【iRONNA発】沖縄知事選 沖縄の政治に色濃く残る「ムラ社会」 三浦瑠麗氏

三浦瑠麗氏

 沖縄県民の選択は4年前と同じ「辺野古反対」だった。注目の知事選は、急逝した翁長雄志前知事の遺志を継ぐ玉城デニー氏が勝利した。「対立と分断」で揺れた民意。変わらぬ対立構図が映し出したものとは。
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 争点は明確でした。ただ、それは従来の「基地」と中央からの「バラマキ」の不毛な対立に終始しました。そこには大構想はなく、将来の沖縄がどのように食べていくかを描く戦略も不足していました。
 こうした停滞は日本全体についてもいえることです。日本が21世紀にどうやって食べていくかを考え、実行に移すことができる政治家はあまり見当たらないからです。ましてや、地方において、そのような自律的な政策が唱えられることはまれです。
 地方自治体が国に先駆けて、時に歯向かいながらも何らかの変革を訴えた例といえば、石原慎太郎氏の都政改革や橋下徹氏の「大阪都構想」くらいでしょう。沖縄の政治は、日本の「田舎」性を色濃く反映しているのです。
 ◆「お上」との接点
 沖縄県知事選が象徴しているのは、自主性が低いからこそ政治的争点の領域が狭いという現象です。沖縄の場合、米軍基地問題や中央政府との距離感は大きな争点になりますが、他の都道府県と比べても沖縄の特殊性は、本土に対する感情や違和感ぐらいであって、そこまで特殊ではないと思っています。
 基地問題が常に選挙で争点化するのは、ままならぬ「お上」との接点の最大のもの、あるいは摩擦の最大のものが基地問題であるからです。原発立地自治体の場合、それは原発の再稼働をめぐる問題ということになります。
 地方分権の度合いが少ない日本においては、資源配分をめぐる政治は必然的に「お上」との関係性を中心としたものにならざるを得ません。県知事選は、地元負担と見返りを含むプロジェクトを「止める」、あるいは「受け入れる」といった受動的な論点になりがちです。
 中央政府にもずるいところがあります。米軍普天間飛行場の返還に膨大な時間がかかっているのも、沖縄に基地が集中しているのも、国家戦略レベルの話を県知事の責任に押し付けているところが大きいからです。そもそも、県知事が米国と交渉することなどできようはずもありません。地方に真の自主性はないのに、中央が責任転嫁をするから、こうした選挙が繰り返されるわけです。
 沖縄に限らず、日本の政治には有為なダイナミズムは存在しません。日本が先進国の中で際立って安定し、ポピュリズムにさらされておらず、またそれゆえに異端が力強く社会を変えることも少ないのは、明らかです。
 その一因は、社会を分断する要素が日本にはごく少ないからです。英国では階級であり、米国では人種であるところの分断のようなものは、日本社会には存在しません。沖縄県にしても、そのような明確な亀裂は存在しないのです。存在するのは、中選挙区制の時以来の人間関係による対立構図であり、陣営です。
 ◆いびつな構造…
 地方に行くたびに思うのですが、人間関係の積み重ねの歴史以外に、そこの土地における対立を説明できる要素がありません。ダイナミズムを阻んでいる最大のものは、日本の「ムラ社会」です。ムラ社会は、人間関係で回っている社会であり、実力主義と階級秩序を足し合わせたものです。
 田舎では初めから、機会の格差は開いている。「イエ」の格による秩序も厳然と存在し、新たなチャレンジャーを阻む土壌があります。ムラ社会の一番の問題は、人に迷惑をかけないことを主要なモチベーションとした行動が取られがちだということです。そして、それはダイナミズムを生む構造とは正反対の行動様式であるのです。
 沖縄の問題は、政府の積極的なリーダーシップと真の地方分権以外に解決の糸口はありません。ところが、沖縄県知事選の報道は、どちらが「勝った」「負けた」を安倍晋三政権の政権運営への影響に変換してのみ理解しているものが多い。けれども、日本のいびつな中央=地方構造こそ、真の改革を阻むものなのです。
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【プロフィル】三浦瑠麗(みうら・るり) 国際政治学者。昭和55年、神奈川県生まれ。東京大大学院法学政治学研究科修了。専門は国際政治、比較政治。著書に『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書)。近著に『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮出版社)。

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