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2018年10月9日火曜日

ジェンダー論をやっている社会学者は“被害者”

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社会学者の千田有紀氏の何度目かの炎上騒動の最中なのだが、「市民的公共性」と言う単語を濫用して突っ込みを受ける*1ばかりではなく、自分は権威なのだから素人は意見するなと言う姿勢の過去の発言が槍玉にあがっている。

今回の事例だけではなく、他分野から見て根拠をよくつけられていない主張を社会学者がすることは多く、社会学と言う学問への疑問が渦巻く自体になっている。しかし、千田有紀氏の議論に関しては、社会学と言うよりはジェンダー論に内在した問題に思える。

1. ネット界隈で露呈するジェンダー論界隈の主張の脆弱さ

小宮友根氏は相関と因果の見分けがついていなかった*2し、古谷有希子氏のときは彼女がまだ院生であることを加味しても、周囲の社会学者はあれだけ初歩的な間違い*3を指摘することなく、むしろ擁護していた。

統計を上手く運用できないだけではなく、論理的な文章を書く能力も怪しいかも知れない。牟田和恵氏は青識亜論への批判をもっと普通に言えたはずなのに、詭弁崩れを弄したために炎上してしまった*4

2. 批判による洗練化がされていない「理論」

ジェンダー論界隈にはジュディス・バトラーと言うビッグネームがいる。千田有紀氏もバトラーの著作を読んで勉強したそうだ。これがジェンダー論界隈に深刻にネガティブな影響を与えている蓋然性は高い。

このバトラーさん、あの知の欺瞞で扱き下ろされたポストモダン思想家の影響にあり、不明瞭な作文をすることで知られている。アカデミックなライティングは主張が明瞭で検証可能あることが理想とされるが、バトラーの作文はいきあたりばったりのほのめかしに満ちている*5上に、専門用語も我流でデタラメに使っており*5、その主張を捉えることが困難だと批判されている。

こういう叙述スタイルは、別にバトラーだけに限らない。イリガライも物理学でジェンダーを説明するような意味不明な作文を行ない『「知」の欺瞞』で非難されていた*7。フェミニズム自体は女性の権利拡大を目指す運動なので、バトラーやイリガライの作文とは実のところは大した関係は無いように思えるが、社会学のジェンダー論には深刻な影響を与えているようだ。先日もフェミニズム哲学の学術史に、デタラメ論文が掲載された事が話題になっていた。

3. 虚構の逸話に依存するジェンダー論

千田有紀氏と一緒に少年ブレンダと言うアカウントも炎上しているが、このネーミングのモデルになったと思われる少女ブレンダことデイヴィッド・ライマーの生涯は、ジェンダー論のいい加減さを示す良く知られた事例となっている。

幼少期の男性器への傷害により性転換手術を受けた男性が、少女ブレンダとして育てられた事例が成功であったと吹聴され、これが性差が文化的なものによって決定される事例として、ジェンダー論の基本的な考え方を定める事になったのだが、実はこの実験を推し進めたジョン・マネーの嘘であり、実は少女ブレンダは思春期に男性に戻っていたことが後で明らかになった。

少女ブレンダであった男性がインタビューに応じて問題が明らかになったのは、1997年12月なのだが、この症例に大きく依存するジェンダー論の基本的な主張は変化していない。大脳生理学の知見などの蓄積もあり、性認識や男らしさ・女らしさは生得的なものではなく、環境によって決定されると言う主張は大きく後退せざるをえないはずなのだが*8、ジェンダー論の議論に大きな変化は無い。

それどころか、未だに少女ブレンダの事例が虚偽であった事すら認識していないかのような記述を見かける。フェリス女学院大学文学部教授の諸橋泰樹氏が「公的広報におけるジェンダー表現とメディア・リテラシー」で挙げた事例は、書かれたのが2003年で情報が拾えていないか、広くは知られていない他の事例の事なのかも知れないが、間違った認識の少女ブレンダの事例のさらに誤まった説明になっているように思える。

4. ジェンダー論の社会学者はダメ教育の“被害者”

ネット界隈で炎上しているジェンダー論の社会学者が、大学や大学院で学んだものを想像して欲しい。ポストモダン思想にかぶれて明瞭で検証可能ある作文をしないジュディス・バトラーが、虚構の逸話にインスピレーションを受けて思いついた議論が「理論」とされている世界では、批判的に主張を吟味する能力も、批判に耐える文章を書く能力も身につかない*9。身につくのは、本当はよく分からないものを理解せずに称える信心だけだ。

社会学全体でみるとジェンダー界隈でも拝聴に値する研究はちょくちょくあると思う*10のだが、ジュディス・バトラーを持ち上げている人々は右も左も分かっていない。学部生と一緒に「哲学思考トレーニング」あたりを読んで、一から学んで欲しい。

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