何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。
プロフィール
高木圭介
昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。神奈川大学レスリング部を卒業後、1993年に東スポ入社。プロレス&格闘技、社会、レジャー、特集部などを担当後、現在は運動部所属。 2006年10月、本紙携帯サイト「東スポ芸能」のスタートと同時に当コラムはスタート。2009年10月から晴れて、紙面でも連載開始。世の中の重箱の隅を愛する〝長期連載〟。
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008:君は実写版「ドカベン」を許せるか?
2006年11月15日



    <2006年11月=東スポ携帯サイト「映画マニア堂」より>

 大人になるってどういうことだろう?それはこの世の矛盾、気が狂いそうな不条理を許すこと。

 で、私は子どもの頃、実写映画の「ドカベン」(昭和52年・東映=鈴木則文監督)を許せなかった。原作漫画は少年たちのバイブルとも言える存在だった。水曜夜7時から放映されていたアニメ版もほぼ欠かさず観ていた。

 しか~し、実写映画となって我々の前に登場した「ドカベン」は、あまりに衝撃的だった。あまりの衝撃に併映の「恐竜・怪鳥の伝説」の印象がまるでなくなってしまうほどだ。  

 原作は、ドカベンこと山田太郎が鷹丘中学に転向してくる場面から始まり、まずは柔道部に入部して活躍。岩鬼や殿馬らと出会い、野球に転向。舞台を神奈川・明訓高校に移した後、甲子園を目指すといったお話。

 今、原作版を読み直すと、意外や野球に転向するまでの柔道編が長く、山田が空手家と異種格闘技戦もどきの決闘を行う話まで存在する。今や野球マンガの代名詞となったドカベンだが、そのために秋田書店から発売される単行本では「野球コミックス」ではなく「学園コミックス」という括りになっている。 

 だが、映画版は中学編と明訓高校の話が完全にゴッチャ混ぜ状態。鷹丘中野球部エースの長島(永島敏行)が明訓のエースでキャプテンとなってるため、映画版では里中も土井垣も存在しない

 キャスティングも主役の山田が、この作品でしか見たことがない橋本三智弘なるデブ俳優。口に葉っぱをくわえた岩鬼はよく「阿藤快が演じていた」とカン違いしている人が多いが高品正弘(現・高品剛)。殿馬は何と川谷拓三。岩鬼が恋焦がれる夏子はんは、観ているこちらが気の毒になるほど「おてもやんメイク」を施されたマッハ文朱。そして酔いどれノックの徳川監督は原作
者である水島新司先生だ。

 本屋でドカベンを立ち読みするガキ共が「ドカベンってどんな奴かなぁ」なんて、のんきにのたまった瞬間に、ゲタ履きに学生服姿でかけてくるデブが、ドカベンの宣伝用ポップをブチ壊して(まるでトムとジェリーだ)映画はスタート。以降は延々と柔道の話が続く。ここまでは意外と原作に忠実だ。

 で、色々あって野球に転向後、なぜか巨人軍の多摩川グラウンドを舞台に徳川監督名物の千本ノック特訓が始まる。いよいよ本格的に野球の話が始まると思いきや、画面には「かくして明訓高校野球部は 高校球児の夢 甲子園球場目指して 突撃を開始したのである」という字幕が出てくる。続けて「完」…終わりかよ! 

 プロの世界は厳しい。そして矛盾だらけだ。新聞記者にしたって長い原稿を書くより、実は短く簡潔にまとめる記事のほうが難しい。どんなに取材で苦労しようが、思い入れがあろうが涙をのんで端折らねばならないことも多い。映画の世界もきっとそうなんだろう。

 実写版ドカベンに打ちのめされた少年時代から、30年近い月日が流れた。私はもう、実写版「ドカベン」を許せる年齢になった。だが、この作品がデビュー作となる永島敏行は、公式プロフィルから「ドカベン」を抹消している。気持ちは分かる…。







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