以前、このブログでも取り上げた少年ブレンダさんが、一昨日、ブログ記事を更新していました。これ(↓)です。
Twitterでの主張は正直、荒唐無稽の印象が強いものの、この記事はなかなか読ませます。以下、この記事について語っていくので、未読の方はまずはリンク先に飛んで読んでおいてください。
読みましたね? この先は読んでいることを前提として語っていきます。
さて、皆さん、この記事についてどう思われたでしょうか? Twitterを見る限りかなり好評のようだし、じっさいかなり良く書けていると思うのですが、同時に、ちょっと読んだだけでは気づかないくらい巧妙に、複数の、それぞれ異なる事情を持つ事例が混同されています。
どういうことか。見て行きましょう。その前に、まずこの記事で気になるのはタイトルです。
「不完全な「キズナアイ」として生きる NHKノーベル賞解説サイトの炎上」となっていますが、これは適切な題名とはいえないと思います。
なぜなら、客観的に見て、実際に「炎上」したのは「NHKノーベル賞解説サイト」ではなく「NHKノーベル賞解説サイトを批判した人たち」だからです。
なぜか本来、一部の人物から、ぼくには筋違いとも思える非難を寄せられただけの立場にある「NHKノーベル賞解説サイト」が炎上したことになっている。
これはミスリードとか印象操作というべきことでしょう。ぼくはいきなりここでつまずいてしまいます。
その後の文章にも「炎上で「キズナアイ」を擁護する意見には、女子にも人気があると言う声がいくつか見られたが、「すごく可愛い」という点で「キズナアイ」は女子にも見やすいはずだ。」などと書かれていますが、このような記述を見ると、この件についてくわしく知らない人は、「キズナアイ」が炎上して批判にさらされており、そのなかで擁護する声がいくつかあるのだ、というふうに思い込んでしまうでしょう。
自然に読めばそういうふうに読めるように書いてある。これはアンフェアといわれてもしかたないのではないでしょうか。「炎上」事件における主客がまるまる入れ替わっているのですから。
しかしまあ、それは本質的なところではないので、良いとしましょう。
この記事の最大の問題点は、「キズナアイ」があたかも特定の「ジェンダーロール」の象徴であるかのように語っている点にあります。
件の「NHKノーベル賞解説サイト」、正確には「まるわかりノーベル賞2018」(https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize2018/index.html)において、バーチャルYouTuberのキズナアイが登用されたことについて、この記事ではこのように記されています。
NHKの起用をジェンダーロールの視点から指摘すれば、「キズナアイ」を起用したとしても、女性が「聞き役」で男性が「話し手」という旧来のジェンダーロールを想起させるものではなく、バリエーションを用意したり、フワフワしたまるで男子が思い描く「ダサピンクの女子部屋」のようなサイトデザインなど、工夫すれば、幾分かマシになったかもしれない。
だが、「キズナアイ」を起用する時点でそれは「あり得ない選択」だ。
なぜならば、彼女はそもそも「そういうキャラクター」であり、男子から求められる「役目」をしっかりこなす「完璧な女の子」が「キズナアイ」なのだから。
この記事において、女性(少女)であるキズナアイが「聞き役」で、男性陣が「話し手」であることは偶然ではなく必然だというのです。
その理由としては、彼女が「そういうキャラクター」であり、「男子から求められる「役目」をしっかりこなす「完璧な女の子」」だから、と語られています。
ほんとうにそうなのか、ぼくはとても疑問があるのですが、その話をする前にまずひとつ指摘しておくと、このNHKのサイトはいつも女性が「聞き役」で男性が「話し手」という「旧来のジェンダーロールを想起させる」組み合わせになっているわけではありません。
ネットの情報をさかのぼると、2016年の同記事はすでに消失してしまっていてどうだったのかわかりませんが(もし発見できた人がいたら教えてください)、2017年の記事においては「聞き手」は男性(少年)であり、「話し手」は女性です。
つまり、「旧来のジェンダーロール」とはまったく異なる組み合わせであるわけです。
そうである以上、2018年の組み合わせが「男性=話し手、女性=聞き役」という組み合わせであったとしても、それが「旧来のジェンダーロール」に則った必然であり、偶然では決してありえない、とはいい切れないと思うのですが、いかがでしょうか。
ぼくはそう思うのですが、少年ブレンダさんはそうは考えないらしいのですね。
ところで、「フワフワしたまるで男子が思い描く「ダサピンクの女子部屋」のようなサイトデザイン」とありますが、これはキズナアイの服のカラーに合わせた配色をしただけでしょう。
たしかにピンクは使用されていますが、サイトのすべてがその色で統一されているわけでもないし、何が「フワフワ」しているのかわかりません。
ピンクを多用したサイトはそれだけで必然的に「フワフワ」しているという印象を与えるということでしょうか。
そうだとしたら、それこそ固定観念としかいいようがありませんし、そもそもサイトにピンクを使うことの何がいけないのかわかりません。
まさか、ノーベル賞のような権威ある賞を扱うサイトでは、ブルーやブラックといったシックな色を使うべき、というわけでもないでしょう。まさかね。
それは余談。さらに問題なのは、この次の記述です。
NHKの解説サイトで「キズナアイ」はほとんど内容らしい内容を話していない。「へ~」とか「ほ~」とか言ってるだけなのだが、それはホームグラウンドでも同じで、よく話してはいるが内容らしい内容はないのである。面白ければいいので「内容」などどうでもいいのだが、「内容はないけど面白い」というトーク力は声優の才能と企画・編集・演出のセンスであり、目を見張るものがある。
「NHKの解説サイトで「キズナアイ」はほとんど内容らしい内容を話していない」。これはぼくの認識と完全に異なります。
ぼくの考えでは、キズナアイは相手の話の内容を的確に理解して応答している。
もちろん、彼女はこの場合、「聞き役」なので自ら会話を先導しているわけではありませんが、少なくとも「「へ~」とか「ほ~」とか言っるだけ」というのは完全に事実誤認と言って良いでしょう。
あるいは、いや、その程度は「内容」とはいわないのだ、と強弁することも可能かもしれませんが、それでは「内容」とは何なのか? 少年ブレンダさんのこの記事には「内容」はあるのか? とても強く疑問に思います。
少年ブレンダさんはこの記事だけでなく、「ホームグラウンド」、つまりYouTubeの動画も「内容らしい内容はない」と断定していますが、この人が何を「内容」と定義しているのか不思議になります。
もし、だれかが恣意的に「内容」と「内容でないもの」を区別してかまわないのだとしたら、それはキズナアイの話に内容がないということもできるでしょう。
しかし、それはその人の定義が恣意的だということ以外、何も意味していないとしかいいようがありません。
ここまででも相当に乱暴な話ですが、ブレンダさんはこう続けます。
とは言え、その「ポンコツ」っぷり、「無知」っぷりが彼女の魅力のひとつなのだ。
この傾向は大御所「キズナアイ」だけではない、「ミライアカリ」「輝夜月」「電脳少女シロ」など多くの美少女(性別不詳という設定だとしても見た目は美少女だろう)VTuberに認められる性質だ。
そうでしょうか? たとえば、ニコニコ大百科で「電脳少女シロ」の項目を引くと、このような記述が存在します。
バーチャルYouTuberの中では珍しく英語が堪能で『【ヤンデレ英会話】Yandere Voice : English and Japanese Ver.』のように英語を話している動画を幾つか投稿しているほか、過去の自己紹介動画を自ら吹き替えするほどの実力である。また、2018年4月11日以降は英語吹き替え動画も投稿している。スペイン語、ドイツ語をテーマとした動画もあり、他言語のコメントにそれぞれ返信している姿が確認される国際派。E3からの生中継では通訳を介さずに現地の来場者と英語でインタビューもしている。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9B%BB%E8%84%B3%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%82%B7%E3%83%AD
いったい少年ブレンダさんは何をして複数のVtuberたちを「無知」、「ポンコツ」と決めつけているのでしょうか。
もしかしたら英語が堪能である程度では「無知」ではないとはいえないということもできるかもしれませんが、そうだとしたらやはり何をして「無知」というのか、明確にしてもらわなくては困ります。
Vtuberにおいては、いわゆる「中の人」の知識量と大きくかけ離れたキャラクター設定をしづらいため、どうしても「天才、秀才」キャラクターの造形はむずかしいという一面はあるかもしれません。
しかし、Vtuberがみな「無知」を売り物にしているわけではないし、このように語学に堪能な一面を見せるキャラクターも、ブレンダさんが名指ししたそのなかにすら含まれている。
これは、ブレンダさんの論旨が破綻していることを意味していないでしょうか。
また、ブレンダさんは書いています。
妹系、お姉さん系、おっとり系、清純派系。美少女のバリエーションこそ多彩だが、求められるジェンダーロールとある方面に特化したトーク力は規格化していると言っていい。それはある時はエロく、ある時は優しく、ある時は楽しく、男子をサポートする、男子に求められる「完璧で完全無欠な女の子の具現体」である。
こここそが、この記事のキーポイントだと思います。
「それはある時はエロく、ある時は優しく、ある時は楽しく、男子をサポートする、男子に求められる「完璧で完全無欠な女の子の具現体」である」。
Vtuberをよく知らない人ならあるいはうなずける意見かもしれませんが、よくよく考えると「ほんとうにそうか?」と思えてきます。輝夜月が「完璧で完全無欠な女の子の具現体」? とてもそうは思えません。
まあ、そこは個人の感じ方の問題だとして済ませることもできるにしても、そもそもなぜここで「男子」が出て来るのかわかりません。
そもそも、女性Vtuberの動画に特に「男子」がたくさん登場するという事実はないのです。それなのに、なぜ「男子をサポートする」ことになっているのか? まったく意味がわかりません。
もちろん、この場合の「男子」とは「画面の向こうで見ている男子」を指すのだ、ということはできるし、おそらくそのつもりなのでしょう。
しかし、ブレンダさん自身が書いている通り、女性Vtuberには女性ファンも多い。そうである以上、キズナアイや輝夜月は「男子に求められる」性格設定というよりは、「広く普遍的に好感を持たれる」性格付けであると考えるほうが自然なのではないかと考えます。
もっとも、ブレンダさんの論理を通すためには、ここでキズナアイたちは「男子」に求められ、「男子」をサポートする存在であると定義しないと困ることはわかるわけですが……。
非常に恣意的に論理が操作されていることを感じます。
そして「キズナアイ」を見ていると思う。
多かれ少なかれ、世の多くの女性はもしかしたら学校で、職場で、家庭で、「キズナアイ」的に生きているのではないだろうかと。もちろん、「キズナアイ」のように完璧ではないし、決して可愛くもない、まったくもって不完全で欠陥品の「キズナアイ」なのだが。
「「キズナアイ」的に生きている」とはどういうことでしょう。これは、この先の文章を読むとわかります。
ホリケンの生放送やたんぽぽ川村の一件は、女性に乱暴してもいい、女性の容姿で態度を変えてもいい、そして女性はそのように扱われた時、場を凍らせず、周囲に気遣い、明るく振る舞うことこそが「女性の役目・仕事」なのだというメッセージを公に発信している。
「キズナアイ」もそうだ。女性が「聞き役」で、男性が「話し手」。その場合、女性は無知をさらけ出しながらも、上手に相槌を打って、男性が話すことにストレスを感じないように、また第三者が話し手である男性の話を聞きやすいように振る舞うことこそが「女性の役目」だという強いメッセージを伝えている。
つまり、「「キズナアイ」的に生き」るとは、「無知をさらけ出しながらも、上手に相槌を打って、男性が話すことにストレスを感じないように、また第三者が話し手である男性の話を聞きやすいように振る舞う」ような生き方だというわけです。
しかし、ここでまたもやぼくは強く疑問を感じずにはいられません。
仮にキズナアイがNHKのサイトでそのように振る舞ったということが事実だとしても、どうしてそれが「「女性の役目」だという強いメッセージ」になってしまうのか。
あたりまえですが、キズナアイは全女性を代表しているわけではありません。キズナアイが「無知をさらけ出」すことはべつの全女性が「無知」であることを意味しませんし、キズナアイの功績もまた、全女性の功績ではありません。
なぜなら、これもばかばかしいほどあたりまえのことですが、キズナアイとほかの女性は「女性(に見える)」という属性が共通しているだけのまったくの別人だからです。
もちろん、そうはいってもいつもいつも女性がそのような役割を仰せつかっているのだとすれば、それはたしかに「ジェンダーロールの押し付け」だというべきでしょう。
しかし、繰り返しますが、昨年の同記事では男性と女性の役割はまったく逆になっており、今年が「男性=話し手、女性=聞き役」というスタイルになっているとしても、だから女性は常に聞き役にさせられているとはいえないのです。
世の中に「ある人が話し、ある人が聞く」というスタイルの記事が無数に存在する以上、そのなかに「男性が話し、女性が聞く」という形のものもあることは当然のことですし、そういう記事の存在は単純にジェンダーロールを再生産していて悪いことだとはいえません。
「あるジェンダーロールを押しつけること」は個人に対する抑圧ですが、ある個人が「たまたまジェンダーロールと重なる個性を持っていること」は抑圧ではありません。
ジェンダーロールに外れた振る舞いをしたい人がジェンダーロールを押しつけられることが問題なのであって、ジェンダーロールそのものが問題なのではないのです。
わかるでしょうか、この理屈。
したがって、もし無知な女性は知的な女性の迷惑になるから公的な場所には出すななどというとしたら、それこそまさに性差別以外の何ものでもないでしょう。
それにしても、「生身の女の子は汗もかくし、うんちもするし、爪は伸びるし、体毛がある。どこかで誰か男のものとなり、エッチだってする。何より「自分」「私」という他者にはどうにもならない「自我」がある。」といい、あたかもキズナアイには「生身の女の子」とは違って「自我」は存在しないかのように語っているブレンダさんは、Vtuberの尊厳についてどのように考えているのでしょうか。
この場合、キズナアイを批判し、侮辱し、攻撃し、NHKのサイトのような公共の場にはふさわしくないと語っているのは、男性たちではなく、フェミニストを名乗る女性です。
そもそもこの騒動自体、ひとりの女性の告発から始まったものでした。この点について、ブレンダさんはどのように考えているのでしょうか?
ヒントは存在します。ブレンダさんがキズナアイの「ガワ」を「乗っ取って」動画を流しているという事実です。
その動画はすでに消去されてしまったのでしょうか、いまは見ることができないようですが、キズナアイが「フェミニストのキズナアイです! 女の子の身体は女の子のものです! あなたのものではありません!」と語るものであり、Twitterではこのような内容のツイートと共に流されました。
「キズナアイ」に入ってみたよ。もし、キズナアイが背後に演者がいるのではない、あるいはAIに自我が目覚めて、何か言い出したりたら、君たちはどうする?攻殻機動隊のイノセンスみたいだね。本当の「女の子」として自律したら、彼女は何を言うかな。
この文章を素直に読むなら、上記のセリフは「本当の「女の子」として自律した」キズナアイが発したものであるということになるでしょう。
つまり、ブレンダさんはキズナアイが「本当の「女の子」として自律」したなら、このようなセリフをいうであろうと考えているわけです。
この動画とツイートに対してはすでにキズナアイのファンから規約違反ではないかという指摘が複数なされていますが、真の問題はそういうところにはないでしょう。
それは、ブレンダさんが「本当の「女の子」」なるものを想定し、その存在は「女の子の身体は女の子ものです! あなたのものではありません!」などといい出すものであると考えている点にあります。
つまり、このようなセリフを決していわないような「女の子」は「本当の「女の子」」ではないということになる。これにはフェミニスト的な言動を取らない女性を「名誉(男性)」と蔑むことに近いものを感じます。
はっきりいいましょう。くだらない、としかいいようがない。あるキャラクターがジェンダーロールにのっとっているように見えることを批判している人間が、そのキャラクターにフェミニズムの主張を語らせることに正当性があるはずがありません。
ジェンダーロールの押し付けはダメだが、フェミニズムロールの押し付けは良いのだというわけでもないでしょうに。
もしかしたら、いや、これはフェミニズムの主張などではなく(冒頭で「フェミニストのキズナアイです」といっているわけですが)、ごく一般的な普遍的な真理なのであり、「本当の「女の子」」であればだれでも抱くはずの心境なのだ、だから問題はないという主張をする人もいるかもしれません。
ですが、これはとても普遍的真理とはいいがたい主張です。
たしかにこの文章を「ある女の子の身体はその女の子のものです。ほかの人間のものではありません!」というふうに読むなら、それは真理であるといい切って良いでしょう。
しかし、そういうふうに解釈すると、すぐに非常にわかりやすいひとつの矛盾に突き当たります。その理屈でいえばキズナアイの身体はキズナアイのものなのだから、当然、少年ブレンダさんが勝手に使って良いということにはならないし、キズナアイが自分の身体を使って何をすることも自由であるわけです。
ブレンダさんの発言を考えても、この「女の子の身体は女の子のものです! あなたのものではありません!」という文章は「ある女の子の身体は女性全体のものであり、男性であるあなたのものではありません!」というふうに読むことが妥当だと思います。
これは、とても穏当とはいいがたい主張でしょう。「女性」という属性を持つものは、自分の身体を使ってやることに、ほかの女性の許可を得なければならないのだ、という意味なのですから。
もしそのような意味ではないというのなら、どのような意味なのか教えていただきたいものです。そういうわけで、ぼくはブレンダさんの主張にまったく納得が行きません。
さて、長々と書いてきましたが、Vtuberの言葉をかってに「代弁」してしまう困った人への批判を込めて、このように書いて終わらせることにしましょう。
Vtuberの「自我」はVtuberのものです! フェミニストのものではありません!
異論の余地は、あるでしょうか?
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