沢の日記
(山行日記のうち沢だけを集めたものである)

44、46:願教寺山(願教寺谷)(福井県)
 今回が生まれて初めて沢に登ったのがこの沢である。44回目のほうは、
「夏山登山教室」というのが7月16日にあるということで下見兼練習をかねてこの沢に登った。このころは、遡行図もなしに、おまけに普通の登山靴で登ったのだから今から考えると怖い気がする。今回のこの山行で沢登りが好きになったわけでなく、とりあえずいっぱい山に登りたいという気持ちだけだった。

114:ヤケ山(タンヤマ谷)(比良)
 昭和53年に登って以来沢登りを始めるきっかけとなったのが
「関西周辺の谷(白山書房)」(現在は絶版)という1冊の本からであった。普通の山行に少し飽きがきていた私にとってこの1冊の本によって沢登りに目覚めてしまった。この本には、六甲、比良、台高、大峰、南紀等の沢の遡行図が紹介されておりとりあえず簡単な六甲、比良から片っ端から登ろうと考えた。前日、蓬莱山に登りその日の晩は湖西線の北小松駅で寝ることとした。タンヤマ谷に入ろうとしたがまわり一面雪で沢に登ったと言う感じはしなかったがとりあえず順調な滑り出しであった。

116:稲村ヶ岳(神童子谷)(大峰)2級
 次は、大峰の沢の中でもよく登られている神童子谷を登る。今では沢登りのときは、渓流シューズまたはワラジをつけて登るというのが一般的であるがまだやり始めたばかりと言うこともあり今回は
普通の登山靴で行くこととした。さすがに4月の沢の水はつめたかったが特に難しいところもなく釜滝で泊まる。翌19日も順調に進み稲村ヶ岳から洞川に下山できた。

122、124、125、129、130:八幡谷、サンマイ谷、奥の深谷、アラ谷、ヌクイ谷右俣谷(比良)2~3級
 このあたりから沢にしか登るという気持ちしかなく片っ端から比良の沢に登る。
ヌクイ谷は登山禁止となっていたが転落しないという自信があり単独で登ってしまった。確かに滑りやすい沢ではあった。

136:白川又川茗荷谷(十郎山)(大峰)4級
 この年から本格的に始めた沢登りも徐々に難度の高い沢へと移行し、自分ながら行く前から行けるだろうかと言う
不安でいっぱいの山行となった。、おまけに行きのバスに乗っている間雨がずっと降っていて帰ろうかと何回も考えた。しかし、ここまで来たら4級の沢に登る以外ないと感じ茗荷谷出合へといった。この頃、使っていたワラジが「ポリプロワラジ」というもので耐久性はあるものの普通のワラジより滑りやすいのでさらに不安感が増していた。
 入口から滑りやすい滑滝ばかりで途中の滝では一度滑って痛いめにあってしまった。そして、数時間後に
最大の難所大ゴルジュへと来てしまった。今まで沢に登っていて最もすごいゴルジュで両岸極度に切り立っており途中に30mの滝もあり巻く以外に方法はなかった。左の枝沢からはいり途中から上に上がる巻き道を登る。踏み跡はあるが非常にきついのぼりで立ち木を持っていないと落ちてしまいそうな角度であった。
 ようやく1時間以上かかってゴルジュの中に降りる道を見つけた。ただ、降りる場所が滑りやすく下には30mの滝が落ちていて
緊張したトラバースが続いた。4mの滝下についたときはとりあえずほっとした。ここは流木を登るとなっていて確かに流木を登る以外になかった。つるつるした流木のため何回か落ちたがあきらめずに登った。次の釜を泳ぎ3mのチョックストンを登ると30mの滝があった。見渡す限り周りが岩におおわれており本に書かれているとおり2段15mの滝のとの間のガリーを登った。「出口は狭っているので空身で登る。」となっていた。心配していたとおり最後5mが手がかりがなく今回単独で来ていたため空身にはなれない。後5mを残して動けなくなってしまった。しかし、ここで登る以外ないと意を決して必死に登り滝の上に出た。
すでに時間は18時を越えていた。この先を少し上がるがテントを張る場所が全くなくしかたなし、
30mの滝上の大岩の所でビバークすることになった。大岩といってもさほど広くなく横にもなれなくひざを抱えた状態で寝る以外になかった。早く朝になってほしかった。
 下は30m滝の上と考えたら全く寝られず興奮状態で朝になっても食欲もなくそのまま
何も食べず歩き出した。50mの大滝を過ぎたものの本に書かれている以上に滝は出てくる。いったいいつまで滝が続くのかという感じであった。藪漕ぎもあまりなしに十郎山に到着。踏み跡をたどって何とか白川又川林道に出た。生きて帰れたんだという思いでいっぱいであった。
 今回の山行で自分の実力のなさを痛感した。しかし、これで負けてはならない。さらに沢登りを続けるという活き込みがわいてきた。

138:上多古川本谷(山上ヶ岳)(大峰)2級
 136の反省から4級の沢に単独で行くのは危険と感じ今回は2級の沢と言うことでやや余裕があった。前日にバスで柏木に行き歩いて矢納谷出合で寝た。季節もよく自家用車がここまでやって来ている人がけっこういた。早朝から出発。洞門ノ滝を過ぎるまでは特に問題もなく通過。七つ釜に入り滑りやすくなる。そして、ナメ10m滝からいやらしい登りになり、
煙突の滝の巻き道は非常に巻きにくい道であった。途中から竹林院谷に入り山上ヶ岳につめ上がる。稜線にあがる藪をこいでいたら空き缶が非常に多いと思ったら山上ヶ岳の小屋の下に出てきており空き缶ゴミ捨て場になっていた。マナーの悪さにあきれかえった。
 今回の山行で2級の沢だから難しくないという考えではいけないと反省した。

143:黒石谷(台高)3級
 柏木までバスに乗りそこから黒石谷出会いまで歩く。この頃は、まだ自家用車がなくすべて電車、バスを利用していた私にとって
車道を歩くのは非常に時間のロスであった。柏木から入之波を経由しての黒石谷についた時は、すでに疲れてしまっていた。しかし、沢に入るといつもの調子で滝を次から次へと登っていけた。しかし、黒石谷出合までに時間がかかっていたため菅平谷入り口で一日目を終了した。今回も単独で少しでも荷物を減らすのと、天気では晴れと言うことでテントは持ってきていなかった。しかし、やはり日本一降雨量が多い大台ケ原周辺は、夕食を食べだしたとたん雨になる。しかたなし傘をさしてのビバークとなる。ほとんど寝られずに朝になった。
 翌27日も朝から雨。カッパを着ながらの山行となった。
鬼滝は3段40mの滝で昨日からの雨も手伝って巻きの途中上部のトラバースがスリップしやすくこの巻きでも相当な時間がかかった。それからは小雨の中を歩き順調に昼前にドライブウエイに出た。この頃この道がどれだけ長いか知らなく、何も考えずに傘をさして下りていた。30分ほど歩いたところ親切な人が声をかけて柏木まで車で連れて行ってくれた。
 この9月だけで沢に5回の入ったせいか膝が痛くなりしばらく沢から離れることとなる。
 昨年11月に入った「O山岳会」も沢の山行が少ないのでやめてしまうことになってしまった。


47:上多古川 伊坪谷(大峰)3級
この時も上多古川入口で前夜泊して行く。この頃は、沢登りが最も多く行くこととなる。


155:奥の迷峰、奥の平峰(谷口谷)(台高)
 
今回の山行が私の一生の思い出の山行になるとは思いもよらなかった。
この年は、夏になっても一向に天気が回復せず九州の長崎では豪雨による被害が広がっていたところであった。ちょうど8月9,10日と休暇をとっていたので4連休を利用してどこかに行こうか考えていた。
 「岳人」に載っていた台高の「谷口谷」に登り後は縦走でもしようと7日朝出かけた。白川渡でバスを降り瀬戸までとぼとぼ歩く。天気のほうは相変わらず良くなく曇っていた。谷口谷を登っている間は何とかもっていた天気も夕方から雨。テントを張り食事を食べていたら蝋燭が倒れてテントに穴が開く。いやな気分で就寝。
 翌8日も天気が悪くいやな気分で稜線に出る。稜線上で1組のパーティーにあう。
その後全く人に合うことがなかった。奥の平峰ですごい雷が鳴り出した。早く下に降りたい気分で踏み跡を一気に下り出した。踏み跡はなくなり崖になっていたがお構いなしに沢の下りの感覚で立ち木を使って下りていた。その木が急に折れて私は頭から一気に落ちてしまった頭から血が吹き出て血を抑えるのに横になっていたがテントを落下地点に張り中で横になった。
 すぐに大雨が降り出した。とりあえず横になってよかったと思っていた。それも数分間であった。その場所は、沢水の通り場所で数分後一気に濁流となってテントの中が40cmほどの水がきたかと思ったらテントが傾きだし危ないと思った私はそのままのの状態でテントから出ることとなった
。外は大雨で傘も何も持たずテントは流されていき、私は見ている以外なかった。この時初めて死という不安を感じ危ないと思い早くここ彼逃げたい気分であった。とりあえず雨から逃げなくてはと思い上に上がった。200mも歩くと岩のひさしのあるところがあり雨を防ぐことができる場所がありホットした。夏でも服は濡れていて雨が降っていて寒くて仕方ない。雨がやむまでの我慢ということでじっと我慢した。夜になりここで死んでなるものかと体をさすっていた。しかし、頭からの血がなかなか止まらずこのまま死んでしまうのかと不安になった。この夜は私の一生で一番長い夜となった。
 翌9日3時半何とか明るくなってきて死なずに翌日を迎えることができてうれしかった。4時岩場から開放でき下に降り早く自分のザックの残骸が残っていないか確認したかった。そして、
テントが流された場所に行くとザックとわずかの沢登り用の靴、食料、お金、テントの残骸等を回収することができた。これで下に降りれると思い回収したものを持って沢を下った。(この時上にも上がったが岩壁で登ることができないと判断し上に上がることを諦めた)食料は、ソーセージとスポーツ飲料の粉末のみであった。最も肝心な地図が流されておりここから先は全く先が読めなくなってしまっていた。食料は、3本のソーセージと粉末のスポーツ飲料しかなくソーセージは一日一本と決めて歩いた。順調に下りたものの途中で大滝に出会う。この滝を何とか巻いて下りようと試みたが大滝の上に急斜面のためがんばったものの結局この滝を下りることができずに夕方を迎えることになってしまった。大滝の上で横になりとりあえずこの晩は、少しでも暖かくなりたいとテントの残骸を体に巻いて寝ることとした。しかし、全く寝るどころか頭の怪我した箇所にアブが来て刺して寝るどころでなかった。この日もアブの攻撃、寒さで全く寝られなっかた。
 翌10日この日下りることができなければこの日まで休暇をとっていた私は遭難騒ぎになると思い早朝からこの大滝を必死の覚悟で下りることを決めた。左岸から巻きだし大滝の真中のあたりに下りる。ここから、やったことのない下りを行う。そしてこの日の最も難しい滝にやってくる。滝の高さは20m以上で巻いて降りるのは難しい。
遭難しかかっていると判断が甘くなりこの滝を一気に飛び降りようと考えていた。何回か滝の上から下をのぞいていたら死というものがよみがえり飛び降りることができなかった。
そして、長い巻きをやりとげ下に下りることができた。そのあと何個かの滝を降りていたら
登山道を発見した。時間は16時を過ぎていた。早く登山道に出たいと言う気持ちで一生懸命下り、その後林道に出ることができた。すでに17時を過ぎていた。林道を歩いていたら一台の軽トラックがありちょうどそこに人がいた。何日かぶりの人にあうことがうれしかった。そして、今の状況を説明したらとにかく近くの泊まるところまで連れて行ってくれるということで民宿に行ってもらった。民宿では、とりあえず泊めてくれるということで生きて帰れたと安心した。民宿では何もないと言っていたが夕食は私にとっては天国のような食事であった。頭からは血の跡がありとりあえずタオルで血を抑えてもらい初めて熟睡することができた。会社にも電話してなにか生きた帰れたことがうれしかった。
 翌11日は早朝のバスで松坂に行き、近鉄で大阪に戻る。病院にいくと「もう一日ほっていたら大変なことになっていた」ということで脳には異常はなく一安心した。この後1ヶ月間は沢には登らずおとなしくしていた。
 今回の山行で
下った沢は蓮川奥ノ平谷の支流の沢で、数年後この辺りに行こうとしたが無理だったほどすざまじい所に入り込んでいたことがわかった。この遭難で沢には細心の注意が必要と感じた。
 

180:大杉谷(西谷)(台高)2級
 一般道のある大杉谷を登り二又から西谷を沢で登り大台ケ原に登る事で出かけた。
松坂からバスに乗り大杉へ。そしてボートで登山口まで行った。さすが関西の黒部と言われるほど素晴らしい谷であった。桃の木山の家に泊まったがきれいで感じが良かった。堂倉滝から西谷に入る。何とか
巴滝まで来たがこの滝を巻くとき右岸を巻いていたら林道まで出てしまい沢登りする気がなくなり堂倉滝に戻り登山道で大台ケ原に出ることにしてしまった。

181:中川川悪沢、182:玄倉川同角沢(いずれも丹沢)
 172のキリマンジャロでK県に住んでいる方がおられ丹沢の沢のことを聞きさっそく丹沢に行ってみることにした。いずれも2級程度の沢で私にとってちょうど良いぐらいのレベルで問題なく登ることができた。沢床が白っぽく関西とは一味違う感じがした。

183:蓮川ヌタハラ谷(台高)3級
 A市に住んでいて交通の便の悪いところに行くのは公共交通機関を使っていたら時間はかかるしお金もかかるので何とか安く行く方法ということで
50ccのバイクを使って行く事にした。
 金曜の夜出発。高見峠には夜中通過(現在のように高見トンネルはなかった)。途中仮眠して朝方に蓮に到着。今はなくなったが蓮に小学校の廃校があった。ここにバイクを置きヌタハラ谷まで歩く。ヌタハラ谷を登り稜線上に出たが道が全くなく再度沢を下ろうとしたが違う沢に下りてしまい木屋谷川に下りてしまい青田に出た。しかたなし
炎天下の中蓮まで約4時間舗装道路を歩く羽目になってしまった。とにかく長かった。夜寝るところはなく三軒屋(今はこの集落もなくなっている)はほとんど人が住んでいなく空き家ばかりなのでここで寝ることにした。ライト等はあったが不気味でなかなか寝られなかった。
翌日は宮の谷を半分ほど登り帰った。

187:前鬼川本流(大峰)2級
素晴らしい沢でさほど難所もなく沢のいい部分だけを行った感じでいい山行であった。


224:苗場山(サゴイ沢)
 この年(昭和60年)7月に転勤がありA市からT町に変わる。7月までは大阪周辺の山が多かったがここを転機に福井、近畿北部の山が多くなった・
9月の連休を利用してどこかに行こうということでキリマンジャロに登った友人に会いその人が入っていたO山岳会の人9人と夜車で出かける。途中酒屋さんにより酒を大量に買い込む。運転手も「飲みたい。」と言っていたが「ダメ。」ということで運転手以外車の中で酒盛りが始まった。そして夜中の2時くらいまで飲んでいたが眠くなり寝てしまっていた。4時すぎ苗場山の登山口に到着。運転手以外二日酔いで全く山に登る気がしない。 
 いやいや着替えふらふらしながら5時に出発。サゴイ沢がどの程度の難度かもわからず歩き出す。案の定一名がへつっていとところ早朝から沢に落ちていて泳いでいている人がいた。ご苦労様である。私を入れて10名ということでどうしてもバラバラになりやすく集まるまで待つと言うことでどうしても時間がかかっていた。
何箇所か難所がありザイル確保で全員待っていたたら一つの滝に1時間近くかかっておりこの調子で行くと小屋にはとてもたどり着けない。のんびり登っていた私も1滝で1時間近くかかっていること自体イライラした。案の定薄暗い時点で沢の上流地点であった。ここでビバークするかと思ったら全員ヘッドライトを点け出しやぶの中に入っていった。夜の真っ暗闇のやぶこぎは私でも初めての経験であった。やぶから出たのは20時近くであった。早く小屋に着きたいという気持ちしかなく休憩もなくひたすら歩き続けた。
 そして
21時すぎ苗場山小屋に着いた。こんな時間に着いて小屋の人には申し訳ないつつ泊まれたことでホットした。16時間の山行であった。
翌日も雨であったが気持ちよく下山することができた。

243:日野川前谷(福井県)3級
 「関西周辺の谷」で紹介されている沢で手ごろと感じてさほど問題もなくいけると思い出かけた。
福井の沢は大峰、台高と違い沢の幅が狭くやややぶっぽく歩きにくい感じであった。3級ということで難所もあったがなんとか稜線に出ることができた。そして、ロボット観測所に出れば登山道があると信じていた。この本では道があるように記載されていたが今は全くその跡さえなくなっていた。

245:甲川(大山)3級
 この夏も谷川岳、鳳凰三山に登るがこれというものがなかった。やはり沢は印象強い。
大山を代表する沢と言ったらこの甲川ということで山の会の人と出かける。天気が悪かったがせっかく出かけたのだからという感じでじ出発。最初からゴルジュ。水量も多いが問題なく通過。天気も悪く中ノ廊下手前でビバークとする。
翌日は雨となり厳しい遡行となる。何とか下ノ廊下を通過し登山道に出たときは本格的な雨となる。登山口に戻ってきたときにはかなり疲れた気持ちであった。


279:板取川川浦谷本谷(奥美濃)3級
 この頃も精力的に沢に登る。この谷に入るだけで許可が要るということで許可を取って沢に入ることができた。このような沢も初めて。

280:本沢川釜ノ公谷(台高)3級
 T町に住んでいても精力的に台高の沢に入る。この頃は、山の会を利用して沢に入ったものである。


292:舟ノ川ナメラ谷(大峰)3級
 「関西周辺の谷」に記載されている大峰、台高の沢はT町からは距離があり面白そうな沢になると行くだけで5~6時間近くかかってしまいそうなため大阪で一泊して大峰の北部の沢ににはなんとか登ることができた。昭和56年夏に舟ノ川オケガワ谷に行ったときと同じルートで行くことにした。弥山登山口の川合から栃尾辻まで行き沢を下りそこからナメラ谷出合まで行く。ここで一泊してナメラ谷にはいる。3級の沢になっていたが
ほとんどの滝が直登することができず巻きばかりであった。何回となく滝が出てくるたびに滝を巻いていたらさすがに嫌気が差してしまい滝が出てくるたびにうんざりする感じとなってしまった。

293:鬼谷地獄谷クズハキ谷(福井県)4級
 136回目の白川又川茗荷谷、154回目の小谷川に続いて
3回目の4級の沢の挑戦であった。小谷川では天気も悪くゴルジュを巻いていたら林道に出てしまい沢の三分の一も行かずに下山となってしまい実質上2回目の挑戦であった。今回は、会社関係の人と2人なのでやや気分的に楽であった。沢自体大きな滝があるわけではないがバランスが必要な滝が多く登りずらい滝が多かった。行動的に日帰りは最初から無理な行程のため夕方になりどこでテントを張ろうか迷った。沢自体が幅が狭く急峻でいくら歩いても河原はなくいつになっても張れそうなところが見つからなかった。二俣のところでわずかに張れそうなところで泊まることにした。夕食を食べていたら雷雨となり枝沢からテントに水がもろにはいってきてしまい一気にテントの中は水浸しになってしまった。なべで水をはきだしひどい状態での就寝となった。
 翌日は、まともに行くと稜線に上がるまでに結構長い岩登りが有りおまけに稜線でのヤブ漕ぎを考えたら時間がかかりすぎると考え二俣を左にとり尾根に出てそこから極楽谷に下りる方法をとった。極楽谷は長いだけでさほど難所がなく無難に下りることができた。
それでも4級の沢はさすがに難しかった。


304:初河川(丸山)(白山)
 日本登山大系を見ていたら白山周辺で適当でよさそうと思えたのがこの沢で291回のクズハキ谷にいっしょに登った人とその友人と3人で出かけた。
 八反滝を越え25m滝を巻いた後
美しいナメ滝が出てきた。美しい川床で快適でここで滑り台気分で何回か滑って降りてみる。気持ちよかった。それもつかの間源流地帯に入り薮こぎとなる。いずれ何かの踏み跡が出てくるかと思っていたらますますひどい薮となった。まさしくすざまじいヤブで今の中でも最高のヤブこぎとなってしまった。地図上では直線上で2キロほどで神鳩ノ宮避難小屋であるが全く近づいている感じもしない。背丈2mを越える越える藪は100m進むだけでも大変な労力で3人の力をあわせても一向に進まなかった。それでもじりじりと進み小屋がわずかではあるが近づいているのがわかった。避難小屋に着いたのは、午後3時近くで4時間近く薮漕ぎをしていた。はっきりいってフラフラ状態で林道へと戻った。そして、高浜へと帰ったときには寝るだけとなっていた。
これだけすざまじい薮こぎをしたのは241回の日野川前谷以来であった。


335:巻機山(米子沢)(新潟県)
 今までどちらかというと厳しい沢ばかりが多かったがたまにはきれいな気持ちいい沢に行こうということで米子沢に決まった。
 敦賀で山の会の人と合流し夜中の北陸自動車道を走った。上越で降り国道で六日町に行くほうが近いかと思ったが結構時間がかかり夜中を運転した私は登山口についたときは寝不足状態であった。
 
沢は気持ちよくまるでゴルフ場の中を歩いているようで今までの沢では考えられないような気持ちいい沢であった。稜線を出て割引岳を越え避難小屋に着いたときには前夜の睡眠不足が出てきてすぐに眠りたい気分であった。小屋について夕食をとった後は約12時間近くぐっすりと寝てしまった。帰りはゆっくりと帰ったがあまりにハードな山行も考えもんだと感じた。

407:川泊川 白子谷(大峰)
非常に簡単な沢で紅葉のいい時期の沢でいい気分で沢に登ることができた。


449:白川又川上ノ谷(大峰)2級
 今住んでいる周辺にいい沢はなくどうしても大峰、台高の沢に行きたくなってしまう。そんな折久々に白川又川に行くチャンスがやってきた。435回に一緒に登った人と早朝に大阪を出て白川又川林道終点まで行く。そこから本流へ降り上ノ谷を遡行した。3級の沢ではあったが20m滝で上部が上りにくいところがあった他は順調に奥駆道に出ることができた。
 稜線を少し歩き次は上ノ谷の東側の尾根、鳴尾尾根を降りた。中ノ又谷に数時間ぶりに戻りこれで一安心と二人とも思った。後は林道終点までと話をしながら降りていた。
ところが林道へ登る取り付き点をどうも通り過ぎてしまったようで再度また沢を上がった。ところがまるで狐につままれたように二人ともその取り付き点を探しても探しても見つけることができなかった。自分たちがいる上部に間違いなく林道があると思い道がないところを薮こぎして上がってみたもののやはり林道はなかった。とうとう薄暗くなってきてしまいビバークする態勢に入らなくてはならなくなってしまった。沢の右岸にいたがビバークするのは左岸に少し広いところがあるのを見つけ左岸に移動し、カッパを着てマットを敷きビバークとなった。帯ラジオで天気を確認すると小型の台風が今晩のうちに紀伊水道を通過するということで夜の天気は大荒れと言う情報であった。案の定夕方から雨がひどくなり真っ暗になったあたりから傘を出して雨を防いでいた。時間がたつのが遅くライトを二人とも持ってきていなったため時刻を確認するのがせいいっぱいであった。
 ほとんど寝られず時間は3時を過ぎていた。ようやく薄暗くなり始め沢を見た私は驚いてしまった。
昨日まで水の水位は30cmほどであったのが1mを超えるくらいになっておりおまけに自分がいた場所も足まで沢の水がやってきていた。4時になりすぐに行動を開始した。しかし、昨日いた右岸にはどう考えても戻ることはできない。最後の手段ということで左岸からそのまま尾根を越える方法しか手がなかった。道のない斜面をぐんぐん上に上に上がっていった。そろそろ尾根が現れるかと思っていたら岩峰が出てきてその岩を登らなくては先には行けない状態であった。相棒もかなり岩登りもやっていたが相当難しく登るのに苦労していた。何個かの岩峰を越えるとようやく林道へと出ることができた。この林道は小谷林道で小谷川に沿った林道で下ると国道169号線のある小谷口へと出た。ここに喫茶店があり中にはいり店の人に事情を説明し車で白川又川林道終点まで送ってもらうよう頼んだ。戻ってきたときは本当にうれしかった。

453:クラガリ股谷(台高)3級
 449回の白倉又谷、450回の下多古川本谷と今回の山行とたて続きに登り、一回遠くに出かけるとついでに沢に登ることが多かった。会の山行の下多古川本谷もどちらかというと遡行したというより水遊びをした感覚であった。
翌日は小処温泉近くのクラガリ股谷へと行く。外気温が高いせいかいきなりアブの攻撃にあってしまう。この沢は入口からゴルジュとなっており左岸から壁に沿って巻いて上がった。かなり上に上がってしまい今度か沢に下りようとしても下りる場所はすべて壁となっており上部に上がりすぎないように進んだ。沢登りと言うことであまり水を持ってきていなかったため喉が渇いてしかたなかった。何とか降りれそうなポイントを見つけようやく
降りれたのは登り出して1時間20分後であった。喉が渇いていたので一気に沢の水を飲んだ。遡行図を見るとすでに沢の半分近くまで進んでいた。まるで沢を巻きに来た様な感じであった。後はさほど難所もなく通過し長い変化のないところを40分ほど上がるとようやく大台と小処温泉を結ぶ登山道に出た。下りるとさっそく温泉にはいり帰ることができた。

489:デサアラクラ沢(屏風山)(福井県)
 福井の山で登山道のある山で主な山は登ってしまったので今回も「越の谷」に掲載されている沢に挑戦することとなった。
屏風山には一度登ってみたいと感じる山だったのでさっそく会の3人と出かける。
 国道157号線から伊勢峠に向けて走る。車を飛ばしていたせいか目的の沢を通り過ぎておりいったんもどると中の水沢出合に着いた。5時過ぎ出発。デサアラク沢入口まで特に問題もなく行くことができた。途中でN氏の足が止まったかと思うと大石の下を手を入れたままでいっこうに動こうとしない。数分手を入れていたかと思っていたら急に「捕れたぞ。」と言う声。すると
長さ30cm以上もある岩魚を手で捕まえていた。それまでも小さな岩魚はいたもののこれだけ大きな岩魚がいるとは思っても見なかった。せっかく捕まえたものの山に登る時間も考えて惜しい気もしたが逃がすことにした。デサアラクラ沢に入ってからは、沢は細くなり草つきで滑りやすい箇所が多くザイル等を出しながら上に向かっていった。最後のナメ滝を過ぎてから薮漕ぎとなったが急斜面できつかった。昼前には屏風山に着いた。帰りは稜線に沿って歩きコルからはトチボラ沢に降りた。この沢はデサアラクラ沢と違って緩やかな沢であったが距離が長くいい加減疲れてしまった。車のところに戻ったのは、18時40分でもう暗くなる寸前であった。

493:白川又川本谷(大峰)4級
 この年(平成6年)は
梅雨明けが異常に早く7月始めには夏になってしまった。この年は梅雨明けから連日の晴れで各地の河川の水位が落ち水不足となった年であった。
こういうときは大きな沢に行きたいということで会の精鋭が集まり久しぶりの4級の沢に挑戦となった。ただ、稜線まで上がってしまうと元の車の場所に戻るまでの時間が長いということで水晶谷出合まで行って沢を下りるという計画で出かけた。447回の時えらい目にあってしまった懐かしい白川又川林道終点に早朝について他の人を待った。すぐに残り3人がやってきて出発となった。今回は
447回の失敗があったので林道から沢に降りた箇所に何箇所かテープを巻き林道の上がる箇所にもしっかりテープを巻いた。
 7月始めに梅雨が明けてからほとんど雨が降っていないというのに中ノ又川にはいるとさすが水量の多い沢だけあり腰を超える渡渉が箇所かあった。何箇所か難しいとことがあったが今回は会の精鋭が集まったためか順調に進む。シャワーとなって本流へ降り注ぐという滝はさすが大峰という感じであった。水晶谷出合についてみてもう少しいきたい気持ちはいっぱいあったが今回はこれまでというとことであきらめて沢を下りだした。夏ということもあって暑いには暑いが沢の水は冷たかったものの
T氏はそういうことは関係なしに沢に中に飛び込みそのまま泳いで下りて行った。すごい人である。林道終点に戻ってきたらさすがに暑かった。


494:能郷白山、イソクラ(白谷本流)(福井県)
 前回の白川又川本谷に気をよくして次は福井の沢に行こうということで妻とさほど難しい箇所はない沢に行くことにした。相変わらず猛暑状態であったがきれいな沢が見られると思い行ったもののいきなり出合から水が流れていなかった。伏流かなと思って進んだものの
水の流れは全くなく沢のくぼんだ箇所に水がたまった状態になっていた。こんな沢は初めてでここで引き返せばよかったがどこまでこの状態なのか興味だけで進んでしまった。進めど進めど水は全く現れずとうとう稜線近くまで上がってしまった。途中で小白谷に入っていたら能郷白山に近かったのにそのまま本流をつめてしまったためイソクラ方面に行っていた。途中から猛烈なヤブとなりピークに着いたと思い安心したらイソクラで能郷白山ははるか遠くに見えた。絶望的な思いで二人はひたすらヤブを漕いだ。すごいヤブも何とか通過しわずかに踏み跡が見えてきて出合から8時間かかってようやく能郷白山に着くことができた。二人とも暑さと薮漕ぎによるバテでフラフラであった。それでもなんとか温見峠に夕方下りてきてまだ余力がある私が白谷出合まで車を取りに行きようやく帰ることができた。こういう沢はゴメンである。

496:芦廼瀬川本流(大峰)4級
 491回の沢にもの足らずさらにメンバーを加えてこの4級の沢に行くこととなった。
住んでいるのがT町のためさすがにこの辺りは遠い。十津川村の南部はさすがに遠く国道168号線をかなり飛ばして走っても国道425号線の芦廼瀬川出合近くまで行くのは遠かった。国道425号線を走っていたらいやに変なテントが道端にあると思いきや今回の山行の人のテントであった。すでに夜中の1時。そのまま寝袋をして寝てしまった。
 朝食を取り一台の車を芦廼瀬川の遡行終了地点に車を置き戻った。小川部落の辺りに車を置き歩き出す。堰堤から下に下りるといきなり水につかるほどの渡渉となる。
七泰ノ滝はさすが大峰と思わすほどのすごい水量の滝であったが難なく滝を越えることができた。槇ノ滝を越えてからは沢は本格的に幅広くなり福井の沢では考えられないような景観であった。それからは、今回の参加者は、どちらかというと沢を泳ぐのが得意な人が多く普通に渡渉する私の近くを泳いでいる人がけっこういた。焼嵓ノ淵はさすがにむずかしく今回の参加者全員立ち止まる。入口が悪くそのまま上がっても次のトラバースが非常に滑りやすい斜面で間違うと沢の深い淵に落ちてしまうというところであったがトップ難なく通過。後から私が行ってみてこんなに難しいところをよくトップは通過したもんだなと感心した。それからは特に難所もなく白谷林道が現れる箇所までなかった。林道手前でビバークして翌日車のあるところに行った。今回の山行は最高の沢だと感じた。

511:よも太郎山(ゴトゴト谷)(福井県)
 平成7年7月にN市に引っ越すことになった。そして、引越しも落ち着き実家の福井に帰ったときこの沢に登ってみた。5時40分出発。沢は滝の高巻き箇所がすごいヤブで巻くのに時間がかかったほかはさほど難所もなく稜線へと近づいた。
藪を漕ぎ何とか稜線に出るとすざまじいヤブ。ほとんど前に進めない状態でよも太郎の山頂もどこかわからない状態であった。三角点もないのであきらめて稜線沿いに西に進むが前方全くわからない状態のためとうとうもとの沢に下りることにした。ゴトゴト谷に降りゆっくりと元の車のある場所に下りていった。

511:柏原谷(台高)2級
 N市に引っ越したのを契機にさっそく台高の沢に行くことにした。
柏原谷は北股川の支流の谷で柏原辻へと上がっている谷である。三之公谷入口に車を置き柏原谷出合まで歩く。この沢は距離は短く3級の割りにさほど難所もなく稜線へと上がることができた。稜線に上がり1168mピークを過ぎたところで道がなくなりあちこち行っている間に本当は東のほうに下りなければならないところをいつの間にか西に向かっておりおまけに途中から林道が出てきたのでこれで柏原谷出合に着いたと勘違いしてしまった。林道を歩いていると北股川林道と違うしいったいどこの林道なのかと思っていたら神之谷林道と書いた標識を見つけ愕然とした。柏木に向かっている。もう上がる元気も時間もないため柏木へと行きそこから
タクシーで戻ることとなった。しかし、この時余りお金を持っていなかったため料金を見ていたらどんどん料金は上がり自分の持っているお金より越えそうになってしまったため運転手に「ここで降ろしてください。」と言って家も車もないところで降ろしてもらった。運転手は不思議そうな顔をしていたが降ろしてもらい車のある場所まで歩いて帰った。

532:池郷川小又谷(大峰)4級
6回目の4級の沢への挑戦である
。今回も会の精鋭2人が加わり安心して登れると確信する。
小又川橋には8時に着き準備をして出発。「関西周辺の谷」に書かれているダム湖はなく15m滝は左岸を巻いているとコンクリートの歩道に出てきてしまいがっかりとする。アメ止めの滝の右側がコンクリートの塊となっていて取水口となっていて階段を登り越える。人工物が多いなと思っていたら、沢の途中で沢の中にユンボが落ちておりどこからこんなものがと思っていたらなんと
右岸のかなり上部に林道ができていた。開発もここまできたらいい加減にしてほしいと言いたくなる。
本では各所に泳ぎとなっていたがさほど泳ぎもなく通過。水量が少なかったせいかさほど詰ることなく源流へと行き稜線には16時には着いてしまった。しかし、稜線歩き林道歩きが長くかなり暗くなる前に何とか着くことができた。しかし、この沢はいやなヒルが多かった。

552:小谷川(大峰)4
 前回の154回の時は天気も悪く状態も悪かったので再度挑戦ということで天気が良い日に出かけた。
7回目の4級の沢への挑戦であった。
林道が小谷川を渡るところに車を置き遡行を開始した。第1ノゴルジュを越え第2のゴルジュに入る。前回の時はこのゴルジュをの40mのナメ滝の右岸を巻いていたら林道に上がってしまった苦い経験がある。今回こそと大岩を木を持って上がり40mナメ滝の右岸に取り付き、8m滝はシャワークライミングで上がった。とにかく怖かったがここでは逃げることができないところまで来ているんだと思い必死に壁を上がり登ることができた。第3のゴルジュは左岸をすべて巻き上がりハコキ尾谷に入ってからはさほどの難所もなく通過することができた。

553:俵谷(小白山)(福井県)
 夏に福井の実家に帰ったついでに小白山の沢に登った。
大野から和泉村に入り石徹白方面に向かったが三面というところで通行止めとなっていた。ここからしぶしぶ歩く。林道に入り終点から沢に入る。さほど難所のなく源流に入って行きひどいヤブ漕ぎでなんとか山頂に着く。「越の谷」では南側の稜線を進むとなっていたが30分ヤブを漕いでもいっこうに進まないため結局もとの沢に登ることを決心した。沢登りはできても沢下りは時間もかかり精神的にもきつかった。おまけに雷が鳴り出しいつ鉄砲水になるのか不安であった。ほとんど休まずピッチをあげて林道手前で雨は降り出したものの
大雨になったのは林道に入ってからであった。それでもすごい雨で林道自体が川になるような感じの大雨で早く下りて着てよかったと感じた。

560:黒蔵谷(野竹法師山)(南紀)3級
 
南紀を代表する沢、黒蔵谷には一度行ってみたかった沢である。3級の沢ではあるが遡行図を見るからにすごそうな沢であった。そしてチャンスは訪れた。この年の夏は天気が不順で雨が多かったがお盆あたりから天気が持ち直し連日猛暑となった。8月終わりに沢に行こうと会社の人1名と山の会の人1名の3人で出かけた。大塔川林道の途中に車を置きさっそく大塔川に下りる。下の廊下はいきなり泳ぎがあったが何とか泳ぎに自信のない私でもクリアできた。中の廊下に入るとまたもや4m滝。釜は深く水量もかなりのものである。他の2名はなんなく泳ぎ着く。私もがんばって泳いだものの水量で全く前に進んでいない。体力は消耗され全く進んでいない私を見たI氏はシュリンゲを出してくれた。ところが、その出してくれたシュリンゲまでも着くのがやっとで本当は自分の力で滝の近くまで行くところを引っ張ってもらえなけれはならないほど体力が消耗していた。自分ながら情けなかった。黒蔵滝では、滝を高巻いていたが一部上部のトラバースがありその間全く手ががりがなく半ば勢いだけに越す以外に手はなかった。
 2人は先に行ってしまったが私一人どうしても行けない。どうしても越せない私を見て「これじゃ池郷川にもいけないぞ。」といわれ半ばやけくそでこの難所をクリアした。それからは、さほどの難所もなく第3支流上流の河原にテントを張った。
翌日は早朝に起き出発。早朝というよりまだ夜中という感じだったが夜中のほうが涼しかった。最後の登りになると今まで沢の中を泳いでいた会社の1名が遅くなってきていた。野竹法師に着いたのは7時であった。
下山ルートはやはり林道に求めた。林道に出ると行く方向がわからない。最初は逆方向に行ったが後は順調に下りることができたいっこうに近くなった感じがしない。おまけにどんどん暑くなってきて歩くのも億劫になる。そして、林道歩きだけで5時間かかって車のあるところに戻ってきた。戻った瞬間2人は裸になり水の中にはいり体を冷やしていた。温泉にはいり早めに出たものの湯浅自動車道で渋滞にあい帰ったのは夜中の12時であった。


574:五田刈谷(大峰)3級
 もともと大峰、台高に興味があった私はある新聞で下北山村に
「つちのこ共和国」というのがあると知った。さそっく会員になり、つちのこ共和国の民家を使ってなんども宿泊することが多かった。始めのころは南紀の温泉や公園に行っていたがこのころになると山にも行くようになった。そして、この沢に行ってみた。
 早朝に五田刈谷の取りつきまで車で連れて行ってもらいさっそく遡行開始。最初の難所は右岸に小道がありこれを利用する。この沢も植林があちこちで行われておりほとんど自然林が残されておらず高巻きすると杉林の中に入るいう感じでなさけない遡行であった。中流部からは、沢に倒木が多くいやおうなく林道に出てしまった。結局林道歩きになってしまい林道終点からは、尾根の急登を上がっていたら遡行開始から5時間後に奥駆に出ることができた。転法輪岳に登りその後は縦走して佐田辻から国道425号線に降りた。奥地川に下りる手前の斜面は完全に杉林に覆われておりかなり道が不明状態で下りるのもたいへんであった。それでもつちのこの民家に16時過ぎには帰ることができた。

579;蓮川絵馬小屋谷(台高)4級
 4級の沢のなかで難度が低いと思い会の人とさっそく登ることとした。
早朝に集合し、6時に出合を出発。難所は五所ヶ滝の大ゴルジュと思っていたが左岸を簡単に巻くことができる。白川又川茗荷谷のすごいゴルジュとは比べられないほどたいしたことはなかった。その後
18m滝があり本では「立ち木に投げ縄」となっていたがシュリンゲもありそれを利用して上がる。あとはたいした難所もなく稜線に上がることができた。白倉山山頂は暑く大熊山を縦走して車のあるところまで下りた。沢の難しさより暑さにばてた感じの沢登りであった。

579:奥の平谷(台高)3級
 三重県奥香肌峡の沢で何回も近くを通りながら実際沢を登っていないのがこの沢で155回の山行で遭難しかかって下りたのもこの沢だったので何かその時の山行の手がかりがないか調べてみるのもいいだろうと出かけた。ただ、この沢は3級のわりに難度が高く長さもあるのでサスケ滝までで戻ることにしていた。
いつものように蓮に車を置き歩き出す。最初は517回の奥ノ平峰に登った時と同じ千石谷出合から入る。初音の滝を越え魚止滝のゴルジュで越えようとしたが全く手が出ない。右岸から巻くようだが最初の出だしがふんぎれない。しばらく考えていたが3m滝は越えたものの先が行けないためゴルジュの入口に戻り左岸の枝沢を登り大高巻きすることにした。小道に出てそこからまた沢に戻ってホラ貝のゴルジュ手前のところに下りることができた。ここは、3回の泳ぎとシャワークライミングで直登できた。後は右岸を巻き懸垂下降でゴルジュを突破した。後は鎌滝25m、20m滝を巻くとサスケ滝に出ることができた。千石谷出合に6:20にでてサスケ滝に着いたのは11:30分であった。
後は小道を利用して下りるだけだと思っていた。しかし、この小道517回の時も利用した時は上りに利用したので迷わずに行けたが今回は途中から道を間違えたようで途中からわからなくなってしまった。このあたり、沢自体岩が発達しており林業用の道はかなり高巻いて作ってあり、それがあちこちと歩いた後がいくつにも分かれており歩けど歩けど下山するところに進んでいるのかわからなかった。途中余りにもの暑さと水分がなくなってしまい沢を下りて水分を補給したりしたが沢は登るのがやっとで下りることはできず、また上の小道まで上がるといった具合でなかなか前に進むことができなかった。そしてなんと上りは5時間で行けたが下りは7時間も使ってようやく18時半下りることができた。完全にバテてしまい運転して帰ることもしんどい状態となってしまった。やはりこのあたりの沢はなめてかかるとえらいめに会うなと痛感した。

580:北山川黒瀬谷(大峰)4級
 576回の沢で機嫌をよくして再度4級の沢に行こうということになった。今回の沢は
最初から1kmに及ぶゴルジュがあるということだが流域は短く時間的には短いと感じていた。
いつもよく利用している国道169号線から白川から白川大橋を渡ってカーブしているあたりに車を置く。池原ダムに沿って小道があり20分ほどで吊橋に着く。右岸を降り早々に黒瀬谷出合に着く。河原を少し歩くと早くも15m滝が出てきた。右岸を巻くが斜面の角度がきつく滑りやすい。何とか滝の上に登り、懸垂下降で下りる。(ザイルを架けるしっかりした木も少なく不安な下降であった。)
 次の5m滝から両岸切り立ったゴルジュとなる。流木を利用しシャワークライミングで上にあがる。次はトユ状ナメ滝10mは相方がさっさと水を大いにあびながら平然と行ってしまう。私はあまりにもすごい水量のためザイルで確保して上がる。次の3m滝がいやらしく右をショルダーで上がりハーケンを打って突破。
次の2段25m滝を見て唖然とした。完全に両岸壁に囲まれており巻いた跡さえない。こうなったら正面の壁を登る以外になかった。下部の部分がほとんど手がかりがないため相方をショルダーで上げる。その後手がかりが少ないがバランスで正面の壁を登ってしまう。ザイルを降ろしてもらい私が登ろうとするが先ほどの下部の部分に手がかりがないためどうしても上に上がれず何回も落ちてしまう。10回近く落ちただろうか。なさけない。これでは、時間が過ぎていくだけ。最後の力をしぼって相方のいる場所に上がることができる。それでも、まだ20m滝の上部が残っている。ここは、滝横のガリーを登る以外手はなかった。私一人だったら無理と思えたが相方は手がかりの少なく土と岩のミックスされたような岩場を登っていく。そして、上部の立ち木で確保して私も登ったが手がかりが少なくよく登れたものだと感心してしまった。この部分だけで1時間半かかってしまった。2段25m滝を越えてとりあえずほっとした。
後は小滝を越え8m滝を巻きようやく第一のゴルジュを突破できた。第二のゴルジュは2段14mであったが左岸を巻いていたらいつのまにか仕事道に出てしまいこれを利用した。平流の後大釜にかかる10m滝があったが右岸を巻く。後はさほど難所もなく沢の中に仕事道がありそれを利用して1時間足らずで下りてしまった。

600:宮川堂倉谷(下部のみ)(台高)3級
 宮川堂倉谷上部については、昭和62年8月8日(273回)に登っており後は下部のみでどうしてもこの部分だけは行ってみたかった。そのチャンスが急に訪れた。447回の白川又川上ノ谷でえらいめにあったN氏から山行の誘いがあった。
車で大台ケ原駐車場に行きそこから堂倉滝へ一気に下りた。堂倉滝は滝の右岸を登りフィックスロープで巻くことができるが下りた後滝の上は非常に滑りやすく慎重にトラバースしないと滝の下に落ちそうでやや緊張した。その後の3m滝は大きな釜で右岸のシュリンゲ3つを利用してトラバースする。10m斜滝もシュリンゲを利用して斜上する。
奥七つ釜は素晴らしい景観でさすがこのあたりでは指折りの沢だと感じた。林道手前の砂防堰堤の登りはいやらしいトラバースで最後の最後まで息を抜けない沢だと感じた。

603:クラシ谷(鈴鹿)
 594回の時の山行でクラシ周辺で渋滞したが再度アタックということでクラシ谷から登る。しかし、稜線上は相変わらずすざまじいヤブで時間がかかってしまった。

613:小栃谷又剣谷(台高)3級
 久しぶりに494回の芦廼瀬川に一緒に入ったT氏と久しぶりの山行。最初は右岸に小道がありその道を利用する。途中ミニゴルジュも難なく通過。両岸立ったすごいゴルジュに入ってから緊張する。入口に横たわる淵の横は強烈なへつりで突破して斜爆15mは右側壁を直登する。後はさほどのむずかしいところもなっかたが源流部はいくらでも小滝が出てきていやになる。最後のルンゼの手前に林道が出てきてここで遡行をやめる。

618:栗平川ウオノ谷、617:滝川大谷(大峰)2級
 宿泊利用の沢に関しては、
この頃からテント持参でピストン沢登りをするようになる
十津川村の滝川周辺の沢はけっこうきれいな沢で自分にとって手ごろな沢が多く以前から狙っていた場所であった。
21日の夜中出て十津川に早朝に着く。栗平川ウオノ谷はさほど難度も高くなく狙っていた沢である。ゴルジュ手前前までは小道を利用して通過。「両岸被っていて通過できない」と「関西周辺の谷」では記載されていたが距離はわずか10mほどでハーケン、シュリンゲもあり通過することができた。源流部で記載されていないいやらしい滝がいくつも出てきて100mの数段の滝ではかなりの緊張をした滝であった。そして、15分ほどの急な登りで稜線に出ることができた。稜線上ははっきりした尾根道が残っていたが下りる道がどこかわからず探しまくる。結局はっきりしない尾根道を下りると途中で沢に下りてしまい時間がかかってしまい16時頃下りる。疲れきっており近くの湯泉地温泉の滝湯に入る。入っている人が少なく大変気持ちのいい温泉であった。そして、また栗平川にもどり最初に着た場所にテントを張って寝た。
22日も早朝に起き出発。滝川大谷は3級の沢であるが昨日のウオノ谷よりむずかしくないと思っていた。第1,2,3,4ゴルジュがあるがさほどむずかしい感じはなかった。しかし、巻き道がけっこうむずかしく、特に第4のゴルジュの20mたきの巻き道はいやらしかった。源流部は思っていた以上に長くかなりきつかった。下りも道が悪く急な下りですっかり疲れてしまった。

647:大和谷焼山谷(台高)3級
 「関西周辺の谷」を見ると
「沢登りの楽しさという点で、この流域中最高のものと折り紙をつけてよい」となっており以前から行きたいと思っていた沢であった。今回も578回の黒瀬谷を登ったI氏とでこの人と行けば問題なしと思っていた。
奈良を早朝に出て宮川貯水池の横の狭い道を通り林道終点につく。さすがにここまでは奈良からも遠かった。すぐに準備して焼山谷出合いへと行く。焼山谷の入口は本に書かれているような面影はなく左岸に道がついていた。かなり上の15m直爆に取水路ができておりここまで沢の水はなくなっていたため左岸の道を歩く。そこから本格的に沢登りとなる。いきなり滝でつまり右岸を巻くとイバラが多く巻くのに時間がかかる。その後も10m、40mの大滝が出てきていやおうなく滝を巻くと
イバラが前進をはばみなかなか前に進めない。今までこれだけ多くの沢に登ってきたがこれだけイバラに苦労する沢は始めてである。特に40m大滝の巻きはひどく巻く技術よりイバラを避けるほうが大変といった調子でI氏ももういやという感じだった。最後のゴルジュの最後の滝もイバラの攻撃にあい早く登山道に出たいという気持ちだけであった。そのあと平流に出て驚いた。周辺は背の高い樹林は全くなく低い木が所かまわず生えてその間にイバラがいたるところあるというすざまじい所に出てきてしまった。地図上では池木屋山から焼山谷近くに下りる道が書かれていたが全くそのような道もない。2人ともその光景を見て呆然としていた。どのようにして降りようか考えた。よくみて見ると低い木の間に昔使われていた林業用の軌道跡が残っておりこれを利用して下りる以外に手はなかった。軌道跡といっても1本だけの鉄の線路が高さ1mのところにつながっているだけで幅の狭い軌道をロープ渡りのようにバランスだけで前に進んだ。しかし、周りはイバラと低い木の平原。バランスを崩して落ちそうになると手が思わずイバラをつかんでしまいむちゃ痛い目を何回もする羽目になってしまった。しかし、この軌道跡もどこまで行っているのだろうか不安を感じながらも進んでいった。途中この軌道跡が壊れており壊れているところはいやおうなくイバラのヤブ漕ぎとなった。早朝に大和谷出合いを出て最後のゴルジュをでたのが13時半で暑さとイバラの痛さで2人ともバテバテになっていた。1時間かかってようやく尾根に出る。すごいイバラであった。そこから急な下りを1時間降りてようやく六丁峠に出た。そして、後ははっきりしない道を下りようやく大和谷に下りる。車のあるところに戻ってきたのは17時半であった。二人とも精神的にも肉体的にもフラフラ状態であった。伐採がいかに山を破壊するか考えてほしいと感じた。
この山行が終わってからは相棒のI氏から「沢に行こう。」という誘いはなくなってしまった。この沢に2度と行くことはないだろう。

649:三俣蓮華岳、鷲羽岳(黒部川赤木沢)(北アルプス)
 以前から北アルプスの沢に行きたいと思っていた。なかなかチャンスがなかったがこの年は天気が安定しておりようやく行くようになった。
 7月28日夜出て北陸自動車道を飛ばした。疲れが出て高岡のあたりで仮眠する。折立林道は時間制限の通行止めを行っており6時近く通らせてもらった。折立に着くなり速攻で歩く。今日の泊まる予定の薬師沢小屋には12時過ぎには着いてしまった。余りにも早かったがたまにはゆっくりするのもいいだろうとここでのんびりする。
この日は待望の赤木沢に行くということで早朝に起き出発。この年どちらかというと梅雨に降った降水量は少なかったと思ったがさすが黒部川は源流部でもかなりの水量であった。それでも、川幅は広いため川の河原歩きで歩くことができた。それでも赤木沢の出合は水量が多くいやなへつりでクリアできた。さすがに赤木沢に入るとすごいきれいな景観が繰り広げた。南紀、大峰とはまた違う開放的な沢である。気持ちのいい沢登りが続いたが一箇所緊張するところがあった。それでも、ほとんどヤブ漕ぎもなくあっというまに稜線に出てしまった。それまで、一人だけの山登りであったがそこからはまたゴミゴミした山登りとなってしまった。黒部五郎小舎に2時には着いてしまいこの日も暇な半日となった。
翌日も早朝に起き三俣蓮華岳、鷲羽岳を越え高天が原山荘に着く。この日も早く着いてしまうが近くに温泉があるということでさっそく出かける。けっこう人も入ってきたがぬるくて何時間も入っていることができる感じでゆっくりできた。
翌日も早朝に出発して非常に暑い12時近くに折立に下りてしまった。


653:栗平川水無谷(大峰)2級
 9月29日休暇をとったので616、617回同様栗平川に行きたくなり28日夜奈良を出る。22時には着きいつもの林道の途中にテントを張る。
「関西周辺の谷」では3級の沢にかかわらず装備で「ザイル不要」となっており2泊3日の山行であるが縦走しなければ日帰り可能と考え出かけた。
 車の置いた地点を6時30分に出て林道終点まで歩く。林道終点からようやく沢に沿った道を歩き出す。途中から道もなくなりクイゼ谷出合まで林道終点から1時間20分かかる。ここから滝ノ谷出合まではこれといった難所もなくスムーズにクイゼ谷から2時間ほどで通過。しかし、次の20m滝はこの沢最大の滝で滝ノ谷との間を大きく巻く。この間だけで40分かかる。後は問題もなくすすむ。稜線まで出ようとしたら稜線手前に林道がありこれを利用して下りることにした。
この林道が大変で何箇所もくずれており半ばくずれた斜面だけが残っていおるところもあり、そこを通過するだけで緊張させられた。林道は尾根の途中で消えており花瀬と内原とを結ぶ登山道を目指した。ようやく登山道に出たものの道が悪くひどいブッシュでどの方向に進んでいるのかもわからない状態であった。ここで、いつのまにか稜線からふみははずしてしまいニノクラ谷を降りていた。途中二ツ岩滝の大滝があったが何とか巻いており車道に出たときはヤブと暑さでふらふら状態であった。ここからの10kmの車道歩きは2時間近くかかり車のところに戻ってきたのは18時半近くで12時間かかってしまった。

654:蓮川千石谷(台高)
 以前から気になっていたが「関西の周辺の谷」に記載されておらずどの程度の沢かわからずそのままになっていた沢であった。このころナカニシヤ出版の
「わっさかわっさか沢歩き・近畿編」という本を見ていたらこの千石谷が紹介されていた。しかし、紹介されているのは中流部のみで下流部等はなかったがさほど難しくないということで出かけることとした・
何回来ているがわからないが蓮に早朝に到着。奥の平谷と同じ箇所から降り千石谷に入る。下流部は思っていた以上に変化がなく河原歩き、大岩の連続で途中40mの滝を見るだけで全く変化なし。井戸谷出合までは問題なし。そこから五段の滝までも40m滝があるだけだった。そして、
五段の滝が出てきた。さほど難しくないと思っていたが2時間も大高巻きになるとは自分でも思っていなかった。
 
まずは大滝の右岸のルンゼを登り右の壁を登る。大きく巻きながら上にぐんぐん上がると上は壁になってしまい右にも左にも上にも移動できないところにきてしまった。せっかく来たのに戻るのはもったいないと思う以上にここから下りるのは危険きわまらない下りとなった。降りた後正面の壁にも行ったがそれ以上行けない。結局難しいと思っていた左の壁を登り何とか尾根のようなとこまであがることができる。そのまま大高巻きしていてとうとう何とか降りたら手の入り込んだ目新しい堰堤があった。ここまで人の手が入っていたのかと思うと情けなくなった。斜面をトラバースして20分程度で林道に下りることができた。今回の沢は五段の滝のみであった。

660:又口川三ツ俣谷(台高)2級
 今回は、また「つちのこ王宮」を利用して行くことにした。尾鷲近辺の沢はさすがに奈良からは遠くこういうときにしかいけないと思った。早朝に王宮を出てR425を走り出合近くまで行く。11月の朝はさすがに寒く沢に入るのが億劫になる。しかし、そんなこと言ってられない。8時には沢に入る。入ってから最初の部分は問題なし。しかし、60m大滝でルンゼから取り付くがなかなかむずかしく時間がかかってしまう。その後も2級の沢というわりに難しく尾根に出るのが12時を過ぎてしまう。「関西周辺の谷」では、
「この尾根を北西に進むと柳ノ谷へ下る小道に飛び出す」となっていたがこの小道がどうしても探すことができない。結局、このあたりを周遊していると小道のような道がありその道を下りると道がなくなりいやおいなくそのまま下に下りるとなんと元の沢に下りてきてしまった。いやな部分も下りることになってしまい60m滝もかなりの時間をかけて何とか下りることができる。結局登り始めから9時間もかかって帰ることができた。

678:赤倉山、千石山(赤倉谷、谷口谷)(台高)
 「関西周辺の谷」「日帰り沢登り」にも載っていなかったが以前から点線で載っていたルートに行ってみたくて行くことにする。沢登のためいやらしい滝が出てこないか心配したがさほどむずかしい滝もなく稜線へと向かう。しかし、自分としては東の赤倉山に向かっているつもりであったが実際は南に向かっていて出てきたのが赤倉山と高塚(トベット)の間の稜線であった。ここで、高塚から降りればよかったが最初から千石山に登って瀬戸越から下りるつもりだったので赤倉山に向かう。赤倉山に昼過ぎに到着。そこから北へと進むが遭難した時と違ってヤブはきれいに刈られきれいな稜線へと変わっていた。瀬戸越からなんとか旧道を歩いていけるかと思っていたが三分の一ほど行くと道がぱったりなくなっていた。いやおうなく
遭難した時に使った谷口谷を下りる羽目になってしまった。ここの降りもいやらしくザイルを数回使い懸垂下降で降り水につかり寒いめに会ったが何とか下りることができた。今回も10時間を要してしまった。

681:布引谷右俣谷(鉄山)(大峰)
 この山行は沢の本によく掲載されていた「鉄山ルンゼ」に行く予定で出かけた。大川口に車を置き鉄山ルンゼ入口をめざす。入口全体が荒れており沢の入口がどこかわかりにくい。水が流れている沢がありいかにも目的の沢と思いすぐに取り付く。入ってみるとゴルジュで先には50m滝がある。ここで引き返していたらよかったがそのまま行ってしまいもとに戻る気がなくなってしまった。50m滝は巻く以外なくかなりバックして巻いた。50m滝を巻いて下に下りていたらな、な、なんと元の場所に戻ってきてしまった。
自分としては50m滝もすべてまいていると思っていたが実際は思っていた以上に進んでいなく結局元の場所にもどってしまう羽目にあったしまった。元の場所に戻ると左岸に巻き道を見つけがっかりしてしまったが上に出ることができた。稜線に出てからは頂上は目的どおり「鉄山」に登ることができた。いまいちわびしい山登りとなってしまった。

688:鍋又谷、若谷(福井県)
 久しぶりに実家に帰ったついでに福井の沢に行く。あまり157号線の東の笹生ダム周辺には昔屏風山に行ったきりであまり行ったことが少なかったのと適当な技量ということで行くことにする。
到着するなりアブの攻撃にあう。早朝というのにこのアブの量にびっくりする。
早く沢に入ってアブから逃げようとすぐに出発。特に難しい箇所はなく急な登りが延々と続く。最後稜線へと出るあたりでやや右寄りに進んでしまい東側の尾根に出てしまう。ここは西から北に進んで
頂上のある鍋又山に進むところだが東側の尾根に出たためさらに東に進んですざまじいヤブ漕ぎとなってしまった。結局頂上から離れてしまい若谷を下りることにした。さほどの難所もなく若谷の本流に出る。その手前からアブが多いと感じていたら本流に出たとたんすざまじいアブが私を取り囲んできた。30匹かそれ以上のアブが私を取り囲みまるでテレビのニュースに出てきそうなくらいのアブにただ逃げる以外手はなかった。必死に沢を下りると左手に林道があるのを見つけすぐに林道に上がる。ここからは、ランニングでアブとのおいかげっこの状態。いくらでもアブは追いかけてくる。アブは私のザックと背中の隙間に入ってきて挿してくる。結局4km近く走る羽目になってしまいもうふらふら状態となった。とりあえず車を見つけるとそのまま車の中に入った。わずかの隙間からアブがはいってきたがあとは車でこの場所を離れる以外手はなかった。国道に出て落ち着いたあたりでようやく服を着替えることができたが背中が痛くてたまらなかった。このあたりの沢には2度と行く気がしなくなった。

696:滝川本谷(釈迦ヶ岳)(大峰)2級
 以前から登りたい沢であったがはたして日帰りで行くことができるか不安であったが日帰りでも行くことができるというのが地図で調べてわかってさっそく行くことにする。
何回か来ている栗平林道にやってくる。夜中到着しテントで寝る。
早朝に起き滝川林道終点まで車で行く。着くといきなり
「ホンミチ教団私有地」と書かれた看板があったがそんなこと無視して教団の入口近くの車道に車を置く。橋があり左岸へと渡ると林道がありこれを利用する。途中教団の人が林道で働いておりややびびりながらそっと通過。教団の建物が何箇所かあり緊張して歩く。しかし、オウム真理教と違って誰も声もかけてこないためやや安心する。教団の敷地を過ぎてからは素晴らしい沢の渓谷美が広がっており久しぶりに沢登りを堪能する。お昼には釈迦ヶ岳に到着。一般道を使って上りに来た人が数人いた。帰りは、太古の辻、天狗山を通過し奥守岳から降りた。沢に出て一般道を下りもとの場所に戻ることができた。

699:東ノ川 中流域(台高)3級
 大台ケ原の南西面の流域を集めた東ノ川は、「関西で沢を目指すのならばまず東ノ川」といわれる名渓で日本100名谷にもなっている。しかし、「日帰りの沢登り」に載っているのは上部の「シオカラ谷」のみでこの部分はすでに数年か前に登っていた。しかし、シオカラ谷から下部に関しては行きたくても交通の便が悪い、泊まり山行になるという問題がありどうしても行くことができなかった。しかし、ある山行の記録を見ていたら
逆峠から清水谷を降り東ノ川を遡行している記録が出ておりこれで日帰りで行けると確信した
早朝に大台ケ原に着き休憩もなしにすぐに逆峠をめざす。ここから清水谷を降りるが思っていた以上に難しい箇所はなくほとんど直線的に降りることができ昼までには東ノ川に出る。ゴーロ帯となるが右岸を進むことができる。地獄釜滝が出てくるが左岸を簡単に巻くことができる。その後ひっきりなしに滝が出てくるがほとんど右岸を巻きながら進むことができる。さすがに三つ目の大岩だけは左岸を巻いて上に上がることができる。なんとか、滝見尾根に出ることができ大台ケ原に登ることができる。
今回は、
縦走、沢下り、沢登り、通常の登りとあり結局11時間かかってしまった。

724:コブシ嶺、東の川 下流域台高)3級
 
697回の山行で東の川中流域に行き後残すは、下流域だけとなった。この部分は中流域より行動範囲が大きくなり時間的にも厳しいと思っていた。しかし、ここを日帰りで行くためには早朝攻撃しかないと4時半には大台ケ原を出発することとした。4時には大台ケ原に着き4時半にはここを出た。尾鷲辻からは、未知の世界であったが思った以上に道ははっきりしており歩きやすい。飛ばしていくが途中からどんどん道がわかりにくくなる。コブシ嶺を過ぎて本格的にわからなくなりなんとか木組峠に着く。まだ時間的には余裕があるようだがここでゆっくりしていてはいられない。問題なく下ることができると思っていたがいきなりヤブ漕ぎでしゃにむに林道に下りた。東の川林道に降り林道終点まで歩く。遡行図では、たいした距離もないように見えるが地図上では前回の中流域よりよっぽど長いのがわかる。特にむずかしい箇所はないものの時間的にも厳しいので飛ばしながら歩く。とりあえず清水谷の取り付きには来たものの枝沢が多くどれが清水谷かわかららない。時間的にも余裕が無いため枝沢でもとりあえず登ってみる。前回下っているのに登る場所がわからないとは情けないと思っていてもどうしてもわからない。結局上に上がると岩壁にぶつかりあちこちトラバースしてみる。そして一時間後待望の清水谷らしき沢を見つけ上に上がってみる。途中で前回の沢の感じと同じ箇所がありここが清水谷と確信し上に上がる。しかし、逆峠に上がるとすでに16時半になっていた。後暗くなるのに2時間しかない。あとはほとんど休まずに2時間かかり18時半真っ暗になる前に何とか大台ケ原に着くことができた。ほんとにうれしかったが体はボロボロであった。こんな、時間に攻められる山行はやめようと思った。

727:川迫川 ノウナシ谷(大峰)
 以前に川迫川 神童子谷には登っていたがノウナシ谷には興味があったが
日帰りが厳しいためなかなか行くことができなかった。距離的には厳しいが稜線に出て大普賢岳、行者還小屋から大川口に降りたら何とか日帰りで行けると思い出かけることとする。
 大川口から林道終点まで進む。へっついさんは水量もさほどなく問題なく進むことができる。釜滝からノウナシ谷に入る。ノウナシ滝まではほとんど難しい箇所はなく問題なく進む。ノウナシ滝はカラ谷から巻くが左の壁が越えることができず結局1時間かかってしまう。次の千手滝も巻くが大巻きしても壁を越えるのが難しくトラバースして何とか突破する。地蔵滝はたいしたことなくすぐに巻けた。ヤブ漕ぎもなく稜線に出る。この沢で時間を取ってしまったため稜線に出てからは一気に飛ばす。それでも車のある林道終点には
登り出して11時間30分かかって着くことができた。

732:高田川 栂谷(南紀)
 730~733の静閑瀞までは、南紀の沢登りに集中的に出かけた。
吉備ICから龍神村を通り本宮から国道168号線を走る。途中から雨が降り出しいきなり沢に入る気が失せてしまう。天気は回復するという天気予報を信じて栂の平橋で待つがなかなか雨がやまない。小雨になったところで行くこととしたが水量が多く歩きにくい。滑りやすいナメが続き水量が多いためなかなか前に進まない箇所もあった
しかし、上流に入ってからは快調に進みだし鳥帽子山に着く。あとは、はっきりした道を使って下に下りることができた。
この日は、新宮のビジネスホテルに泊まって濡れた服を乾かすことができた。

734:滝谷北谷(南紀)
 この沢は南紀でも名のある滝が多く以前から登りたいと思っていた沢であった。
前日に滝本のあたりでテント泊していた。滝本小学校(廃校)の横を通り林道終点に車を置く。車を置いたところからすでに12m滝がゴウゴウという水音を轟かせていた。その後は、猿手滝、部屋滝と出てくるが難なく越えることができる。その後も素晴らしい滝が次から次へと出てくるがさほど問題なく越えることができた。上流は緩やかな一枚岩でナメを快適に遡上する。林道に出てからは本谷に出て迷うところがあったが巡視路を利用して滝谷に下りることができた。

776:耳川うつろ谷(赤坂山)(福井県)
 美浜の「渓流の里」を西にはいり粟柄谷出合で折戸林道に入る。うつろ谷出合に車を置く。沢に入ると谷沿いの道があり堰堤とかあり沢は狭くヤブっぽかった。最初の連ばく帯に入り二段12m滝を越えると20m滝を迎える。この滝を直登すればよかったが左岸の草付きが登りやすそうに見えたのでここを登ってしまう。しかし、
この草つき地帯は上部になってもいっこうに傾斜がゆるくならずトラバースすらできない状態で全く動けなくなってしまった。結局この急な草つきを元の場所に戻る以外にてはなく草つきはかなり滑りやすかったが必死に草を持って下りることができた。20m滝は細かいホールドながら登ることができた。
 途中でもかなり滑りやすい滝ばかりで神経をすり減らしながら登ることができた。源流に入り川幅が狭くなり二俣に入り左俣に入ったものの左に入りすぎたためか最後ひどいヤブ地帯に入ってしまった。ひどいヤブであったが毎度毎度のヤブいつものようにヤブをこいでいたら稜線に出れるという確信で稜線に出ることができた。

778:由良川ゲロク谷左俣谷(小野村割岳)(京都北山)
 京都北山の沢では難度の高いゲロク谷左俣谷に行く。
八ヶ峰旅行村から五波峠を越え芦生に行く。名田庄村から国道162号線から抜けていくよりかなり早い。芦生には早朝に着き軌道後を飛ばす。久しぶりの軌道跡歩きが懐かしい。カズラ谷出合から沢に入る。ゲロク谷に入っても特に難所はない。右俣、左俣の二俣手前の10m滝がいきなりの難所となる。右壁を登りヤセ尾根上の所を通過。二俣を通過したあたりは、手ががりは少ないものの降りれないことはなくジリジリを下りる。降りた後は特に問題もなく通過。途中ゴルジュ等現れるがほとんど巻いて通過。藪もなく稜線に出ることができる。

784:安曇川 日野谷堂ヶ谷右谷(京都北山)
 白倉岳に突き上げている沢でさほど規模も大きくなく問題のない沢として例によって行くことにする。技術的に難しくもないので軽い気持ちで取り付く。平流部が長く沢の横に踏み跡があり楽であるが非常に暗い感じであった。おまけに蒸し暑くむしむししており喉が渇きビールを飲んだりして進む。
渓流シューズの中がいやに痛いと思ったらなんとヒルが靴下とシューズの間に3匹も入り込んで血を吸っていた。気持ち悪い気持ちだがそんなこと言ってられない。必死になってヒルを靴下から取り除き速やかにその場所から離れた。しかし、しばらく歩いているとまた渓流シューズの間が痛い。あけるとまたしてもヒル。もうやめてほしい気分。沢の楽しい気分は全くなくなりヒルにいつはいってくるかといういやな気分となってしまった。左から枝谷がはいってきてヒルも少なくなったがいやな気分で稜線に出た。

781、784:由良川アヒノ谷、由良川カラオ谷(京都北山)
 両谷とも「続 日帰りの沢登り」に記載されており由良川の谷としては難度の高い谷であった。
アヒノ谷は、取り付きまでが長くさすがにイヤになる。入口も水量が少なくこれがアヒノ谷という感じであった。アヒノ谷に入りナメ滝を過ぎたところがゴルジュの入口で最初からいやらしい登りのため巻くこととする。10m滝まで巻くこととなるがいやらしい下りで何とか沢に下りる。後はさほどの難所もなく通過。最初のゴルジュだけで後はたいした難しいところもなく傘峠に出ることができた。
 次のカラオ谷は取り付きやすかったものの最初からゴルジュがありかなりの難度であった。二条5m滝は右手を登る以外手がなく途中いやらしかったが一気に巻き上がり大きく巻く。そこから先はすべりやすい所が多いが何とか通過できた。ヤブもなく稜線に上がれたものの大倉谷山からは廃道に近い道を歩く。江和方面に下りた為最後は車道を歩く羽目になる。

61:安曇川ハタケ谷
(比良)
 比良の沢にはほとんど登っていたが地図でまだ登っていない沢を探していたら「ハタケ谷」が出てきた。しかし、ほとんど登った記録もないと思ったら全くの変化のない沢であった。これはつまらないと思い源流をトボトボ下を向いて歩いていたら
「ゴソゴソ」という音がして前を見たら熊が山の斜面を登っておりあっけにとられてしまった。この年、熊の出没があちこちで報告されており自分が会うとは思ってもいなかった。

20:安曇川 口ノ深谷(比良)2級
 この日天気も悪く雨が降らないか心配しながら登る。この沢には以前2回登っていたがかなり前で今回初めてという感じであった。廊下状のどんづまりの10m滝で巻いている間に間違えて奥ノ深谷に入ったりで何かいやな感じであった。案の定残置シュリンゲのある6m滝でシュリンゲを持つ瞬間
足を滑らして左手の指を怪我してしまった。何とかこの沢には登りきったがいやな思いで下ることとなった


どんずまりの10m滝   美しい10m滝        最後の滝15m


955:由良川刑部谷
刑部谷には沢でエスケープして下りたことがあるが上って核心部に入っていないため少しでも登っていない箇所を登っておこうと出かけた。刑部谷に入り二俣からようやく70m多段滝が現れた。巻き道が無いように思われたたためルンゼ状のところを登る。ところが思った以上すべりやすく上部は倒木を頼りに登る以外手がなくてこずってしまった。

957:百瀬川
簡単に登れる沢と思い安易な気持ちで出かけた。沢に入り出てくるのは
堰堤ばかり。堰堤と簡単な気持ちで取り付くといやな堰堤も多い。4つ目(?)の堰堤は左岸を登れず右岸に取り付くと痩せた尾根でピークのようなところに出たものの下れない。また、左岸に取り付き何とか出ることができた。堰堤も20近くありもう登りたくない気分になる。大御影山登山口(林道)まで出たものの何回かこの山頂に登っているのでここで下山することにした。

1018:安曇川ヘク谷
 久しぶりのヘク谷。昔山の会の人と登った沢へと行く。しかし、待っていたのはまたも嫌なヒルだった。渓流シューズのなかに何かいると感じ開けるとヒル5匹すでに入り込んでいた。取っても取っても食らいつくヒル。あわててヒルを取り除く。余りにも多いヒルに嫌になり下ることにもなったがここで負けるかという気持ちになりまた上に歩き出す。休むこともなく歩き出してすぐにまたも足にヒルが入っていた。ヒルの攻撃に疲れはてようやく小女郎池で休む。
 登山道の下りで何か考えていると滑りやすい斜面で滑ってしまった。おまけに滑った時に右足首からグギッという音がした。まずいと思ったがすでに足は捻挫していた。しばらく休んだ後、この状態で下りるしかないと思いストックをフルに使い一歩一歩ゆっくりと下りた。何回も休んだが上る以上の時間はかかったがなんとか下ることができた。家に帰って渓流シューズからまたヒルが出てきた。