何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。
プロフィール
高木圭介
昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。神奈川大学レスリング部を卒業後、1993年に東スポ入社。プロレス&格闘技、社会、レジャー、特集部などを担当後、現在は運動部所属。 2006年10月、本紙携帯サイト「東スポ芸能」のスタートと同時に当コラムはスタート。2009年10月から晴れて、紙面でも連載開始。世の中の重箱の隅を愛する〝長期連載〟。
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356:和製ドラゴンが100作目で戦った相手は…
2012年05月25日



         <2012年3月=東スポ携帯サイトより>

 日本が世界に誇るアクションスター〝世界のクラタ〟こと、倉田保昭が「映画出演100本目」となる新作「レッド・ティアーズ」(製作&配給・倉田プロモーション)が4月に公開される。

 日本国内ではテレビドラマの「闘え!ドラゴン」(昭和49年~、東京12チャンネル)における不知火竜馬、「Gメン’75」(昭和50年~、TBS)の草野刑事などの役でおなじみ。

 だが倉田はそれ以前、すでに香港や台湾の映画界で大活躍していたビッグネーム。もはや、いちいち数えるのも面倒なくらい色んな作品に出演していたはず。

 当時の香港や台湾映画って、かなりズサンな感じ(各映画からのツギハギだけで別の作品を作り上げてしまうなんてこともザラ)だから、当の本人も知らぬところで、とうに「出演100本超え」は達成していたのかも…。

 倉田はこれまで銀幕やテレビ画面で幾多の強豪と徒手空拳の激闘を繰り広げてきた。Gメンの香港カラテ篇で果てしなき名勝負数え唄を繰り広げた筋肉ムキムキの怪人、ヤン・スエとか、ヤン・スーとか、ボロ・ヤンとか楊斯とか…あっ全部同じ人だ。

 私の年代にはなじみの深い「闘え!ドラゴン」の劇中でも、ブルース・リャンを始め、八名信夫(悪役商会)、安岡力也(元キックボクサー)、沢村忠(キックの鬼)、平泉成(最近はモノマネされる人としても有名)、黒部進(ハヤタ隊員)、
マンモス鈴木(国際プロレスのレフェリー)、小野進也(ワイルド7の飛葉ちゃん)、池田駿介(キカイダー01)、ロッキー羽田(全日本プロレス)、伊藤正男(全日本プロレス)など、実に多種多様な人たちとバトルを繰り広げてきた。

 そんな倉田が自らの記念碑的作品で〝100本目の敵〟に選んだ相手は、長年の恋人であるヤン・スエではなく、何と女優の加藤夏希だった。

 小柄なブルース・リーの目にも止まらぬアクションと違い、長身で手足が長い倉田(当時はそう見えたが、実際は身長173センチとそれほど大きいワケではない)のアクションは、蹴り足やパンチの軌道が画面にてワイドに映える美しさがある。

「レッド・ティアーズ」でも、戦う場所を次から次へと移動させつつ延々と続く殺陣は相変わらず。とても65歳とは思えぬシャープで迫力のある動きを披露していた。

 歴史に「if」は禁物だが、東映研修生の一期生でもある倉田が、もし東宝系の研修生だったら、日本のテレビドラマの歴史も変わっていたのではないか? なんて考えることがある。

 後に出演するドラマも「バーディー大作戦」や「Gメン’75」ではなく、「太陽にほえろ!」となり、ゴリさんに命名されるであろうアダ名は「カンフー」「ドラゴン」といったところか(この時期、空手もカンフーも一緒だ)。

 倉田の香港映画界とのパイプで実現した香港カラテ篇も「太陽にほえろ!香港カラテ篇」となり、太陽~で殉職後は、やっぱり日テレ系の学園ドラマや青春ドラマで主演というコースが敷かれていたのだろうか?

 落ちこぼれや不良たちが集まる、無気力な学園に、香港帰りの倉田先生が赴任。スッタモンダはあれど、得意の空手で不良たちや、街のヤクザも一網打尽。おおバイオレンス! だけどムチャクチャ面白そうではないか。

 PTAから苦情が殺到し、番組のラストには必ず「空手は正しい練習が必要です。見よう見まねで空手を使うのは絶対やめましょう」なんて戒めのテロップが流される。

 和製ドラゴンが熱血教師役を務める学園ドラマってのも、見てみたかったなぁ。 







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