<2013年10月=東スポ携帯サイトより>
3月、ついに「森田一義アワー 笑っていいとも!」が終了する。スタートは昭和57年10月だから、計32 年にも及ぶ長寿番組だったことになる。
最終回のゲストが誰になるか? 気になって仕方ない。テレフォンショッキングの第1回ゲストだった桜 田淳子が登場して〝友達の輪〟を完結させるのか? あるいは当初の主旨通り、タモリ意中の人・吉永小百 合が登場し32年越しの大団円となるか? はたまたビートたけしや明石家さんまといったお笑い御三家の登場、 かつての「鉄腕アトム」や「マジンガーZ」、「できるかな」のように、後番組の主人公(司会者)が登場してバトン タッチという手もある。この予測は3月まで議論され続けることだろう。
いいともは、昭和55年の漫才ブーム絶頂時にスタートした「笑ってる場合ですよ!」の後番組としてスタート。 思えば漫才ブームは、各テレビ局、特にフジテレビに大きな変化と改革をもたらした。10年間も続いていた小泉 博司会の「クイズグランプリ」(月~金曜・午後7時30分)は年末に終わり、昭和56年に入ると「クイズ漫才グラン プリ」なんて番組に変わっていた(短命だったが、この番組によって明石家さんまの名前を覚えた関東圏の視聴 者が多いのも事実)。
「笑ってる場合ですよ!」は基本、毎日の司会がB&Bで、後は月曜=ザ・ぼんち、火曜=ツービート、水曜=紳助竜介、木曜=春風亭小朝、金曜=のりお・よしおという日替りレギュラー陣で番組が進行し、毎日放送される 人気コーナー「日刊乾電池ニュース」では今はおなじみの柄本明、高田純次、ベンガルら東京乾電池の面々が 人気者となった。
漫才ブームの終息とともに「笑ってる場合ですよ!」は幕を降ろし、続いてスタートしたのが「笑っていいとも!」。 番組タイトルも前番組をもじったモノだし、それまで〝夜の人〟だったタモリの、突然昼間の番組に引っ張り出され た感と、やる気を全く感じさせない司会ぶり(それが芸風なんだけど…)からして、いかにも〝つなぎ〟の短命番組臭がしていたことを覚えている。
いいとも開始時の裏番組はNHKが「ひるのプレゼント」、日本テレビが砂川啓介(大山のぶ代のダンナ)司会の 「お昼のワイドショー」、TBSが土居まさる司会の「スーパーダイスQ」、テレビ朝日が川崎敬三司会の「アフタヌー ンショー」だった。そしてテレビ東京は「600万ドルの男」「ロックフォードの事件メモ」「超人ハルク」「ワンダーウーマ ン」などなど70年代米国ドラマの再放送に勤しんでいたものだ。
「笑ってる場合ですよ!」→「笑っていいとも!」のリレーは確実に平日正午発の番組の風景を変えた。では漫才ブ ーム以前、フジテレビがどういった番組を平日正午から放送していたのか?というと、これがサッパリと記憶にない。 夏休みなどの記憶を辿るに、私的には12chの外国ドラマを見ていたことが多かった気がするが、それでも他局の「 アフタヌーンショー」(テレビ朝日)や「ベルトクイズQ&Q」(TBS)はハッキリと覚えている。
調べてみると「笑ってる場合ですよ!」以前の半年間は押阪忍司会の「日本全国ひる休み」という番組。そして、そ の前は「お茶の間スペシャル」という番組…なのだが、新聞のラテ欄にこの番組タイトルが記されることはまずない。 と言うのも毎日「民謡演芸館」、「待ったなし民謡リクエスト」、「スター民謡お国じまん」などと、毎日手を変え品を変 え、何と民謡番組を放送していたのである。
現在、平日正午から民謡番組を放送して視聴率を稼ごうとする民放局などない。つくづく漫才ブームがテレ ビに与えた変化と影響は大きかったと感じる次第――。