながら夜中に家路を歩いていた。

 

 そして私は限界を迎えて、次の仕事が全く決まっていない状態で会社を退職した。生活費どうしようとか、貯金この額だったらいついつまでに就職が決まらないと野垂れ死ぬなとか、不安は山ほどあったけど、地元帰って実家から通える職場に就職しようかな、なんて気持ちには一瞬たりともならなかった。一度この自由を手放すと再び取り戻すにはかなりの気力と労力が必要となるであろうことはわかっていた。私はこの街が好きだし、この街の魅力をまだ味わい尽くせてないなと思った。この街での生活にどうにかしてもうちょっとだけしがみつきたいという気持ちだけで必死になって転職活動を行い、なんとか内定をもらった。(当時担当してくれたD●DAのアドバイザーのお姐さんは私の恩人だ)

 

 現在勤めている会社は、今のところほとんど定時で帰ることができている。定時で帰れる世界って、こんなに豊かだったの??!と衝撃を受けている。前述したように仕事終わりに予定を入れることができるのはもちろん、時間に余裕があるから夕食を自炊できて、次の日のお弁当の準備もできて、ゆっくりお風呂に入ったり家を整えたり、読書をしたり動画を見たりSNSに浸ったりしても、23時にはベッドに入れる。朝までたっぷり睡眠を取ることができる。ブラック企業時代に比べて自炊の割合が圧倒的に増え、食費は大幅に安くなったし(ていうか前が異常だったんだけど)、外食や飲酒をするときはありがたみとわくわくが増して以前の5倍は楽しめるようになった。

 

前職では大変さの中に楽しいことも得たものもたくさんあったので、結果こういうことになってしまって多くの人に迷惑もかけまくったけど、新卒で拾ってもらえたことに今でもとても感謝している。前職の経験が無かったら今の会社には受からなかったかもしれない。けど、ブラック企業を離れて人間らしい生活を手に入れてわかったこともいろいろある。身体が元気で精神的にもそれなりの余裕があれば、日常生活というのは特別なことが特に無くても結構楽しいものなんだなと初めて思った。もちろん今も休みの日に人と飲みに行ったりイベントに行ったり買い物をするのは大好きで心から楽しいと思うけど、そんな予定が特に無くて家に籠って好きな本を読み返したり、ラジオを聞きながら例えば新しい作り置きレシピに挑戦するとか、そんな小さなことでも楽しい気持ちになれるんだなということに気付いた。すがる思いで街に出かけて浪費していたあのころは知らなかった。私の日常は人から羨ましがられるような華やかな生活とは程遠い地味なものだけど、自分で自分を養えているという静かだけど確かな自信があって、好きな街に住めていて、くつろげる自分の部屋があって、部屋を整えたり暮らしを工夫する時間があって、それらが私を支えてくれて、充実した気持ちをもたらしてくれている。

 

この先のことは誰にもわからない。突然気持ちが変わって地元が恋しくなるかもしれないし、突発的に誰かと結婚するかもしれないし、このまま一生独りかもしれないし、病気をするかもしれないし、会社が倒産して仕事がなくなってしまうかもしれない。人生何があるかわからないから、今のように一応客観的に“自立”した生活を続けることが物理的に困難になってしまうことが起こるかもしれないけど、もしそうなってしまってもどうか完全に腐ってしまうことはせず、どんな環境でもそれなりに楽しめて人に優しくできてまあまあこの日々が好きだなと思えるような、精神的に自立した人間になっていたいなと思う。いつだって今の生活が永遠ではないことを意識しながら、引き続き今をめいっぱい楽しんでいきたいな、と考えている。