【注意:本記事は千田有紀氏の博士論文に関して個人的見解・感想を述べたに過ぎず、千田氏に関して特定の断定的・否定的評価を下すものではありません。人によって物の見方、感じ方は、様々です】
ツイッターにはなぜ、誹謗中傷があふれるのか――ネットの損害賠償等請求の経験から(千田有紀) - 個人 - Yahoo!ニュース
◎千田氏は上記Yahoo!ニュース記事の最後に次のように書いています:
このように千田氏は「千田岩波論文」(注1)は岩波の担当編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた、と述べていることから「千田岩波論文」は千田氏と岩波編集者との共同執筆です。
そして千田氏は著書『日本型近代家族』185頁で、「千田岩波論文」は「博士論文の原型となった論文」である、と書いています。つまり岩波編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた「千田岩波論文」が「千田博士論文」の原型になっている、ということです。
岩波編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた「千田岩波論文」が「千田博士論文」の原型になっている、ということは、「千田博士論文」の中に岩波編集者の執筆部分が相当な割合で含まれている、ということを意味します。
そして「千田岩波論文」(約30頁)よりも「千田博士論文」(約190頁)の方がページ数が多いです。
以上の事実関係を整理すると次のようになります:
(事実1)「千田岩波論文」は岩波編集者が何度も何度も添削して丁寧に書いた。
(事実2)「千田岩波論文」が「千田博士論文」の原型になっている。
(事実3)「千田岩波論文」(約30頁)よりも「千田博士論文」(約190頁)の方がページ数が多い。
(事実1)乃至(事実3)の事実関係からすると、「岩波編集者の執筆部分」、「千田岩波論文」、「千田博士論文」、の包含関係は次のようになります:
以上から判明する事実は「千田岩波論文」も、「千田博士論文」も、いずれも、千田氏と岩波編集者との共同執筆である、という事実です。
ところが「千田岩波論文」も、「千田博士論文」も、いずれも著者名は「千田有紀」の単著となっています。
「千田岩波論文」も、「千田博士論文」も、いずれも、実際には千田氏と岩波編集者との共同執筆であるのだとすれば、なぜ2つの論文の著者名は「千田有紀」の単著として刊行されているのでしょうか?
共同執筆なら共同執筆である旨、明記すべきではないでしょうか?
以上のような千田氏の行為を、学者の世界ではなんと呼ぶのでしょうか?
またこのような行為は、千田氏のキャリアにどのような結果を招来するでしょうか?(注2)
【注】
(注1)
千田氏には全く同一タイトルでありながら、「博士論文」と、「博士論文ではない論文」という、2つの異なる論文があります。
全く紛らわしく、迷惑な話です。
2つの論文のタイトルはいずれも、
「家」のメタ社会学 : 家族社会学における「日本近代」の構築
です。
「博士論文ではない論文」は
岩波『思想』No898・1999年4月号
の所収です。
当ブログでは上記2つの論文を区別するため、千田氏の博士論文を「千田博士論文」、岩波『思想』No.898号所収の、博士論文ではない論文を「千田岩波論文」と呼ぶことにしています。
つまり
千田氏の博士論文 →「千田博士論文」
岩波『思想』No.898号所収の、博士論文ではない論文→「千田岩波論文」
と呼びます。
(注2)
千田氏は著書『女性学/男性学』(2009年、岩波書店)169頁において、自分の大学院時代について次のように書いています。「大学院時代にお世話になった元指導教員の上野千鶴子先生。・・・『とくべつに指導はしない』と公言されている先生のもとで、本当に自由にやらせてもらいました。」
千田氏は何を「本当に自由に」やらせてもらったのでしょうか?